月: 2007年7月

7月6日

 昨日、仕事場の後輩が誕生日だというので、飲み屋に行き、31アイスの鍛造誕生ケーキでお祝い。昨日中にやらねばならない仕事があったのだが、まあ、こういうときぐらいはやっぱり精一杯お祝いしてあげないといけない。

鍛造

 ふらふらに酔っぱらって、深夜。ようやく、仕事場で独りになり、さあ、仕事をやるぞとノートパソコンをいじっていたら意識を失う。ソファで横になりながら仕事をしようとしてたんだから、当然の報いである。

 起きたら午前6時ぐらい。うとうととしばらくソファで寝そべっていたらあっという間に午前8時。やばい、このままでは上司が仕事場に来ちゃう、ということで、慌てて荷物をまとめてデミオで帰宅する。

 帰宅したらやっぱり緊張がゆるむわけで再び意識を失う。ようやく起きたのが昼前。やばい、午後すぎぐらいには提出しないといけない仕事があるのだ。

 慌てたところで良い仕事ができるわけもなく、あれこれほかごとをしながらようやく提出したのが午後3時すぎ。ようやく、できたと再び横になって意識を失う。気付いたら午後6時。

 実は、今日は休みだったのだが、結局、丸一日をつぶしてしまった。

7月2日

 明け方まで飲んで寝不足だった土曜日の夜に出発。目指すは耐久レースが開催される間瀬サーキット。富山の仲間と行くので、富山経由で。

 下道で行くのに慣れてしまっているので、なんの迷いもなく国道156号、せせらぎ街道、国道41号で富山入りする。上がったバッテリーは何とか機能しているが、FCSSの画面を見ると電源電圧が13.7ボルトぐらい。ちょっと低いから交換時期かも。そういえば、10万キロぐらいで1回交換した覚えがあるが、すでに21万キロなんだから、交換した方が良いかもしれない。

 午前1時半に到着し、スターレット号の積載車の助手席に乗り、北陸道で間瀬へ。午前6時前、ゲートオープン直前に到着。

 15分でテントなどを設営して居住スペースを確保。あれこれやっているうちに午前8時の予選を迎える。

 今回から、間瀬がP-LAPとかLAP-SHOTに対応したから、タイムの記録は機械がやってくれる。紙に書き取ったり、ストップウオッチを握ったりする必要がなくなって、楽になった。その分、ドライバーにはトップからのタイム差だとか、いろいろな情報を伝えることができる。サーキットのタイム記録システムも更新されて稼働が始まったから、第1戦のときみたいに、順位が分からなくなることもない。

 予選は相変わらずレベルが高い。1分14秒台に入れないと、勝負にならない。

 60分の耐久というかスプリントレースを3本やって順位を決めるのだが、去年の成績から、ロードスターは1時間の間にドライバーを2回する必要がある。ピットレーンを走って一時停止し、ドライバー交代に20秒弱かかる。まるまる1分のハンデがあり、1周分も違うのだから、1分13秒台に入れてしまうシビック軍団に勝てるわけがない。ロードスターはRS工場すたげさんが出した1分14秒前半がベスト。

 無意味なハンデでロードスターには勝機がなく、展開としてはつまらないレースになってしまったが、そのレギュレーションの最大限に生かしたのが、オオミチスターレット号。1.5リッタークラスの車で争っている中、1.3リッターのハイメカツインカムで戦うのだが、これがあなどれない。なにせ600キロ台の車重なのだから。レース中、ロードスターと互角のタイムを出して張り合い、3ヒートの結果では、シビックに次いで2位と大金星を飾った。

 「お買い物車」でスポーツカーと張り合う爽快さ。もうすでに耐久を6戦ぐらい戦っているのだけれど、まったく壊れる気配もない。みんな「壊れないねえ」と驚いている。安く楽しむのに、良い車かもしれない。

 表彰式が午後3時半ぐらいに済み、富山に戻る。すでに寝不足は限界に達していて、積載車の助手席なのに、糸魚川からのトンネル区間で意識を失う。富山県境付近まで寝てしまった。

 レース反省会をしながら、ビールを飲みまくる。途中、意識がとぎれつつも日付が変わる直前まで飲んで就寝。

 午前4時半に起きて出勤。路面はウエット状態。高山までは調子よく走ったのだが、せせらぎ街道はヘビーウエット状態。路面を見て、水がたまっていないところにタイヤを乗せて相変わらずのペースで走り続ける。白線を踏んだり、川があったりするたびにタイヤがハイドロを起こして非常に危ないが、通勤途中なのだからペースを落とすわけにはいかない。慎重なハンドルさばきとアクセル&ブレーキングワークで。郡上八幡にさしかかるころには大雨。超ウルトラヘビーウエット路面には、超ウルトラアーリーブレーキングで対応する。国道156号は通勤で込むから高速に乗った。

 金曜からまともな睡眠を取っていないのでさすがに疲れたらしく、仕事をさぼって昼寝をしたのであった。