今月もあれこれ追われているうちに最終日。なかなか更新する余裕がない。この1月をメモ風に。
1月10日(月)
高校の先生だったのだけれども、思うところがあって、イチゴ農家に転身した素敵な先輩のところへ行く。「野良仕事で暮らす」決意を込めてのらくら農園と名付けて、今シーズンから生産を開始。これは応援せねばなるまい、とお世話になった人たちにイチゴを送った。「甘くておいしい」と大好評。贈答用なので、巨大。スーパーで並んでいるイチゴは、熟すちょこっと前に収穫するらしい。のらくら農園の贈答用は、畑で熟したイチゴを送るので、また別格のうまさがあるらしい。甘いイチゴを食べたい人はぜひどうぞ。
1月11日(火)
夕方、新幹線にて東京へ。とあるシンポジウムに顔を出して、神田のホテルにて宿泊。おなかが減ったので神田駅周辺をうろつき、つけ麺を喰らう。可もなく不可もなく。
1月12日(水)
霞ヶ関付近にてお仕事。仕事自体は40分ぐらいで終わって、東京駅から新幹線にて戻る。
1月14日(金)
柄でもないのだけれど「大勢の前で話してほしい」という無茶振りを昨年春ぐらいから引き受けていて、この日は本番を間近に控えた打ち合わせ。こんな感じでお話をしたいというと、おおむねOKが出た。配偶者も合流して、新栄の富山居酒屋にて、飲む。あまり、富山な感じではなかったが、まあまあおいしい居酒屋であった。
1月15日(土)
ある会合に顔を出しに大阪・中之島付近へ。夜はその会合の懇親会。2次会で別のグループと合流して3次会まで行ったら、久しぶりに記憶を失った。反省。
1月16日(日)
午前中、ある会合に顔を出し、昼すぎに新幹線にて名古屋へ戻る。大阪−名古屋間なんてほんの50分程度なのだが、この日は大雪。米原あたりで自動車と同じぐらいの速度で運行したこともあって、2時間もかかった。
配偶者には新大阪駅にて冷凍明石焼きのおみやげを買っていったのだけれど、名古屋駅で降りたら持っていないことに気づいた。時すでに遅しで、座席に置きっぱなしにしてしまったことに気づいた。明石焼きは不審物として捨てられちゃったんだろう。
1月18日(火)
来てくれ、と言われたので名鉄にて知多半田。古い町並みが残っていて興味深い地域。
知多半田とか、太田川とか、名鉄の河和線沿いの駅は地域が抱えてる人口を考えたらあり得ないぐらい寂れた駅前。たぶん、地域が栄えていないということではなくて、駅前の地主だった人たちが裕福で、開発するモチベーションがまったくわかないまま放置した結果だと思う。名鉄の駅ってそういう場所が多い。それこそ、名古屋という都市に30分以内でいけるロケーションなのだから、いくらでも開発余地はあるはずなのだが。
1月20日(木)
この日が講演の本番だった。半年以上、何を語るかをぶつぶつ考え続け、12月ぐらいからパワーポイントなんぞを初めて使って話を組み立てていた。気合いを入れすぎて内容を盛り込み過ぎて、中盤が走り気味になってしまったが、何とか最低限の仕事はできたかと。話している内容でリアルタイムに聞いている人の反応が分かるので、面白い。「これは話さねば」と思っていた内容はあまり興味を持たれなくて、「客寄せパンダ」みたいな内容はやっぱり食いついてきて一生懸命聞いてもらった、みたいな。
とにかく、しゃべるっていう技能はけっこう大変で、とても疲れた。
1月21日(金)
富山から名古屋に異動になった同業他社の人たちの間で「富山同人会」みたいな集まりができあがっていて、時々飲んでいたのだけれども、その中心で音頭を取っていた人が東京に異動になってしまったので、この日は送別会。集合が午後9時15分ってところが、この業界の病的なところだ。
どうせ、9時15分に行ってもだれもいないに違いないので、ゆっくり仕事をして午後10時ぐらいに会場に到着したら、ちょうど半分ぐらい集まっていた感じだった。金山の市民会館前の飲み屋で閉店までいて、2次会へ行って午前2時ぐらいにタクシーで帰った。
1月22日(土)
東京で12時からお仕事だったので、午前10時前には家を出なくてはならない。2時まで飲んでいたので、二日酔っぱらいで大変だったのだが、なんとか新幹線に乗って、新橋の会場に12時前に到着する。
