月: 2006年10月

10月31日

 「たこ焼きパーティー」をやるということで、職場のボスの家で宴会をすることになった。ボスの家、といっても職場の2つ上の階である。否応なしに仕事とプライベートが限りなく一体化される、いやな仕事だ。

 職場の後輩が結婚式に出席し、最近はやりの「カタログで選ぶ引き出物」をもらってきた。経験者が値踏みするに、たぶん2500円から3000円ぐらいの相場のものである。時計やらシェーバーやら器やら、生活用品を中心に200点ぐらいのカタログの中から、後輩は「たこ焼き器」を選んだ。「自分では絶対に買わない物」というのがその理由。いや、僕がはがきに「たこ焼き器」とペンで書き込んじゃったからかもしれない。

 1週間もしないうちにたこ焼き器が職場に届いた。住所に職場を書いたからである。なんとなく間抜けな器具が職場にさらされることになった。自然に「たこ焼きを焼こうか?」という話になる。そしてボスの号令の下「たこ焼きパーティー」が敢行されることになった。

 1回に18個焼けるのだが、いかにも安っぽくてちゃちな代物である。火力が弱く、焼き上がりまでに時間がかかるに決まっている。ボスの大号令の下に開かれるパーティーだから、関係の職場から9人ほどが集まる。15分に1回焼けるとして、15分に2個ずつしか口に入らない。1時間に8個分配されるだけでは、たぶんみんな機嫌が悪くなって非常に気まずい雰囲気になってしまうことは目に見えていた。

 ちょっと考えを巡らせればたこ焼きが焼ける量が少ないことは分かる。だったら秋の味覚のサケでも買ってきて、汗を流しながらたこ焼きを焼く後輩を尻目にちゃんちゃん焼きでもつくって舌鼓を打とうかしら、と意地悪なことを考えていた。ボスも同じことを考えていて、キムチ鍋が作りたいという。

 魚介類を使うパーティーになれば、中央市場の魚屋さんに協力をお願いするしかない。とりあえず、たこ焼きを焼くのでタコと、キムチ鍋に入れるとうまい魚介類、そしてボスからのリクエストのカニを用意してもらうように電話で伝え、快く引き受けてもらう。

 仕事をさぼってロードスターに乗り換え、名古屋高速経由で日比野の中央市場まで行き、ブツを渡してもらう。「手間がかからないようにさばいておいたから」と魚屋さん、おもむろにトロ箱を取り出してきて、ふたを開けるとタラが1匹まるっと横たわっていた。その下には秋鮭が、これまたまるっと1匹横たわっていて、鮭のお腹から取り出された筋子がビニール袋に入っていた。うまそう。

 たこ焼き用のタコなのだから、足が2、3本あればよかったのだが、こちらもたこ1匹、丸ごとのボイルが用意されていた。

 これだけでお腹が一杯だよ、と眺めていたら魚屋さん、さらに2つのトロ箱を出してきた。1つを開けると、1キロ以上はあるタラバガニが横たわっていた。軽率に、魚屋さんに「カニが食べたい」などとリクエストしてはいけない、と反省する。

 「パーティーは演出が必要。みんなが集まったところでコレをみんなに見せれば、それだけで勝ちだぜ」と魚屋さん。確かに、巨大なカニ2匹を見たら、みんな度肝を抜くに違いない。

 ロードスターの助手席にうず高くトロ箱を載せて、一宮へ。仕事をちゃちゃっと終わらせて、とりあえず、筋子を食べられるようにする。バラして洗って醤油と日本酒と塩で漬けておく。

 たこ焼きパーティーが始まり、案の定、後輩どもはたこ焼きを焼くのに四苦八苦。こちらは大量のタラと野菜をキムチ汁が煮立った鍋にぶち込み、ビールを飲んで良い気分である。

 仕事を終えた面子がそろって来る。遅々として焼き上がらないたこ焼きはないも同然。宴会の中心は、イクラにタラなのである。新鮮なイクラがあまりにもおいしかったらしく、後輩が「ごはんに載せて食べたい」と、米を買ってきた。仕方がないからといで炊飯器にセットしてやる。

