月: 2007年6月

6月30日

 普段はとってもジェントルな人なのだが、お酒が入った途端に目がらんらんと輝き、赤鬼のように変貌する別の部署の人が一宮に会議に来た。顔を見た途端、あきらめの境地である。

 午後10時半ぐらいから、今日で研修が終わった新人に飯を食わせていたら、零時ぐらいにやっぱり電話がかかってきた。もう5時間は飲んでいるはずなのに、赤鬼ぶりは衰えるところを知らず、元気いっぱい。はち切れんばかりの笑顔見て、覚悟を決めた。今日は朝帰り。

 本町通りのバーでビールなど。帰りのタクシーに乗ったころにはすでに明るかった。ふとんで意識を失う。

 デミオは一宮に置いてきたので、ロードスターで仕事に出ようとさっそうとキーをひねったら、うんともすんとも言わない。見事にバッテリー上がり。仕方がないので、再びタクシーで一宮に行き、デミオを取ってきて、仕事をこなす。

 下道1300キロと、自分でも気持ち悪くなるぐらいロードスターに乗った後はやっぱり反動があって、まったく乗っていなかった。バッテリー上がりはたぶん、付けっぱなしにしてあったインバーターのせい。前もやった。

 明日は、間瀬の耐久レース。今回も富山経由で間瀬入りである。月曜日は仕事なので、午前9時までには戻らねばならぬ。何かおかしい。寝る時間がどこにもない。

6月28日

 会社の研修ということで、4月に入社したばかりの若者を1週間交代で受け入れて、あれこれと教えることになった。どんな仕事でも、手取足取りのマニュアル人間は役立たないのであって、本当は何も言わないでも学んでいって、行動して欲しいのだが、そこは業務、仕方がないから一緒に行動してあれこれ教えるしかないのである。

 このサイトを始めたのが6年前なので、自ずと入社したての人たちとはちょっと年齢が離れていることはバレバレである。いつまでも駆け出し気分で責任も感じず働いていたかったのだが、そうは問屋は卸ろさないらしい。もらっている給料はあまり変化がないのに。

 どんな業界でもそうだと思うのだけれど、やっぱりいっぱしに稼ぐことができる仕事って、基本は人間関係なのだから、人それぞれでなかなか教えにくい。僕ができることと言えば、度胸を付けるぐらいのこと。なので、緊張する相手とお話をする機会をつくろうと、江南市の副市長に頼んで一席、設けてもらった。

 江南市の幹部とともに、新人を攻めて攻めて攻めまくって浴びるように飲ませてふらふらにしてやった。翌朝も早い時間の仕事を押しつけてやる。僕は仕事をすっぽかしてホテルで寝ていると予想して、それぐらいのことをする奴の方が大物だと思ったのだが、ちゃんと時間通り起きたらしく、そつなく仕事をこなしてくれていた。羽目を外してくれた方が面白いのに。物足りない。

 何だかんだとジェネレーションギャップを感じている自分がいる。

6月26日

 デミオの車高が後ろ下がり。

 車庫の整理第2弾をこの日曜日に敢行し、いらないものはことごとく叩き捨てた。最後に残ったものと言えば、ロードスター関連部品。エアコンのコンプレッサーとか壊れたオルタネーター、点火コイルなどなどが転がっている。あると思っていたデフはだれかにあげたのか、見あたらなかった。どこにやったのか、まったく記憶がない。

 部品を残して行くと、せっかく片づけたのに意味がなくなってしまうので、とりあえずデミオに積み、どこかの業者に持ち込むことに。NA8Cのトランスミッションは、この先に使うことがあるかもしれないので、車庫の一角に立てて置かせてもらう。

 B6エンジンのシリンダーブロックは、3年も放置したものなので、次期エンジンを作るにしても、たぶん使うことはないでしょうと捨てることにしてデミオに積み込む。なぜか、テンパータイヤが1本、余分にあったのも、いらないので捨てる。

 いらない諸々のパーツを積んだデミオの車高は見事後ろ下がりに。ガソリンが高くなったこのご時世に、燃費が悪いのはかなわないから、早いところどこかに持ち込まねばならない。が、あまり時間がない。

6月16日

 車庫のがらくたを片づけに実家へ。

 息子2人が出て行った実家なのだが、車庫の荷物は放置されたまま。親父と合わせて男の子3人が好き放題趣味をして、やりっ放しにしてあるものだから、ひどい有様になっていた。母親も、どれを捨てて良いのかも分からず、途方に暮れて放置しているしだい。必要なものなんてほとんどないのだけれど。

 ちょっとずつでも良いので、片づけていく。使いかけのオイル缶やら、いつ使ったかも分からないようなタッチペン、塗料缶などなど。なぜか、廃油処理箱が3箱も置いてあったので、オイル類は未開封でもそのまま処理箱へ。CRCだとかグリスだとか工具だとか、シリンダヘッドのボルトだとか、使えそうなものは確保。中には、昭和40年代ぐらいに製造されたような、床ワックスとかさび止め剤が未開封であった。開封すると、どろりと半ば固形化した内容物が出てきた。全部一気にやると大変なので一角だけ片づけて、また次の機会に回す。

