月: 2007年2月

2月25日

 3日連続で飲み会。

 1日目の水曜日は後輩の送別会。一宮で市役所の人たちとかと飲む。この日は夜勤だったので軽く飲んで終了。

 木曜日は江南市役所を3月いっぱいで退職する部長さんと。定休日の寿司屋をにわざわざ開けさせての一杯会。さすがに2日目になると、なんとなく胃腸の調子がおかしい。

 金曜日は東京に転勤になる同期の送別会。いろいろ世話になった人なので、とことんつきあう。とことん、飲んで歌っていたら、午前6時になってしまった。

 電車で帰っている途中、電話がかかる。仕事でミスをしてしまった。のほほんと飲んでいる場合ではなかったみたい。

2月20日

 生まれて初めてコンタクトレンズを買ってみた。

 考えてみると、生きてきた時間の半分ぐらい、眼鏡をかけていることになる。もっとも、物心付く前の時間を考えれば、眼鏡と僕ってもう切っても切り離せない感じになっちゃっている。眼鏡をかけていない自分の顔がなんとも間抜けに見えてしまうのだ。

 これまでも何度か買おうかと思ったこともある。鈴鹿で走ったときとか、減量のためにランニングしたくなったときとか。が、手入れが面倒なのがいやなのと、なにより、目に異物を入れちゃう恐怖心からとりあえず、眼鏡をかけていれば問題なかったので、こんな年齢になるまでコンタクトレンズとは無縁な日々を送ってきたのである。

 今回、どうしても買わなくてはならなくなってしまった。それは、3月2日の国府宮はだか祭に参戦するから。ふんどしして酔っぱらった男どもの群れの中に、自分もふんどしして分け入って、いくのだ。

 国府宮はだか祭りは裸の男がただ押しくらまんじゅうしているんじゃなくて、目的があってある一点に向かってなだれ込んでいるのである。

 祭り当日、参道と境内は裸男のためだけの聖域となる。僕は去年、仕事のために服を着て参道に入ったことがあるけれど、周りからの怒声がひどかった。服を着ているやつが神聖な場所に入ってはいけないのだ。裸になって清めの儀式を経た人間じゃないと基本的には立ち入っちゃいけないのである。

 裸男の目的は、「神男(しんおとこ)」にさわることなのである。さわると何かよいことがあるのか、といえば、さわることで自分の厄が神男に移り、厄落としになるのである。

 酒に酔って目が血走った神男が数千人、参道の中で手ぐすね引いて待ちかまえる中、タイミングを見計らって神男がどこからか参道に入る。神男が入る場所は毎年変わり、極秘事項である。神男にさわるのが目的で裸になっているのだから、みんな神男に大挙して押し寄せる。ただでさえ、満員電車並の込み具合なのに、ある一点に向かって押し寄せる姿を想像してほしい。中に入ってしまうと、息もできないぐらいの圧迫を受けるし、下手して転んでしまった日には、踏みつけられて死んでしまうかもしれない。

 そういうデンジャラスなお祭りなのだが、もっとも危険が危ないのが神男。まさしく、群衆の圧力の中心にいて、普通にタッチするだけならかまわないけれど、酔っぱらいもいる。無理矢理手を伸ばしたり、飛び込んだりしてくるやつもいる。参道に入って、ゴールの儺追殿(なおいでん)に抱え上げられるまでの1時間で、前身打撲を負って動けない状態になってしまうのである。鉄鉾会(てっしょうかい)
という神男OBの会がボディーガードを務めるのだが、それでも最後にはほぼ意識不明の状態で儺追殿に引きずりあげられるのである。

 で、そんな危険なところにふんどししめて突入することになった。好きで行くのではなく、仕事なのである。群衆の中で何が起きているかを見てこなくてはならない。

 場所は、将棋倒しよりももっと状況が悪い場所。眼鏡なんかしていたら危険この上ない。僕は眼鏡を外すとまったく何も見えなくなるので、仕事をちゃんとしたかったらコンタクトを買うしかないのである。

