月: 2005年12月

12月29日

 東名高速の名古屋インター近くの雑木林に、ゴジカラ村というおもしろい場所がある。ここ一年ぐらい足が遠のいていたのだが、今日、ここの大将とお話をしに行った。

 午後5時からの世界、ということで「ゴジカラ」村と呼ぶ。効率を追い求め、余分のなものを切り捨て「完成」を目指すのが、企業の考え方。20世紀、企業の考え方が地域や家庭にまで入り込んでしまったために、世の中のさまざまな問題の原因になっていると、ここの大将は考える。今でこそ、残っている雑木林はゴジカラ村周辺だけだが、この地域一帯は30年前、雑木林で覆われていた。効率化が地域にやってきて、太い道路が通り、区画整理や宅地造成がされて、雑木林のほとんどは姿を消した。ここだけは余分や無駄なモノ、コトが許される「未完成」な雑木林のような場所にしよう。企業は午後5時までだから、5時以降の世界にしよう、という考えのもと、雑木林に囲まれた幼稚園や特別養護老人ホーム、福祉学園などなど、さまざまな場所が生まれていった。

 圧巻なのが、地形を変えず、木を切らず、さまざまな建物が建てられていることだ。建物を建てるとき、木がじゃまだったら、木を切り倒すのが普通だ。ここは、建物が木をよけている。例えば、建物と建物の間の渡り廊下が、木を避けて曲げて作ってあるのだ。設計上はまっすぐな渡り廊下なのだが、建設途中に木が間にあることに気づき、大将が酒を携えて大工さんを説得したり、けんかしたりで渡り廊下を変形させたらしい。木を避けて屋根に穴が空けられているので、どの建物の屋根も穴ぼこだらけなのである。建物はすべて天然素材でできていて、山小屋のような暖かみのある雰囲気がただよう。

 幼稚園もおもしろい。ここに通う100人ばかりの子どもたちは、なんのカリキュラムに従うこともなく、ただ雑木林の中で遊んで過ごす。落ちていた枝を拾ってチャンバラごっこをやっている子どもたちを見て、そういえば最近、まちなかでこういう子どもらしい子どもをみないことに気づく。先生に話を聞くと、年齢をまたいだ縦割りクラスになっているので、何かみんなでやろうとしても不可能。結局、子どもたちの本能の赴くまま、遊ばせるぐらいしかないのだという。

 ある意味、理想郷のような場所なのだが、ここも開発の波に一度は屈してしまう。ゴジカラ村のすぐ隣の雑木林が区画整理のため、ほとんどの木が切られてしまったのである。せっかく、緑で覆われた地帯であったのに、反対運動むなしく、赤土がむき出しで寒々しい景色になってしまった。

 ここでめげないのが大将のすごいところだ。昨年、地面が向きだしになったその場所に、1万本の木を植えた。横浜国立大の有名な名誉教授の指導の下に植えられた木々はほぼすべてが活着し、たった1年で腰ぐらいの高さに成長。雑木林のような雰囲気が醸し出されつつある。

 大将の妄想はとどまるところをしらず、ゴジカラ村を本当の村のようにしてしまおう、というのが今現在の計画だ。このお話を今日は聞いてきた。

 古民家のような住宅を建て、団塊の世代の人たちに住んでもらう。高いお金を払うことになるのだが、介護が付くので死ぬまで自宅で住んでいられる。こう書くと有料老人ホームみたいなのだが、すべてのサービスを付いて本人は何もする必要もなく、煩わしさもない有料老人ホームと違い、ここでは畑仕事も近所づきあいも村のメンテナンスもすべて参加しなければならない「煩わしい」場所なのである。しかし、煩わしさの中には自分の役割があり、みんなに必要ようとされていると実感することで、いつまでも張りのある生活を送ることが出来る。

 こうした住宅をまず10軒立てる。ほかにも、ホスピス付きの診療所や教会、温泉、レストランなどなど、人が暮らしていくのに必要なものを雑木林の中に作ってしまおうという壮大な計画なのだ。効率を追い求めすぎた結果、ひずんでしまった社会に対し、理想を追求して、問題提起しようという、いわば社会実験なのである。

