月: 2007年10月

10月16日

 金曜日。新しく買ったEOS30Dを持ってるんるん気分で仕事をする。基本的には、液晶がめいっぱい大きくなったぐらいで、外観は20Dと変わっていない。使えそうなポイントとしては、感度の設定がより細かくなったところか。絵が撮れたかどうかは、液晶で確認しなくても手ごたえでだいたい分かるし、あまり連写はしないので(スポーツを撮ろうが、1発ずつしかシャッターは切らない)、そこら辺の性能向上はあまり関係ない感じ。

 で、仕事の現場で初めて使う。記念品贈呈という場面を写したのだが、1度シャッターを切ったら、液晶が明るくなって次のシャッターが切れない。「そういえば、設定をまだ変えていなかった」と一瞬思った。デフォルトだとシャッターを切るたびに絵が液晶に表示される。そんなもの電池の無駄なので、20DではOFFにして使っていた。

 が、次の瞬間、青ざめることに。シャッターが切れない。液晶画面を見ると「Err99 電源を入れ直して」といったメッセージが。やばい、と思いつつも何度か電源を入れ直し、1枚だけ撮影できたので、何とかなった。危ない。

 てっきり、20Dのボディが壊れたと思っていたのだが、壊れていたのはレンズだった。なぜレンズの不具合で撮影ができなくなるのかよく分からないけれど、最近のカメラはそれだけ複雑な情報をカメラとレンズの間でやりとりしているということなんだろう。あ、ちなみに壊れたのはキットで付いてきたEF-S17-85mm
F4-5.6 IS USMです。

 あわてて、30Dを買ったカメラのキタムラに行き、中古レンズを探す。シグマのズームレンズが2980円だったので、とりあえずそれを買う。広角側が28mmなのでAPS-Cサイズの撮影素子のデジタル1眼だと、室内の撮影の場合に厳しい感じだが、そこは工夫をしてカバーをすることにして、とりあえず購入。壊れたレンズは写り方とか使い勝手がけっこう気に入っていたので早く直って帰ってきてほしい。

 で、似たようなスペックのデジタル1眼が2つ手元に残った。20Dはがしがし仕事で使っていたので、外観はけっこう傷だらけ。20Dで不足は感じていなかった、というか、20Dから乗り換えるほど30Dの性能が魅力的でもなかったので、高値を付けられる新品の方を売っぱらうことにした。EOSKISSを使っている前任地の後輩がもう少し上級機種を欲しいと言っていた覚えがあるので、電話をしたら「欲しい」とのこと。後輩だし、程度の良い中古30Dを6万で売却決定。

 今日は、「日常」を書いているノートパソコンのアップデート。仕事用に配布されたThinkpadX32なのだが、以前も書いたけれど、激しく私用に使っている。基本的に会社から新しいパソコンをもらった時点でハードディスクを入れ替えて、オリジナルを保存し、アップデートがあったり、返却したりする場合に、オリジナルのHDDを差し替えて対応している。

 なので、これからオリジナルHDDに差し替える作業をする。いろいろなソフトをインストールしないと「日常」も書けなくなるので、もしかすると、しばらく更新ができなくなるかもしれない。普通に夕方ぐらいには復旧すると思うけれど。

 ということで、しばらくネット上での急な連絡には対応できないので、よろしくお願いします。

10月15日

 金曜日に午後から激しく仕事をさぼってエンジン製作をお手伝い。組むことを考えずに、ばきばきボルトを外して放置してあったから、大変迷惑をかけてしまった。夕方、仕方なく、仕事をこなし、再び午後9時半ぐらいに工場に行ったら、耐久仲間2人も手伝ってくれていて、エンジンは車載状態だった。

 クラッチレリーズのパイプの原因不明の変形があったりと、いろいろなエラーを乗り越えて、エンジンがかかったのが午前2時すぎ。ビールを飲んで意識を失ったのもつかの間、8時前には起き出して作業の続きをする。

