月: 2010年11月

11月23日

 駆け出し時代に大変お世話になった方の訃報が届いたので、一路安曇野市へ。

 松本へ赴任することになって、あいさつに行った晩のことがいまでも昨日のことのように思い出される。2次会に行って、なにか芸をやれ、というような話になり、長髪のカツラに口紅を付けられて、アルプスの少女ハイジを歌わされた。一緒に赴任したボスは「そこまでやらせたら最近の若者はやめるんじゃないか」と狼狽したらしいのだが、振られた僕は「やるしかないでしょ」と奮起して、裏声で「おしーえてーおじいーさんー」と絶叫したのが懐かしい。

 こうやって書いたらひどい人みたいなのだが、若い僕にでも分け隔てなく気さくに接する人間味のある人だった。北アルプスの山男たちの信頼も厚く、山関係の人脈はすごかった。

 とにかく、よく飲みに行った。飲み過ぎて、痛風になって痛い思いをしたのだけれども、「ビールじゃなくて焼酎なら大丈夫だ」といいつつ、薬を飲みながら酒を飲んでいた姿が忘れられない。太く生きたんだから悔いはないでしょう、とも思うが、まだ60歳。退職間際で、仕事のしがらみから離れて、これから第2の人生を楽しもうというときだったから、無念だったに違いない。

 当時のボスとともに穂高町へ。信州では通夜は家族だけで営むということだったので、納棺の前に会社の人たちと一緒に弔問して、小っちゃくなった顔に手を合わせてお別れをした。

11月21日

 土曜日。カニパーティーってことで、富山のおおとろ亭に出かける。

 前日に職場のボスに「富山にカニ喰らいに行くんですよ」と話していたら、ボスは高山に行くという。通り道なので、乗せてってあげることに。せっかくなので、高山のグリーンホテルにて、温泉に入ってから国道41号にて富山へ向かう。

 おおとろ亭に到着すると、リビングにはすでにカニが詰まった衣装ケースが用意されていた。「残ったら捨てるだけだから、好きなだけ喰え」とは言われるのだけれども、限界がある。それこそ最初の1匹は丁寧に食べるのだけれども、だんだん横着になってきて、足をむしってじゅるっと身を吸って後は捨てる、みたいな。写真を見ると分かると思うのだが、ゴミ箱になっている淡麗の箱に入れられたカニは足だけむしられて、ボディーは剥かれることもなく捨てられている。

 これを1度やると、そのシーズンはもうカニいらないって感じになる。たぶん、TORF走行会に来た人は、しばらくウナギはいらないって感じになったと思うし、贅沢なことなのだけれども、昨年とかは一昨年は「もうフグいらない」って感じにもなった。

 1度、体験してしまうと、同じことを再び体験したくなるのがいけないところで、今年も「フグ食べたいよね」って感じになってきちゃってたりする。

 余計なことを書いたが、カニをたらふく食べて、大量にビールを摂取して、いつしか意識を失っていた。

 日曜日。雅久号のハードトップはぺらぺらすぎて強度がなく、雪が降ったらつぶれて壊れるだろうということで、対策を施した。ロールバーに合板を渡して、隙間を発泡スチロールで埋める。リアのアクリルも壊れそうなので、余った発泡スチロールを適当にあてがっておいた。なにせ、富山は重たい雪が一晩で1メートル以上積もったりするので、対策は不可欠なのだ。

 夜はカントリーレストハウス二上へ行って、つけ麺を食べて、名古屋に帰ったころには日付が変わっていた。

カントリーレストハウス二上

11月15日

 最近、2台のパソコンの不具合を修復した。ネットサーフィンしていて、変なところをクリックしてしまったら、ウイルスみたいなプログラムを送り込まれて、何度再起動しても請求画面が消えない、みたいな。スパイウエアと呼ばれているやつだ。

 1つは、ウイルス対策ソフトのふりをする外国製のやつ。ハードディスク内を検索して(本当にきちんと検索しているのかは分からない)「問題がある。修復する場合は90何ドル払え」みたいなやつ。勝手に入り込んで画面が消えない時点で、こいつがウイルスチックなのに、ウイルス対策ソフトを装うところが何ともおかしい。こいつがやっかいなのは、画面が出ている限り、ほかの操作ができないということ。

