葬式であった。血縁関係はないものの、孫に当たる、というちょいと微妙な関係である上、本当に数えるぐらいしか会ったことがないから、おいおいと泣いてしまうようなものではなかったのだが、いくら大往生とはいえ、一人の人が亡くなってしまったのだから、それなりの感慨は僕の胸にも訪れるのである。
豊橋の国立病院の院長を長年務めて地方の名士と呼ばれるぐらいの人であったのだが、本人の希望で、うちうちの親族だけの密葬という形を取った。そんな席に呼ばれたにもかかわらず、生前のおつきあいがかなり薄いものであったのは反省すべきことなのであるが、それは間に両親をはさんだ関係であるので、僕がいくら思い煩っても仕方がないことである、とあきらめるしかない。
とっても偉いと思ったのが、葬儀の段取りについていっさいを遺言で残していたことである。まず、近しい人だけの密葬とすること。これは、かなりの功績のある人のことだから、本格的に葬儀を営んでしまったら大事になってしまって親族にいろいろ手間をかけてしまうから、それよりもうちうちの本当に悲しんでくれる人だけを呼ぶようにしたらしい。そして、香典は一切無用。自分のためにご足労わずらわすだけで十分、それ以上の負担をかけたくなかったらしい。近所に知らせず玄関回りに飾る花輪すらなかったから、通りかかった人たちは法事でもやっているんだろうと思ったに違いない。
戒名も、葬儀の場所も、精進落としの段取りもすべて遺言通り。その人の医者であった生前の功績に似合わぬ質素さであったのだが、本人の希望とあれば、遺された者たちもそれで満足なのである。そうして、遠方から参列した人、縁がある人たちに、その人の希望でお車代や御霊前などとしてお金が手渡された。ここまで来ると、ただただ、平伏するしかない。
実は今月は、葬式1件、法事2件と3回もお経を聞く機会があったのである。こうして月に3回も死に向き合うのはなかなかヘビーなことであるな、と他人事のように思う、今日この頃である。
2週間前に諸行無常だなんて書いているが、まさにその通りで、両親、友人、親族、その他もろもろ、ずっと一緒にいられることなんかはないわけで、その日その日を一生懸命暮らすしかないんだよね。そして僕はエンジンを作る。