 シフトレバーを付けて、ミッション、デフオイルの交換。工場の外に出して、ウマに上げ、ブレーキの調整と車高の調整などなど。シートを付けたり、パワーウインドーのスイッチをとりあえず付けたり。こまごまとした作業を一通りして夕方に、ようやく走れるように。「じゃ、旅立ちます」とあいさつして、そのまま1000キロの慣らしへ。

 500キロ走って実家へ。メシだけ食べて午前2時にはまた出かけると親に言ったら「馬鹿か」とあきれられた。仕事のせいで睡眠を取ることができず、そのまま出発。名古屋インターから再び高速をぐるぐる。一度、分岐を間違えてしまい、余分なお金を払うことになってしまった。

 睡魔でやばい状態になり、サービスエリアでバケットシートのまま20分程度の仮眠。時間を逆算して、通勤時間割引が始まる時間に飛騨清見インターを下りれば都合が良い感じだったので、そのように走ったが、眠くて視界もふらふらとしてきたので、ひるがの高原のサービスエリアで再び仮眠。が、朝になってけっこう騒がしかったので、ふらふらと出発して飛騨清見へ。卯の花街道の長いトンネルで高回転慣らしをしながら抜け、道の駅をすぎたあたりの路肩に車をとめて再び20分ほど仮眠。

 国道41号で富山へ。ガソリンが少なくなってきたので、神岡へ下る途中に新しくできたセルフのガソリンスタンドへ寄ったら、レギュラーが1リットル130円だったので、思わず満タン給油をしてしまった。

 おわらサーキットのゲートオープンが午前8時半。15分前に、990何キロかの走行を終えて到着した。

 すでに1000キロ耐久を終えて疲弊してしまっていたので、もう走りたくない気分だったが、レーシングスピードで走らないことには今後の方向性も見えてこないので、仕方なくヘルメットにグローブを着ける。走行会では車名が「雅久号」(まさきゅうごう。ああ、雅の耐久号ね)でエントリーされていた。

 足回りは慣らしの段階でとても好印象だった。とりあえず前12キロ後ろ10キロのバネを入れてあるのだが、高速でふらふらしたのでフロントの減衰を2段階いじったらばっちりになっていた。何より、しなやか。それは徹夜で1000キロを走れてしまったこと自体が証明している。

 おわらサーキットは、4年ぶり。けっこう走ったコースだけれど、経営が変わってけっこう改修されたという。ちゃんと走れるかしら。

 コースイン。が、まともに走れない。ブレーキを踏むと途端にフロントがロック。まったく攻められない。新品ローターとパッドだとしても、ちょっとひどい。エアでも噛んでいるのかしら。とりあえず、ストレートで加速してフルブレーキをするだけで1回目の走行は終了。

 こんな走りだったのだが、足の良さはすぐに分かった。とっても素直に動く。

 もう一人のドライバーにブレーキのことを伝えてコースに出てもらう。戻ってきて一言、「ちゃんと利く」。やはり、焼きが入っていなかっただけみたい。

 2回目のコースイン。体力の限界を超えてしまっているのだが、サーキットではアドレナリンが出るらしく、何とか体は動く。攻めてみると、なるほど、ちゃんとブレーキは利く。足は、ぽん付けしただけにしては上等な動きをして、ステアリングで曲げちゃうことも、積極的に姿勢を作って曲げることも自由自在にできる感じ。新品を入れて良かった。

 車屋さんに乗ってもらい、フロントの車高を少し上げることと、左右の減衰力が違わないか? と聞かれた。確かめてみると左右で2段ぐらいずれていた。いくら試し乗りでもちゃんと確かめてから乗ったほうが良い。

