月: 2011年1月

1月31日

 今月もあれこれ追われているうちに最終日。なかなか更新する余裕がない。この1月をメモ風に。

1月10日(月)

 高校の先生だったのだけれども、思うところがあって、イチゴ農家に転身した素敵な先輩のところへ行く。「野良仕事で暮らす」決意を込めてのらくら農園と名付けて、今シーズンから生産を開始。これは応援せねばなるまい、とお世話になった人たちにイチゴを送った。「甘くておいしい」と大好評。贈答用なので、巨大。スーパーで並んでいるイチゴは、熟すちょこっと前に収穫するらしい。のらくら農園の贈答用は、畑で熟したイチゴを送るので、また別格のうまさがあるらしい。甘いイチゴを食べたい人はぜひどうぞ。

のらくら農園甘くておいしい

1月11日(火)

 夕方、新幹線にて東京へ。とあるシンポジウムに顔を出して、神田のホテルにて宿泊。おなかが減ったので神田駅周辺をうろつき、つけ麺を喰らう。可もなく不可もなく。

1月12日(水)

 霞ヶ関付近にてお仕事。仕事自体は40分ぐらいで終わって、東京駅から新幹線にて戻る。

1月14日(金)

 柄でもないのだけれど「大勢の前で話してほしい」という無茶振りを昨年春ぐらいから引き受けていて、この日は本番を間近に控えた打ち合わせ。こんな感じでお話をしたいというと、おおむねOKが出た。配偶者も合流して、新栄の富山居酒屋にて、飲む。あまり、富山な感じではなかったが、まあまあおいしい居酒屋であった。

1月15日(土)

 ある会合に顔を出しに大阪・中之島付近へ。夜はその会合の懇親会。2次会で別のグループと合流して3次会まで行ったら、久しぶりに記憶を失った。反省。

1月16日(日)

 午前中、ある会合に顔を出し、昼すぎに新幹線にて名古屋へ戻る。大阪−名古屋間なんてほんの50分程度なのだが、この日は大雪。米原あたりで自動車と同じぐらいの速度で運行したこともあって、2時間もかかった。

 配偶者には新大阪駅にて冷凍明石焼きのおみやげを買っていったのだけれど、名古屋駅で降りたら持っていないことに気づいた。時すでに遅しで、座席に置きっぱなしにしてしまったことに気づいた。明石焼きは不審物として捨てられちゃったんだろう。

1月18日(火)

 来てくれ、と言われたので名鉄にて知多半田。古い町並みが残っていて興味深い地域。

 知多半田とか、太田川とか、名鉄の河和線沿いの駅は地域が抱えてる人口を考えたらあり得ないぐらい寂れた駅前。たぶん、地域が栄えていないということではなくて、駅前の地主だった人たちが裕福で、開発するモチベーションがまったくわかないまま放置した結果だと思う。名鉄の駅ってそういう場所が多い。それこそ、名古屋という都市に30分以内でいけるロケーションなのだから、いくらでも開発余地はあるはずなのだが。

1月20日(木)

 この日が講演の本番だった。半年以上、何を語るかをぶつぶつ考え続け、12月ぐらいからパワーポイントなんぞを初めて使って話を組み立てていた。気合いを入れすぎて内容を盛り込み過ぎて、中盤が走り気味になってしまったが、何とか最低限の仕事はできたかと。話している内容でリアルタイムに聞いている人の反応が分かるので、面白い。「これは話さねば」と思っていた内容はあまり興味を持たれなくて、「客寄せパンダ」みたいな内容はやっぱり食いついてきて一生懸命聞いてもらった、みたいな。

 とにかく、しゃべるっていう技能はけっこう大変で、とても疲れた。

1月21日(金)

 富山から名古屋に異動になった同業他社の人たちの間で「富山同人会」みたいな集まりができあがっていて、時々飲んでいたのだけれども、その中心で音頭を取っていた人が東京に異動になってしまったので、この日は送別会。集合が午後9時15分ってところが、この業界の病的なところだ。

