月: 2010年6月

6月30日

 サッカーを観戦して寝不足ながらも、仕方ないから出勤して、3時間の電話番などをこなした後、午後1時半すぎののぞみに飛び乗る。岡山まで行ってマリンライナーに乗り換えて午後4時半すぎ、高松に到着。近いもんだ。

 うどんの聖地に行くのだから、と昼飯を抜いていたけれども、そんなに時間もないからとりあえず駅構内の連絡船うどんでエビ天ぶっかけを頼んでかっこむ。そこそこうまい。

 タクシーにて仕事先に行くとちと早い。なので、趣味の街歩き。といってもそんなに時間はないから、限られた距離しか歩けない。

 せっかくだから、もう1杯うどん食べるぞ(食い過ぎ)と、さまようように歩き出して、駅前に2軒を発見したのだが、いずれも午後3時にて閉店。1軒のお店は午前5時から営業しているみたいなので、讃岐人は早朝、朝イチでうどんを食べる民族であることを知る。

 さまようように歩いて、県庁方面へ。1軒、うどん屋がやっていたが、今風のチェーン店だったので素通り。100メートルおきにうどん屋があるというイメージだったのだが、あまりない。通り沿いじゃなくて、1本入ったところにあるのかもしれないが、歩きなので限界がある。

 県庁前を通り過ぎて西へ曲がって中央病院方面へ。1軒よさげなうどん屋があったがやはりすでに営業終了。うろうろ歩いて、栗林トンネルへの登り口まで来て、さすがにタクシーが拾えないだろうと再び中央病院方面へ戻った。さらに1軒、製麺屋がやっている感じのよさげなうどん屋があったけれども、やっぱり閉店。夕方だとチェーン店ぐらいしかやっていないんだねえ。

 仕方がないのでタクシーを拾ってお仕事へ。仕事相手の人と飲みに行って、駅前のホテルへ戻って意識を失う。

6月27日

 先週金曜日は東京・杉並区で仕事だったので、前日の木曜日から東京入り。中央線ですっと行ける荻窪がいいだろうと、ビジネスホテルを確保して、午後11時ぐらいに到着して、そこから街歩き。さすが、中央線沿いの駅前だけあって、そんな時間帯でもごちゃごちゃと人がたくさん歩いていて、飲み屋もたくさん開いていた。

 が、飛び込んでみたい店もなかったので、セブンイレブンでビールを買い込んで、部屋に戻って大量に飲んで意識を失う。翌日、高井戸付近の某日産ディーラーへ向かうためタクシーを拾って向かう。

 んが、環八は超込んでいて車が動かない。歩いて行った方が早かったな、と後悔しつつも、梅雨時の空気が体に粘り着くような気候だったので、まあ会社のお金だからいいやとのんびりと向かう。が、さすがに約束の時間を過ぎそうになったので、タクシーを降りて歩いて仕事先に向かった。

 仕事先は日産ディーラー。GT-Rが置いてあって大興奮。あれこれ触りまくる。ドアの取ってが使いにくいなーとか、リアの座席はやっぱり飾りだから重いだけだなーとか、いろいろ複雑な感情を抱きつつ、やっぱり900万円の車には縁がなくて、9万円でも買えるようなNAロードスターでもいじっていればいいんだ、ということを思い知ったのであった。

 女性のトップセールスの人に1日密着したのだが、なんと、目の前で車を1台売ってしまったのだから舌を巻いた。77歳で釣りが趣味で、クーラーボックスをスカイラインのトランクに入れっぱなしなおじいさんに対して、発売したばかりのJUKEを売ってしまったのはすごい。80に近いおじいさんであれば、人生であと何台車を所有するのかも分からないし、スカイラインみたいに取り回しの悪い車を都内で乗っているよりは、SUVでも小型な車を運転していた方が遙かに安全だ。なによりも、老夫婦2人がJUKEのような車に乗っていたら、とってもかっこいいじゃないですか。

 余談ばかり書いてしまったが、先週の金曜日には練馬の友人宅で飲み明かして、次の日は午後1時すぎのひかりに乗って、浜松にて保護者と落ち合い、保護者の友だちと会う。旦那さんがアメリカに転勤になり、23日に渡米してしまって5年は帰ってこないというので、その前に会おうということだったから。