 面子がそろってきたころ、ようやくたこ焼きが焼き上がり始めた。後輩どもも要領を覚えてかなりまともな仕上がり。雰囲気はなんとなくたこ焼きパーティーに傾いていく。

 そこでメインゲストの登場。ベランダに待機させていた巨大タラバガニを、おもむろに2匹重ね、「じゃーん」とみんなの目の前に出した。「ひょえ〜」と全員が歓声を上げる。「演出が大事」という魚屋さんの言葉通りである。

 食材を用意した者の責任として、巨大タラバガニをばらさなければならない。キッチンばさみを駆使して、じょきじょき足を外していく。登場した途端にバラされていくメインゲスト。そのままだと食べにくいので、殻を包丁で切って身を露出させておく。

 「うめー」とカニをむさぼり喰らう後輩ども。もはやたこ焼きは眼中にない。独りほくそ笑みながら、カニをばらし続ける。ボディーは丸ごと煮てから分解する。タラバガニのみそは食い物ではないらしい。

 結局、カニは食べきることができず、鮭もまるごと手つかず。冷凍することに。次は粕汁パーティーか。

 たこ焼きを食うつもりで来たのに、記憶に残ったのはイクラとタラとカニである。「宴会ジャック」大成功。

10月29日

 飲酒運転の後部座席に乗った。しかも、警察官の目の前で。普通なら、修羅場の状況だが、きわめてわきあいあいの雰囲気であった。

 飲酒運転が問題としてクローズアップされた今日この頃、僕ももし飲酒運転で検挙されるとクビにされかねない勢いである。特に、飲酒運転の車に同乗しているだけでも咎が及ぶのだから、警察官の前で酔っぱらい運転の後部座席に乗っているというシチュエーションは、本来ならとってもやばい状況のはずだ。

 が、僕は交通課長がいる横で、飲酒運転の車に「乗ります!」と手を挙げて車に駆け寄っていき乗り込んだ。

 江南の自動車学校が主催した、飲酒運転体験テストにおじゃましたのである。

 まず、しらふの状態で運転シミュレーターとコース上の運転を体験してもらう。教習車に教官付きで乗り込み、自動車学校が携帯電話を貸し出して、運転中にかけちゃうというおまけ付き。普段、やっちゃあいけないことを、堂々とやっているところを見てしまうと、何となくわくわくしちゃうものである。

 運転能力などを計測して、そのまま宴会に突入。警察官が見ている前で、ピザなどをつまみに、ビールや日本酒、ウイスキーに焼酎。自動車学校の校内で、普段は教官を務めて「飲酒運転は絶対ダメです」と話している人が、酒を勧めるのだから面白い。それまで、なんとなく遠慮がちで堅い雰囲気だったのが、酒の力で一気に宴会酔っぱらいモードに突入した。

 交通課の警官がおもむろに取り出したのが飲酒検知器。さすがに飲酒検問でひっかかったことはないから、間近で見るのは初めてである。アルコールを検知するガラス管の両端を割って検知器にセットし、酒臭い息を吹き込んだビニール袋をセット。真空引きをして2分間、ガラス管の中の試薬の色の変化を見る。端から徐々に赤色がアルコール分によって白色に変化していく。2分後、ガス抜きをすると、さらに反応が進む。どこまで白色に変わったかで、呼気の中のアルコール濃度が分かる仕組み。

 「あんたはもう検挙」「おまえは逮捕だ」などと、飲酒検知器を前に盛り上がる酔っぱらいたち。いよいよメーンイベントである。

 顔の赤い集団が、教習車に乗り込み、次々と走り出していく。コース内のクランクなどを普通に走っていき、最後に飛び出してきた障害物にぶつからないように急制動を掛けるテストと、スラロームテストをやる。

 で、一番勢いの良さそうな人の後部座席に乗り込んだ。「普段とまったく変わらないよ」とおにいさん。そんな言葉、信じるわけがない。

 それでも車は普通に走り出し、コース内を順調に回る。クランクとかも体が覚えているためか非常にスムーズ。ところが、点滅信号の前では、必要以上に慎重に一時停止をして左右を確認する。こうしたオーバーアクションが飲酒の一つの影響なんだろう。

