月: 2009年7月

7月12日

 土曜日。工場に出掛けてなぜかバンパーが外れている雅久号にナンバーだけ付けて、ちょこっと公道を走ってブレーキをテスト。サイドを引いても何事もないのに、ブレーキペダルを踏むと軽くショックが伝わってきたので、ゆがんだのはフロントローターと分かった。第3ヒート、ブレーキを踏むとがつがつとペダルが押し戻されるぐらい、ローターがゆがんでジャダーが出ていた。ハードブレーキで熱が加わるとジャダーがひどくなるので、それなりブレーキでの走行を強いられる、けっこうキツイ状態で走っていたのだ。

 フロントローターの問題と分かったところで、雅久号をリフトに載せる。がんばってくれたご褒美に、とりあえず走る予定はないけれど、オイル全交換してあげる。交換の間、タイヤを外して下回りやサスペンション回りの清掃。

 下回りはきれいなもので、コースアウトや縁石またぎはそれほどひどくなかったみたい。新品ホイールは、ブレーキダストのカーボンで薄汚れていたけれど、ウエスで拭くだけできれいになった。右側はスノコシビックとのバトルでの接触でリムにガリ傷が。2本、お買い上げありがとうございます(笑)>べいべ

 オイル交換と簡単な清掃が終わったところで外に出して、おもむろにフロントをジャッキアップして足回りを外す。さらなるレベルアップのため、いたずらするのだ。

7月10日

 体育会系の後輩が夜遅くまで仕事していて、それを仕事場で待つ僕。金曜日の夜に飯も食わずに待っているというシチュエーションで、すでに僕はあきらめの境地。戻ってきて、成果を報告してすかさず生ぬるい殺気を漂わせて「この後は?」と後輩。

 ま、こいつと馬鹿みたいに飲むのも今月末までだしいいか、と夜の千石町に繰り出した。

7月8日

 選挙前なので、休日出勤してあれこれ細々とした仕事をこなしたら、8月1日付異動の内示の日だった。職場のボスが「おい、雅」と呼んでパソコンの画面を見せてくれたら、そこに県内の異動一覧が。

 散々飲んで、酒癖が悪いからののしり合いになることも珍しくなかった体育会系の後輩が滋賀へ。で、代わりに現場に出たことのない人と、今年入社したばかりの人が来る。僕の下が3年目ということになり、若い人ばかりの少年探偵団の完成! つーか、若い人ばかりが来ると、僕がおっさんになったみたいじゃん。

 異動やら選挙やら若者の教育やらで、しばらくは休めなさそう。

 そういう僕も時期的には異動に引っかかる危険性があったのだが、今回はありがたくも外れていた。この陣容で、僕がいなくなったら、間違いなく仕事が回らなくなるんだけれどね。今シーズンの最終戦も、安心して闘うことができるのだ。

7月7日

 キタムラの中古コーナーに並んでいて思わず買ってしまったキャノンEOS 5D。とりあえず、広角からちょい望遠までカバーするズームレンズがないと仕事にならないので、富山のキタムラを回る。EF24-105mm
F4L IS USMが中古であったので購入。安い買い物じゃないけれど、カメラに合ったレンズを買わないと、せっかくの性能も生きないので仕方がない。

 EOS 20DとEF-S17-85mm F4-5.6 IS USMの組み合わせでもかなり満足していたのだけれど、やっぱり格が違った。くっきりぱっきりクリアで立体的な絵はぱっと見で全然違う。写真は機材じゃないっ、とは思っているけれど、ぱっと漫然と撮っただけでもすっごく違うのだから、機材によるところも大きいなと思う。

 20Dの17mmと5Dの24mmならば、同じぐらいの画角かな、と思っていたのだけれど、フルサイズ24mmの方がやや広い。ファインダーの中を見回して構図を確認するって感じはフィルムで撮っていたときを思い出して懐かしかった。

 夜は撮影会と称して高岡市の戸出七夕まつりへ。仕事以外で写真を撮るってサーキットとか旅行以外ではなかなかやらないのだけれど、純粋にきれいと思ったものにカメラを向けるっていうのも楽しいね。

7月6日

 肩がこって体がだるーかったけれども、仕事をしているおかげでレースもできるのだからとちゃんと定時に出勤する。別に「定時」なんて決まっていなくて、都合の良いように出勤すればよいのだけれど、いつも通りの時間に県庁にいたのは、レースの高揚の余韻がまだ残っていたからだろうか。

 それでも抜け殻、ぐだぐだな感じで時間をすごし、あまりにも身勝手な理由で仕事をしないのも気が引けたので、立山町に出かけたりして夕方。午後7時から金沢で会議があったので、出かける。