 で、江南市内の眼科に行ってコンタクトを買う。眼科だから親切丁寧に説明と装着指導をしてくれた。入れようとすると、無意識に目を閉じてしまったり、頭が後ろにのけぞったりする。何とか入れて診察を受けて無事購入。1回使い捨てタイプである。慣らすために、ここ何日かはコンタクトで過ごしてみようか。眼鏡をしていない僕は、たぶんほかの人から見たら「誰?」という事態になってしまうから困った。マジックで顔に直接眼鏡のように線を書いたら、案外、自然に見えちゃうかもしれない。

 ちなみに、みんなが裸の中で、どうやって神男を見分けるか。簡単である。彼だけは本当に裸なのだ。

2月17日

 一宮の仕事場に関係者でもないのにフラリと毎日現れ、テレビを見て新聞各紙を見て帰る80近いおじいさんがいることは、ちょっと前に書いた。昔は関連会社で働いていたのだが、退職して庭師になった後も毎日夜になると来る。とにかく毎日来る。たぶん1年に350日以上。もう空気みたいな存在になっていて、仕事場のみんなも「なぜいるんだろう」という疑問を感じつつも、戦後の武勇伝だとか裏社会の仕組みだとかを聞いて感心しているのだ。

 ところが、最近ぱったりと来なくなった。選挙があるときだとか、忙しいときならばあまり気にかけないのだが、いまはそんな時期じゃない。1日だけだったらときどきあるのでよいのだが、2日来ないと「昨日も来てないよね」と心配になる。3日目には「これは異常事態だ。たぶんこれは、ここ20年は起きたことがない事態だ」というちょっとした騒ぎになった。が、奥さんの体調が悪いという話を聞いていたので「奥さんが悪くなったのかしら」と思っていた。それでも、会社に所属しているわけでもないし、ぱったり亡くなっていたらさすがに誰かから連絡が来るはずなので、気にしつつもそのまま数日が過ぎていった。来ない毎日に何となく寂しさを感じ始めた今日この頃、さすがにそろそろ自宅に電話をしようかと思っていた。

 で、今日、仕事が一段落したので後輩とともに食事へ。11時すぎに帰ってくると、出たときにはなかった傘が入り口付近に。もしかして、と思って玄関を開けると鍵が開けてある。やっぱりと思い事務所内部を見回したが、だれもいない…。あれっと思った瞬間、ソファーの上でむくっと人影が起きあがった。

 間違いなくおじいさんなのだが、首にコルセット。瞬間、なにか事故にあったことを悟る。「どうしたの?」と少々大きな声で聞いてしまった。

 10日前に、松の木の剪定をしていたとき、細い枝に足をかけてしまって、3メートルぐらいの高さから落ちてしまったのだという。最大級の尻餅を付いて、救急車で運ばれ、そのまま入院した。

 人間、70にもなると、転んだだけで手足の骨を折り、それがきっかけで寝たきりとなる場合も少なくない。んが、このおじいさんは、80を目前にしながら元気に松の木の上に登り、「上の方で作業していれば緊張しとるが、下の方に下りてくると庭師はだれしも油断する」と彼が言うその通りの理由でぶち落ちてしまった。

 ところが、骨一つ折ることなく、10日の入院だけで病院を出てきてしまった。おじいさん曰く「もう良い、こんなところにはもうおれん、と自分から出てきた」。

 3メートルの高さから落ちたら若者だって、下手をすると死ぬことさえある。それが首のコルセットだけ。年齢が年齢だけに、頸椎の1つでもつぶれてしまっても不思議じゃないのに。こりゃ、100までは楽勝に生きるな。

 「庭師が落ちたと知られたらみんなに笑われるわぃ」とがははと笑うおじいさん。病院のごはんはさぞかしおいしくなかったでしょう、と、まだ残っていた巨大ハマグリと巨大貝柱を食べてもらった。「こりゃ、また3年は長生きするぞ」とおじいさん。今の目標は3月2日にある国府宮のはだか祭ではだかになることだという。

2月16日

 職場の後輩が石川の七尾に異動になってしまった。僕は北陸に異動になったらけっこううれしいと思うのだが、七尾はちょっと北すぎる気がする。でも、ロードスターで能登半島を駆けめぐったら楽しいだろうなあ。

