月: 2005年10月

10月27日

 デミオはオートマ。ロードスターは車検切れ。だから、もうかなりの期間、マニュアルを運転していない。たぶん、もうクラッチのつなぎ方を忘れた。

 必然的に左足が暇になる。まったく動かさない。もともと左利きだから、あまり暇だとうずうずしてくる。

 じゃ、有効に使いましょう、と左足でブレーキを踏んでみる。カートでも左足でブレーキをかけるのだから、難しいことはない。クラッチで使っていた足なので、強いブレーキを踏んで勢いよく曲がり角にさしかかると、シフトダウンしたくなるのはご愛敬。デミオのかっくんブレーキにもすぐなれて、日常運転ではすぐに問題なく踏めるようになった。

 んが、前の車の予測しないブレーキであわてて急ブレーキを踏んだとき、パニックってブレーキを踏んでいる左足を右足で踏んでしまった。

 やっぱり日常で左足でブレーキを踏んでいると、危ないかしら。

10月20日

 来月から仕事場から人が1人減ることになった。万博があって1人少ない状態で半年以上を過ごしていたので、10月からようやく普通の体制に戻ったと喜んでいたのもつかの間である。万博の間は一時的な減員だったから、そんなに苦にならなかったのだが、恒久的に減るとなると精神的ダメージも大きい。

 1人減ったとしても、仕事の質を下げるわけにいかないから、がんばって同じ質を確保するに決まっている。んが、会社側は「がんばったね」という評価はしないで、逆に「その人数でできるだから」と減らしにかかる。

 世の中、こんなもんか。

10月17日

 会社が「新しいパソコンを送る」という。今まで使っていたのはThinkpadX22。Pentium3の700MHzでメモリは256MB。確かに3年ぐらい使ってきたので、バッテリーの持ちが少し悪くなって、キーボードの文字が消えたり、コンパクトフラッシュのレバーがとれたり、いろいろ不具合は出ていたが、テキストが書けて写真を少し加工できれば仕事では用が足りるので、スペック的にはまったく不満を感じていなかったから更新の知らせは意外であった。ま、くれるというのだから断る理由はまったくない。

 で、送られてきたのがThinkpadX32。Lenovoに売却したけれど、まだIBMのマークが付いていてうれしい。んが、並べて遠くから見ると、どっちがどっちかよく分からないようなパソコンで新しくなったありがたみがない。PentiumMの1.6GMHzに512MBのメモリだからスペック的にはかなり向上しているのだが、起動や動作など体感できる違いはあまりない。それでも液晶はやっぱりきれいになった。X22の液晶を初めて見たときも、そのきれいさに感動したものだが、やっぱり日進月歩で良くなっている。

 とりあえず、会社からパソコンをもらって最初にすることはハードディスクの入れ替えである。X22をもらったときにもそうした。なぜなら、カスタマイズしまくって、激しく私用に使うので、もし「ソフトのバージョンアップをするからパソコンを見せろ」と会社から言われたら、非常に困る。HDDを入れ替えておけば、返すときもオリジナルのHDDに戻すだけで良く、データを写し損ねることもないから精神安定上も良い。

 もともと入っていた40GBのHDDを、80GBのHDDに入れ替える。日立の80GBでも15000円しない。1年半ぐらい前に、40GBを買ったときも同じような値段だった。さらにその1年半前、20GBを買ったときも、同じような値段だった。さらにその1年半ぐらい前に、10GBを買ったときも同じような値段だった。どうやらHDDはお値段据え置きで1年半で倍々ゲームで容量が増えていくらしい。

 退屈なデータ移し替え作業。Windows98ぐらいまでは単純にHDDの内容をコピーすれば良かったのだが、Windows2000からちょっと難しく、というか面倒くさくなった。丸ごとコピーしてWindowsXPは問題なく動いたのだが、なぜかOffice2003がうまく動かず、再インストールをしなくてはならなかった。動くようになったからよしとしよう。

 そういえば、と思い出したのがcentrino。無線LANが内蔵されているんだっけ、とシステムを調べてみると、デバイスを停止してあったので動かしてみると、簡単にネットワークにつながった。これまで無線LANカードをさしていたPCカードスロットが1つ空いた。めでたしめでたし。

 3年ぶりの更新だが、うれしかったことと言えば、

・液晶がきれい
・PCカードスロットが1つ空いた
・バッテリーのもちが良くなった
・無線LANの接続までの時間が格段に短くなり、感度も良くなった気がする
・USBが2.0になった

