月: 2007年12月

12月8日

 僕を富山に飛ばした元上司がリーダーを務めるバンドが毎年開いているライブに行くことに。ビートルズバンドなので、ジョン・レノンの命日に毎年ライブを開いている。とりあえず、いろいろなことがあったので、みんなが心配しているといけないから、顔を出す。これ重要。

 名古屋に行くのであれば、まっさGoGoのスポンサーである魚屋さん(スポンサー料は魚)にレースカーを見せに行っちゃおう、ということで、朝から雅久号に乗って名古屋に向かう。

 昼すぎに名古屋に着いて、名古屋市中央卸売市場の定食屋でパワーランチ。普通はビジネスの相手同士とランチを食べることを指すらしいのだが、魚屋さんと僕の間では、馬鹿みたいに大量に喰らうことを指す。刺身の盛り合わせにでっかいエビフライ、ウナギの長焼きに貝汁などなど、うまいものを大量に摂取。ごちそうさまです。

 で、事務所にてマニアックな車談義。あれこれ話しているうちに、夕方。話題が鈴鹿話になり、またFJドライバーのDさんの応援に行きたいね、という話に。Dさんに電話をかけたら「いま、予選が終わって帰るところ」。明日が決勝という。

 それなら、明日は雅久号に乗って鈴鹿に行こうと即時決定。すでに暗くなるような時間だったのであわてて実家に戻り、地下鉄で東区泉のビートルズ・ライブハウスへ。この日は、昼にもライブをこなし、おじさんたちばかりなもんだから、もうへろへろな感じだったのだが、演奏のうまさではなく、ステージのうまさがあるバンドなので楽しく聴けた。

 沖縄料理屋で飯と酒と焼酎を喰らって地下鉄にて帰宅。

12月5日

 二日連続の生ぬるい殺気に負けて、総曲輪の何となくおしゃれな居酒屋へ元ラガーマンと向かう。

 完全に場違いな感じではあったのだが、食事はなかなかのもの。ビールをたくさん。閉店の時間なって後輩「次、行きましょう」。

 引きずられるように地下のショットバーへ。ワインを飲みたいというので、どうせがぶ飲みするからボトル1本オーダー。やっぱり足りなくてグラスワインをがぶがぶ。

 完全に飲み過ぎ。失敗。

12月4日

 夜、仕事場で座っていて、生ぬるい殺気を後ろから感じて、はっと振り向くと、後輩が立っていた。

 「行きませんか」と一言。飲みへの誘いである。

 とにかく飲むのが好きな2年目の後輩。元ラガーマンなので、とにかく良く飲む。何となくこちらも同じペースで飲むから、食事が終わるころには相当酔っぱらっている。で、後輩から出てくる言葉が「次、行きましょう」。

 「もう無理」と正直思うのだが、いつもなんとなく付き合ってしまう。で、気がついたら桜木町の怪しげな店で寝ていたことも。

 と、一緒に飲みに行くとだいたい失敗しているので、まず「今日はどうしよう…」と言葉を濁したり、目線をそらして無視してみたりするようになった。後輩も先輩を立てて「じゃあ、今日は帰りますか」といったん話が終わる。が、あきらめが悪い後輩は、帰るまで隙あらば生ぬるい殺気を投げかけ続けてくるので、かなり手強い。強い意思で望まないと負けてしまう。いや、けっこう負けている。

 冷え込んだ上に雨だったので、意を決して断る。それに、昨日トマトソースを作ったから食べなきゃならないのだ。

 昨日と同じトマトパスタを作るのでは飽きてしまうから、野菜をぶち込んだスープを作ってみることに。ブロッコリーとか丸ごとぶち込んだら、大量のスープが完成。うまかったが一人では食べきれない。

 ということで、3日連続、トマト風味の食事が続くのであった。

12月2日

 なぜか、サッカーJFLのYKKAPの最終試合に出かけることに。

 富山県内にはJFLのアローズ北陸とYKKAPの2チームがあり、来年から統合して「カターレ富山」になることに。今年をもってJFLのチームとしては2チームが消滅する。本当の意味で最終試合なのだ。

 曇りで風が吹きすさぶサッカーグラウンドべりで選手たちの写真を撮る。サッカーは撮ったことがないから初体験。これがなかなか難しかった。

 肝心の試合と言えば、開始4分で流通経済大学に得点を入れられ、そのまま負けてしまう。試合後のセレモニーで「最後に良い試合を見せてもらった」と関係者が持ち上げていたけれど、ラインぎわで寒さに震えながらカメラを持ってつぶさに試合を見た僕からすると、何となく物足りなかった。