そこから、ぶっ通しで6時まで次々変わる報告者のお話を聞き続けていた。夜は懇親会にちょこっと顔を出して、怪しい業者の事務所を突き止めに日本橋茅場町を徘徊し、歩いて日本橋のホテルにたどり着いて意識を失う。
1月23日(日)
正月に富山が荒れ模様という天気予報だったので、配偶者の親にまだあいさつをしていなかった。さすがに、新年のあいさつをしなくては不義理だろうということで、早朝の東京駅から新幹線に乗り、越後湯沢ではくたかに乗り換えて富山へ。
元日にあまり雪がなかった越後湯沢は景色が一変して豪雪状態。上越に抜けるまでの間は一面雪景色だった。富山県内に入ると、予想したほどの雪景色でもない。高岡に到着したら、路肩に雪が積もってはいたけれど、想像したほどではなかった。どうやら、この日に晴れて一気に解けたらしい。
先に富山入りしていた配偶者と合流して、挨拶回りなんぞをして、砺波の飲食店にて両親や祖母としゃぶしゃぶを喰らう。「仲良くなるには鍋が良いよね」という打ち合わせ通り、同じ鍋をつつき回してうち解けることができた(と思う)。
再び挨拶回りで高岡に戻って、夜に砺波インターから自宅へ。東海北陸道の路面は凍っていなくて快適に走ることができた。夜、一宮のヤマダ電機にて、パソコンを物色。Windowsマシンを探したのだが、マックに激しく惹かれてしまう。
1月24日(月)
約束があったので、一宮へ。一通りお話を聞いて分かれ、国道22号沿いのPC-DEPOへ行く。とりあえず、Windowsマシンも必要なので、適当に安いものがないかと物色。すると、富士通のFMVが激安な感じだったので、その場でクレジットカードで衝動買いしてしまった。
1月25日(火)
とりあえずパソコンを買ったら最初にすべきはバックアップでしょう、としこしこDVD-Rを焼き始めるも、失敗しまくる。家にあるいろんなブランドのディスクを試してみても、一律に失敗するので、これはもしかして、DVDディスクドライブの初期不良じゃないかしら、ということで、買ったお店へGO。とりあえず、バックアップディスクの作成をしてみて、不良があるかどうかを確かめてくれるというので、お願いして、向かいにあるユニーにて時間をつぶす。
1時間ぐらいしたところで「普通に焼けますけれど」と、困った店員さんから電話がかかってきたので「じゃあ、バックアップディスクの作成でお願いします」と作業を依頼した。このお店では5000円でバックアップディスクを作成してくれるサービスがあるのだ。
同じマシンでお店ではエラーなくDVD-Rが焼けたということは、家に在庫していたDVDがことごとく不良在庫になっていた、ということか。3年ぐらい前に買ったものだけれども、なぜ不良になったのか理由が分からない。保管状況が悪くて、陽にでもあたって壊れたということだろうか。
ユニーにて仕事をしながらかなり時間をつぶして、ようやく焼き上がったころには夕方になっていた。そこから初めて出社した不良社員だということは内緒にしておく。
1月27日(木)
夕方から東京へ。弁護士会館にてお話を聞く。なんだか、風邪を引いたみたいで、寒かったので、霞ヶ関から赤坂のホテルまで行くのにタクシーを使う。ビールを大量に飲んで意識を失う。たくさん寝て、風邪を治すのだ。
1月28日(金)
朝。そこそこ体調が回復していた。溜池山王まで歩いて、お仕事。お昼までいて、原宿まで電車に乗って、神宮前方面をうろうろうしてから、名古屋に戻る。
1月29日(土)
歯医者。左側の親知らずの抜歯。斜めに生えていて、「そのままじゃ抜けない」と。じゃあどうするかといえば、歯をぶった切るしかない。麻酔をして、のこぎりみたいな道具で親知らずがカットされる。歯を通じて脳みそに伝わる振動はかなりのもの。根っこの形が特殊だったらしく、結局6分割ぐらいされて親知らずが抜歯された。かなり壮絶な感じだったのだけれども、歯茎を切開することはなかったので腕がよい歯医者さんだと感心する。
家に戻って痛み止めを飲んで、おとなしく寝る。
1月30日(日)
夜に風博士のライブがあったのだけれども、歯を抜いて熱っぽかったので寝て過ごす。
1月31日(月)
奥歯を抜いた影響で、病人みたいに力が入らない。仕方がないから出社したけれども生気が抜けた感じで座っていたからあまり仕事にならなかった。