 この一年で植えた木が生長した以外にも、足助町で壊される運命にあった古民家を3軒、移築された。一番おおきな民家は「村役場」になるのだそうだ。もう一軒は旗織り機などを置いて病気などで体が弱った人がリハビリをする場所になる。 なにせ、古民家だから、段差、すきま風だらけで、バリアフリーとは程遠い、バリアバリアした場所である。が、「昔はこうだった。この方が体を使うから良いでしょ」と、なんにも気にとめない。

 8月には新住民を受け入れる建物のモデルルームができるという。3年もたてば、植えた木は立派な雑木林となり、その中にさまざまな建物が建つにぎやかな場所になりそうだ。

 管理されない、もめごとばかりの村。それでもお年寄りは役割を持って生き生きと暮らし、子どもや障害者や若いおねいちゃんたちがたむろする。そんな場所ができあがると想像しただけでわくわくしてしまう。

12月22日

 大阪と神戸に行って来た。いずれも震災関係のお話を聞くためである。

 大阪では弁護士から欠陥住宅について聞いた。阪神大震災では犠牲者の多くが倒壊した我が家の下敷きになって亡くなった。震度7の激震だから、人間が作ったちっぽけな建物などひとたまりもないに違いないのだが、もし住宅がきちんと作ってあれば死なずに住んだ人が多かった、という点では関係者の意見が一致している。

 震災直後に現地に行った建築士の話では、やはり欠陥があって倒壊したと見られる住宅が多かったという。しかし、あれだけ大きな災害の中、自分の家がつぶれたのを欠陥のせいだと疑ってかかれた人は少ないだろう。なにしろ、ライフライン復旧の錦の御旗の下、あっという間に倒壊家屋は片づけられて更地になってしまったのだから、証拠も何も残っていない。

 片づけにくかった鉄筋コンクリートのマンションについてはいくつかの訴訟が起きている。たまたま、建築士が倒壊した木造住宅の状況を記録した書面をもっている人が住宅メーカーを訴えたところ、勝訴した事例がある。専門家でも、一件しか判例が探せなかったというぐらいだから、非常に幸運だったのには違いないが、倒産寸前のメーカーでお金がなく、一審では4000万円以上の賠償が命じられたのに、結局1000万円での和解となったという。

 神戸では、復興に携わったNPOに行った。10年前の阪神と、今回の新潟県中越地震では「都市」と「地方」という点で違いがあるという。

 地域のコミュニティーが希薄になった神戸のような都市部では、ボランティアが入り込んでもすぐに支援活動がしやすいという。しかし、今回の地震で山間部の集落のようなところに入り込む場合、地域コミュニティーが残っているものだから、ボランティアは警戒されたり、「うちの集落の問題はうちで片づける」と支援を受け入れなかったりするという。阪神大震災の教訓が生かされて、仮設住宅への移住では、集落単位で割り振ってコミュニティーを壊さないようにしたものの、山間部の村では現役で働いていたお年寄りが多く、移住はすなわち仕事を取り上げることを意味するので、今後、急激な体力の低下などのおそれがあるそうだ。そのNPOでは、仮設住宅の近くに住民が集えるサロン的な場所を設けて、お年寄りらが孤立化しないよう継続的な支援を続けていくという。水害の場合、救援ボランティアは短期集中で力仕事をすればそれで終わるのだが、震災の被災地の支援は長期に及ぶところが難しいところだ。被災者の心のケアばかりか、ボランティアの心のケアまで必要になって来るという。

 今週の月曜日、新潟の被災者を、神戸ルミナリエに招待したようだ。阪神大震災直後に鎮魂と復興を願って始まったイベントだから、その光と街の復興ぶりに勇気づけられたに違いない。また、こうした支援が新聞やテレビで被災地に伝わることで「見捨てられてはいないんだ」というメッセージを送ることにもなるという。支援では物、金、マンパワーに目が向きがちだが、こうした心のつながりも、潤いのない毎日を送っている被災者にとっては大切なのだ。

 僕は、といえば、きらびやかなルミナリエには目もくれず、タクシーで新神戸に直行。そのまま新幹線に駆け乗って、売れ残りの駅弁を食べながらあっという間に名古屋に戻った。

12月21日

 久しぶりに警察署に行った。何年か前は毎日欠かさず、一日何回も足繁く通ったものだが、最近はまったくといって行く機会がない。いや違った。そういえば、つい最近にも警察署に行ったのだった。住所が変わったので免許の書き換えに。ちょっと前には愛車の窓ガラスに黄色い地に赤く丸印が書いてある紙を貼られるいたずらをされて、それをはがしてもらうために仕方なく行ったこともあった。

