月: 2009年10月

10月10日

 9時半からの仕事があったのに、起きたら9時10分。あわてて着替えて飛び出し、仕事場所の富岩運河環水公園へ。

 あるイベントがあり、仕事も終わってやれやれと思っていたら、関連イベントのウオークラリーに参加する耐久スターレットドライバーのさぶちゃんの姿がっ。子どもたちを連れて参加していた。次の仕事までに時間もあったし、何より公園から近い場所でもあったので、そのままウオークラリーに参戦する。

 富岩運河は由来を書くと長々と文章を書かねばならないが、富山のまちづくりにとっては重要な場所だ。産業のために造られて、ダイオキシン汚染なんかもあるのであまり良いイメージはないかもしれないが、県は徐々に水辺スペースとして整備している。そのうち、桜を植えて桜の名所にする計画も進められている。

 知識では知っていたけれど、降っていた雨がやんださわやかな空気の中、運河沿いを2キロばかり歩いたら、とっても気分が良かった。子どもたちにも気に入られたようで、がやがやと歩いてそのまま隣の親水公園のイベントでかき氷や富士宮やきそばを食べながらひとときを過ごした。

 今は運河を船が走っているので、こちらもお薦め。

10月9日

 7日夜。友人Kは四谷のラーメン屋「温州軒」へ行くとのこと。飛行機は台風の影響もなく定刻通りに到着。電車を乗り継いで、ホテルにチェックイン。少し台風の影響が出てきた国道20号を歩く。

 良い感じの居酒屋街を抜けてラーメン屋に到着。6席しかない狭いラーメン屋だが、以前は文化放送近くにあったから、出演者らが愛したラーメンらしい。なんと10日で閉店。友人Kが来たいと言った意味が良く分かった。支那そばを注文する。

 ラーメンは「昔ながら」という言葉がまさにぴったりで、あっさりしたスープに細麺でおいしくいただいた。最近は豚骨こってり系ばかり食べていたので、シンプルラーメンのすばらしさに開眼した思い。が、最初で最後の1杯だ。

 近くにビートルズパブがあったので、飲む。ビールをひたすら。オリジナルカクテル「ダコタハウス」も。子供用風邪シロップみたいな味だった。酔っぱらったころには雨がかなり強くなっていて、ずぶ濡れになりながらホテルに戻って意識を失う。

 8日朝は雨は上がっていたが、窓の外を見ると風が吹き荒れて葉っぱやらゴミやらが真横に吹っ飛んでいた。テレビは山手線の運休を伝える。地下鉄とはいえ、半端じゃない影響を受けていることは必至で、霞ヶ関まで歩いて行こうかとも思ったが、時間がたっぷりあるわけではないので、丸の内線へ。予想通り、9時すぎにもかかわらずすし詰めの車内で2駅我慢し、永田町駅から歩いて国○省へ。

 前○大臣と富山をはじめ4県の知事たちの会談があるので、東京まで足を運んだ。なぜなら、間瀬がある県の知事が新幹線建設を巡って駄々をこねているから。地元の利益のためということは良く分かるのだけれど、開業時期までずれ込ませるような聞き分けのないやり口はいかがなものか。結局、物別れに終わり、なんだか煮え切らない感じで仕事は終了。

 最終の飛行機で帰れたけれど、とんぼ返りも疲れるので朝イチで帰ることにする。当然、社内の人たちで飲もう、ということになり、赤坂の居酒屋で再びビールをがぶ飲み。7時前の飛行機なので、羽田に近い蒲田に宿を取った。コーラ色の効きそうな温泉があるなかなか良い宿なのだけれど、零時半にチェックインして「少し横になろう」とベッドに横たわると、次の瞬間、4時45分のモーニングコールが鳴った。

 8時前には富山に到着し、1日ぼんやりすごそうかと思ったが、昼前に「○原大臣新幹線認可」の一報が入り、ダム凍結の話もあってばたばたする。5時から活動しているから夕方ですでに眠い。

 しかし、同意なしで認可した、ということは○交省から正式に「ちょっとあれな知事」認定を受けたようなものだな。

10月7日

 明日、午前11時に霞ヶ関に行く用事があり、富山空港を朝出発すれば間に合うのだけれど、台風直撃タイムらしいので、前泊することにする。四谷に宿を確保し、松本時代からの友人Kと新宿あたりで飲むのだ。

 東京に行くのは2年弱ぶりかしらん。すっかり富山の空気と水になじんだ僕にとっては息苦しく感じるかもしれない。台風が来ているから、楽しむどころではないか。

 それよりも、留守にする富山が気になる。7日夕方の予想進路では、富山直撃コースをたどっているではないですか。何もないことを祈るばかり。

10月6日

 耐久レース翌日、月曜日も休みにしてあったので、雅号を開幌状態にして、有峰林道を通り、安房峠、平湯温泉、高山と250キロぐらいのツーリングに出かけた。帰ってきたらさすがに疲れていたのでビールを大量摂取して意識を失い、報告を書く時間がなかった次第。

