原子力災害が終息するめどが立たない。マスコミでの決まり文句は「健康に影響なし」。みんなが不安に思っていることについて、マスコミが一律に同じことを言うときは、疑った方が良い。そもそも、専門知識があって報道しているわけじゃないのだから。
発表された情報を横書きから縦書きに書き換えて、右から左に速やかに伝えるスキルにはたけているのだが、そもそもその情報が正しいのかどうかを検証するスキルについては、低いと言わざるを得ない。そもそも、起こっている事象について、物事を知っている人に意見を聞いて書く仕事なので、政府や東大教授が言ったことは、どうしても垂れ流しになりがちだ。
文系人間で放射線のことなんてあまり理解していなかった僕だけれども、ネットでいろいろ調べて学んでみた。で、本当に「影響なし」と言い切ってしまっていいんだろうか、と考え込んでしまう。少なくとも、福島県内の線量が高い地域からは、女性や子どもは離れた方がベターだと思うのだが。僕自身は、線量計でも持っていけば、福島の避難地域近くに分け入って仕事をしてもいいと考える。そのうち、そういう機会もあるかもしれない。
事実を伝えることによるパニックと、伝えなかったことによる後々の被害と、どちらが社会的にマイナスになるんだろう。地球規模の環境変動を計算できるスーパーコンピュータがあるのに、だれも放射性物質が日々どの方面へ濃く飛んでいるかを計算して公表してくれない。半径20キロでも住めるところと、20キロ以上でも危ないところと。まだら状に汚染が広がるのは、チェルノブイリでも経験済みなのだけれど、今回の災害で生かされている感じはない。
僕は、事実はありのままに伝えた方が良いと考える。マスコミでは限界がある。
「実は日本の規制は厳しい」などと、規制値を緩くしようとする動きも報じられているけれども、批判しないのは職務怠慢もいいところで、言語同断だと思う。後出しじゃんけんはルール違反だと指摘すべきだ。少なくとも、長い間放射性物質を扱うために決められてきた根拠のある数字なのだから、今回の事故では厳格に守らねばなるまい。すべてが終わった後、「実はきつすぎた」と議論するのは自由だが、事態が起きている段階で規制値をゆるめるのは、その分命の価値を軽くすることにつながる気がする。
話は変わって、ろくに被災地支援もしていなかった僕だけれど、エコポイントが寄付できることを知って手続きをした(配偶者にしてもらった)。テレビにエアコンでしめて30000点。商品券に換えて何に使ったか分からなくなるよりは、よっぽど有効な使い方だ。が、日本赤十字社への寄付になるので、何に使われるかは分からないのが物足りない。
数多ある義援金も結局は日赤に集まって半年後ぐらいに見舞金のような形で被災者に配られることになる。それはそれで役に立つのだが、「その後」は見えにくい。継続して関わりたかったら、それぞれの市町村に直接送ったり、支援団体の活動資金として寄付したりする手もある。
実は、松本時代に、チェルノブイリを支援している団体とかかわったことがあった。ぜひ、ベラルーシに行きたいと思っていたのだけれども、その願いも叶わないまま、日本がこんなことになってしまった。彼らは専門知識を生かして、被災地の医療を支えているみたいだ。直接寄付しようかしら。