 お昼の時間にセッティングをして、名古屋の魚屋さんから送ってもらった今回の走行会のサプライズである伊勢エビを食べる。

 名古屋まで伊勢エビの香りが届いたらしく、鈴鹿FJドライバーのDさんがつられてやってきた。あれこれ走り談義。鈴鹿で走っていた時代よりは、濃い内容で談義をした。

 午後からは雅久号が大人気。足が良いことが伝わり、耐久ドライバーをはじめ、10人近くに乗ってもらった。結局、1日でサーキットだけで200キロ近くを走った。耐久レースに出ても大丈夫そう。

 とにかく、苦労して車を作ったかいがあったシェークダウンだった。

10月13日

 ちょうど、通勤割引が使えるようになる時間帯になったので、慣らし運転に出かける。最低1000キロは走った方が良い、とのこと。だったら、実家にでも寄ってメシでも食べて帰ってこようかと、北陸道へ。

 オーディオがないから、排気音や景色だけを楽しむドライブ。ま、入力される情報がなければ、白線踏んで走ってみたり、脳内妄想にふけってみたりするだけ。

 淡々と名古屋近郊へ到着。500キロでオイル交換ということなので、あと200キロぐらいぐるぐる走る必要あり。万博を契機に路線が充実し、ループ状になった高速道路をぐるぐる。

 実家到着。オイル交換。そういえば、仕事を1つこなさなくちゃ成らないことに気が付いた。明日でも良いのだが、せっかくのお祭りの日は、遊ばなくちゃいけない。ということで、睡眠時間ゼロ決定。最近、あまり寝てないのだが、何とかなるもんだ。

 現在、午前1時半。さて、そろそろあとの500キロに出かけるとしよう。

10月11日

 そんなに飲んだ覚えもないのに、二日酔いかなと、朝からふらふらと動いていたのだが、昼頃になって寒気を感じ、風邪であると悟る。ここ2、3日、体力が回復せずに肩こりがひどかったり、体がだるかったりした状態だったので、栄養が足りないのかしら、と昨晩は格安オージービーフを買ってきて、うまそうなアスパラガスとともにガーリック風味で焼いて、わしわしと食べたのだが、飲みながら寝てしまったので体が冷えてしまったみたい(馬鹿)。

 日曜日に向けて車を走れるようにして、慣らし運転をしなければならないので、こんなところで風邪を引いているわけにはいかない。まだ初期症状な感じなので、とりあえず栄養摂取と、ファミレスに入って再びステーキを喰らう。ドラッグストアに入り、葛根湯ドリンクと栄養ドリンクを飲んだら体がかっかとしてきた。何とかなりそうな感じ。

 で、午後から訓練をしている場所に行って仕事をしたのだが、今度はここ2年半ちょっと仕事で使っているEOS20Dが音を上げた。

 3日ほど前から、シャッターを切ると、変なシャッター音とともに「Err99」と表示されて動かなくなる症状が出ていた。もちろん、写真は撮れていない。ある場面で、ベストな構図と表情を押さえたと、手ごたえを感じたのに何度も「Err99」。エラーが出ると一度スイッチを切って再起動しなくてはならない。仕事にならん。

 いろいろな接点を磨いたりすると復活するところが、やっかいなところ。一昨日と昨日はだましだまし使ったが、ついに焦点が合わなくなり、オートフォーカスではシャッターが切れなくなった。ファインダーをのぞくと、PLフィルターを付けたみたいに少し暗い。

 ネットで調べると、他の20Dでも出ている症状のようで、シャッターユニットの交換で2万円ぐらいかかるみたい。NIKONのF90Xは7年ぐらい使ったが、ロードスターのトランクでごろごろさせて傷だらけだけれど、まだまだ使える。20Dは、たぶんまだ数万回のシャッターだと思うんだが、やっぱり、信頼性ではまだまだデジタル1眼は改善の余地ありかもしれない。上位機種だとここら辺が違うのかな。