 もう1つは、古典的なアダルトサイトのやつ。なにか、芸能人の動画を探していたら、感染してしまい「ようこそ!」みたいな画面とともに、入会料を請求してくる。無視していれば、害はないのだけれども、お姉さんの写真がばーんと出てアダルティーな雰囲気を醸し出す画面がいつも出ているのはばつが悪い。

 IPAという天下り機関があって、ここではウィンドウズの復元を勧めている。直ることは直るのだろうけれども、何となくめんどくさいし、いろいろ先祖返りして不具合が出ても困る。

IPA天下り

 どうせ、たいしたプログラムじゃないだろうと予測したらその通りだった。

 まず、ウイルス対策ソフトのふりをするやつ。起動した画面には、タスクバーも表示されておらず、「スキャンしてくれ!」みたなウインドーしか出ていない。「Ctrl」キーと「Alt」キーと「Delete」キーを同時押しして、Windowsタスクマネージャを呼び出す。「プロセス」を開くと、現在Windowsが実行しているプログラムの一覧が表示される。怪しげなプログラムが実行されていたので、「プロセスの終了」を選んだら、請求画面が消えた。

 でも、これだけでは再起動したら同じ現象が出るので、タスクマネージャの「ファイル」から「新しいプロセスを実行」を選び、「explorer」と入力する。これで、タスクバーやデスクトップのアイコンが表示され、いつものWindowsの画面になる。

 さっき殺したプロセスのプログラム名でハードディスクを検索すると、「C:\Documents and Settings\All Users\Application
Data」の中に格納されていたので、こいつを消す。さらに、スタートボタンから「ファイル名を指定して実行」を選び、「regedit」と入力してレジストリエディタを開き、このプログラムを実行している場所を探す。「HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows
NT\CurrentVersion\Winlogon」のshellという値が追加されていて、このプログラム名が記載してあった。本当は「explorer.exe」を実行しなければいけないところ、別のプログラムを実行させて、コンピューターを乗っ取るイメージ。この値を消したら、元通りになった。

 もう一つのアダルトサイトのやつは、また別な感じ。純正プログラムの「mshta.exe」を利用して、htaファイルを実行させる形式みたい。レジストリエディタでhtaという文字列を探して怪しげな記載を消したら出てこなくなった。

 レジストリの改変や実行ファイルの消去は思わぬ副作用が出る可能性があるので自己責任で。

11月14日

 お昼に家を出て木曽福島へ。元レストランサービスプロのソムリエで現在は教授、そして来年4月にはブドウ農園運営と、65歳になるのにめまぐるしく経歴を変えている素敵な人の元へ。イタリアみやげを持って行くのだ。

 木曽駒高原の標高1100メートルぐらいの地点に山荘を構えていて、名古屋から毎週末に通って畑を耕すという生活。うらやましい人生。4月からは塩尻で畑を耕すから、名古屋から木曽福島に移住する形になる。

 短大のキャンパスにブドウ畑を作ってワインを醸造していたのだけれども、大人の事情で畑は廃止になることになり、植えられた800本ぐらいのブドウの木は塩尻の畑に移植されることになる。

 山荘へ訪ねていったら、標高800メートルぐらいの地点でブドウ畑を作る難しさを語っていた。ほとんど日本の北端でのブドウ畑と条件は変わらないという。4ヘクタールもの広大な土地だけ確保してあって、そこに5000本とか植える。将来はもっと広げて、ワイナリーを併設して、レストランも経営する。

 還暦すぎて、夢の実現に向けて全速力で動いている姿は、本当にうらやましい。

11月13日

 午前8時10分ののぞみに乗り、10時前には品川駅。高輪口から歩いて白金方面へ。車が通り抜けられない道を選んで歩くのが好き。

 某大学にてクレジットカードについてのシンポジウムを聞く。

 お昼は学食で食べるのも味気ないので、歩いてキャンパスの外へ。白金商店街をうろうろしてみたけれども、吸い込まれるようなお店がなかったので、再びキャンパスに戻って結局学食で唐揚げ丼を喰らった。

 夕方までシンポジウムの続き。終了後、誘われたので品川駅隣のビルの居酒屋で懇親会をして、9時前ののぞみで名古屋へ。午後11時に帰宅した。

11月12日

 仕事をちゃちゃっと切り上げて、配偶者とともに午後6時に矢場町の味仙に向かう。友人ののらくら農園さんと集合して、中華料理を喰らいまくる。台湾ラーメンの辛さは知っていたが、麻婆豆腐もあんなにスパイシーだとは思わなかった。

