月: 2005年6月

6月5日

 AEDというハイテクの固まりの救命器具の講習会をのぞいた。

 日本語では、自動体外式除細動器。普段慣れないランニングをしたり、ギャンブルで大当たりしてびっくりしたとき、あふっとぶっ倒れて意識を失うことがある。そのまま死んじゃう場合の多くは、心臓に原因があり、心臓がけいれんを起こして血を送れない心室細動という病気だという。放置すると10分で死んでしまうらしい。

 心室細動を起こした心臓に正気に戻ってもらう唯一の方法が電気ショック。AEDは自動の名の通り、でっかい電極を胸に2枚張れば、勝手に心電図を取って電気ショックが必要なのかどうかを判断してくれる。「患者から離れて」などと音声で案内をするので、小学生でも使用が可能なほど簡単になっている。すごいハイテクだ。

 救急車に装備されていたぐらいだったのが、昨年から一般の人も使っても良いことになって一気に普及した。皇室の人が心室細動で亡くなったことも規制緩和を後押ししたに違いない。

 4月、愛・地球博の会場に2週間行っていた。グローバルループを歩いていると、200メートルおきぐらいにAEDが設置してあって、やたらめったら置いてあるなあと感じた。聞くと万博会場に100台設置してあるのだという。最低数十万はする高価な機械だから、なんでそんなに置くのか、裏でもうけている人でもいるのではないか、と勘ぐったりもしたのだが、やたらめったら置いてあるおかげで何人か命が救われた、という話しを聞き、やっぱり国を挙げてやっているイベントなのだから、それぐらい置きたくなる気持ちもなんとなく理解できたのであった。

 で、講習会。AEDを使ってやるのだと思ったら、AEDの訓練専門の機械であった。格好は同じだが、形が同じで音声が流れるだけのモックアップみたいなもの。講習があった市では、訓練用の機械は導入して一般の人に使い方を伝えるものの、本物のAEDを買う予定はまだないのだという。市民会館だとか、美術館だとか、人が多く集まる場所の目につく場所に置いてあってはじめてAEDの使い方を習う意味がある。講習だけ受けても使う機会がなければ意味がないよなあ、と微妙な思いで訓練を見ていた。

6月3日

 僕はたぶん20歳のおねいちゃんとはもはや話が合わないと思われる。それより10も下だと言葉すら通じないに違いない。

 小学校に行き、4年生の児童を見物する機会があった。10歳と言えば、がきんちょである。そういう意味でも別の生き物なのだが、より世代間の違いを感じるできごとがあった。

 作業している様子を写真に撮る。カメラ目線では使えないのでこっそりと撮るようにするのだが、最近のがきんちょは、カメラ慣れしていて、向けるとこっちを向いて、ピースしてにっこり笑う。そうされた時点でカメラを下げて別のグループを撮りに行くしかない。

 もっとずうずうしいのが、すきを突いて写真を撮ると、フラッシュで撮られたことに気づいたがきんちょが「もう一度撮ってぇ」とせがむことだ。知らない大人が、大きなカメラを向けているのである。僕の子ども時代なら、ちょっと特別な空気を感じ取って、緊張しながら作業を続けたんじゃないだろうか。ずうずうしいというか、そういう育てられ方をしたんだろう。

 緊張感がないんだなあ、と変に思うのはただ僕がおじさんになったからだろうか。

6月2日

 古いものを守ることが、これからは大切なのだと思う。

 江南市の布袋町にその昔あった、郡役所の鬼瓦がある、という話を聞いたので、見てきた。明治17年ぐらいに建てられた建物の鬼瓦である。

 その昔、町や村では能力が低いので、郡ごとに役所が置かれていた。北尾張で言えば、丹羽郡と葉栗郡にそれぞれ県の役所が置かれて統治のためのいろいろな仕事をしていたらしい。

 たぶん、明治の政府ができて間もないころ、政府の権威を見せつけるために、かなり立派な構えの建物が建てられたんだろう。それはそれは立派な建物だったという。大正、昭和の時代となり、昭和30年まで県の事務所として使われていた。が、昭和40年ぐらいに壊されちゃったという。濃尾地震でもそれほどダメージがなかったらしいので、かなり頑丈だったんだろう。そのまま残していたら良かったのに、と非常にもったいなく思う。

 その建物の鬼瓦である。大屋根の鬼瓦でなく、正面玄関の車寄せにあった鬼瓦だったのだが、それでも幅1.5メートルもある立派なものだ。役所に勤めていた人が建物を解体した業者にお願いしてもらいうけ、そのまま30年以上、家の庭にころがしてあったという。文化財が残るときって、そんなもんだ。

 布袋はそんな立派な建物が建てられるほど重要な場所だったのだが、いまは見る影もない。が、そういう土地だったという記憶を掘り起こすことや、その記憶に誇りを持つことが、これからの時代、とても重要な意味を持つことになると思う。

6月1日

 江南の商工会議所に行ったら、中心市街地を活性化させるための会議をやっていた。TMOといって、国が5、6年前に大型のショッピングセンターの建設の規制を緩和したときに、中小企業である地方の商店街の人の不満をなだめるためにとってつけて作った制度をなんとか利用できないかと話し合った会合が開かれていた。こんなことを書いたって、多くの人はなんのことか分からないだろう。

 江南市は繊維産業が盛んだった30年ぐらい前までは大変にぎわいがあったのだが、繊維の大きな工場が縮小されてからはまったくぱっとしない。江南駅前の商店街などは空き店舗率が8割を超えて、ほぼ壊滅状態。古くからある布袋商店街も、やっぱりぱっとしない。いまや、買い物と言えば、ジャスコかアピタかイトーヨーカードーかという感じで、大都市圏以外の商店街以外はだれも行かないから、全国、どこでも同じ現象が起きている。江南なんかは、名鉄に乗って20分で名古屋駅なのだから、みんな高島屋だとか松坂屋に行ってしまうので、さらに分が悪い。

 で、会議でなにを話していたかというと、国が言い訳するためにとってつけたように作った制度をなんとか生かせないかという話し合いであった。いや、なんとか生かせないかという危機感があれば良いのだが、会議自体、国から「TMOを生かす方策を考える会議のための予算」が出ていて、それをもらったから仕方なく開いているような始末である。

 で、話し合い自体も迷走。TMOという制度自体、分かりにくいし、みなさんあきらめムードが支配している。さらに、商店街を代表する人が集まっていて、そんな人は土地をたくさん持っている人であることが多く、商店街を復活させるよりも、ぶっ壊してマンションを建ててしまった方が儲かると密かに思っているのだから、斬新なアイデアが出るわけもなく、「良いアイデアがあったら聞かせて欲しい。今日は勉強させてもらいにきました」などと、まったくやる気なしのふぬけ意見しか出なかった。こんな会議を見ていてもまったくの時間の無駄だ。

 江南の街づくりのために無制限にお金を使っていい、というならば、僕なら低床の路面電車を新しく敷く。江南駅から北へ江南短大に行き、それから西に曲がって滝高校ぐらいまでひっぱり、そこから布袋方面に向かってまた江南駅に戻る環状線だ。江南団地に行く別の路線も作っても良いかもしれない。

 こんな話はまったく実現可能性がないのだが、街づくりのとっかかりには、こんな突飛なアイデアを出し合うことが大事だと思う。