 人のものだろうが容赦なくたたき捨てたのだが、NA6CEのデフとかドライブシャフトとか、アーム類、ミッションなど、一番のがらくたに見えるものは大切に取っておいたのはいうまでもない。

6月15日

 夕方、仕事で貴金属屋さんへ行った。僕の仕事は夕方が一番、忙しいので写真を一枚、撮ってとんぼ返りするつもりだったのだが、仕事を終えて貴金属屋さん、「なに、その眼鏡」と僕の顔を見て真顔で言う。

 「なんか、ゆがんでいるよね」と貴金属屋さん。「ちょっと貸して」というので、その勢いのまま眼鏡を渡す。確かに、僕の眼鏡はフレームがちょっと変わっていて、針金細工のような感じで、着けたまま寝てしまいぐにゃぐにゃと曲がって原形をとどめていなかった。自分で手で曲げて元通りにしたつもりだったのだが、プロから見たら変形しているのが一目瞭然だったらしい。

 「あー、乱視が入っているけれど、こんな状態じゃあ、効いてないね」などといいながら、手でフレームを修正する貴金属屋さん。しばらくいじって、返してくれた眼鏡は、素人目で見てもばっちり元の形に直っていた。すごい。

 「ちょっと2階に来て」と言われるがままに、2階へ。1階は時計や指輪しか置いていないのだが、2階は眼鏡コーナーになっていた。奥に招かれて、「ここに座って。眼鏡を貸して」と貴金属屋さん。眼鏡を機器にセットし、レンズの度を調査。そして、おもむろに眼鏡屋さんが眼鏡を作るときに使う視力検査用の眼鏡にレンズをセットし始めた。

 「これかけて」というので言われるがまま眼鏡をかけ、遠くのスクリーンに映る視力検査用の文字を読む。さまざまな検査をされて、視力や遠近感など目の健康に関するすべてを30分ほどで調べられてしまう。ここまできちっと視力検査をされたことは、ない。

 「じゃあ、こっち来て」とフレームが並べられているコーナーに行き「これなんか、似合うんじゃないか」などと2、3薦められる。「いやあ、まるで仕事ができる人間に見られてしまうと困っちゃうんですよ。僕には今の丸眼鏡を着けてぼーっとしている感じがちょうど良いんです」なーんて言いながら「イメチェンするなら、これぐらいかな」などと答えてしまう僕もいた。結局、眼鏡を買うことになってしまった。僕の度から言うと高いレンズが必要なので全部で52000円。

 使っていた眼鏡の修正から視力検査まで、プロのこだわりを見てしまったので、視力検査が終わったころには新しい眼鏡を作る気になっていた僕。決して、強引に買わされた訳じゃない。きちんとしたコミュニケーションや自らが持つ技をきちんと見せられてしまっては、こちらも納得して買うしかない。どんな仕事にも通じるスキルを見せつけられた気がした。仕事のついでに作ってしまった眼鏡だけれども、なかなか良い買い物をした。

 ということで、次に着ける眼鏡はちょっと冒険をしているのだ。

6月14日

 走りすぎたつけが出てしまったのか、首筋を再び寝違えた。今回は前と様子が違い、首を動かすと痛いのではなく、何をしなくても、どんな姿勢でいても右側の首筋が刺すように痛い。

 がまんできないほどではないのだが、痛みがずっとしていると、集中力もそがれて仕事をする気にすらならない。普段の僕が仕事をする気があるのか、という話は、ここでは置いておく。

 あまりにも痛くてがまんできないので、夕方に温湿布を買って張ってみた。唐辛子成分やら、カンフルやらが入っているらしく、張ってしばらくしたら張った部分の皮膚がまんべんなくひりひりして痛くなってきた。すると、その面積が広く浅い痛みで、肝心の痛みが気にならなくなったので、結果オーライで仕事をこなす。

 草津温泉ハップを入れたぬるめのお風呂で1時間ぐらい、DVDを見て過ごす。何となく、楽になったけれど、問題は朝。再び悪くなっていないことを願うばかり。

6月13日

 ホットバージョン86号。筑波ハチロクN2決戦が収められている。

 前にも書いたが、ハチロク決戦は5年ぐらい前のプライベーターがとっても格好良かった。亀田、金子のハチロクが、めっぽう速くて、壊れてまともに走れない土屋TRDをぶっちぎる。その姿にしびれたものである。

 年を重ねるごとに、だんだんシビアになっていき、今ではショップのメンテを受けた車しか、勝負にならない。筑波1分切りを果たし、素晴らしく速いのだけれど、何か、別の車が走っているよう。相当のお金もかかっているだろうし、手間と情熱さえかければ速かった時代ではなくなったことは確か。たぶん、決戦で速かったショップはそれなりの注目度があって利益も上がるはずだし、本気になるのは分かるのだけれど、なにか大人げないというか、お金次第の雰囲気が漂って、残念な気分ではある。まあ、レースの本質ってお金なんだけれど。

