月: 2016年2月

2月22日

 仕事を中抜けして、名古屋駅前の某銀行へ。家を建てるための土地の決済で。いよいよローンレンジャーである。

 売り主とあちら側の仲介業者もわざわざ足を運び、目の前で振り込み関係の書類に記載、捺印してローンの実行と振り込みを待つ。今回、新たに取り引きを始める地方銀行なので、残高0円の銀行通帳を担当の銀行員に渡し「ローンが実行されました」という経過報告だけ聞いたのだが、手元に戻ってきた通帳には、大金が入っていた、という記録のみ記載されて終わり。札束を目の当たりにしたわけでもなく、まったく実感がない。

 現在、間取りを検討中で、夏頃に起工、年明けに引っ越しの予定。残念ながら家付きガレージではなく、車庫はない(ioi)。

2月19日

ひさびさにフルコンのFreedomを装着する雅号(街乗りロードスター)を動かしたところ、始動直後にエンストしそうになるのが気になった。水温補正が薄いんだろうなと思い、助手席後ろに放り込んであるノートパソコンを取り出し、グローブボックスに仕込んである通信ケーブルと接続する。1年以上は動かしていないので動くか分からない。電源を入れると案の定「カカカッカカッカ」と不吉な異音が鳴り響いた。ハードディスクっぽい。

ブートに失敗したので、拳で「ガツン」と一発くれてやる。電源を入れ直したら、普通に起動した。10年以上前のパソコンなのに、まだまだ動いてくれる。

水温補正をいじるときにやっかいなのは、一回始動してしまうと水温が上がってしまうため、パラメーターをいじってもすぐには違いを確かめることができないことだ。こんなもんだろう、と水温が30度以下のところを増量する。用事が終わって10時間後ぐらいに始動したら、修正が効いたらしく、ぶーんときれいに回った。

それでも、アイドリングはどろどろするし、ところどころ薄い気がする。さらに、燃料カットからの復帰など、微妙にアクセルを踏んでいる領域でぎくしゃくする。かなり久しぶりでいろいろ忘れちゃっているので、「ガレージ雅」を見ながら、燃料マップや燃料カット補正、アイドル補正など、あちこちのパラメーターを確認しては、修正する。アイドル補正は、なぜかほとんど効かないような数値が入力してあった。アイドル吸気圧なまし量なんかも、変な数値が入っていたので、修正。ノーマルエンジンなのに、ハイカムを入れたようなどろどろしたエンジン音が、だいぶ普通になった。

過去に4連スロットルだったときのパラメーターがそのままになっている部分もあったかも。Freedomを買ったのが2002年なのだから、すでに13年も経過している。E&Eさんも何か起こっても「知らん」と言うだろうなあ。

2月18日

糖質制限ダイエットで知られた作家が62歳で急逝し、糖質制限との因果関係を疑うような質の悪い記事が出回っている。長年、正しいと考えられてきた常識を否定する考え方だけに、「効果ある派」と「体に悪い派」で議論が真っ二つに分かれているから、「それみたことか」という記事はいかにも書きやすい。検証もなく、イメージだけで作文してしまうのはいかにも危険だ。

なんでこんなことを書いているか、といえば、この冬、11月以降に7キロぐらい痩せた一つの原因が、糖質制限にあると考えているから。でも、正直言って、いくつも思い当たることがあるので、「これで痩せた!」とまでは言えない。

内視鏡検査の体験のつもりで、12月に人間ドックを予約していた。会社の健康診断もサボっていたので、まとめて検査してもらう狙いもあった。で、お酒を控えてみた。成人になって以降、飲まない日が例外というぐらい、継続的にアルコールを摂取してきた(まさに中毒だ)のだが、最近、血液検査の数値も悪くなってきたので、人間ドックに向けて「血液検査の偽装工作」を始めたのだ。

家で一人で飲む酒をやめてみた。やはり落ち着かないので、ハーブティーをがぶ飲みして気を紛らわす。夜、寝られないのが飲酒の動機の一つだったのだが、「寝られなくてもいいや」と思うことにした。読書が進む進む。つきあいのお酒、実家で親父と飲む酒はこれまで通り。仕事の都合で人間ドックは1月に先送りになり、2カ月ほどそういう生活をしていると体も慣れてくるようで、人間ドックが終わった今も、一人ではなるべく飲まないようにしている(飲むときもある)。これだけでも体重に変化が起きそうだ。

昨年8月に異動があり、変速付きのママチャリを買って自転車通勤を始めてみた。藤が丘から丸の内まで、片道12キロ。さすがに、毎日だと体力がもたないので、週に2、3回ほどにしている。最初はふらふらになったけれど、特に苦もなく走りきれるようになり、時間も早くなった。どうしても重たいギアでスピードを上げがちだったのを、軽いギアでピッチを上げて走ると快調になった。これも、減量につながりそう。

そして、もっとも大きいと考えているのが糖質制限。細かいことは書かないけれど、米、小麦、芋類、大豆以外の豆類、砂糖などの糖質をなるべく食べないようにする。とはいえ、朝ご飯は出されるパンやご飯は普通に食べているし、人とご飯を食べるときには「糖質制限中なんで…」と残すようなことはせずに、普通に食べている。いわゆる「プチ糖質制限」だ。

