月: 2010年8月

8月12日

 土曜日。元高校教師で現イチゴ農家の先輩が企画した風博士のライブを見に、名古屋市内の千種駅近くの某所へ。民謡の先生の自宅兼指導場でのライブで、地下の指導場はホールのようになっていて、コンクリートで囲まれた世界だから下界の音が入ってこない。そんな場所でエアコンすら消して、生ギターと生声だけのライブが繰り広げられた。

風博士

 風博士は来年3月までホームレス。ギターと家財道具を担いで日本全国を歌って歩いているアーティストで、ぱっと見、僕よりかなり年上に見えたのだけれど同学年でびっくり。歌い終わった後、ギターの残響が消えるぐらいのタイミングで、顔をくしゃっとさせる笑顔がとても印象的でした。

 ライブ後に、今池の中華料理屋・味仙にて、打ち上げ。中国の店かよっていうぐらい、午後10時すぎなのに店員も来ている客もパワフル。学生時代の友だちが勢揃いしたこともあって、ビールを大量に摂取して、何とか終電で家に戻って、意識を失う。

 がばっと、日曜日起きたんだけれども、また寝そうになる誘惑に何とか抗って、ロードスターに乗って富山に向かう。午前8時に工場に到着したら、雅久号はリフトの上で作業中だった。交換したミッション回りなんかをあれこれいじって、一路間瀬へ。

 午後から「MAZE ATTACK」があったから新仕様の間瀬でのシェイクダウン。んが、前日の無理がたたって、やっぱり体調が悪い。なにせ、ゲリラ活動に見舞われているのだから、大変だった。

 名古屋の味仙といえば、代表的な食い物は台湾ラーメン。唐辛子そのものの味がするぐらいの辛さなのだが、とってもうまい。それを食べて、いろんな炒め物も同じぐらい辛くて、ビールを大量摂取して、ゆっくりする間もなく間瀬に出撃したのだから、体調が悪いに決まっている。

 当然、間瀬事務所隣の某所にて30度を超える気温の中、汗だくになってしゃがみながら、うんうんうなって軽量化作業に励むわけだけれども、僕のマフラー出口が唐辛子にやられてひりひり痛むの。まあ、ビールのせいでろくに消化もしていないのだから仕方のない現象。

 走るとなれば、集中して走るしかないから、まあ実力そのままの走りはできたとは思うのだが、暑いせいもあってタイムは伸びず。ほぼ助っ人ドライバー化しているチームメートの快走で何とか収穫はあったけれども、一日と新品タイヤを無駄にする可能性もあったのだから、やっぱり走りに行く前にはきちんと体調を管理しないと意味がない。前日から自覚はあったのだけれど、やっぱり久しぶりに会った友だちの手前、さよならってさくっと帰ることもできなかった。自分じゃなかったけれど、結果は出せたのだから、ここら辺は見事なバランス感覚と言えよう。

 間瀬と工場との往復と、間瀬での走行を含めて1000キロを日帰りして、家に帰ってビールを大量摂取して、いつの間にか意識を失う。

8月10日

 みそじーず半ばにして人生の初体験っ。

 と書くとたいしたことに見えるかもしれないけれど、テレビを買ったのである。コジマに行って勧められたPanasonicの42型プラズマテレビ。ブルーレイのレコーダーと合わせて20万もしないのだから、すっごく安くなった。クーマックカップ第2戦に向けて使ったお金の方が絶対多い…。

 これまで、家にあったテレビといえば、もらった安いやつか、テレビボードを付けたパソコンかという感じ。あ、携帯電話にワンセグが付いているか。とにかく、テレビの受像専門機を自分で買ったのは初めてなのだ。

 絶対、でかすぎると思っていて、実際、家に来たときは「でかっ」と思ったのだけれど、数時間見ているうちにもう慣れちゃうのね。

8月2日

 「なんでおるんや〜」

と、何回も聞いた7月。富山に行かなかったのは、7月10、11日の土日の週だけだった。休みのたびに顔を見ればそりゃあ、愛知に引っ越したとは思えないよねえ。

 基本的に雅久号をいじっていた。暑い中、軽量化にいそしんだり、無理言って急きょ走れるようんしてもらって、風間塾で走ったり、トランスミッションをいじったり。富山に行かなかった週も、鈴鹿クラブマンレースでスーパーFJの観戦だったから車三昧の月だったってことか。

 18日には滑川の海上花火も見たし、昨日は氷見の花火も見た。思う存分遊んだのは良いのだが、もう若くないので体ががたがたになってあまり仕事にならなかったという噂も…。

 きちんと体調管理すれば、炎天下でも活動できるという自信はついたかも。9月19日のクーマックカップも熱そうだ。