月: 2010年3月

3月31日

 この世に発生した日だ! しかし、この歳になってめでたいことは何もない、と思っていたら、そうだ、3月中ずっとやっていた電話番が今日で解放になる、ということでちょっぴりうれしい日ではあった。

 夜は仕事場で花見に行こうということで、4人で集まっておもむろに歩き出す。名古屋は今、桜が満開。とはいえ、なぜか満開の木と3分咲きぐらいの桜が隣合っていたりしてちょっと奇妙な感じ。咲く時期に冷え込んだから日当たりの影響が出ているのかもしれない。

 花の下で宴会か、というと、やっぱり寒いし、屋台のご飯やお酒は高いしで、にぎやかな場所(年度末の日からか、意外なほど人は少なかった)は素通りして、「世界の山ちゃん」へ。4人なのに5人分の手羽先を注文してわしわしっと食らう。

 正しい名古屋な夜を過ごして、帰ってきてビールを飲んで、こんなくだらない文章を書いている発生日の夜。

3月25日

 名古屋に移って突如、ファーストカーに返り咲いた我がロードスター・雅号。ノーマルエンジンにノーマル形状の足の「スーパーチョコバナナ」、ノーマルマフラーで、ありふれたロードスターとなっている。

 近い将来、こういうことになるだろうな、と予測して、とにかく移動が楽な仕様にしていた。FunctionXでも良かったのだけれど、12キロ10キロぐらいの足回りになると、高速道路ではけっこうしっかりハンドルを握っていないと怖い。今の仕様では、高速道路では同じスピードでもかなり楽。狙ったラインにきびきび乗せる、というわけにはいかないけれど、ふにゃふにゃでもなく、ストリートでは十分な軽快さを持つバネだ。ここら辺は、絶妙なバランスを狙ったショコラバネの良さを感じる。

 3月に入ってすでに富山とは4往復ぐらいしているが、行き帰りの道中ではそんなに疲れない。オイル食いだったので仕方なく交換した今のノーマルエンジンも、中間ではトルクフルで、過不足ない感じ。上は回らないけれどね。

 同じことを、雅久号でやったら…。考えたくもない。ものすごい肩こりになるし、耳鳴りもするだろう。3速でも2速みたい吹けるから速いは速いんだけれど、そんな領域はストリートではあまり使わない。

 以上、目的に応じてカスタマイズしよう! という話でした。

3月22日

 金曜日夜。雅久号のセットアップを進めたかったので、日曜日にでもおわらに走りに行こうかな、と思っていたら、春の嵐の予報。土曜日はまだ天気が良いみたいだったので、急きょおおとろ監督に電話をかけて、翌朝から走ることに。チームメイトにも声をかけ、1人が参加の方向。突然の思いつきに付き合ってくれるところがチームワーク。

 おわらサーキットまで、片道30分が片道2時間30分以上になってしまったので、早朝に出発する。用事があって実家に泊まったのだが、久しぶりなので親とあれこれ会話をしているうちに時間が過ぎ、ぎりぎり走行開始の9時に間に合うか、間に合わないかぐらいの時間に出発。

 名古屋インターから東海北陸自動車道へ。休日1000円だから交通量がやたら多い。それでも順調に走っていたのだが、高鷲インター前で渋滞6キロ。スキー渋滞と、2車線が1車線になる場所なので、どうしても渋滞してしまう。なぜか下痢ラ活動が活発で、ひるがの高原のサービスエリアまでの道中で死ぬかと思った。

 ふらふらになりながら何とか、10時半前に到着し、雅久号に乗り込む。フロントの動きが疑問だらけだったのだけれど、原因の1つはやはりターボスタビだという結論を得て、ノーマルに交換。ロードスターらしい動きが復活し、ブレーキングからターンインまでの操作を中心に練習。勘を取り戻すのに努めた。成功裏におわら走行は終了。

 走って疲れたからといって、だらだらしているわけにはいかない。なにせ、工場までが遠くなってしまったから、富山にいるうちにできる限りの作業をしておかなくちゃならない。リフトを借りて、とりあえず、昨シーズン頭に買った08ネオバは今回の走行で終了したので、新しいタイヤを装着することにする。

 ちゃちゃっと装着してしまえばよかったのかもしれないが、ホイールはブレーキダストでどろどろ。レース用パッドは利くけれども副作用も大きい。こびりついたダストを取るのに1本30分。