ことぐらい。新しいことができるようになったとか、劇的な変化はないのである。パソコンの販売が伸び悩んでいるのもうなずける。

10月16日

 日曜日なのに出勤。しかも一宮の仕事場で夜勤。ま、休日は暇だからと淡々と仕事して、夜10時すぎに腹が減ったから、近くの中華料理屋へ定食を食べに出かける。

 店に入ろうとしたそのとき、携帯電話が鳴る。出かけるときには仕事場の電話を携帯に転送するのだ。

 なにかしらと出てみると、怪しげな声で「市内で銃撃事件がありましたかね」というわけのわからない電話。あるわけねえだろう、と思いながらも丁寧な口調で「いや、聞いていないですけど」と電話を切ったが、やっぱり気になったので警察に聞いてみると、「いま大変なんだよ」。本当だった。

 飯もお預けで、仲間にいろいろ電話して、現場へ向かう。やくざな人が散弾銃でやられたという凄惨な事件。ばたばたと忙しくすごし、帰ったのは明け方。

10月11日

 デミオのフロントタイヤがかなり減ってきたのでローテーションすることにする。ロードスターだと普通に乗っている限り前後の減り方は同じぐらいで、激しく走ったりすると、タイヤの内側が片減りするから仕方なくローテーションするぐらい。

 3月に買ってきたときはスタッドレスタイヤがついていて、夏タイヤに付け替えるときに、減りの少ない方を前に付けた覚えがあるので、やっぱりFFは前が減りやすい。とはいえ、半年で1万キロちょっと走っていることを考えれば妥当なところか。

 実家から持ってきてある3トンのジャッキでぐわっと上げれば、前後のタイヤが同時にあがるから便利だ。安物電動インパクトを駆使して、20分もあれば作業は完了。あと1万キロぐらいはもつかしら。

10月4日

 岩倉の小学校の体育館で写真を撮ることになった。体育館の撮影で困るのが暗いわりには速い動きをとらえなければならないこと。バレーボールやバスケットボールの試合だと、フラッシュをたくわけにもいかず、感度をよくして、アンダー気味でも良いからなるべくシャッタースピードを上げてやるしかない。それでもやっぱりぶれ気味の絵になるし、そもそも普段からISO800や1600のフィルムを持っているわけではない。

 フィルム時代はほとんどあきらめていたのだが、いまはデジカメである。いつでも気の向くまま、ISOを切り替えてやればよい。雨が降りそうな天気で暗い場所がさらに暗かったのだが、1600に設定すると満足行くぐらいのシャッタースピードで撮影できた。ISOを上げたときに問題になるのが、写真に粒状感が出てくること。フィルム時代は800でもちょっとトリミングして拡大するとつぶつぶした画面で気になった。んが、デジカメは800にしたぐらいでは全然ノイズは気にならない。

 さすがに1600では、ちょっと目立つだろう、、と思ったのだが、ノートパソコンで拡大してみてびっくり。ほとんど問題がない画面で拍子抜けした。すごいぞ20D。間違いなくデジカメの方が撮影の幅が広がる。

10月3日

 江南市の小折町というところに行く用事があったから、ついでに寄り道をすることにした。マナティレーシングである。

 昔はFJとかF4とかレーシングカーを作っていたみたいだけれど、最近はサスペンションアームとか市販車のチューニングカーの製作に軸足があるみたい。ロードスターのフルピロの足回りは、雑誌なんかでみた人も多いだろう。

 で、近くを走ったのだが、一度通り過ぎてしまった。戻ってきて、みてみると、目立つ看板もあるわけではなく、小さな町工場といったたたずまいだった。寄る用事はないから、そのまま通り過ぎた。

10月2日

 「あれのお披露目だから来てよ」と、布袋のおっちゃんから電話があったから出かけていく。

 「おもしろいものがある」と、布袋のおっちゃんの紹介で、とあるお医者さんのガレージで鉄の台車を見せられたのは2か月ぐらい前。なんでも、お祭りのために山車を造っているのだという。ほとんどお医者さんのお金で作っているようなものだから、高さ7、8メートルの仏壇のように輝く立派な山車は無理なのだが、お祭りの復活のためにおもしろいことをやっているな、と感動したのである。

 その山車が完成した。鉄の台車の上に地元の大工がヒノキでさらに台を作り、さらにその上に毎年担いでいた御神輿を、担ぎ棒を外して載せた。高さ3.7メートルで、岩倉の8メートルの山車に比べたらかわいい感じなのだが、やっぱり山車である。なかなか堂々としたものだった。