 お茶をしてご飯をいただいて、アメリカに行く友人にお別れをして午後7時すぎに立ち去った。普通であれば浜松西インターから高速で帰るところ、「ホタルを見ようよ」と提案して、山道の国道を新城方面へと向かう。

 ホタルがいるかどうか、けっこう不安だったのだけれども、山道の途中で車を降りたら、たくさんのホタルがかなり高い場所を漂っていて幻想的な光景を目撃することができた。

 せっかく浜松方面から奥三河方面へと入ったのだから、うちのばあちゃん家を見せようと、愛知県のもっとも奥深い場所へと行く。あちこち見て回ったのだけれども、ホタルはそんなにいなかった。標高が高いからそれだけ発生の時期がずれたのかもしれない。

 余談の余談ばかり書いてしまったのだが、浜松へ行った翌日には朝早く起きて富山へ。のつもりがちょっと寝坊してしまったので、昼すぎに工場に到着した。雅久号のロールバー回りの加工をする。ほんのちょっとの効果のために、午後をまるまるつぶしてしまった感じ。でも、一つ一つの積み重ねがタイムに利いてくるのだ。と信じたい。

 で、ようやくこの土日のお話。土曜日は富山から保護者の友だちが夫婦で訪れるということだったので、コーヒーを入れたりパスタを作ったり。27日日曜日は早朝に起き出して午前11時に工場に到着。ラジエーターを変更する雅久号をがりがりといじっていた。夕方に作業を終えてべいべに砺波まで載せていってもらって保護者と合流。中華料理を食べて、普通ならそのまま砺波インターから帰るのだけれども、時期が時期だけにやっぱりホタルが見たいと、南砺市のあちこちを回る。

 五箇山インターから高速に乗って、先ほど帰宅。ちょうどF1がやっていて、小林カムイの走りにしびれた。

6月22日

 ジムカーナ。とりあえず走ってみたタイムはそこそこのタイム。が、間瀬では足回りをいじったNB2ぐらいならばぶち抜いてしまうぐらいの雅久号。ドライバーが乗れていない感は否めない。そもそも、パイロンを目印に走るのに慣れていなくて、突っ込みすぎたり、過剰に減速してコンパクトに曲がりすぎたり。要するに、速く走れるラインをイメージしていなくて、パイロンめがけて走ってしまうわけだ。完熟歩行のときに、イメージしながら歩かないと意味がないことを悟った。

 JAF戦に参戦する競技車両のMR2やシビックも来ていて、Sタイヤなこともあり馬鹿っ速。速めのロードスターが1分20秒程度で走るコースを13秒台とか。ミッションもデフなど、ジムカーナに特化したセッティングで、360度ターンをコンパクトに曲がる姿は、とても鮮やか。

 とにかくパイロンぎりぎりをコンパクトに曲がってぎゅーんと加速する姿を見て、じゃあ僕もとまねして走ると、まったくもってだめだめなタイム。「曲がらない」と思っていた雅久号はインチキなぐらいぐいぐい回るし、ビスカスデフによるトラクション不足も気になるほどじゃない。車が悪いわけじゃない。

 おおとろ監督と語りながら、イメージをふくらます。パイロンを目印に走るのもだんだん慣れる。クリップをパイロンと考えて、その前後を組み立てて全体をつないでいく感じ。で、ビスカスデフで鋭角に曲がれない雅久号でどういうラインで走ったらもっとも速いかをイメージした。

 よい方向に修正できたらしく、タイムが向上。いけている!という走りが途中までできた走行では、疲れのためか(すでに10本近く走っていた)、途中で頭が真っ白になってミスコース。集中力が切れたまま走るのは危ないと、その後の走行をやめた。

 気合いを入れたラストの1本前の走行では、ロードスターの1番時計に迫ることができ、ラストの走行でさらにコンマ2秒伸ばして、コンマ2秒落ちまで詰めることができた。自分の中ではベストだったけれども、ミスはしたし、360度ターンはそもそも技量がないので、本当ならば同じ車でもうコンマ数秒は稼げたと思う。それでも、自分の頭で考えて実践した走りでタイムが出たので、収穫があったと納得した。