 チーム「マッサGOGO☆TORF」はN-ZERO耐久クーマックカップ2009で第3戦で優勝、年間シリーズチャンピオンを獲得しました! ぱちぱち。

 スノコシビックのあまりの速さに予選時点でシリーズチャンプは半ばあきらめていたのだが、第1ヒートを完勝された後の第2ヒートでまさかのエンジントラブルが発生、第3ヒートも1周のみ周回しただけで、優勝が転がり込んできた。レースでやりあったほんだシビックも、第3ヒートでミッショントラブルが発生、最後のドライバーを務めた僕は淡々とラップを刻んでトップチェッカー。第1ヒート2位、第2ヒート2位、第3ヒート1位で第3戦トップ。

 まさに耐久レース。これまで7回出場した全レース、元気に動いているエンジンやミッション、デフのおかげ。マツダの耐久性が耐久レースでも生きたということか。速さで勝ったわけじゃないけれど、これもレース。チェッカーを受けて初めて結果になる。

 ハードトップ仕様にして、バンパー下のアンダーパネルを製作、ドラッグを極力減らして直線でのスピードを得る考え方で車をアップデートした。確かに速くなったのだけれど、ラップタイムが上がるとそれだけタイヤにも負担がかかるし、足回りのセットアップが変わってくる。新品ブレーキローターも1ヒートだけでゆがんでジャダーが出る。予選から思いがけないアンダーステアに悩んで、第2ヒート前にセッティングをやり直した。なんとかレースで走れるようになった。もう1度、車作りをやり直す必要あり。

 レースと言えば、T氏が最大の見せ場を作っておいしいところを持っていった感じで、僕はと言えば、コンマ1以内でタイムをそろえて走る地味さで「オーラがない」なんて言われる始末。べいべはあり得ないぐらい遅いタイムなのに、うまいドライバーに30分押さえられてトップを守られてしまった。ぐだぐだだけど、優勝は優勝さ。

 また、レポートを書くけれど、とりあえずともに走った2人と、車を作ってくれたT.O.Racing Factory、応援に駆けつけてくれた皆さん、僕が知らないかもしれないけれど、ここを読んで楽しんでくれている人、皆さんがチームに力を与えてくれました。ありがとうございました。

10月3日

 最後のメンテナンスとばかりに朝から工場へ。少しでも速くしたい!と、トランク内でごそごそいろいろやって、軽量化作業にいそしむ。2時間がんばって、600グラムぐらいだった。これを多いとみるか、少ないと見るか。

 ワックスもかけたし、ぴかぴかの雅久号。仕事の合間の限られた時間の中で、やれることはやり尽くした。自分のドラテクで今、間瀬で何秒で走れるのかもだいたい分かっている。これでライバルより速ければ、勝つし、遅ければ負ける。それだけのことだ。

10月2日

 10月4日はクーマック最終戦。チーム・マッサGOGOの位置づけはというと…。

1位 56p スノコμKEWシビック
2位 52p マッサGOGO☆T.O.R.F.
3位 42p ほんだレーシング
4位 30p ファーストウェイMシビック
5位 23p T.O.R.F.☆スターレット

 こんな感じ。第2戦はトップだったけれど、1戦が3位だった関係で、スノコシビックが年間ポイントではトップ。でも4ポイント差。

 これは、やはり年間チャンプも狙わなければならないでしょう。狙うとすると、全ヒートで激速スノコシビックの前でチェッカーをもらわなければならない、いや全ヒートトップチェッカーを受けなければならないわけで、実際にレースをやっている当事者としては、ものすごくハードルが高い。

 こちらも、ちまちまと車のアップデートしているけれども、相手チームもアップデートを重ねているから、例えノーミスで全周回をラップしても、追い付かないかもしれない。こちらも、向こうも車を速くしたとして、結果、車の差がない、としたなら、あとは気持ちの差の問題だ。がんばります。

 もう、ライバルチームにはばれているから、事前に書くけれど、雅久号をハードトップ仕様にした。オープンの状態では、巻き込んだ風の抵抗で150キロから上はなかなか伸びなかった雅久号を、もう3、4キロストレートで車速を延ばすために軽量ハードトップを取り付けた。前回の間瀬走行では効果が確かめられて、ちょこっとだけスピードが乗るようになった。

 今日届いた参加受理書によると、午前7時半が入場と受付開始。ミーティングが午前8時半で、耐久クラスのフリー走行が9時からだって。タイムアタッククラスが10時10分、走行開始になっているところをみると、10時50分ごろからの第1ヒートかも。スケジュールは「当日発表する」としているので、なかなか読めない。

 第2ヒートは午後からあることには間違いないので、朝イチで来る必要はないかも。第2、第3ヒートでも、相変わらず全開のバトルが繰り広げられているので、見に来たい人は参考にしてください。

 入場料2000円というあこぎな請求があるので、そこだけは勘弁してちょうだい。間瀬が存続しなければ、耐久レースもなくなってしまうのだから。