 夕方には作業を終え、夜は高岡で保護者と誕生祝のディナーを食べる。

 日曜日。黄砂で街が黄色かった。春の嵐っぽい感じもあったのだが、やっぱり作業の続きをしなくてはと、朝から工場に行き、タイヤの装着と足回りのセットし直しなど。問題点のひとつの解決のため、部品の簡単な加工もした。いや、正確にはチームメイトのべいべにしてもらった。とりあえず、今できることはやり尽くし、間瀬でのテストを待つのみ。

 夜はおおとろ亭に宿泊。ビールを飲みながら、最終戦の車載映像を見る。いつまでも前の車を追い抜けない情けなさに、これでもかと駄目出しを食らい、涙目になりながら反省し、いつしか意識を失った。

 月曜日。朝から保護者とともに高速で金沢へ。新竪町でとある物品購入の打ち合わせ。製作をお願いして、歩いて片町プレーゴ通りに行きランチを食べる。品格ある街並みの金沢に、ヨーロッパ風の通りをつくるのはいかがなものか、とちょびっと違和感。でも、ランチは安くて値段にしてはおいしかった。

 彼岸だ、墓参りだ、と再び高速で今度は富山インター。花と墓参りセットを購入し、富山ライトレール沿いを走って岩瀬へ。風が強く、富山の太いろうそくにはなかなか火がつかなかったけれども、無事お参り。そのまま高岡の中心街のあるお宅に寄ってコーヒーをいただき、落ち着かないまま次は井波へ。赤ちゃんを見せてもらった。そして、墓参り2カ所目。すでに日が暮れかけていた。

 砺波のイタリアンでご飯を食べ、帰路に着く。この日だけで400キロ以上走った。

3月18日

 こちらに来てから、とにかく歩きまくっている。富山にいた2年半弱は、そんなに歩かないというか、県庁に引きこもっていたので、大きな変化である。地方にいるときは、車移動が基本で維持費も出してくれるのだけれど、本社だとタクシー移動が基本。タクシーなんて偉い様の使うような乗り物は慣れないのであって、時間があれば歩くようにしている。

 どのくらい歩いているか、といえば、そんなにたいしたことはないんだけれど、例えば先日は鶴舞から丸の内まで歩いた。じぐざぐ歩くから、直線よりはかなり伸びるだろうけれど、たぶん4、5キロぐらい。信号待ちも含め1時間ちょっとといったところか。

 夜に仕事の一環でドラッグストアに買い物に行く用事があったので、怪しげな街方面を歩くことにした。保険として、購入したものでぱんぱんになったドラッグストアの買い物袋を下げて。ぱっと見で、仕事帰りにちょっと買い物をして家路につく疲れたサラリーマンにしか見えないのだが、なぜか変な場所を歩いているというシチュエーション。

 伏見あたりから、名古屋駅方面へ歩いて、納屋橋近くから堀川左岸を南下する。名古屋を知っている人ならば思い浮かぶと思うが、名古屋駅周辺や栄周辺の開発の狭間でちょっと怪しい部分が残っている場所である。都市伝説もちらほら。

 怪しいサラリーマンが怪しい街を行く。きらびやかなネオンがある場所をずかずかと歩く。呼び込みもいるけれど、でっかい買い物袋を下げている人には声をかけてこない。昼間にはかいま見えない、街の姿を肌で感じることができた。

 新州崎のあたりで寒くなってきたので引き返す。右岸側に移って再び怪しい界隈に突入。別に怖いこともない。

 と思っていたら、1階が駐車場になっている怪しげな施設の近くにさしかかったとき、日本語じゃない若い女性の叫ぶ声がしたと思ったら、かつかつかつかつっと、派手な格好をした日本人っぽくない女性が目の前を逃げるように走って路地へと消えていった。と同時に、後ろから巡回中のパトカーがやってきた。

 ちょこっと怖かった。

3月15日

 相変わらず電話番をして、夕方に、さあこれからまた仕事を進めようと気合を入れたとたんに、元ボスがふらりと仕事場にやってきたので、急いで帰り支度をして雨の名古屋へ。

 名古屋駅のとある普通な感じの居酒屋で、味噌串かつなど、名古屋の味を食べつつ、ビールに日本酒を大量摂取。それじゃ、足りないからと元ボスのなじみの店がある御器所へ地下鉄で。

 スナックみたいなところで、キープしてあったウィスキーを空けてしまう。終電で帰ろうと思ったら、伏見までしかたどり着けず、仕方なくタクシーに乗り込んだ。

3月14日

 金曜日。ボスともう一人の人と伏見の行きつけの安居酒屋へ。仕事の話などしながら、飲む。ボスと2人で錦のショットバーに繰り出してしまい、1軒目とは正反対の値段にびっくりして、タクシーで帰ったのが午前3時ぐらい。