 警察といっても、交通課はどちらかというと行政で司法な感じはしないから、やはり今回、刑事課に足を踏み入れ、久々に警察署という場の雰囲気を堪能してきたのであった。

 告発状を出すから付いてきてくれ、と初めて会ったばかりの人に頼まれたのだ。名古屋市内の某警察署へ行き、訪れたのは刑事課の知能犯担当。ネットオークションで詐欺に遭ったそうで、被害届を出すのが第一の目的。さらに、オークション主宰者に対して詐欺行為を放置していたのは幇助に当たるとして、告発状を提出したいのだ、とその初めて会ったばかりの人は警察官に熱弁をふるっていた。

 被害届の準備をしていた刑事は、告発と聞いて穏やかならぬ表情になった。詐欺のしかも、幇助だというのだから当たり前かもしれない。詐欺犯罪を摘発するのは大変なことなのだ。お金を取ろうと、だましそうとした意志があるかどうかを立証しなければならないからだ。ネットオークションで架空の出品をして、お金だけ取って逃げたとしても、「納品するつもりだ」「お金は返すつもりだ」と言えば、それだけで詐欺罪の適用は難しくなる。二項詐欺ならタクシー乗り逃げや食い逃げをすれば成立するから簡単なのだけれど。警官は言葉こそ選んでしゃべっていたが、「どんなに大変なのか知らないから、そんな簡単に詐欺だと言えるんだろう。これだから素人は困る」と顔に書いてあった。

 それにしても、警官の顔を見るのはおもしろい。詐欺師と向き合う知能犯担当はやはり、詐欺師のような顔になるし、強行犯相手に切った張ったの世界で生きる警官はどこか殺伐としていてすぐ分かる。やくざを相手にする暴対は、やっぱりやくざみたいな格好と表情をしている。ただ、どんな場所で働いていても、一つだけ彼らに共通する特徴がある。それは、口の利き方がどこか横柄、ということだ。

 と、つまらないことをまた書いてしまった。別の場所で毎日書いていた「日常」の更新をやめてから半年以上。日々つまらないテキストを書き連ねていると、うっぷんがたまってたまって仕方がない。前の場所とは関係ない場所で、それでも誰かに読まれるかもしれないというちょっとした緊張感のある場所で、何となく、書いてみたくなった。

12月18日

 旅行から帰ってきた翌日から出勤を命ぜられる。いや、日付が変わってから帰ったから当日か。しかも、深夜1時すぎまで拘束される夜勤をさせるところが、この家業の非人道的なところだろう。

 やっていられないから、昼過ぎまで寝てやった。のろのろと起き出して、おもむろに仕事に出かける。

 午後3時ぐらいから雪がこんこん、どころかどかどかと降り出し、ただごとでないことを察知する。夜に大切な仕事で移動しなくてはならないから、一度、家に戻ってスタッドレスタイヤに履き替えることにする。デミオだから、ロードスターのスタッドレスタイヤを取り付けることができる。んが、75000円で買ったデミオには、ちゃんとおまけでスタッドレスタイヤまで付いていたのだ。さすが雪国仕様。

 大雪の中、3トンのジャッキで片側2輪を持ち上げて、おもちゃみたいな電動インパクトレンチでナットをばきばき外して付け替える。道具があるから、両側で20分ぐらいかしら。

 そのころにはこの地域では尋常ではない積雪で、道路もまっ白である。雪国の人ならばたいした積雪ではないのだが、こちらは雪の備えがまったくない地域。まっ白な路面だろうが、ノーマルタイヤで走っちゃう人も多いから、かなり危ない。

 そういえばデミオのスタッドレスは初めて。軽いFF車のスタッドレスはどんなもんだろうと走り出して、笑いが止まらなくなった。とにかく、アクセルさえ踏んでいれば、車は思った方向に走っていく。常に緊張しながらアクセル操作をしていたロードスターとは雲泥の差である。アクセル操作で積極的に向きを変えるロードスターに対し、デミオの場合はサイドブレーキと左足ブレーキを駆使するといろいろ試すことができる。

 ほかの車が20〜30キロでのろのろ走っている中、僕のデミオだけ、雪がないかのようなスピードの走り。とにかく、雪がどれだけともっていようとも、アクセルから足を離さない限りは怖くない。交差点ごとにタックインみたいに曲がると、とても気持ちがよい。