 ホットバージョン87号。早々と見てしまった。湾岸ミッドナイトの実写版をやる、その馬鹿さ加減がとても面白かった。

 今や、世の中がお利口になってきて、ちょっと法令違反をすれば、ぼこぼこに叩かれてしまう時代。法律違反は悪いのだけれど、制限速度がある中で、それを分かっていながら、罪悪感を感じつつぶっ飛ばすのが格好良いのであって、昔は筋道さえ立っていれば、それが大目に見られていたような、警察も目をつぶっていたような気がするのだけれど、今は違う。法令を違反したという事実が大問題となってしまい、公務員や大企業ならすぐにクビ。まったくもって杓子定規な時代になってしまった。

 そんな中、日本の公道ではあり得ない時速300キロオーバーの話をビデオにまとめてしまうのがホットバージョン、いや土屋圭一の偉大さ。本当のことなんだけれど、「いやいや、これはフィクションですから」で押し切ってしまう、その豪快さ。不良っぽさをいまだにやっているところが素晴らしい。

 日本の車文化として、100号、200号と続いていって欲しい。

6月11日

 携帯のアラームが鳴ったわけでもないのに、なぜか3時半に目が覚めて、朝のうちに走った方が順調に帰ることができるので、もう一寝入りする誘惑を断ち切って出発する。地震には気が付かなかった。

 もちろん、愛知までは下道で。何時に帰宅したのかはちょっと書けない。

 金沢行きで走ったのが500キロぐらい。東京行きで800キロ走ったので、5日間ぐらいの間に1300キロ走ったことになる。うち、高速130キロぐらい。なんか、頭の大切なねじが外れてしまっている気がする。

 そのまま仕事になだれこんで、午前中にあらかた終わらせて、午後は暇になったので仕事をさぼって髪の毛を切りに行く。そして、夜勤をこなして、そろそろ24時間連続活動になりそうなので、寝ます。

6月10日

 金沢の元ボスに金沢駅のビルにできた回転ずし屋で昼飯をおごってもらう。当日の夕方に突然電話して押しかけて、居酒屋でビールを飲みまくったあげく、家にもずかずか上がり込んで泊まっちゃったりした上に、昼ご飯までおごらせるのだから、これはもうたかりである。

 お昼を食べて別れて、今度は高岡のKさんに電話。「いまから行きますからFD乗らせてください」と一方的に通告し、高速道路であっという間に押しかけて、ガレージから最終バージョンRX-7のSpiritRを引っ張り出す。ガソリンが空に近かったから、おもむろにロードスターのトランクから携行缶を取り出して勝手に給油。ロードスターはKさんに任せて、RX-7で富山市の車屋さんに向かう。

 ロータリーどころか、ターボ車すら運転したこともないので、わくわくどきどきのドライブだったのだが、下道ではそのパワーを発揮しようもなく、不完全燃焼に終わる。高速道路かサーキットにでも持って行かなければ、本領を知ることは無理。

 アイドリングはウルトラ静か。僕のロードスターは、げほげほぶるぶると振動しっぱなしで、ミッションからはがらがらがらがらと盛大な歯打ち音がするから非常に不快。山道をいいペースで走っているときは「この車最高!」と思うのだが、町乗りではつらい。

 1、2回7000回転ぐらいまで回したが、ビーーーーンとモーターのように回るのは話に聞いていた通り。ノーマルで維持していることもあって、全体的にすごく普通の車。高回転も脳みそが変形するぐらいの加速をするかと思いきや、そこまでではなかった。速いのは確かだけれど。

 あっという間に車屋さんに到着し、あれこれ話をしているうちに「まあまあ、ビール飲んで寝ていかれ」と誘われて、100分の1秒ぐらいの刹那は「休日は今日までだし、帰らなきゃ」という考えが頭に浮かんだが、その100分の2秒後ぐらいにはケロリと忘れて、ぷしゅっとプルタブを起こしていた。

 一度始まればがんがん飲んでしまうわけで、空き缶の数に比例するように富山の夜はふけていったのであった。

6月9日

 金沢の元ボスと飲もうと、家を出たのが3時半ぐらい。さすがに、金沢に7時か8時ぐらいに着きたいのなら、下道を走っているわけにはいかなかったので、関インターから東海北陸自動車道へ。荘川まで乗った。

 国道156号では、前をのろのろ走るバスなんかを追い越しつつ、荒れた天気でウエットながらけっこういいペースで走る。白川郷を抜けて五箇山。金沢に抜ける県道は、土砂崩れで通行止めだったので、国道304号を福光方面へ走り、福光市街に入らないうちに西に向かって、医王山の麓を金沢市街に向かう県道をひた走る。

 医王山から転がり落ちるような道路を走り、あっという間に金沢。香林坊にあるオフィスに寄り、元ボスを呼び出して片町にある居酒屋でビールをがばがば飲みまくる。

 元ボスのマンションでもビールを飲み、あれこれ話して日付が変わる時間まで過ごした。元ボスが寝ちゃったので、こんなつまらない文章を書いている。

 ということで、おやすみなさい。