 いちおう、仕事で使っている道具なので、会社で直してくれるのだが、ネックなのが修理が終わるまでの期間、カメラがなくなってしまうこと。今日の仕事ではIXYで写真を撮ってみたが、写真は撮れるけど、絵をつくることができない。使い物にならん。

 カメラがあるのが当たり前なので、完全に壊れてしまうとなんだか、丸腰で歩いているみたいで、事件が起きたらどうしようと、すっごく不安。

 オークションで20Dを検索すると50000円ちょっとが相場みたい。カメラのキタムラの中古を検索すると、富山市内のお店で30Dが69800円で2台売りに出ていた。2万弱の差だったら買いと思い、気が付いたら30Dを手にしていた。5Dの後継機種が出たら買って20Dをサブにと考えていたのだが、計画が少し狂った。

 1時間ちょっと作業ができそうだったので、その足で車屋さんに出かけ、ブレーキを完成させてエア抜きを終わらせた。

 依然としてエンジンはからっぽ。

10月10日

 14日は走行会。あるのはエンジンルームからっぽに、任意保険切れの2台のロードスターVスペシャル。ノリックの事故もあるし、何が起こるか分からない公道で任意保険切れで走りたくはない(裁判でも情状酌量や量刑の材料になる)。とりあえずエンジン積んで走るようにしなければ、デミオで爆走する羽目になる。

 「T.O.Racing Factory
」(トータルオートオオミチのロードスター部門)の走行会は、走ることもさることながら、食べることも楽しみの一つ。昼の休み時間にバーベキューや焼きそばを腹一杯食べることができる。いや、昼休みに入る前から食い始めている人もちらほら。午後最初の走行では、ヘルメットの中でぶちまけないか不安になるほど食べることが可能だ。

T.O.Racing Factory

 さて、とことんお世話になっている車屋さんが開く走行会なのだから、なにかネタを用意せねばなるまい。食と言えば、名古屋に魚のプロがいる。「何か送って(はあと)」と電話すると「任せておけ」と二つ返事。土曜日に着払いで送ってもらうようにお願いし、住所をメールで送る。そのメールの返事が下記。

 「何か サプライズな物を発送しときます。どんどん食わせて 車両総重量を重くさせ ライバルの足を引っ張るのだ!!

何か サプライズな物を発送しときます。どんどん食わせて 車両総重量を重くさせ ライバルの足を引っ張るのだ!!

 おなか一杯食べたい人は、14日におわらサーキットへ。まだ走行枠もあります。

おわらサーキット

10月9日

 とにかく、国体が終わるまであまり一生懸命働かなくても良い今日この頃なので、一生懸命車をいじることにする。午前中2時間ほどを、つなぎ着て作業。

 クラッチマスターシリンダをちゃちゃっと組み立てて、手伝ってもらいながら車体に組み付け、スチームを借りてクランクリアオイルシールの劣化でひどいことになっていたミッションのハウジング内のオイルを吹き飛ばす。なにせ、ミッションの一番下のボルトを外したら、エンジンオイルがしたたってきたほどだったのだ。

 エアブローで水滴を吹き飛ばす。縦横無尽に設備を借りまくっている。

 仕事をちゃちゃっとこなし、再び夕方、車屋さんへ。ヘッドカバーの裏側が汚かったのでちまちまと洗浄。それに、週末から公道を走れるように、任意保険を今のロードスターから新しいロードスターに切り替えた。

10月8日

 当直明け。午後2時から仕事を1件すれば良い感じだったので、午前9時に仕事場を抜け出して、車いじりに向かう。本当に、仕事をしているか、車をいじっているか、ビールを飲んでいるか、寝ているかだけの日々。あ、ときどき洗濯もしてる。目標があってそれに向かってエネルギーをすべて費やす日々っていうのも、疲れるけれどなかなか良いもの。

