月: 2006年10月

10月15日

 最近、ジェット機の音がうるさい。中部国際空港ができて名古屋空港が県営になって、尾張地域は飛行機の騒音がほぼなくなり、とても静かになったのだが、木曽川をはさんだ隣の岐阜県各務原市に航空自衛隊の岐阜基地があるので、ジェット機が訓練していると、ジャンボジェットの騒音がなくなったこともあって、かなり耳障り。木曽川の近くにいると、ヘリコプターの演習をしていることもあって、相当な騒音である。

 今日も午前中からジェット機の音がとてもうるさい。北朝鮮有事に備えてかしら、などと思いつつも、日曜日の午前中から騒音をまき散らすのはいかがなものか、と独り、むかむかしていたのである。

 飛行機の騒音を感じつつ仕事をしていたら、これまでにない騒音。なんだ、と思って身構えていたら、真上をT-4の6機が三角形の編隊を組んで北から南へ通過していった。目で追っていると東方向に旋回して、ぐるりと各務原の上空に舞い戻り、煙をはき出しながら飛んでいた。なんだ、航空祭だったのか、といまごろ気が付く。ブルーインパルスのアクロバット飛行だったのだ。

 そんなことなら木曽川のほとりに立つ展望台にでも上って見たかったな、と思ったが、仕事の日だったので、問答無用で時間を拘束されてしまった。

10月14日

 後輩はプジョー206を70万円ちょっとで買ったらしい。後輩同士の話の中、もう一人の後輩が「安いね」と驚いた様子。外車だからもっと高いと思ったらしい。確かに安い方だけれど。

 2人の会話に割って入る。70万じゃ高級車でしょ、と。

 今、仕事で使っている平成10年式デミオは1年半前、95000キロで75000円で買った。本社から外れて自分の車で仕事をしなければならなくなったので、松本時代の友だちから買ったのである。10万ぐらい払えばいいかな、と思っていたら、友だちが希望価格5万円だというので、いくらなんでも5万は安いと思って間を取った。

 ロードスターと同じB型エンジン。同じエンジンなんだからできるでしょう、と、タイミングベルトも自分で取り替えた。究極的にお金を使っていない。仕事用なので維持費はある程度会社が負担するので、今ままで1年半、3万キロを走行して、車検代なども含めて維持費に20万円も使っていないんじゃないだろうか。車検代に、タイミングベルト周りの部品代に、ボディ補修材料のお金に…。車両代を含めて20万ぐらいな気がする。

 ロードスターと2台合わせて、33万キロ。どちらともぼろい。車好き、いや、車マニアともなれば、はたから見ると「よくそんな態勢でがんばっているね。よっぽどお金がないの」とでも言われそうだが、まったく不満がない。

 ロードスターがそういう車なのである。この車に乗っている限り、なかなか欲しい車ができない。実用性のあるセカンドカー(どちらがセカンドか良く分からないが)があれば、もう満足なのである。

 そういう魔力を持った車。それがユーノス・ロードスター。

10月9日

 土曜日、季節外れの秋にやる江南市の花火大会の撮影に行く。

 花火の写真は、花火の大輪だけ写っている写真は寂しい。やはり、見物客やそこにしかないランドマークを写し込む必要がある。

 江南市の場合、すいとぴあ江南、という市が税金を無駄遣いして建てた建物の近くの木曽川河川敷で打ち上げるので、必ずこの施設の展望タワーを絡めて取るのが定石。

 が、江南の花火は特色がある。打ち上げ発数が少ないので、工夫を凝らしているのだ。市民からBGMを募集し、その曲のイメージやリズムに合わせてコンピューター仕掛けで打ち上げる「音楽花火」である。

 定石通り、ランドマークとなる展望タワーと花火を絡めたいなら、市の職員が撮影に使う、あるビルの屋上に潜り込むのがベスト。が、今年は「音楽花火」を現場で見たいので、グラウンドに三脚を立てて撮影することにする。

 2500発だけのほんの小さな大会だが、近くまで行くとなかなかの迫力。7号玉になるとEOS20Dで17mmの広角レンズでも、画面に収まらないぐらい。

 んが、風が強すぎて大変。花火自体も丸く開かない上、安くて軽い三脚なので、ぶれるぶれる。しかも、リモコンのコードを忘れてしまった。

 花火を撮影する場合、シャッタースピードをbulbにセットし、シャッターボタンを押している間だけ光を移り込むようにする。単純にシャッターを開けたままにしておくと、そのほかの光がばんばん画面に映り込んでしまい、真っ白な画面となるので、大輪が開くまでは黒い下敷きをレンズの前にあてがって余分な露光をしないように調整する。デジタルの時代にきわめてアナログな操作。フィルムの時代から、花火の撮影の仕方だけはあまり変わらない。デジタルカメラは露出時間がながくなればなるほど、ノイズが画面に乗ってくるので、手早く絵を作る必要がある。