 ABSだけはじゃまな気がする。ABSさえなければ、タイヤをロックさせるのが一番早く止まると思う。ABSがあると、ブレーキを早めにかけてロックするかどうか様子を見なければちょっと怖い。ヒューズを抜いてやろうかしら。

 夜、春日町に用事があったので、一宮の仕事場からデミオで出動。この地方にしたらとんでもない雪が積もっていたのだが、余裕の走りである。走っている車が少なかったから、もしかすると、晴天の時と同じぐらいの時間で目的地まで着いたかもしれない。

 その仕事の帰り道、前には高そうなBMWが走っていた。タイヤをみるに、スタッドレスではないのだが、意外に普通に走る。車重が重いこともあるかもしれないが、スリップ防止のデバイスのおかげかもしれない。とにかく、FR車ではないかのような発進をしてすごいな、と思って後ろを走っていた。

 んが、さしかかった交差点の信号が黄色に変わったとき、BMWの運転手、何を思ったのかアクセルを踏んだ。けっこう踏み込んだようで、BMW、きゅっとおしりを左側に振った。あわててカウンターを当てて立て直す運転手。が、アクセルがまだ踏みっぱなしである。立て直ったかに見えたBMWのリアが、今度は右側に向いた。リアが空転しているから、まだ踏みっぱなしだろう。ハンドル操作で、再びまっすぐを向いたかに見えたが、ここで運転手、アクセルを抜いちゃったらしい。リアがすっと右側に向き、駆動力を失った後輪は横滑りの状態のまま、ハーフスピンに陥る。あ、やっちゃった、と思ってみていると、今度はブレーキ。そのままくるりと一回転しておけば良かったのに。車体は横を向いたまま反対車線のガードレールに吸い込まれていった。

 そんなたいした事故ではないけれど、高そうなBMWのこと。うん十万円コースかもしれない。雪道をなめてはいけない。

 尾張北部は30センチぐらいの積雪がある。明日の朝、どんな混乱が起こるかしら。

12月17日

 ウイーンの空港でルフトハンザに乗り、フランクフルト。JALに乗り換えて成田、中部空港と帰ってきた。フランクフルトからの機内の11時間は苦痛でしかない。行きはほとんど寝られなかったので、帰りは機内サービスのビールを2本飲んで寝たら、着陸2時間前まで熟睡できた。作戦成功である。

 できたばかりの中部空港は、どうも横風の影響が強く出るらしく、空港が閉鎖になってしまって、成田からの離陸が1時間遅れ、ようやく離陸したと思ったら着陸も1回やり直すような始末。結局、予定より1時間半ほど遅くなってしまった。どうせなら名古屋空港に下りてくれればいいのに。使えない空港だ。

 ご飯を食べて帰ったら日付が変わる頃。いい加減疲れていて帰ってきたらバタンキューかと思っていたが、帰ってきたという高揚と、時差ぼけのせいか、旅行で使ったお金の計算や、ネットプリントの注文で朝まで起きていた。

 こういうサイトのお約束なのだが、ロードスター情報を。残念ながら、ドイツではロードスターを見なかった。ウイーンで夜、バスに乗っていたら、赤のNAが走っていた。翌朝、街を歩いていたら銀色のNBが路上駐車してあった。旅でロードスターを見たのは、このオーストリアの2台のみ。

夜、バスの乗っていて発見した赤のNA。スチールホイールが格好良い。

 路上駐車中の銀NB。なぜかあか抜けて見える。

 ドイツ、オーストリアではマツダがかなり健闘していて、トヨタ車と同じぐらいの比率で走っていた。よく見たのは、アクセラとデミオ。古いファミリアも良く走っていた。ホンダ、日産も走っていたが、マツダほどは多くなかった。

 ドイツは中古部品市場なんかも充実していて、古い車を大切に乗っているという勝手な思いこみがあったのだが、古いワーゲンやゴルフなんかはほとんど走ってなく、新しい車ばかりだった。環境に関心の高い国のことだから、排ガスの関係で新しい車に乗り換えるようにしているのかしら。走っていた古い車はトヨタ車、マツダ車が多かった。

 アルファロメオやプジョー、ルノーなんかは、やっぱりあちらの国の町並みにとても合っている。こちらで見る以上に格好良く見えた。