 どうせ、9時15分に行ってもだれもいないに違いないので、ゆっくり仕事をして午後10時ぐらいに会場に到着したら、ちょうど半分ぐらい集まっていた感じだった。金山の市民会館前の飲み屋で閉店までいて、2次会へ行って午前2時ぐらいにタクシーで帰った。

1月22日(土)

 東京で12時からお仕事だったので、午前10時前には家を出なくてはならない。2時まで飲んでいたので、二日酔っぱらいで大変だったのだが、なんとか新幹線に乗って、新橋の会場に12時前に到着する。

 そこから、ぶっ通しで6時まで次々変わる報告者のお話を聞き続けていた。夜は懇親会にちょこっと顔を出して、怪しい業者の事務所を突き止めに日本橋茅場町を徘徊し、歩いて日本橋のホテルにたどり着いて意識を失う。

1月23日(日)

 正月に富山が荒れ模様という天気予報だったので、配偶者の親にまだあいさつをしていなかった。さすがに、新年のあいさつをしなくては不義理だろうということで、早朝の東京駅から新幹線に乗り、越後湯沢ではくたかに乗り換えて富山へ。

 元日にあまり雪がなかった越後湯沢は景色が一変して豪雪状態。上越に抜けるまでの間は一面雪景色だった。富山県内に入ると、予想したほどの雪景色でもない。高岡に到着したら、路肩に雪が積もってはいたけれど、想像したほどではなかった。どうやら、この日に晴れて一気に解けたらしい。

 先に富山入りしていた配偶者と合流して、挨拶回りなんぞをして、砺波の飲食店にて両親や祖母としゃぶしゃぶを喰らう。「仲良くなるには鍋が良いよね」という打ち合わせ通り、同じ鍋をつつき回してうち解けることができた(と思う)。

 再び挨拶回りで高岡に戻って、夜に砺波インターから自宅へ。東海北陸道の路面は凍っていなくて快適に走ることができた。夜、一宮のヤマダ電機にて、パソコンを物色。Windowsマシンを探したのだが、マックに激しく惹かれてしまう。

1月24日(月)

 約束があったので、一宮へ。一通りお話を聞いて分かれ、国道22号沿いのPC-DEPOへ行く。とりあえず、Windowsマシンも必要なので、適当に安いものがないかと物色。すると、富士通のFMVが激安な感じだったので、その場でクレジットカードで衝動買いしてしまった。

1月25日(火)

 とりあえずパソコンを買ったら最初にすべきはバックアップでしょう、としこしこDVD-Rを焼き始めるも、失敗しまくる。家にあるいろんなブランドのディスクを試してみても、一律に失敗するので、これはもしかして、DVDディスクドライブの初期不良じゃないかしら、ということで、買ったお店へGO。とりあえず、バックアップディスクの作成をしてみて、不良があるかどうかを確かめてくれるというので、お願いして、向かいにあるユニーにて時間をつぶす。

 1時間ぐらいしたところで「普通に焼けますけれど」と、困った店員さんから電話がかかってきたので「じゃあ、バックアップディスクの作成でお願いします」と作業を依頼した。このお店では5000円でバックアップディスクを作成してくれるサービスがあるのだ。

 同じマシンでお店ではエラーなくDVD-Rが焼けたということは、家に在庫していたDVDがことごとく不良在庫になっていた、ということか。3年ぐらい前に買ったものだけれども、なぜ不良になったのか理由が分からない。保管状況が悪くて、陽にでもあたって壊れたということだろうか。

 ユニーにて仕事をしながらかなり時間をつぶして、ようやく焼き上がったころには夕方になっていた。そこから初めて出社した不良社員だということは内緒にしておく。

1月27日(木)

