月: 2010年1月

1月6日

 なんか、スキーをやっている人って、ボーゲンでずりずりっとやっている人はあまりいない。みんなパラレルで格好良く滑っていて、僕のような腰が引けている人はなんとなく目立つ。スノーボードだと、ちらほら初心者がいるのだけれど。

 ようするに、新しくスポーツ人口が増えているのがボードで、スキーはある程度固定されてしまっているのかな、と思う。猫も杓子も、車といえばパジェロやプラドなどのRV、冬はスキー、という20年近く前の状況って一体何だったんだろう。おかげで、横入りされたりして、20分は最低待たねばならなかったリフトの待ち時間はゼロだし、ゲレンデも込んでいないから滑り放題だし、食堂もすんなりと入れるから、まじめにスキーをしたい人には良い時代なのかもしれない。

 だから、余計に腰引けボーゲン姿が目立つ。かっこ悪い。ぶつぶつ、と愚痴っていたら保護者が「どうせ、パジャマで滑ってるんだからいいでしょ」と正しい指摘を受けた。

 突然、スキーに行くことになったものだから、本当の手ぶら。ウエアまでは借りられたのだが、下にも着込まないと寒い。持ってきた着替えと言えばパジャマだけ。なので、パジャマを着込んで滑っていた。

 ぱっと見はきちんとしたスキーヤーだったから、スーツ姿でスキー場をうろうろしていたころと比べれば進歩したに違いない。

1月4日

 雪なし県生まれの僕は、スキーと言えば完全なレジャーで、スキーブームに便乗して親戚に道具をそろえてもらって、小中学、高校生時代に何シーズンかやったぐらい。大学時代にも1度、兄貴のランドクルーザー60を借りて友達と蓼科に行った覚えがある。が、このときはバイク事故で左足を骨折した後で、ちょうど折ったすねの部分に靴が当たるのはちょっと違和感があって、簡単に滑って終わり、以来、滑ったことはなかった。スキー天国の信州に4年も暮らしていても1度もスキーに行ったことはない(スーツ姿で白馬のゲレンデに出没したことはある)ぐらい。

スーツ姿で白馬のゲレンデに出没したことはある

 ボーゲンしかできない僕のスキーの思い出といえば、板の取り回しに四苦八苦し、パラレルのまねごとをしようとすれば足先がもつれて転がる。それでも気合いを入れて滑ると、スピードが付きすぎて怖くなり、腰が引けてさらにスピードが上がって体が置いて行かれて制御不能の直滑降となり、きゃあああぁぁ、と声を出しながら超高速で横に倒れるしかなく、派手な雪煙を挙げながら雪の中を転がって、外れた板を探しに行く、といったネガティブなものばかり。スキー場は遠いし、怖いし、道具は重いし、実は全身運動だし、というスパルタさを薄々と感じていて、今回、誘われても正直、どうしようかなあ、という感じだった。

 スキー場隣の民宿で借りたスキー板は、短くて幅広で先端がしゃもじみたいな形。身長よりちょっと長いぐらいが目安で、ほとんど真っ直ぐで、先が尖ったかつてのスキー板とは違う。道具が変わったことすら知らないぐらい、縁遠い世界になっていた。

 で、雪国育ちの保護者に引きずられるようにしてリフトに乗り、頂上から見下ろした斜面はそれほど急じゃないのだろうけれども、けっこう急に見えた。それでも、立ちつくしているわけにもいかないから、えいっと滑り出す。

 とりあえず、ハの字にしていれば大丈夫だろう、と滑り出したらその通りで、意外にもコントロール可能だった。スピードもぐんぐん付いていくって感じじゃなくて、コントロールできる感じ。えいっと斜面の方向に傾けば、ざざっと止まることができる。おお、けっこうできるじゃないか。

 スキーと言えば、ちょっと足が取られたり、固い雪ですっぽ抜けたりして、どかんと転倒するイメージがあったのだが、なかなか転ばない。ぐらりとバランスを崩して、後傾姿勢になり、うわっ、暴走の始まりだ、と一瞬ヒヤリとするのだけれど、ぐいっと体勢を直して復帰できる。何回か転ぶんだけれども、以前のように全身を雪にたたきつけられる感じじゃなくて、スライディング気味に安全に転ぶ感じ。

 なんだこの違いは、と相変わらずボーゲンなんだけれども、けっこう楽しい。急傾斜でなければ、怖さは一切なくて、うまい人がどうやって足をそろえて滑っているのかを観察したり、右後ろ側から突然飛んでくるスノーボーダーに注意を払ったりする余裕もあった。

 保護者は、斜面に向かうように前傾して、体は前を向いたままで、下半身だけ右に左にやる感じで、という。意識してそんな感じで滑ってみるのだけれども、まだまだ棒立ちで全身が左右にうろうろして、板はハの字でって感じだったと思う。

