この世に発生した日だ、と毎年のように書いてきて、そんな日を独り過ごす寂しさをまぎらわしてきたのだが、今年はどうもばつが悪い。
さかのぼること10日前。学生時代の友人が、東京から脱出してきた。震災疲れで彼曰く「パンが売っていない。パンが食べたい」と名古屋まで来たそう。ものすごく高いパンだ。パンを食べに来たついでに、旧友たちと名古屋駅前にて飲もう、とそういう流れになった。
配偶者は仕事だったので、居酒屋で合流することに。地震の報告会が佳境になったそのとき、配偶者が到着。なんとお花を抱えているじゃありませんか。仕事場で「お誕生日おめでとう」と渡されたという。そのときまで、すっかり頭から抜け落ちていた。その日が、配偶者の誕生日だったということを。弁解すると、仕事で地震や原子力について真剣に考えすぎていて日にちの感覚がまったくなかった。
その事実を知った瞬間、表情は消え去り、あんぐりと口が大きく開いていたと思う。
後日、ケーキを買ったり食事に行ったりとフォローはしたのだけれども、当日言われるまで気づかなかったという事実は消せないわけで。ワタシ、気にしていないからと、怒っている感じでもないけれど、やっぱり怒っていそうな。冗談で言っているのか、本気で言っているのか。たぶん、両方だ。
だから、10日後に自分の発生日を迎えようが、何となく自宅に帰っても窮屈な感じ。「おめでという」と言ってくれる配偶者。純粋に祝ってくれていることは間違いがないのだけれど、僕の中の後ろ暗さが純粋にその言葉を受け止められない、みたいな。
冷や汗かいた発生日。