 そして、最後の急制動とクランク。教官の「40キロまで加速して。アクセルを踏み込まないと速度が上がらないよ」との言葉を真に受けて、フルスロットルをくれるおにいさん。うなりを上げるエンジン。目の前のデジタルスピードメーターは軽く40キロを超えて50キロ近くまで上がる。やばい、と思ったら、前方にグローブが放り投げられて「あっ!」というおにいさんの声とともにスキール音。グローブが投げられた位置よりも5、6メートルは先に進んだ。「投げるのが遅せえよ」と声を荒げるおにいさん。が、向こうはパイロンを目印にして正確に投げているのだから、反応が遅かったのである。

 ちょっと怒りが入った酔っぱらいの運転で外周を回る。同乗者がいるときにはあり得ない突っ込みでコーナリング。こっちはもう、ドアにしがみついているしかない。

 いよいよパイロンスラローム。「できるだけ早くクリアしてね」との教官をまたまた変に理解して、アクセルを踏み込むおにいさん。急アクセル、急ハンドルのものすごい挙動で、パイロンタッチはしなかったものの、タイムなんて出るわけがない。案の定、高齢者検定のお年寄りよりも遅いタイム。気が大きくなっているのか、いちいちオーバーアクションな運転になる。

 と、身をもって飲酒運転の危険性を体験したひとときであった。が、そんな危険状態に身をゆだねながらも、「ミニサーキットみたいで楽しそうだな」と久々に訪れた教習所をロードスターで激走してみたいと考えていたことは、内緒にしておこう。

10月27日

 尾張北部は中途半端に名古屋に近いせいか、なんとなく街に活気がない。「ガチャ万」といって、織物の機会が1回、「ガチャン」と鳴れると1万円がもうかるというぐらい生産性の高い繊維産業のおかげで、一時はとても盛ったはずなのだが、繊維産業からちゃんと精密機械へと乗り換えていった長野と違い、未だに繊維に固執している一宮は繊維産業と同じく元気がない。繊維が斜陽化したときに、繊維工場の跡地でも使って大学を誘致していれば、それなりに文化が生まれたと思うのだが。

 本町商店街を歩いても、あまり面白くないなあ、と残念に思っていたのだが、最近、面白いお店を見つけた。真清田神社の近くにあるお店である。

 夜中、ラーメン屋を探して歩いていると、そのお店があった。口の中がラーメンになっていたので、心惹かれつつも入らなかったのだが、店の前に置いてあったチラシを1枚もらっていった。

 チラシを見ると、なんと、お茶漬け専門店。6、7人でいっぱいになるぐらいの狭い店舗なのに、お茶漬けだけで249種類もあるという。で、お茶漬け以外にもメニューがあって、けっこう本格的なイタリアンが味わえるというのである。

 お茶漬けとイタリアン? 混乱する頭をさらに混乱させたのがお店の名前。その名も「ニューヨーク」。名前にちなんで茶漬けを249種も用意したというわけだ。

 日本とイタリアとドイツなら戦前の三国同盟なのだが、日本とイタリアとアメリカではまったく脈絡がない。

 無意識でお茶漬けとイタリアンのお店に「ニューヨーク」という名前を付けたのなら、そのお店はちょっと続けていくことは難しいかもしれないが、ちぐはぐさを狙って付けたとしたらかなりのセンス。

 行きたくて仕方がないのだが、なかなか機会がないのが残念。

10月25日

 昨日と今日とでシートの革の張り替え作業をしていた。もちろん、平日で仕事なんだけれど、1階の事務所に居れば仕事だろう、と事務所スペースをフルに散らかして作業。作業の合間に仕事。

 張り替えといったって、Vスペシャルのシートをオークションで買って、ばらして、ぼろぼろになった運転席側のシート革と交換しただけなんだけれど。

 どんな感じの作業をしたかは、また書こうかしら。新コーナー立ち上げかな?