 さて、朝からの大雨にしばし呆然とする。車は屋外でウマに載って宙に浮いている。さすがに、大雨の中、びしょぬれで作業したら、この季節、風邪を引いてしまいそう。

 すでにサスペンションは仮組みしているので、タイヤを着ければ転がる状態。なので、大雨の中、傘をさしてタイヤを取り付け、ウマから降ろして、ごろごろと転がして工場に半分、車を突っ込んで作業をする。

 今日はクラッチ。あまりにも「教えて君」だと迷惑を掛けるので、整備書などを見て事前に予習。クラッチホースとレリーズは交換。クラッチのマスターシリンダをオーバーホールする。

 あっという間に終わらせるつもりだったのだが、当直明けの寝不足で、頭の回転がにぶくててきぱきできなかったことと、仕事の電話が何度かかかってきて邪魔をされたので、マスターシリンダを組む前にタイムアップ。敗因はやはり電話か。車いじりモードから突然、仕事モードに切り替わるので、電話後、それまで何をしていたのかを忘れてしまう。部品を適当にどこかに置いてから電話に出るので、部品が行方不明になって、探すのにけっこう時間を費やしてしまった。

 さて、14日の走行会まで、休みは13日の1日だけ。今は、肝心のエンジンがからっぽ。あとは平日なので、なかなか昼間から作業をする、というわけにはいかない。果たして14日に慣らしまで終えて走ることができるのか! う〜む、自信は、ない。

10月7日

 午前中に出かけたり、夕方に仕事を抜け出したり、とにかく時間があれば車いじり。たぶん、この1週間は仕事よりも車をいじっている時間の方が長い。そこは、要領よく「うまいこと」やるのだ。

 車は工場の外にウマをかけて宙に浮いているのだが、電源もエアも道具も、なにもかもそろっているプライベーターには天国のような環境。なによりも、エンジンばかりいじって車体を造ることには疎く、知識がかなり偏っている素人が、分からないことだらけの中、聞けば答えが返ってくるそのノウハウがあることが何よりも心強い。勉強のつもりで、なるべく自分でやるようにしているのだが、作業が遅いのでなかなかそういうわけにもいかないのが歯がゆいところ。

 工場とノウハウがあるだけではなく、寝床と食事、ビール付きという、まさしくここ富山はパラダイス。お世話になってます。

 一昨日、昨日と連休をもらって作業を進め、ロールバーが付いて車体上部はレーシーに。が、下半分は足回りがごっそりなくて解体車の風情だったのだが、今日激しく仕事をさぼって作業を進め、他の耐久メンバーも手伝ってくれたおかげで、足回りの仮組みとブレーキを付けることができた。これで、なんとなく車っぽくなったのだが、肝心のエンジンが載っかってない。ベースとなるエンジンのコンディションが悪かったから、そのまま使えなかったどころか、かなりの時間を洗浄に費やしてしまったのが敗因。

 長岡から引き取ってきてすでに1カ月。14日にある走行会でとりあえず走らせてみて、トラブルの洗い出しやざっくりとした足のセッティングをしたいと考えているのだが、さて、本当に走るんだろうか。

10月3日

 夕方に県庁を抜け出しておおとろ亭ガレージにてごそごそ作業をしていたら、ちゅうとろ君(4つ)が帰ってきた。帰ってくるなり一言、

 「犯人、まさでしょ」

「犯人、まさでしょ」

 子どもってすっごく無邪気な笑顔をしながら、どきっとすることを言う。 

 富山に来てまず第一にやったのが、場所を借りていろいろ作業をやることになるこのガレージの片づけ。いろいろなパーツが増えてスペースがなくなっていたので、棚を導入して、車をちゃんと入れることができるぐらいのスペースを確保した。が、耐久用のVスペシャルを買ってきて、幌と内装を外し、それがけっこう程度が良いものだから、とりあえずおおとろ亭ガレージに放り込んであった。せっかく片づいたのに、再びがちゃがちゃに汚したのは、まさ、お前が犯人だろう、というのがちゅうとろ君の主張。ごめん、その通りだ。