 それでも、すいすい行かないまでもコントロールできて、何とか続けていけばレベルアップしていけるんじゃないかしら、という感じは受けた。湯沢は雪が降り続いていて、コースの脇は新雪が深い感じだけれど、全体的にコンディションは良い感じ。人間は変わってないし、コースのコンディションだけとも思えないから、違いは板なんだろうなあ。真っ直ぐは速いけれど、どアンダーで止まらない直線番長FF車から、すいすい曲がって止まるロードスターに乗り換えた感覚。どちらも極めれば同じなんだろうけれどね。

 次も滑ってみようかな、と思う体験でした。

1月3日

 正月、僕は「保護者」と行動していて、保護者が2日午後に富山で10年ぶりの同級会があるというから、実家滞在は1日だけで終わり、2日早朝に富山に向かうことになった。

 アルコール分50度ぐらいのバーボン1本を2人で空けたのだから、当然、6時間寝たぐらいでは残っている。やっぱり運転は無理な感じだったのでインプレッサのステアリングを保護者にあずける。

 がりがりに凍った東海北陸道を走って(もらって)富山に戻り、南砺市井波の高瀬神社で初詣。ご祈祷も受けた、初詣に行き厄払いをし、同窓会にも参加したら、普通の人間の時間の過ごし方であれば、もう十分1日をエンジョイしたね、となるはずなのだが、「スキーに行こう」だと。毎年集まっているグループがまさにこの日、宿泊スキーを敢行しているそうな。

 東京の人たちなので、集合場所は新潟県湯沢町。名古屋から富山に戻っただけで200キロを超えているのに、さらに300キロ近くの移動となれば、1日500キロ車で走る、ということになる。

 仕方がないから午後8時すぎから高速に乗って向かう。富山県内は調子が良かったのだが、上越辺りから路面に雪が乗り始め、長岡辺りで圧雪路に。いちおう、みなさん待っているのだから、と道を急ぐ。何とか日付が変わる前に到着して風呂に入ってビールを飲んで意識を失う。

 3日は朝から湯沢中里スキー場でスキー。夕方まで滑って日付が変わるころ、帰宅。体がぼろぼろだ。

1月2日

 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

 今年も車でめいっぱい遊べるといいけれど、忙しいかもしれない。

 とにかく、正月は実家だということで、大晦日の夜に出発した。富山は雪がざあざあ降っていて、おまけに北陸道と東海北陸道は事故で通行止め。これは、飛騨は相当やばいな、と思いつつも、除雪が追い付いていることを祈って通行止め区間が終わる福光インターから出発する。

 飛騨清見インターまではトンネルの方が長いので走りやすいのだが、問題はその後。ひるがの高原付近は冬型で荒れると吹雪で前が見えないぐらいになるし、気温も低いのでフロントガラスも凍ってしまう(スノーブレード付けろよ)。

 案の定、ワイパーが凍ったので、ひるがので1度止まってポットに入れて置いた熱湯を掛ける。凍ったウオッシャー液も、熱湯の投入で復活。

 白鳥ぐらいまで下りると危険な感じではなくなるのだが、今回は美濃の辺りまで圧雪だったので、けっこうひどいな、と思った。

 一宮西辺りが通行止めだったので、東海環状道回りで。ZIPーFMのカウントダウンを聞きながら年越しをし、ETC1000円で高速を下りた。実家周辺でも雪が降っていてびっくり。近くの神社に初詣してビールを飲んで意識を失う。

 元日は地下鉄で熱田神宮へ。午後に行ったのだが、予想はしていたけれど、ものすごい人込み。寒くなかったから良かったかも知れないけれど。

 夜は松本のいつものショットバーでいつも大酒を飲んでいた同じ会社の人の新築のお家へ。家を建てると異動させられる、というジンクスはやっぱりあって、新居を建てた途端に、飯田に移動になっちゃった。せっかくマイホームが建ったのに数えるほどしか泊まっていないらしい。

 さすがに手ぶらではいけないので、いつものショットバーでよく飲んでいたバーボンをぶら下げていった。イーグルレアが欲しかったのだがなかったので、ワイルドターキーの12年のやつ。

 奥さんも交えて松本の思い出話に花が咲く。ストレートでかぱかぱとバーボンを飲む2人を見かねたマスターが「特別にキープさせてあげるから。こちらの方が安いから」と、ボトルを丸ごと渡してくれたのだが、手酌になってしまってペースが上がり、その1本をその日のうちに飲んじゃった話とか。氷点下の松本で、意味もなく逃げ出して鬼ごっこした話とか。

 盛り上がっているうちに、ワイルドターキーが空になった。