 で、職場の歓送迎会は月末にあるのだけれど、それだけじゃ味気ないのでパーティーを開催する。食材はいつものように、中央市場の魚屋さんにお世話になる。

 「適当に見繕って」と、もらうくせにずうずうしい注文をして、仕事をさぼって持ち場を離れ、中央市場に取りに行く。暖冬の中でも寒い日だったので、「ふぐ鍋でもしたら」とふぐキットをいただく。さばいて毒が抜いてある素人でも安心なふぐである。それに、タイラガイの貝柱を1キロほど。さらに、ハマグリをトロ箱1杯分。すでに数人で食べきれる量ではない。

 ふぐは鍋に、タイラガイは炊き込みご飯と網焼きに、ハマグリも網で焼く。

 んが、なぜか風邪気味。いつも引く風邪は、のどから来るのだが、今回の風邪は腸に来てしまった。ごちそうを目の前に、それぞれ味見をした程度で限界。残念。ハマグリや貝柱が余ったから、パスタにでもしてみようかしら。

2月10日

 パロマに続いてリンナイにも問題が起こってしまった。

 リンナイの下請けの部品工場の社長とまぶだちなので、パロマの事件後、あたふたと大変なことになったことは聞いていた。リンナイのガスコンロで、センサー付きでてんぷら油の温度が指定できる機能付きのものを持っている人がいたら、そのセンサーは江南市の社長さんの工場で作ったものである。自分もそのガスコンロを便利に使っているので、その部品を作っている人と知ってぐっと親近感が高まった。

 パロマ後、本社から調査団が来て、査察をしたらしい。もっとも、社長の工場は品質管理でまったく問題がなかったのだが。パロマの轍は踏むまいとハチの巣をたたいたような騒ぎになったようだが、問題があったとは聞かなかったので、さすがリンナイは違う、と思っていたら、今回のこの騒動である。

 火を使うってことは本来危ないことなのだから、本来、使う人が注意しなければならないことなのだろう。掘り炬燵で炭火を使っていたりとか、そんな時代はみんな火の怖さを知っていたのかもしれないが、今はボタン一つで温かいお湯が出てくる時代。危なさの認識はまったくないに等しい。亡くなった人は気の毒だけれど、最低限の注意を払っていれば、命を失うことはなかったに違いない。ま、命を奪った事件が起きたことを認識しておきながら、隠すことはやっぱり良くないのだけれどね。

 と、生意気書いている僕だが、ストーブの前でエンジンパーツをきれいにしようとパーツクリーナーを放出しまくり「ドムッ」と何度か爆発した人間だ。正論を吐く資格はない。

2月4日

 知事選挙に行った。自転車でぴゅーっと投票所に行き、送られてきた券を提出して投票用紙をもらい、鉛筆でささっと候補名を書いて、半分に折って投票箱に入れる。ここまで、投票所に入ってから30秒以内。すばやく外に出ようと思ったら、「ありがとうございます」と立会人や市職員から声をかけられた。

 一瞬、何のことか分からなかった。投票をするのは有権者の権利の行使であって、だれのためにやることではない。強いて言えば、いまの政治状況についての考えの表明である。それなのに、なぜお礼を言われなければならないんだろう。選挙管理委員会としては、投票率を上げることが至上命題であるから、それにちょっとでも貢献したことに感謝されたんだろうか。「ご苦労様でした」と声をかけられたらこちらも「お疲れ様です」と声をかけられるのだけれど。

 で、その知事選、結果は現職の神田氏が当選した。正直言って、愛知県のようなちょっと都市化が進み、民主党が強い県で、さらに柳沢発言もあって投票率が50%を超えたのに、それでも現職が勝ったというのは正直、意外。この結果は、有権者の「いまの県政でよろしく」という強い意志が感じられる。

 名古屋駅周辺にニョキニョキと高層ビルが建つし、ニュースでは「元気愛知」ともてはやされるし、ほかの地域に住んでる人には感じられないかもしれないが、この地域って結構、明るい雰囲気なのだ。ちょっと、社会を見る目があれば、儲かっているのはトヨタ関連企業ぐらいで、それほど庶民に恩恵が行き渡っていないことはすぐ分かるのだけれど、テレビやラジオがじゃんじゃんと調子の良いことを言えば、「ほかの地域よりはましなのだ」と、そのつもりになってしまうのは仕方がない。

 結果はどうであれ、県民が選んだのだから、これから4年間は神田さんにがんばってもらうしかない。たとえ選挙で別の候補に投票したからって、よりよい県をつくるためなら協力を惜しんではいけないのだ。