 夕方から東京へ。弁護士会館にてお話を聞く。なんだか、風邪を引いたみたいで、寒かったので、霞ヶ関から赤坂のホテルまで行くのにタクシーを使う。ビールを大量に飲んで意識を失う。たくさん寝て、風邪を治すのだ。

1月28日(金)

 朝。そこそこ体調が回復していた。溜池山王まで歩いて、お仕事。お昼までいて、原宿まで電車に乗って、神宮前方面をうろうろうしてから、名古屋に戻る。

1月29日(土)

 歯医者。左側の親知らずの抜歯。斜めに生えていて、「そのままじゃ抜けない」と。じゃあどうするかといえば、歯をぶった切るしかない。麻酔をして、のこぎりみたいな道具で親知らずがカットされる。歯を通じて脳みそに伝わる振動はかなりのもの。根っこの形が特殊だったらしく、結局6分割ぐらいされて親知らずが抜歯された。かなり壮絶な感じだったのだけれども、歯茎を切開することはなかったので腕がよい歯医者さんだと感心する。

 家に戻って痛み止めを飲んで、おとなしく寝る。

1月30日(日)

 夜に風博士のライブがあったのだけれども、歯を抜いて熱っぽかったので寝て過ごす。

1月31日(月)

 奥歯を抜いた影響で、病人みたいに力が入らない。仕方がないから出社したけれども生気が抜けた感じで座っていたからあまり仕事にならなかった。

1月4日

 でたらめに飲んで、だれかれかまわず言いがかりのような論戦をふっかけるので将来を案じていた富山時代の体育会系後輩が「飲みに行きましょう」と生暖かい殺気で電話をかけてきた。この1月で名古屋に異動になって、住み処から荷物を出して名古屋市内のホテルに泊まるので、暇そうな先輩に電話をかけてきたという分かりやすい行動だ。

 せっかくだから配偶者も呼んで、どうせ到着が遅くなるから先に飲んでいようと、新栄にある富山の魚がおいしいという居酒屋に出かけたら、休みだった(ioi)。まだ、世間は平日じゃなかったらしい。

 ネオン街を栄方面に歩くも、やっぱり休みの店が多いし、良さそうな店もない。「世界の山ちゃん」の本店があったので、ここでも良いかなと思いつつ、結局、栄まで到達してしまった。あてにしていた沖縄料理屋も見つからなく、名古屋にしてはかなり寒い中を途方に暮れて歩いていたら「つけ麺」の看板が。「飲む前に腹をふくらましちゃえ」と入ることにした。決して飲み代をけちっているのではなく、つけ麺ブームなだけなのだ。

 「ムッチリつけ麺 ムッチー」っていうお店。かがんで入る形の入り口を入ると、やっぱり店内は狭くて食券を買って、つけ麺をオーダーする。大盛りにした覚えはないのに、どんぶりに山盛りになった極太麺が来たので少々焦ったけれど、上げ底だったので安心した。

 正統な豚骨魚介系のつけ汁はどろどろで、ジャンキーで濃厚な味がおいしい。麺は堅めのゆで加減だったけれども、ほかの店みたいにあごが疲れるほどじゃなかった。何とか完食してスープ割りをつけ汁に加えてすすってみる。スープ割り自体にかなり味がある感じ。

 後味がいつまでも口の中に残って終盤にくどくて気分が悪くなりそうなつけ麺屋もあったけれども、ここはおいしく食べられた。が、スープは飲み干すことはできなかった。富山のまるかん(冬季休業中)でつけ麺を知っただけに舌が肥えているみたいで、スープまで飲み干して大満足って感じにはならない。

富山のまるかん

 栄駅の改札で待ち合わせて、やっぱり近くの山ちゃんへ。手羽先をつまみにビールを飲んだら、麺が胃でふくらんで大変なことになった。来年、みそじーずに仲間入りするという体育会系後輩は、年齢を重ねて人間が丸くなったみたいで、富山時代みたいに狂ったようなペースで飲み続けることもなく、終電で帰宅することができた。