 最近、カメラのキタムラで中古を物色するブームが訪れている。いいカメラがいろいろ出てきて欲しいカメラもあるのだけれど、あっという間に陳腐化するデジカメにお金をつぎ込むのもどうかなあと思ってみたり。でも、そろそろデジカメの性能もこなれてきて、陳腐化ってこともないかもしれないなとも思ったり。

 金沢の道すがら、偶然キタムラがあったので、あまり時間がなかったけれど立ち寄る。富山のお店よりも豊富な品揃えがあって、思わず衝動買いしてしまった。

 フルサイズを堪能してみよう。

7月5日

 間瀬耐久クーマックの第2戦。「ライバルのロードスターがいなくなった」なーんてつぶやいて、モチベーションが低下した、と言っていたけれど、速いシビック2台とレースがしたいという新たなモチベーションを得て、コストと時間を掛けて車を仕上げた今年の真ん中の戦い。真夏のレースとなったけれど、長岡のT氏の助力も得て、何とか3ヒート中、第2、第3ヒートでトップ。4位となった第1ヒートもトップだったけれど、アクシデントのあおりを受けてペナルティーを受けてしまったので、ほんと、ぎりぎりのポイント差での勝利。

長岡のT氏

 速い2台のシビックのうち、1台が最初のヒートのそのアクシデントでリタイアしてしまい、何となく素直に喜べない表彰台の頂上。やっぱり、レースってライバルがいるからおもしろいのであって、やっぱりエントリーしたみんなが完走して結果が出ると気持ちが良いなあ、と思う。こんなことを書いているけれど、実際のレースではぶつかったりしているんだけれど。

 さらなる足回りの課題も見えてきた。改良する→スピードが上がる→不具合が出る→改良する→さらにスピードが上がる→思いもしない不具合が出る→改良する、ってな感じで無限地獄みたいな世界。とりあえず、2009シリーズの成績も考えて、10月の最終戦も全力で闘いたい。

 あ、その前に選挙でばたばた仕事をしなきゃ。

7月2日

 ブレーキパッド交換とローターの研磨をする関係で宙に浮いていた雅久号。ブレーキパッドが届く、というので仕事をさぼってTORFに行くと、すでにブレーキが装着されてリフトに載っていた。インチと太さは同じサイズなのに、外側に出ているだけでホイールがでっかく見えるのはなぜかしらん。

 別の車をリフトに載せなければならなかったので、車をどかしがてら、ブレーキの焼き入れとタイヤの皮むきに出掛ける。テストコースに行くと、あいにくのウエットだったけれど、そんなことはあまり関係ない感じのものすごいグリップ感。16キロ12キロの足回りが柔らかく感じる。マイナーチェンジしたので少々不安だったブレーキパッドは、若干初期の食いつきが良くなった気がするが誤差のレベル。エンジンパワーはそんなにないけれど、うねりやギャップをものともしない足回りのおかげでやばいぐらい速い。

 レブリミットまでがんがん回したが、ウオーターポンプ回りも大丈夫みたい。あとは、レース前日にメンテをしてレースに臨むのだ。

7月1日

 「メンツが足りないんですけれど」と夕方、同業他社の人から声を掛けられた。4人いないとできなんだから、良いよ、と答えて、麻雀って卓で打つの何年ぶりかしら、と考えてみる。う〜ん、と考えて、2002年7月に長野県Kの中でやったのが最後じゃないかと思い出す。前任地の事務所兼自宅にもなぜか新品の牌とマットが備えてあって、いつでも雀荘状態だったのだけれど、なかなかやろうという話にはならなかった。7年ぶりか。

 昔は、たばことお酒と麻雀が業界のトレードマークだった。たばこはまだ吸っている人もいるけれど、麻雀はぱったりやらなくなった。たぶん、携帯電話が普及する前は夜に事件が起こるかもしれないから、警戒で待機する意味もあってじゃらじゃらやっていたんだと思う。ポケベル鳴らしても、電話がかかってこない恐怖もあるから、上司が好んで部下を麻雀に誘った感じ。

 富山駅前の雀荘に行き、じゃらじゃら。午後8時の開始だったけれど、業界ではまだまだ早い時間帯なので、ちょこっとさぼっている感じもあってみんなドキドキ。全自動卓は使い方が良く分からん。ボタンをピッと押すとにゅっと牌がせり上がってきて、さらにドラまで自動で表示されている。すごい、とびっくりしている暇もなく、ちゃちゃっとゲームがスタート。まず、どちら回りで進めるのかが分からない。どこから牌を取るのかも分からない。

 でも、やっぱり覚えてるもので、ちゃきちゃきとやっていたら、どかんと親の倍満を喰らってハコテンに追いやられた。リハビリ中で初めてのメンツなのにまったく容赦がないやつらだ(笑)。

 何回か、我慢の麻雀が続いていったが、流れが良くなったときに、何度かトップを取って何とか大負けから負けぐらいまで回復して終了。午前2時を回っていた。