 土曜日。朝起きたら当然、地球の自転を感じるわけで、速攻で富山に行って雅久号いじりでもしようと思っていたのだが、あきらめてとりあえず洗濯。午後に出かけて3時半ごろ到着したら、雅久号にカッティングシートがたくさん張られてかっこよくなっていた。

 リフトに上げて、各部のチェックと、足回りを変えたので、車高を調整など。富山はまだまだ寒くてやる気がなかなか出ない。それでも、準備を終えておおとろ亭にて「かに祭り」に突入。滑川漁港水揚げのズワイガニが衣装ケース!にいっぱい。もったいない食べ方を繰り返し、ビールを大量摂取し、いつしか気を失う。

 日曜日。朝、リビングのソファの上で目を覚ましたら遅刻しそうな時間。あわてて同じく寝過ごしたチームメートのべいべをデコピンで起こして、雅久号に乗り込んで間瀬に向かう。何とか間に合った。

 ただ、いつもの触●外しセレモニーはできなかった。○媒をつけたまま走行。思いのほか良いタイムが出たのだけれど、気温が低いことがその理由。でもフィーリングは全体に良い。

 新チームメートとT氏にも乗ってもらい、問題点が分かった。タイムは使い古しのNEOVAで昨年の同じ時期よりタイムが上がっているので、完璧ではなかったけれど、良い傾向だった。

 昼に間瀬を後にして、夕方工場に戻って、高岡でご飯を食べて、午前様で帰宅。1日の移動距離600キロ超え。

3月10日

 電話番3日目。昨日の冷え込みが緩んで晴れ間がのぞいたせいか、電波な人からの電話もあったけれども、収穫はあった。

 連休を取った保護者がいるので、名古屋名物を食べましょう、と錦の「いば昇」へ。ひつまぶしを考案した、という有名店にてひつまぶしをば。定番といえば、ひつまぶしに加えて刻んだのりとねぎ、わさび、だし汁がつくのだが、いば昇は薬味はねぎとわさびのみ。だし汁ではなくてお茶。で、うなぎのたれのようなものが付いてきた。

 ちょこっと違うな、と思いつつ、1杯目はおひつから茶碗に盛っただけの状態で食し、2杯目はねぎをかけて。

 3杯目はやっぱりお茶漬けにする。お茶だけをかけたら少し味が薄かったので、たれをかけたら絶品だった。

 それなりの値段がするので気軽には食べられないけれども、たまには贅沢も良いかも。

3月9日

 保護者が富山からやってきているので、電話番を終えた後、仕事をサボってアパート近くの西春駅にある商業施設で遅い昼ごはんを食べてホワイトデーコーナーでクッキーの詰め合わせを買った。引っ越したので、アパート内の他の住民にあいさつ回り。

 とりあえず、最優先なのが下に住んでいる大家さん。降りていったらちょうど外にそれらしきおばちゃんがいたので声をかけたらまさしく大家さん婦人であった。よろしくお願いしますと世間話をして、ついでにごみの捨て方なんかも聞いちゃったりして、コミュニケーションをとる。とりあえず、最低限のあいさつはできた。

 で、同じフロアの2軒と真上の1軒を回るが、どこも不在。真昼間だからみんな出かけているんだろう。仕方がないので、仕事に戻る。

 夜は、近所に最近オープンした「月華」という串揚げ屋さんへ。知り合いの29歳の酒屋さんが始めた2軒目のお店。エネルギッシュな人柄に惹かれて公私ともどもお付き合いをしている感じで、半分はこの人がいたことと、まったり1日を過ごせるコーヒー屋さんに歩いて行けるから今のアパートを選んだといっても過言じゃない。

月華

 京風の串揚げということでどんなものかしら、と思っていたのだが、10種盛り980円を注文してびっくり。串揚げといったら、長いくしの先にちょこんとかわいく食べ物がついて揚げられているイメージだったのだが、野菜とか、うなぎとか、白身魚とか、ごろんと大きな塊が丁寧な仕事で揚げられていて2人だったのだけれども10種盛りだけでおなかいっぱいになりそうな感じ。ずっと煮込まれているどて煮も絶品。サラダも山盛り。

 で、酒屋さんがやっているお店だからと日本酒の冷酒を頼んだら、こちらもすごかった。ビールばかりかぱかぱ飲んでいる僕が3杯も種類を変えて飲んでしまうぐらい。それぞれの個性があるのだけれど、すっきり飲みやすくてどれだけでも飲めそうだった。

