月: 2009年9月

9月8日

 この1カ月、滅私奉公、自分の持てる能力をフルに使って、衆院選挙の仕事に打ち込んだ。ま、スーパーマンならばもっと素晴らしい仕事をしたに違いないのだが、自分の持ちごまを考え、そんなにない能力を使い切って、最大限のパフォーマンスを発揮させてきたつもり。人員がより多い他社と比べても、まあ、そこそこ闘ったかなという自負はある。人員がわらわらといる地元社にはかなわないけれど。

 そもそも、ただでさえ我が社の富山県内は経験不足な人員ばかりだったのに、そこそこ仕事ができるようになった人間を選挙前の8月1日付で2人も異動させて、中間管理職(この業界ではデスクと呼ばれる)も変えちゃった。なので、僕が下働きから中堅、管理職の仕事まで一手に引き受けざるを得なくなって、一般的なサラリーマンであればそこまでしないと思うけれど、1日12時間以上は働いて休みもなくすべての仕事をこなしたのである。

 普通なら、いくら大赤字の地域だって、商品のクオリティーを下げるようなことは避けるべきなのに、やってしまった会社。そんな現場無視のやり口をクオリティーを上げることであらがった僕。いや、まだ闘争は続いていて、代わりを引き受ける人材もいないまま、根性を出して仕事をこなしているのだ。

 で、今日は休日だったけれども、やるべきことがあったので、モチベーションが低いながらも、やっつけで仕事をこなして、夕方から休暇モードに入った。そうしたら、日付が変わるころになって、ばたばたとあれこれ難癖を付ける電話がかかってきて、本来ならば運命共同体として、どう解決に向かわせるかを一緒に考えるべきなのに、ひたすら現場に責任を押しつけようとする語り口についに僕の中で、何かが切れた。わーっと切れて暴れるような切れ方じゃないことは確かだが、堪忍袋がずたぼろになっちゃった。

 別に小役人的な電話の主への恨み言を書いているわけでは、ない。

 そもそも、この仕事自体にも疑問を感じるここ数年。普通の仕事よりも人間関係を深く築いて物事の本質に迫ることが求められるのだけれど、半面、ずっと同じ場所にいると癒着みたいになって、厳しいことが言えなくなるから、2、3年おきに転勤する。せっかく築いた人間関係も、距離が離れれば疎遠になるもので、なんとなく深く人間関係を築いて置いて、それを使い捨てにしている感じがして罪悪感を覚えてしまうのだ。

 どうも、僕の心情としては、同じ場所に根を張って、コミュニティーにも貢献したいし、いろいろな活動にも顔を出したい。が、異動が前提になれば、刹那の貢献はできても根を張った貢献はできない。

 仕事にやりがいがないわけではないけれど、少なくとも最弱地域の一つの富山にいる今は、ロードスターをさんざんいじってレースできるぐらいの給料が定期的にもらえるということだけ。でもね、お金だけを目的に人生を送りたくはないのだ。

 富山にいるのもだだをこねなければあと1年以内。おっさんに差し掛かった時期でもあるし、いくらこなしてものれんに手押しな仕事もそこそこにしておいて、今後の身の振り方を考えてみよう。

9月7日

 日曜日に、ようやく休暇を取ることができた。7月最後の土曜日に休んで、8月は16日の1日のみ。さらに半月たって、ようやく仕事も一段落して本当の意味での休暇となった。

 土曜日の夕方に仕事から解放されたので、気分転換に金沢に向かう。とりあえず、仕事から離れるには土地から離れるのが一番だ。けっこうおいしいご飯を食べて、スーパー銭湯の温泉につかり、こりまくった全身をマッサージでほぐしてもらった。で、あっという間に日曜日を迎える。

 とりあえず、昼まで寝て、部屋の片付け。2年分たまった新聞紙をビニールひもでからげて、70リットルのゴミ袋2つ分までため込んだビール缶を持って、呉羽の資源ゴミステーションに出掛け、部屋にたまっていたゴミをはき出す。ステーションを守るおじさん曰く「若い人は飲むねえ」だと。いや、ため込んじゃったんですよ、と頭をかくが、やっぱり量も多かったし、なおかつそれをため込んでしまったのだ。

 家にとんぼ返りして、再び新聞紙をビニールひもでからげる。到底1回で終わる量じゃなかったし、「そんなにためてたのか」とステーションおじさんにあきれられるのが嫌だったので2回に分けた。手が込んでいて、2回目は別のステーションに捨てに行くのである。

 午後3時まで営業の山室のステーションに2時55分ぐらいに到着したら、同じように時間ぎりぎりにゴミ捨てに来ていた人でごった返していた。みんな考えることは一緒だ。大量の新聞紙と、引っ越し以来ためこんでいた段ボールをからげたのをはき出す。

 久しぶりに工場で雅久号に触れて、仕事をまったく忘れて作業に没頭する。夜はビールを大量に摂取して意識を失う。

 休みがなくて凝り固まった頭と体をなんとかほぐすことができた休日でした。

9月4日

 北陸のロードスター乗りならば、おわらと言えばおわらサーキットのこと。が、全国的には民謡行事の「おわら風の盆」ということらしい。

 とにかく、知名度が上がってきて、全国から人が来るようになったものだから、その混雑ぶりも有名になってしまった。9月1日から3日間の行事に、20万人以上が訪れるという。八尾の街中の狭い通りを使って踊っているのに、ギャラリーが万単位で訪れればどんなことになるのかは想像に難くない。とにかく、車で行こうものなら渋滞で駐車場にたどり着くまでに大変な思いをし、駐車場から町まで歩くのに大変な思いをし、たどり着いてからも細長い町は意外に懐が深く、坂道を歩き回らねばならない。とにかく大変で、気軽に見に行こうというものではないのだ。

 そんな感じで、ことしも行けないな、と思っていたのだけれど、ふと考えると、来年9月に富山に住んでいるかは分からないのだ。仕事が終わってふらりと行く、ということはできなくなるのだから、無理をしてでも行ってみようと、車で向かう。

 到着した3日午後11時は、ちょうど公式には行事が終わる時間。が、観光客でごった返す中の踊りで飽き足らない人たちは、夜中に自発的に出てきて踊っていて、それこそ風情があるという。次の日も仕事なので深夜までいるわけにはいかないが、それぐらいの時間に行けばまだ踊っているだろうし、観光客も引けてきているだろうしと期待して八尾の街中にたどり着くと、なんのまだまだ観光客でごった返していた。

 激しく興ざめだったけれども、それでも胡弓と三味線、太鼓に唄い手と囃子の声の哀愁を帯びたハーモニーに勇壮な男とたおやかな女の踊り手。多くの人が見に来たがるのも分かるなあ、と納得。

 人の家の軒先に寝っ転がってまで夜中の踊りを見たい(撮りたい?)気持ちはあまり分からなかったが、また行きたいと思わせる街並みだった。また、散歩にでも出掛けよう。

9月3日

 フィジコがフェラーリに移籍するなんて、という、遅咲きシンデレラストーリーに胸が高鳴る今日この頃。ジョーダン時代からずっとウオッチしてきたドライバーなので、イタリアンにとって本望なチームで走ることができるというニュースは、とってもうれしくなる一報。シューマッハの復帰にはかなわないけれど、耳目を集めるニュースだ。

 ティフォージからのプレッシャーは大変だと思うけれど、うまく立ち回ってほしい。間違っても事故とかはなしで。

 最近、F1でおっさんが活躍しているニュースを聞くと、うれしくなる自分がいる…。