富山市内では今、選挙が花盛り。昼間、街宣カーが近くに来ると、うるさいのなんの。
4年前に合併があって、郡部だった地域は合併特例もなくなって定数削減の憂き目に。2000票ちょっと取れば議員になれたのだけれど、それが3000数百票まで当選ラインが上がって、みなさん必死なのである。なにせ、選挙で落ちちゃったらただの人。
「行政は予算に上がるまでが勝負」などと個人演説会ではおおっぴらに行政の裏側を暴露してしまって、政治家がこの時代になっても利益誘導で票を取ろうとするのはいかがなものかとも思うが、有権者がそれを求めているのであれば、一蓮托生、表裏一体の関係なのである。そんなことではいけない!と言い続けてきた仕事であるはずなのだが、半世紀以上経過しても、まったく改まる感じではない。むしろ、巧妙化している感じ。
国も県も自治体も、昔から比べたらその役割はかなり低下しているのだけれど、その中にいるとそういうことに気付かないらしい。確かに不況になると、中小企業の運転資金の低利貸し出しは必要な政策なのかもしれないけれど、公が民間の仕事を創り出そうといってお金を使って、うまく行った試しがない。ちなみに、不況になって公が民間企業にお金を貸し出すっていう行動自体は半世紀前から普通に繰り広げられてきた処方箋であって、特別驚くほどのことでもない。それを、大きな手柄のように宣伝するのはいかがなことかと思う。
いつものごとく、話がそれてしまったけれど、要するに選挙のあり方は民度をそのまま反映して、富山の場合は他の県と同じく改善の余地っていうことなのだ。