 アマチュアだって、スポーツで一生懸命やっている姿は感動を与えるもの。最終試合でチームがなくなってしまうためか、試合に対するモチベーションが低いんじゃないかと思うこともしばしば。集中力が足りない感じ。もともとJFLの中では強いチームなので、ただ気が散っていただけなのかしら。

 監督も試合後にしきりにそこら辺を話していて「チームには何かが足りないと最後まで思っていた」と明かしていた。企業チームで社員として雇われているから「不安がない」という。Jリーグでサッカーをやっているプロであれば、結果を残さなければ次の年の契約が取れないどころか、シーズン途中で契約解除なわけで、そこら辺が姿勢に現れてしまうのだという。監督はJリーグでも指導していたような人だから、サッカーに取り組む姿勢への温度差を終始感じていたのかもしれない。

 「本当にまじめなチームというのが印象で、まじめすぎて友達のサッカーをやっている」と監督。「右へ蹴るといったら、右へ。左へといえば左へ。最近は、意外性も出てきたのでようやくチームらしくなってきた」。フェイントを交えて相手をだますぐらいの意識がないといけない。勝負の世界なのだから、そこまで勝ちにこだわらないといけない、ということなんだろう。

 目をF1に向ければ、シューマッハですら、モナコで1番時計を確認してコース内に車を止めるようなあざとさを見せる。新人・ハミルトンも、予選のときにライバルに対して妨害ぎりぎりのプレッシャーを与えるぐらいのことはする。だから、勝てる。プロの世界の勝負、というところはそこまでするものだ。ルールの範囲内でね。

 物足りなさは、もしかすると、そういうところにもあったのかも。ま、TPOがあって、アマチュアだけれど、サッカーのJFLというリーグについては、そこまでやらないと優勝まではできない、ということだろう。

 スポーツとどうつきあうのか、という姿勢の問題でもある。これは、FJを降りてから痛烈に感じた。「勝ちたい」と頭では思っていながら、勝てるまで上り詰める覚悟はたぶんなかった。さすがに、その程度の覚悟であのレースは勝てない。今から思えば、どうせやるなら、もっとゆっくり楽しめば良かったのだ。

 間瀬の耐久レースは、とことん楽しむためにやっている。勝負も大事だけど、過程が大事。いくら速くても、馬が合わない人と走りたくない。もちろん、トップを目指すのは変わりないけどね。

12月1日

 前日に突然、宿直だと言いつけられた。毎週土曜日と言えば、おおとろ亭にて宴会なわけで、土曜日は宿直にしてもらいたくないのだが、サラリーマンの悲哀、上司から言われれば、仕方がないから働く。

 隙があれば、遊びに行ってしまうのだけれど、今日は微妙に仕事が入って隙がちょっぴりしかない。往復に使う時間を考えると、遊びに行くのも現実的じゃないので、仕方がないから仕事場で時間をつぶす。

 富山の街についていろいろ調べることに。松川、いたち川が神通川の旧河道だったということは知っていたが、もっとマニアックな情報を集める。

 車で走ってみて「古い街道かも」と思っていた道路。南富山駅から大沢野方面へ走る県道なのだが、30年ぐらい前まで線路だったことが分かった。どうりでその県道を走っていて「裏側感」があったわけだ。

 路面電車の場合、電車は文字通り路面を走って街中を結んでいるのであって、車窓を流れる風景は街の表側ばかり。逆に、鉄道は駅と駅を結ぶものであって、途中はどちらかと言えば街の「裏側」を走る。路面電車は表通りの玄関側が見えるのに対し、鉄道は路地側や庭側が見える、とでも表現すれば良いか。

 これは富山のライトレールに乗ってみれば良く分かることで、富山駅北側からしばらくは表側なのに対し、旧富山港線区間に入った途端に裏側となる。まあ、一個人の主観で言っているのにすぎないのだけれど。

 国道41号と平行に走って大沢野に向かっている県道は何となく裏側な風景だった。高山と結ぶ昔の街道だった場所ともちょっと違うな、と感じていたから、昔は線路だった道路、ということを知って、妙に納得してしまったのである。

 かつての射水線についても知識を得た。富山新港の開港に伴い、高岡まで結んでいた鉄軌道が分断されてしまった。今では万葉線区間でしか残っていない。富山北大橋から先の道路って変だな、と感じていたので、かつては線路が走っていた地域だと知れば、「変」も納得できる。

 なにを書いているのか、良く分からなくなっちゃったけれど、書いてしまったからこのままアップすることにしよう。分かるように書く必要もない。所詮、僕の覚え書きに過ぎないのだから。