10月24日

 来た道を引き返す形で、軽井沢から千曲ビューラインへ。あたりはもう暗い。

 軽井沢ミーティングでは、ノーマルに和田峠を通って岡谷インターへ行ったが、独りで走っているのであれば、やはりアブノーマルな道を行くしかない。

 千曲ビューラインの旧北御牧村から立科町方面へ抜ける道に行く。なじんできた自治体名がかなり変わった。かなりの数の町村が消えている。

 白樺湖へ向かう県道へ。白樺湖からビーナスラインを経由して諏訪市内に下る。トラックが多い和田峠だとどうしてもペースが落ちてしまうから、あまり交通量が多くない方を選択する。走って面白い道でもある。

 と、車がいないことを期待したのだが、和田峠が有料道路なこともあって、トラックが走っていた。しばらく後ろで我慢して、登坂車線に行ったところで追い越す。

 白樺湖畔からビーナスラインへ。ルート選択の失敗を悟る。濃霧、いや、斜面にぶつかってきた雨雲で前がまったく見えない。数メートル先の路面のラインを見ながらノロノロと走る。崖から落ちたらしばらく見つけてもらえないだろう。

 諏訪市内に入り、国道20号を岡谷方面へ。普通の人なら迷わず高速道路なのだろうが、アブノーマルな僕は下道直行である。塩尻から国道19号ルートに向かう。

 が、予想外の事態が発生。「通行止め」の表示が。中央道の中津川と飯田間で事故が発生したらしい。

 迂回路と言えば、国道19号しかない。ただでさえ、トラックばかりで怖い国道なのに、迂回してきたトラックで交通量が増えているとなればデンジャラスが危ない。排ガスでむせ返ったようになるのもいやなので、塩尻への坂を上り始めたところでUターン。伊那谷から帰ることにする。

 雨脚がかなり強くて、前もなかなか見られない状態。ほかの車ものろのろ運転。こういうときはやはり、車があまり走っていないアブノーマルな道を選択するしかない。

 天竜川の左岸に飯田まで通じている県道がある。曲がりくねっていて、途中、幅が2メートルぐらいで落ちそうな部分があるので、ほとんど車が走っていない。

 快調に飛ばしていたら道路の真ん中にきらりと2つの光が見えたので、急ブレーキ。タヌキだ。向こうもこっちにびっくりして金縛りになり、そのまま道を横切れば良いのに来た方向に引き返すので、さらに危ない。

 駒ケ根市に差し掛かり、道幅2メートル区間へ。左は崖、右はガードレール&ところどころ崩れかけた路肩という非常にスリリングな場所である。対向車はライトで分かるので、落石と水たまりだけに注意してかっ飛ばす。

 気分はラリー。前日からすでに500キロ以上走っている疲れもあって、ランナーズハイ。というか、もう憑きものでも付いたかのようなトランス状態。

 途中、立派な角を持った鹿が道路の真ん中にたたずんでいた。こちらが近づくと路肩によけたが、左前足になにか網のようなものが絡まっていてひきずっていた。かわいそうに思うが、野生動物に近づけるわけもなく、そのまま通り過ぎる。

 順調に飯田まで到着。給油をして、再スタート。まだ通行止めは解除になっていない。

 国道153号はほとんど車もおらず、順調にかっ飛ばす。すでに5時間は走り続けているのだが、憑きものに突き動かされてひたすら走りまくる。疲れると集中力が切れ、さらに大雨が降っているとなると、それほどとばせないのだが、なぜか疲れも知らず愛知県内へ。瀬戸市の街に出るまで、息つく間もなく、ガソリンスタンドで買ったコーヒーを飲むこともなく一心不乱に走り続けてしまった。

 行きから帰りまで750キロの行程。うち高速は行きに使った60キロちょっと。久しぶりに心行くまで走りまくった。

10月23日

 さんざんビールを飲みまくってホテルに帰り、さらに500mlのビールを飲みながらF1観戦をして、「スーパーアグリがんばった」などと口走って意識を失った。かなりの量のビールを飲んだのだが、寝る前に飲んだポカリスエットが効いたのか、9時すぎに目が覚める。まだほんのりと頭痛がする中、シャワーを浴びる。

 ロードスターを開幌して、友人とともにドライブに出かける。駅前通りを走って、やまびこ道路へ。浅間温泉にさしかかり、やっぱり、松本時代の「いつもの山道」に行かねばならないと、温泉街の奥地から美鈴湖に向かう林道を上っていく。

 落葉が濡れた路面にへばりついて、かなり滑りやすそうな感じ。美鈴湖は当たり前だが変わりがあまりなかった。松本時代、よくワックスがけをしていた場所を通りすぎ、真っ青な顔をしてドアの取っ手にしがみついている友人を見ないふりをして、山道の下りを攻める。仕事中でも気が向いたら素晴らしい道を走ることができた松本時代が、非常に懐かしい。