 締めにラーメンを食べて会計を頼んだら安い! 大変満足して帰宅して心地よく意識を失った。

3月8日

 仕事が本格的スタート。で、何をやるかといえば、電話番である。わが社の商品を読んでいる人たちからの情報提供を受ける場。午前10時から午後1時までの3時間、拘束されて、春先には電波系の人からの電話も入るとか、いろいろ面倒なので敬遠されている仕事。それを、僕が最低1カ月は一人で電話番を引き受けることになった。ボス曰く「お前は奴隷だから」。

 で、驚くほど電話の本数が少なくてびっくりした。3時間つぶして、たったの2本。どうも、今のボスが着任する前は、しんどい仕事は嫌だよね、どうせなら電話来ないほうが楽だよね、ということで情報提供ダイヤルの番号をあまり載せていなかったらしい。そういう姿勢で仕事をしていると、たぶん仕事のあらゆるクオリティーが下がっていって、商品価値も下がって商売が成り立たなくなるから、自分の首を絞めるだけなのだが。

 この業界に共通して言えることなのだが、商品に掲載している文章というのはまったくもって独善に基づく価値判断をして掲載している。受け手が何を求めているのか、どんな記事が好まれるのか、なんてお構いなし。価値判断の基準になるのは行政が垂れ流した情報であったり、同業他社の商品に載っている文章であって、このネットの時代、印刷する前にネットに載るものだから、みんなそろって大体同じような内容になる。ネットの台頭で広告収入ががた落ちしていて赤字になった時代、はっきり言って、これまで通りを続けていったらジリ貧になって先が見えている。

 富山の県庁にこもっていた2年半はそこらへんでうんざりしていたので、お客さんからの電話対応というのは結構新鮮な気持ちになる。何が求められているのか。どんな役割を果たしたらよいのか。自分で考えていたって答えはでないが、寄せられた声に素直に反応していたら、それで良い方向にはなると思う。

 同じ部内からはしんどいだけの仕事を喜んでやっている、変わったやつだな、と思われているかもしれないが。

3月7日

 土曜日。朝にアパートの仲介業者に提出する書類の準備や片付けを少々してロードスターにて、富山へ向かう。高速1000円だとより近く感じる。

 午後2時ぐらいに工場に到着して、雅久号の整備。自分でオーバーホールしたHLAががちゃがちゃいうのが気に入らなくて、異音を発して取り外したエンジンからほぼ新品のHLAを取り出してほぼ新品のカムとともに移植する。2時間ぐらいかな、と思っていたがもう少しかかった。以前は2回ぐらい失敗したタイミングベルトかけも失敗なくこなして、油圧をかけてからエンジン始動。ぶおんと調子よく始動したのを確認して終了。

 高岡で保護者と合流して、この日から営業を開始したカントリーレストハウス二上へ。限定メニューのオムライスに心引かれたのだが、合同営業中のまるかんさんのつけ麺を選んでしまった。

 日曜日。晴れならばおわらサーキットにセッティングに行く予定だったのだが、雨なので引き続き雅久号いじり。雨と思っていたら徐々にみぞれになり、昼過ぎには雪に変わった…。一度暖まった後の冷え込みなので、気温以上に寒い。ちょこっと作業をしては事務所に避難する、ってな感じとなってしまった。

 おおとろ監督曰く、「硬めのセッティングにしたい」ということだったので、フロント16キロに初期のころつけていたNBターボスタビライザーを取り付ける。リアも硬くしよう、ということになって、14キロのばねを取り寄せて装着して完成。14日に間瀬に走りに行く予定。

 ノーマルからNBターボへのスタビライザーの変更で、たとえばシケイン進入でこれまではえいっと120度切ってノーズを入れていたのが、90度ぐらいで曲がるようになる。これは、ドライブしているとかなりの違いで、最初は戸惑うはず。最初にターボスタビを入れたときは、コーナー後半でのアンダーステアの原因になっているのではないか、ということで外したのだが、その後も同じアンダーで悩まされた。今は、羽をつけたからと思われるアンダー。雅久号のセッティングの歴史は徹底的なアンダーステアとの戦い。

 ターボスタビを入れてノーズの入りという味付けは変わるのだが、果たして根本的なアンダーは解決するのだろうか。間瀬での走行はそこがポイントとなる。ばねも車高も羽の利きも変わったから1からやり直しということは確か。

 チェーン規制がかかっていたので、雅号に今季初のスタッドレスタイヤを装着して帰宅した。