お昼ご飯で、うどんやラーメン、コンビニのおにぎりと野菜ジュース、というようなことはなくなった。おなかがすいたときのランチは、ガストに行ってチキンステーキダブルを単品で頼んで豆腐サラダを付けたり、すき家の牛丼ライトを食べたり。晩ご飯は、この季節に多い鍋料理であれば、糖質を外しやすかった。

制限でストレスをためることもないぐらい、軽い気持ちでやっていたのだが、体重がぐんぐん減っていった。おなか回りがぱんぱんで、ホックを破壊してしまったズボンも、いまやぶかぶかでウエストに拳が2つ入る。

大好きなビールとパスタも糖質に含まれてしまうのがつらいところだが、1杯だけ飲んでハイボールにし、パスタは全粒粉のものを買ってきて調理したりと工夫している。

春先までにもう少し減らして、シーズンインとしたい。雅久号は、ついにヘッドライト撤去をしてしまったので、オーバーハング部分の10キロが軽くなっている。これだけでも激変しそうだが、さらに、ドライバー自身も軽量化して、タイムアップを狙ってしまおうと企んでいる。

2月17日

 間瀬サーキットの耐久レース・クーマックカップを走った雅久号は最初、アンダーコートは手を着けなかった。ナンバー付きだったこともあるし、始まったころは「ノーマルで参加できるレース」という触れ込みだったから、雅久号にもナンバーを取って、自走でサーキットまで走っていた。早朝にサーキットに到着すると「儀式」として、ジャッキアップして触媒をストレートパイプに交換していた。そうしなければならなかったから、当たり前のようにしていた。

 その仕様のままでも良かったのだが、ともに参戦していたシビックがとっても速かった! 予選では1秒半ぐらい引き離されていて、絶望的な差があった。それでも何とかレースになったのは、ロードスターが安定してタイムを刻めたことだ。前後、ローテーションが必要がないほど均一にタイヤが減ったし、スタート直後からゴールまでほとんどタイムが同じだった。

 とはいえ、あるとき、バージョンアップしていかないと、勝負にならない感じになってきた。ということで、やったことといえば軽量化だ。トランクに積んだバッテリーをエンジンルームに移設してハーネスを間引いたり、内装もクラッシュパッドは残してあとは裏側を削ったりして限界まで軽くした。細かいステーなども切り取ってちまちまと軽量化。

 で、アンダーコートもはがしたのだけれど、たぶん、それで一桁キロぐらいしか軽くはならなかったと思う。少しでも速くしたければ、通過儀礼的にやるしかないのだけれど、労力と得られたタイムが比例はしない世界ではある。

 日曜日に作業していて、雅久号での試行錯誤を思い出した。で、何が書きたかったというと、最近、おなか周りを中心に自分自身の軽量化が進んだ。間瀬を走っているときに軽くなっていれば、明らかにタイムが変わるぐらいに。

 数キロであんなに苦労したのに、なんということだ!

2月16日

土曜日から富山入りして、おおとろ亭にてビールを大量摂取し、意識を失う。独身のときは当たり前だった振る舞いも、子どもができて土日はたいてい、用事をこなすようになると、とても贅沢な時間だ。

日曜日は朝から工場へ。何をする、というわけでもないので、とりあえず、一宿一飯の恩義を体で返そうと、カーベキューになったNA6CEのアンダーコートはがしをば。

いわゆるカーベキューになって、工場に鎮座したNA6CEのシャシーさま。防錆や防音のためにフロアーに塗られたコーキング類を、スクレーパーなどを使ってちまちまはがしていくのだ。

雅久号のアンダーコートをはがした当時(今から6、7年前?)はカーベキューセットがなかったので、フロア下に潜って腕を上げて削りまくっていた。削ったかすがぼろぼろ落ちるし、腕はだるいしで、とても大変だった覚えがある。カーベキューはリフトに載せて下からのぞき込んでいた部分を目の前にすることができるので、新鮮な光景だ。ロードスターの下っ腹が見られる場所といったら、間瀬サーキットのZコー
%&'(‘&TR$%&Y、、、。

カーベキューになったら、確かに楽にはなるのだが、その分、徹底的な作業をしないといけない気分になるので、良し悪しのところはあるかもしれない。アンダーコートは冷えているとかちかちに固まっているので、巨大な電気ストーブ(さすが板金もできるショップだ!)で、あぶりながらの作業となる。ボディの裏側からあぶっているとはいえ、強烈な熱源の前で作業をしているので、なんだか自分がバーベキューの肉になって調理されている気分になる。

リアのタイヤハウスの中の作業をしていたのだが、曲面なのでとってもやりづらい。お客さんの車でもあるので、下地の塗装をなるべく傷つけないようにちまちま進める。自分の車だと「後から塗ればいいや」とがんがん削っていくところなのだけれど。

最初の1、2時間は少し作業してはため息をついて、だらだらしながらやっていたが、午後になると、考えるのも疲れたのか、もくもくと作業が進む。とはいえ、目に見えて進んでいくわけではなく、ちまちまと。朝9時から夕方4時までやったころには、手の握力がなくなっていた。