 友人は東京に戻るので、軽井沢あたりから帰ってもらうのが良いでしょう、と東信を目指す。が、なぜか三才山トンネルは通らずに、旧四賀村から青木峠へ。天気が心配だったが、薄日も差してきて、風が心地よい。木々も黄色や赤色に色づいてちょうど見ごろ。こういうときにロードスターに乗る幸せを感じる。んが、助手席の友人は相変わらずドアの取っ手にしがみついて無言のまま固まっている。

 青木村の道の駅に寄り、上田には向かわずに南進。別所温泉に迷い込む。温泉街を見学し、再び南進。国道152号に出て、丸子町から松本時代に良く走った道に入る。

 千曲ビューラインという農道を走って軽井沢まで行くコース。信州のツーリングコースの中でも一二を争うぐらい好きな道。農道だからカーナビや地図では探しにくく、浅間サンラインのようにメジャーでもないから、ほとんど車はいない。サンラインのように一直線に走っていないから距離は長いと思うのだが、浅間山の山麓や千曲川の渓谷、さらに御牧原の台地の上の畑地などなど、見所たくさん。攻めどころもたくさん。ツーリングを楽しんでいるうちに、御代田町に到着してしまう。国道18号は通らずに、裏口のような道から軽井沢へ。

 18号バイパス沿いのそば屋で昼食。昼からどうするかを相談。どこに行くかもしっかり決めずに走りまくるのがロードスターツーリングの醍醐味である。

 軽井沢に入って天気も非常に悪いので温泉に行くことに。温泉と言えば草津の湯でしょうと、草津温泉の施設に向かう。

 天気が悪い月曜だからか、はたまた人気がないのか、ほかに入ってくる人がいなかったので貸し切り状態。

 荒れた手にかなりしみたので、どんな湯かしらと口に含むとものすごい味がした。かなり酸が強い感じ。温泉の能書きをみるとpHが1.8だって。ずっと入っていたら溶け出しそう。

 友人を軽井沢駅でおろし、帰路に就く。

10月22日

 午前3時すぎからF1の予選を観戦し、落胆してやけざけを飲んで意識を失う。起きたらすでに午後である。ま、今日は休みだから良しとしよう。

 ぼーっと過ごしていたら、松本時代の友人のブログに「暇、死にそう」との、文字が。暇なのは僕も同じ。明日も休みである。そのときの時間は午後4時半。

 携帯メールで「暇なの?」と送るとすぐに返事が。あれよあれよという間に、松本で飲むことになった。東京にいる人間と、名古屋近郊にいる人間が松本で飲む約束をするまでに1分もかからなかった。お互い、物好きである。

 いろいろ支度をして6時前に出発。友だちは午後9時前に松本着ということなので、高速で中津川まで行き、その後国道19号で松本に向かう。

 塩尻から奈良井川沿いのたんぼ道を、高速道路並みに走り抜ける。9時15分前に到着し、松本駅構内で友人を待つ。松本駅構内は改装中で、きれいになった構内にびっくり。

 ホテルにチェックインしてから伊勢町のお洒落な飲み屋へ。本当は、上土の居酒屋「またぎ」できのこ鍋かイノシシ鍋を食べたかったのだが、日曜日の午後10時前だから、やっているお店に入るしかない。ひたすらビール。

 松本なのにちゃんとした刺身が出てきたのが印象的。零時すぎに追い出されたので、公園通りのバーへ。知らない店だと思ったら7月に開店したばかりだという。ひたすらビール。

 ホテルに戻ったらちょうどF1のスタートの時間だった。ミハエルの車にいらいらしながらも、現在ホテルのベッドで観戦しながらこんなくだらない文章を書いている。

10月21日

 キヤノンレンズの手ぶれ補正って本当にすごい。

 仕事のカメラがデジタル1眼レフになって一番、重宝しているのが、ISOが任意に変えられることである。フィルム時代はISO400のフィルムがデフォルトで、ISO800を使うことはあっても1600は特別なことがない限り使わなかった。