 間瀬の車載は載せないけれども、ジムカーナの車載は載せてみたりして。

http://www.youtube.com/watch?v=JW65LvJJZuo

http://www.youtube.com/watch?v=JW65LvJJZuo

6月13日

 1カ月前のジムカーナ。普段、サーキットばかりでパイロンを目印に走るジムカーナはそもそも経験が少ない。経験がない、という以上に、そもそも間瀬にあわせて作りこんである雅久号で、ジムカーナが走れるのか、というのが課題であった。

 雅久号はかなり特殊なつくり。そもそも、デフがビスカス固定になってしまうという時点で普通とは違うセッティングになっていく。いかに、ビスカスデフでトラクションを稼ぐかを考えて、リアの足に工夫を凝らしてある。コーナリング中、内側の荷重が抜けると空転する。じゃあ、抜けないようにどうするか、と考えて、足をより動くように手をかけたのが昨シーズンまでの雅久号の足。今シーズンになって、動かないようにしてみようとして、実は、こちらが当たりだったというのが現状。リアを硬くしていこうと思っている。

 じゃあ、フロントは。ロードスターってフロントのばねが12キロであれば、一般的にリアは10キロか9キロを入れるっていう具合にバランスを取る。が、こんな感じでリアにあわせて硬くしたフロントのばねでは今度は足が動かなすぎて不具合が出た。ブレーキを踏んでも縮まないから荷重がなかなか乗らない。ブレーキを踏めばすぐロックってな具合で幅がない状態で乗りにくい。ブレーキが難しいし、最終コーナーで曲がらないなどアンダーステアに悩んだ。だから、フロントは硬すぎると判断してやわらかくした。

 ようするに、間瀬での走りで、フロントはこんな動きだからこのばねレート、リアはこんな動きだからこのばねレートという具合にセットしていったから、かなり特殊なセッティングになっている。

 ジムカーナといえばパイロンをおいてコンパクトに曲がることが多いから、そんな特殊な車を持ち込んで、果たして競技になるかしら、というのが、心配だった。長い前置き。

 完熟歩行をしてコースを覚える。そんなに難しくはないのだけれど、なにせ慣れていないものだから不安で仕方がない(笑)。で、やっぱり失敗したのである。続く。

6月10日

 忙しい5月を切り抜けて、今は暇を満喫中。仕事場で難しい顔をしてパソコン広げてぱちぱちとキーをたたいている姿は紛れもなくばりばり仕事をしている姿なのだが、実態はこんなくだらない文章を書いているという。

 すでにジムカーナからも3週間が経過し、最近は運転もしていないからかなりなまっている様子。おまけに、5月下旬から6月上旬にかけてご飯をががっと食べたので、体重がやばいことになりそうだとふと不安を感じていたら、案の定、ここ3年ぐらいキープしていた体重が増加傾向になった。食べた量だけ体にこびりついてしまう。ああ、大人の悲哀。

 家にいるときぐらいは淡麗の摂取をやめてみたり、お昼ご飯を食べないようにしているのだが、基礎代謝が悪いみたいなので、無理。長年続けてきた不摂生のせいで、エネルギー摂取と消費状況がいびつな状態なので、この機会にちょこっとでも体を動かして改善に持って行こうかしら。

6月2日

 5月、どんな移動をしてみたのか書き出してみる。

 2日 富山の工場へ。
 3日 富山から間瀬サーキット。
 4日 高岡市内。
 5日 富山の工場。
 6日 愛知に戻る。
 9日 鈴鹿サーキット。
 12日 東京・品川。
 14日 東京・新橋。
 15日 富山の工場へ。
 16日 石川県の大日岳でジムカーナ。二上山経由で愛知へ戻る。
 17日 東京・中野。
 18日 岐阜・飛騨市神岡町。
 22日 富山・井波から砺波・高岡・富山・射水方面。
 23日 富山の工場で解体。二上山。
 26日 東京・神田。
 27日 三重・津。
 28日 富山・井波から砺波・高岡方面。
 29日 富山・井波。
 30日 富山・井波から二上山。富山から神岡・高山経由で帰宅。

 最近、ようやく日常に戻って仕事中に体力を回復中。