鉄板むき出しにするのでかまわなければ、薬品でも使って一気に進めるのだけれど、防錆に有効なので、電着塗装は残す。そのためにちまちま。いちおう、仕事として引き受けた作業の一環なのだけれど、真っ当な費用は請求しづらいみたい。フルレストアの車がん百万というのは、それなりの理由があるってことですね。ロードスターもそのうち、そういう市場ができるのかも。

2月9日

 みなさん、あけましておめでとうございます。おはこんばちは。

 2012年10月から実に3年4カ月ぶりにここを書く。もう、だれも見ていないだろうなあ。2000年前後からホームページを持って発信していた個人は、今では多くの人がTwitterやFacebook、みんからなどのSNSを中心に情報を発信していますね。トップページに貼り付けているように、僕もTwitterアカウントを持っていますが、そんなに発信していません。140字でというと、まとまったことが発信できないからかな。しっくり来ません。

 @Niftyから「@homepageサービス終了のお知らせ」とメールが来た。ついにホームページサービス終了か!と思ったら、@niftyが持つ同種のサービスへ統合する、という感じだった。URLが変わってしまうので、サービス終了と同じことだけれど、とりあえず追加料金がかからずホームページサービスが利用できるようなので、移行しました。旧URLの表紙はリンクを切りましたが、コンテンツはそのまま残っているので、Googleにもしばらく引っかかるでしょう。まだFreedomについて検索で飛んでくる人っているのかな?

 過去の日記を読み返してみると懐かしいので、今後も時間があったらここをちょくちょく書いていこうと思います。発信したい、というよりは備忘録だなあ。この3月で40になるのだけれど、最近、昔の記憶がけっこうあやふやになってきた。人間、やはり書き留めておかないと、過ごした時間の保存は脳みそだけでは難しいらしい。若いころは、仕事のアポイントなどはだいたい頭に入っていて、メモっておく必要がなかったのだけれど、最近はさすがにやばくなってきた。仕事に支障が出るといけないので、きちんとiPhoneのスケジュール帳に詳しく書き留めることにしている。仕事上で思い浮かんだアイデア、ちょっとしたtodoなども、昔はすべて頭に入っていたのだけれど、最近特に忘れっぽい。スマホにEvernoteがあれば支障がない、と思っていたのだけれど、振り返りにはやはり手でメモを書くことがいちばん、と思い直し、ちょっと豪華なノート(モレスキン)をもらったので、それに何でも書き込むことにした。自分の仕事の流れをちょっとずつ変えて、外部の記憶装置に頼っていこう。今までよりも、生産性は上がると思う。

 2010年から今日までを振り返ると、富山からもともとの拠点の名古屋に戻り、富山の人と結婚をして、2014年2月に子どもができた。異動は2回あったのだけれど、2013年8月に会社内の隣の部署、5メートルの距離に移り、昨年8月にまた元の部署に戻ってきた。5年の間の異動距離は10メートル。名古屋から松本とか、富山から名古屋とか、そういう異動は最近はありません。

 ロードスターは相変わらず2台体制。もともと乗っていた92年式NA6CE Vスペシャルに、サーキット用でナンバーがない91年式NA6CE Vスペシャル(笑)の雅久号。どちらも緑。自分では普通のことだけれど、改めて書いてみると、ほかの人は普通じゃないって思うんだろうなあ。雅久号は年に数回の出番って感じで、いちおう、オイルなどの簡単なメンテナンスをすればいつでも出動が可能。もともと乗っていたナンバー付きは、実家に置きっぱなしになっていて、あまり乗っていない。塗装が劣化して、幌のビニールスクリーンが焼けて真っ茶色になり、ウッドのステアリング、シフトノブもそれなりに汚くなってきて、もうぼろぼろ。NDもいいなあ、と思うけれど、お金がないし、NA6CEに愛着があるので、しばらく乗ろうと思っている。

 最近のトピックとしては、名古屋市内に土地を買って家を建てようとしているところ。残念ながら、家付きガレージではなく、ロードスターは露天駐車が決定している。カーポートも厳しい感じの土地だから。奥まったところにある旗竿地で、旗竿部分は幅2.3メートルの長さ11メートルほど。今乗っているフォルクスワーゲンのUP!やロードスターならちょっと狭いけれど止められる。

 僕が富山から拉致ってきたため、富山に家を建てて帰ることが密かな野望だった奥さんが「ここなら名古屋で家を建ててもいい」と土地を探してきた。建築家の友人に相談すると「ぜひ、買っておけ」というので、即買い。花屋の奥さんのコンセプトとしては、お花の作業ができる土間があって、いろんな人が集う場所にしたいそうだ。だいぶ変わった感じの家になりそう。

 2001年2月にホームページを作ってみたときに書いた「日常」から引用する。「このページを作る目的は、完全に自己満足のため。この文章だって、永久にだれも読まないかもしれない。それでも、他人に読まれる可能性のある場所に向けて書く、ということだけで満足なのだ」。これは、今も変わっていない。