1月3日

 正月の2日から湯沢中里スキー場にてがんがんとスキー。日本海側が大雪だということで警戒して、全ルート高速で湯沢まで走ったのだけれども、関越トンネルを越えてもそれほど雪がなくてずっこけた。西日本では異常な大雪が降っているみたいだけれども、少なくとも富山、新潟ではそれほど大した雪は降らなかったみたい。

 どちらかというとファミリーゲレンデなんだけれども、宿から道具を持って歩いていけるということで、2日券を買う。

 朝は遅くてほとんどお昼からの滑り出しだったのだが、午後4時40分のリフト停止まで滑ったら足はがくがく、腕はぱんぱんってな感じになってしまった。最長、2キロぐらいのゲレンデで、ほとんど休みなしの直滑降で滑ってリフトで休んでを繰り返していたら、今の体力ではちょこっと滑りすぎたらしい。日頃の運動不足を反省する。あ、体重が増えたのもあるか。過去最大値付近まで増加したので、新年からは、体重を絞る所存。運動しなくては。

 宿に戻って配偶者の友人たちと夕食。部屋に戻ってわいわい話ながら夜が更けて、いつしか意識を失った。

 今日、3日も朝からスキー。今日は友だちと一緒なので、ぼちぼちペースで。まったりと滑るのも楽しい。が、1回急斜面を降りただけで、足ががくがく。昨日の疲労が取れきっていないためと思われ、こういうところで年齢が重なったことを実感してしまう。

 午後4時まで滑って切り上げる。宿に戻ってお汁粉をいただいて、帰路へ。雪が大したことないので、峠を越えて、野沢温泉方面に抜け、飯山インターから高速に乗ることに。野沢温泉の日帰り温泉施設で風呂に入って晩ご飯を食べ、日付が変わる前に自宅に戻ることができた。住んでいる北名古屋から湯沢まで行くルート、すべて高速に乗ると480キロぐらいなのだけれど、飯山インターと下道を組み合わせるルートだとそれより100キロ弱距離が短い感じ。

 高速道路の割引が無ければ文句なしで下道ルートを使うのだが、今は休日であれば上限1000円なので、オール高速でも別に懐は痛まない。が、時間がそれほど変わらないことを考えれば、下道を使って往復200キロ弱距離が短ければ、軽自動車であれば2000円ぐらいガソリン代が違うので、やっぱり大寒波が日本列島を覆って大荒れしない限り、下道を使っていった方が良いことが分かった。

1月1日

 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

 例年通り、尾張旭の実家に戻って年越し。夕方に戻って風呂入って、紅白見ながら普段よりはちょこっと良いご飯を食べて、酒を飲むという正しい作法で。

 冷蔵庫のビールはあらかた空けてしまって、母親が楽しんで飲んでいた赤ワインも奪って空けちゃった。紅白が終わって日付が変わるころにはぐだぐだになっていて、すぐにでも横になって意識を失いたかったのだが、配偶者の冷たい視線を感じたので、雪の降る中、近くの神社に初詣に行く。

 ちっちゃな神社なのだが、300人ぐらいが列をなしていて、そのまま回れ右して帰りたくなったのだけれども、配偶者にぐいぐい手を引かれて最後尾に並ぶ。配偶者のストールを傘代わりにして30分ぐらい並んで財布の中の小銭を全部つかんで賽銭箱に投げて、ただ健康を願った。こう書いていると、ちゃんと覚えているみたいなのだが、断片的な記憶を書き連ねているだけなんだけれど。

 元旦は寝過ごして、元日の昼ぐらいに起き出して雑煮とおせちとおとそと。テレビ見ながら家族でのんびり過ごして、夕方、自宅に戻る。出し忘れた親戚への年賀状を書いて、出発。

 昨年に続いて越後湯沢へ。元日から高速道路460キロ走破っ。