 なんでも、年々祭りに参加できる大人が少なくなってきて、御神輿を担ぐのに必要な8人も確保できなくなったらしい。「一回みじめな思いをしてもらおう」とお医者さんは昨年、担げなくなったのだからと、御神輿をリアカーに載せて神社まで運ばせた。他の町会はきちんと担いできているのに、一町会だけリアカーなんだから、相当恥ずかしい思いをしたに違いない。

 「どん底を味わってもらって、改めてやる気を出してもらおう」と、今年はその御神輿を改造して山車にした。鉄の台車には、鋳物の鉄ホイールに、堅いゴムを巻いた特性のタイヤがついている。台車は、立派な金の刺繍がしてある幕で覆われているから、鉄だとはわからない。タイヤのおかげで子供2、3人でも押せば転がるが、ステアリングがついている訳ではないから、曲がり角では大人が数人で山車を持ち上げて曲げてやる必要がある。やっぱり、みんなで苦労して力を合わせる場面がないとお祭りにはならない。

 こうした試みから人と人との絆が固くなり、地域が再生していくきっかけになるんだろう。将来は子供にお囃子も覚えさせたいという。新しく生み出したお祭りがどんなふうに成長していくか、楽しみである。

 お披露目が終わった山車は解体されて再びお医者さんのガレージへ。僕の目は、終始同じガレージ内に止まっていたモーガンに注がれていたのは秘密である。

10月1日

 秋の花火が江南であったので、初めて20Dで撮影。デジタル一眼レフの場合でも、フィルムと同じような撮り方になるのだが、一つ気を付けなければならないのが、シャッターを開けたままにしておくと、画面にノイズが乗ってくることである。同じ会社のカメラマンの同期に電話して聞くと、「1分ぐらいが限界では」とのこと。

 そういえば、リモートレリーズをまだ買っていなかったので、カメラのキタムラに行くとちゃんと在庫してあった。バルブ撮影、と言って、シャッターボタンを押している間中、シャッターが開いている状態にしておくモードで撮影するのだが、カメラ本体のシャッターボタンに長時間触れていると、どうしても体からカメラに振動が伝わって、絵がぶれてしまう。これを避けるために、使うのがリモートレリーズ。シャッターボタンの有線リモコンと考えればわかりやすい。

 撮影するのは木曽川近くにある「すいとぴあ江南」という場所で開かれる江南市民花火大会。あまり協賛金が集まらなくて、打ち上げる数が少ないため、市民から音楽をリクエストしてもらって、音楽のリズムに合わせて打ち上げをする、ちょっと変わった大会である。市の職員にごり押しして、すいとぴあ江南の展望タワーと花火を重ねることができる近くの企業のビルの屋上の撮影ポイントを押さえる。

 20Dを仕事場に放置してあった三脚に固定して、構図を決める。縦位置。ISOは100で。絞りは11ぐらいか。ここら辺の数値をいい加減にすると、すべての花火が白っぽく写ってきれいな写真にはならない。

 基本的にリモコンボタンで押している間に打ち上がった花火が画面に写る。だが、1発だけ写っていても迫力が足りない寂しい写真になるので、しばらく開いておいて、1コマに何発かを重ねて撮影する。大きな花火大会だと、打ち上げ場所が何カ所かあって、うまいこと重ねられるのだが、小さな花火大会だと、打ち上げ場所がほとんど1カ所で同じ場所で花火が開くことが多い。すると、何発重ねても同じ場所で重なってしまうので1発の花火に見えてしまうから迫力がなかなか出ない。今日の花火大会もそんな感じ。

 何発かを重ねようとするときに、シャッターを開けっ放しにすると、この写真の場合だと手前のタワーが明るいので、開く時間が長くなれば長くなるほど白くなり、夜空も白っぽくなっていく。それでも何発かを重ねたければ、開く時間を長くするしかない。こういうときに使う秘技が「黒い下敷き」である。シャッターを開きっぱなしにしておいて、1発花火を写し込んだら、シャッターはそのままに、レンズの前を黒い下敷きで覆う。こうすれば余分な光は入らないから、比較的長い時間シャッターを開いておくことができ、重ねる花火を多くすることができる。別に下敷きでなくても黒いうちわでも良いのだけれど。

 それにしても、打ち上げる花火の数が少ない。少なすぎる。しかも、同じ場所で同じような花火を打ち上げることが多く、写真にならない。スターマインになると、突然豪快に打ち上げるので、花火がたくさん重なって真っ白になってしまい、写真にはならない。

 結局、良い感じの写真はあまり撮れなかったので、形だけ良いカットを選んで提出しておく。形が好きなカットはこれなんだけれど、色がない。