 シャッターを開けたままでカメラ本体のシャッターボタンを触れていると、それだけカメラ本体が揺れて画面がぶれてしまう原因となるので、リモコンコードは必需品となる。んが、忘れてしまった。仕方ないから、ないまま撮る。

 音楽花火は、市民からリクエストのあったBGMに合わせて、その曲をイメージした花火をコンピューターでタイミングを合わせて打ち上げるというもの。小さい花火大会だからこそ、こうした工夫が生まれてくる。これが結構、見ていて楽しい。

 が、いかんせん強風にリモコンなしの環境。もろにぶれた画面の写真ばかり。もしかして一枚も使える写真が撮れないんじゃないかしら、と不安になったが、何とか2、3枚、使えそうな写真が撮れた。

 1枚でも使えればそれでOK。我ながらいい加減なのには閉口するが、写真も評判が良かったみたいなので結果が良ければすべてはOKなのである。

10月6日

 「夜の凧あげ」をやるというので、予行演習を見に行った。

 江南商工会議所の会頭の発案で、凧に点滅するLED回路を取り付けて、夜空に揚げて楽しもうというイベント。7日の江南市民花火大会前に2時間、親子連れがこの凧揚げをする。

 目玉が大きな六角凧。7色に色が変化するLEDを40個取り付けて飛ばす。とりあえず、本番前に一度予行演習をしようということで、夕方の凧揚げを見に行った。

 縦4メートル横3メートルの巨大凧。凧揚げのひもも、直径1センチの太いロープだ。昼過ぎまでの雨もやみ、予定通り予行演習が始まる。

 凧とロープを結ぶまでに時間がかかる。きちんとバランスが合わないと、ぐるぐると回ってしまうから、慎重に調整しなければならない。で、15分ほどかけてロープを取り付けて、いよいよ凧揚げである。

 風もきちんと出てきて、走って引っ張らなくても上がるぐらいの強さ。なぜか僕はEOS20Dに望遠レンズを取り付けて、ファインダーをのぞく。僕が必要な写真はこういう場合、凧が浮き上がった直後がシャッターチャンスである。

 ぎぎっとロープが緊張し、巨大凧が舞い上がった瞬間、2回ぐらいシャッターを切る。ものすごい勢いで上昇したと思った瞬間、ぎゅっと右に旋回。ものすごい勢いで凧、地面に激突。その下にもし、人間がいたら、骨組みの竹が突き刺さりそうな勢い。非常に危険。

 背骨1本、横棒2本の竹の骨組みのうち、2本がべし折れていた。折れた竹がひっかいたおかげで、凧の皮も破れる。

 生前の凧はばっちりカメラに収められていたので僕の仕事的にはOK。地面に激突したこと以外は書くから、明日の夕方までには直してね、とその場を後にする。

10月5日

 ものを書くことについて話をしてくれ、とある行政の人から頼まれたので、仕方なく応じる。日ごろの付き合いがあるので、むげに断ることはできない。

 僕より年上ばかりの20人ぐらいに対し、お話をする。中には僕よりも経験のある人もいたのだが、そういう人はいないものと思って話をするしかない。まったく何も知らない素人を相手にした内容でお話をする。とはいっても、こちらも本気でできる限りの厚い内容に。1時間ぐらい話した。マイクがなく、さらに「耳が遠い」という人も含まれていたので、自然に声は大きくなる。1時間しゃべって若干のどが枯れた感じになる。

 こういう機会があるといつも実感するのだが、ものを書く能力と、お話をする能力、というのはまったくもって別の能力だということだ。僕は内容がある話はしたかもしれないが、人を引きつける話しぶりではなく、退屈だったかもしれない。半面、能力がある人は、それほど内容がなくても、聴衆に対して、ああ面白かった、と思わせることができるのかもしれない。

 2000年に突如長野県に現れた異星人、田中康夫は話す能力には長けていた。知事選挙を戦うミニ集会で、話の内容があったかどうかは疑問が残るが、とにかく聴衆を惹きつける話し方をした。時には「長野県を変えたい」と感極まって泣いて見せた。そこに集ったのが30人なら30人全員が熱心な選挙運動員になるぐらいの迫力があった。そして「勝手連」的な選挙活動が瞬く間に県中に広がり、知事のポストをかっさらっていった。大嫌いな田中康夫だが、その能力だけは認めざるを得ない。

 が、その後6年間で長野県民が幸せになったか、といえば、ご覧の通りである。ようやく県民が見抜き、県政が正常化した。もっとも、県民が本気になれば県のトップをすげ替えることができる、という自信を県民に付けたという功労はあるけれど。

 とにかく、書く能力と話す能力はまったく別の次元の話。書く仕事をしていると、面白く話せるに違いない、と勘違いされてしまうのだが、まったくもってそんなことないのである。