 フィルムのISO800は、けっこうざらつき感が画面に出てしまう。トリミングするとかなり目立ってしまっていた。今使っているキヤノンEOS20Dは、ISO800でもほとんど粒状感が出ない。フィルムの800と20Dの1600が同じぐらいの感じ。いや、20Dの1600の方が目立たないかもしれない。フィルムの1600はほとんど使ったことがないから、どうだったかあまり記憶がない。

 なので、室内での撮影だと普通に800は使う。室内で動きが激しいと1600も使うことがある。30分の1でシャッターが切れれば被写体ぶれも気になるレベルにはならないので、普段の使用ではこれだけでOK。

 昨日はドラゴンズの優勝と日本一を願って、灯籠を並べるというイベントがあった。名古屋人ならば、ドラが優勝するのはうれしいのだが、なぜかいろいろと仕事も増えてしまうので、現場にいる人間にとっては複雑な気分でもある。

 真っ暗闇に浮かぶろうろくの灯。フラッシュを強烈に発光させてしまうとまったく風情がなくなってしまうので、最小限に抑えなければならない。粒状感が出てしまうのもいやなので選択したのはISO800。絞り開放で、シャッタースピード6分の1秒が適正露出だった。

 手ぶれ補正がなかったNikonF90では、まず三脚なしにはまともな写真が撮れなかったシャッタースピードである。8分の1であれば、10枚中2、3枚がなんとか使えるかな、という感じ。

 んが、EOS20Dwith手ぶれ補正で手持ち撮影したのだが、6分の1でもほとんど手ぶれが出なかった。ものすごい威力。

 Nikonの最近のレンズにも手ぶれ補正機能が搭載されているらしいので、同じレベルの撮影はできるのかもしれない。が、感度を上げた場合、D70やD200あたりの画質と比べる限りでは、キヤノンにかなりのアドバンテージがあるように思う。

10月20日

 最近、掲示板にエロ書き込みが相次ぐようになってしまった。掲示板を設けて5年ぐらいになるが、ときどき宣伝書き込みがあったぐらいで、荒らしに遭ったことはなかった。

 かなり警戒して、ネットにつながるときには頻繁に掲示板をチェックして、エロ書き込みがあったら消していたのだが、タイミング的にずれてしまうと、何時間も恥ずかしい言葉が掲示板に表示されてしまう。これじゃあいかん、と掲示板の書き込みがあってもすぐに公開せず、僕が許可したものだけ表示するように設定を変更した。

 なので、書き込んでもしばらく掲示板に反映されないことがあるかもしれない。1日1回はチェックして、まともな書き込みなら無条件に表示するので、どしどし書き込みを。

 と、書いたところで、このサイトを定期的にチェックしている人ってそんなにいないんだろうけれど。

10月17日

 オークションに吸気側288度、排気側272度のTODAハイカムが出品されていた。僕のいまのハイカムは逆でTODAの吸気272度、排気288度である。リフト量も同じなので、同じベースサークルのカムだろう。ツーリングしかしない今は排気側も272度にして、272-272のカムで回すとちょうど良い気がする。やろうと思えば288-288にもできる組み合わせ。カム2本とHLAロック16個で35000円。入札している人もいないので、この値段で手に入ったらラッキーぐらいの軽い気持ちで入札してみた。

 今のエンジンを組んでちょうど5万キロぐらいになるので、カム交換に合わせてシム調整もしようかな、とあれこれ考えているうちに、かなり本気で落札するつもりになっちゃったのである。

 今日の夜がオークション終了期限。夕方見たら、まだ入札はなかったので一番乗りで入札してみる。3、4年前ならロードスターB6エンジンのハイカムならどんどん価格がつり上がっていったと思うのだが、NCも出た今ではNA6のB6エンジンパーツははやらないのかしら、などと思いつつ、落札した気持ちでいた。

 仕事をこなし、しばらくしたら、強烈な睡魔に襲われて、事務所のソファで意識を失う。はっ、と意識を取り戻し、入札のことも忘れてしばらくぼーっとしていたら、突如、入札していたことを思い出す。

 時間はすでに終了時間ぐらい。正確には覚えていなかったので、祈るような気持ちでパソコンに向かうと「高値更新」のメールが。あわてて、オークションにアクセスすると、10分ほど前に終了していた。35500円で。

 非常に無念。