のらくら農園

 上前津のライブハウスにて、アコースティックのイベントを見るのだ。目当てはやっぱり風博士。5バンド中4バンド目。1バンド目の途中から入ったけれども、若い人たちの演奏は技術云々より元気がもらえて良かった。

風博士

 風博士のギター演奏とさわやかな歌声は、やっぱりこの日のバンドの中では別格で、演奏を始めれば彼独特の世界へと連れて行かれる感じ。すべての雑念が消えて世界に埋没する感じになって、すごくいやされる。

 本当は、一緒に深夜まで飲み食いしたかったけれども、土曜日は早朝から東京へ行かねばならないので、後ろ髪を引かれながらお別れして帰った。

11月11日

 サラリーマンが徒党を組んで経営者側に圧力をかける団体で、「ボーナスくれくれ」委員になったので、おじいさん方と交渉に臨む。

 こんな時代になって、以前のような水準でボーナスをもらえる会社なんてほとんどないわけで、うちの社でも例外はなく、やっぱり低い数字。それでも、もらえるだけ感謝しなければならないか。

 そんな思いは心に封印し、やっぱり働くものの代表として交渉しているわけだから「半期の労働実績からすればもう少し出すべきだ」などとやりあうわけ。

 本当は「あと何年会社があるか不安だ! あんたたちはもらえるだけもらって逃げ切ってずるい!」と大声で叫びたい気持ちなのだけれど。

11月10日

 岐阜の調理師学校でがんばっているという生徒に会いに行く。なんでも、学校の正面にあるアパートに住み、近所の寿司屋で働きながら学んでいるんだとか。今時の若者には珍しいタイプ。

 岐阜の下呂方面にある旅館の長男だそうで、調理師のお父さんの背中を見て育ち、跡を継ぐというわけでもないのだけれど、お客さんに「おいしかったよ」と言われる仕事が良いと、進路を決めたそう。1年のころから、研修扱いで寿司屋で働き、学費とアパート代の半分ぐらいは自分で稼いでいるという。

 「友だちは女の子とカラオケ行って遊んでいるんでしょう」とかまをかけたらやっぱりその通り「行ってますね」と彼。「遊びたくないの?」と聞いたら「全然」と答えていた。調理をするのも食べるのも好きで、体型にもそれが現れている感じではあるのだが、好きなことに全力投球している姿がすがすがしかった。

 最初は掃除や配膳など下働きばかりだったけれども、最近は料理もちょくちょくやらせてもらっているという。調理学校の地区コンクールで勝って、全国大会へ行くぐらいの腕前になった。まだ握らせてはもらっていないけれど、今月末にフランスに1週間ほど行って学んで来るので、それまでに特訓するのだとか。

 下校で校舎からぞろぞろ出てきた連中を見ると、やっぱり今時の高校生で、だらだらした感じ。漫然と、授業を聞いていた3年と、下積みをしながら学んでいた3年。この差はとてつもなく大きい。

11月9日

 部内の連絡ミスのあおりを受けて、締め切り日に仕事のインプットとアウトプットをこなさなければいけない羽目になり、午前4時半に起きて、東海北陸道にて富山県氷見市へ。午前9時からの仕事に間に合うように走る。とりあえず、城端サービスエリアで時間調整の仮眠をして、頃合いを見て出発すると、ジャスト9時に到着。時間の読みはかなりの精度。

 大雨で撮影はできないかと焦ったものの、雲の切れ間の5分で何とか絵を作り、午前中かけてお話を聞く。氷見市博物館にも足を運ぶ。博物館ってわくわくする。氷見は定置網の歴史など、独特の風土の解説もしてあって、なかなか良い。

 ゆっくり見て回りたい気持ちを抑えて、そのままカントリーレストハウス二上へ。火曜日は定休日だったけれども、「営業してますよ」とマスター。ぶりおこしのような悪天候で外出する気も失せていたみたい。つけ麺を食べてコーヒーをいれてもらって、気合いを入れて文章を書く。夕方には終了。何とか締め切りに間に合った。

カントリーレストハウス二上

 夜はマスターとともに、国道8号沿いのカシミールへ。カレーにナンを喰らって、新湊の塩分がきつい温泉につかって深夜に帰宅した。