 去年当たりから、月に1、2度のペースで太平洋側から遊びに来ていたのだが、富山に引っ越してからというもの、ほぼ毎日のペースになって、ちゅうとろ君にとっては家族でもないのに、いつも顔を見る不思議な人間に映っているに違いない。たぶん、彼にとっては幼稚園で友だちと遊んで、家ではまさと遊ぶ、ってな感じの便利な存在といった認識か。

 夜、ちゅうとろ君が最近めきめきと腕を上げているグランツーリスモを披露してくれた。シャモニーの雪道をD1ドライバーばりにドリフトしながらミッドシップ4駆を操って駆け抜けていく4歳児。トラコンとかのドライバーアシストを一切オフにして、フォースフィードバックが子どもにとってはかなり重いはずなのに、適切なカウンターでスライドをコントロールする4歳児。その上達ぶりにびっくり。

 彼が本格的に練習を始めたのは、長岡のおもちゃ屋さんから達成度100%のデータをもらってきてからだったはず。いろんな車を自由に選ぶことができるようになったから「羽付きかっこいー」などと喜びながらばりばりのレーシングカーばかりを選んで運転していた。

羽付きかっこいー

 最初はオーバルコースを壁を使いながら走るのが精いっぱいだった。「お前のラインはおかしい」「アクセル踏まなきゃ車は前に進まんだろ」などと、両親からの本気指導を受けながらめきめき上達。この2週間ほどで異常なほどまでに腕を上げた。大人のプレイを見てテクニックを盗み、本当に1日1日上達していくのが分かる。子どもってすごい。

お前のラインはおかしいアクセル踏まなきゃ車は前に進まんだろ両親

 変にステアリングを操作することなく(子どもだから力的に無理)、素直な操作でコーナーの進入から車を横に向けて、適切な量と速さのカウンターステアを当てながらフルスロットルで雪道を曲がっていく。コーナーが見えてきてから対処するのではなくて、とりあえず車を横に向けてから対処するドリフト走り。画面では雪の壁が横に流れていく。

 車をどんな風にコントールしたいかのイメージがないとこんな走りはできないと思うのだが、彼にはもうそのイメージがあるらしい。すでに父親の走りを超えていて、必死こいて車を横に向けようとする父親に対し「それ違うよ」「ブレーキをもっと踏むんだよ」などと突っ込みを入れるまでになった。

それ違うよブレーキをもっと踏むんだよ

 ま、赤ちゃんのころから、車好きが入れ替わり立ち替わりやってきて、ベスモやらホットバージョン、F1、WRCなんかを見ながら、車談義をしているのを横で見ていたのだから、彼なりに学習を進めていたということだろう。

 彼のマシンはわっぱ付きのチャリンコ。昼間は、ヒマがあるとチャリンコにまたがって、敷地内を全力疾走している。普通の車好きの子どもならば「ぶー、ぶーーぅぅ」と排気音をまねて走るのだろうが、彼は違う。

 「ふぁーん、ふぁふぁーん、あーーーーーん

ふぁーん、ふぁふぁーん、あーーーーーん

 と、F1ばりのかん高い排気音をとどろかせて走っている。カーブではきちんとシフトダウンする芸の細かさ。うるさいったらありゃしない。そうかと思ったらときどき止まって、

 「ぶわん、ぶぉ、ぶぉ、ぶわわん

ぶわん、ぶぉ、ぶぉ、ぶわわん

 と、4ローターペリフェラルポートのアイドリングをしている。一番好きな車がマツダ787Bだから。

 マニアックさではそこら辺の大人には負けていない。父親も「絶対負けねー」などと意地で練習を積み重ねる。親子で同じ土俵で争っている姿は、とっても微笑ましくて理想的な関係。うらやましい。なにげにレベル高いし。

 本物のマシンに乗る日が来るのが楽しみだ。