月: 2005年6月

6月30日

 マウンテンバイクのような自転車で、急斜面や岩場のコースを攻めるバイクトライアルという競技がある。江南市に国内ランク3位のすごい選手がいて、なぜか会うことになった。7月下旬からイギリス、アンドラ、チェコの3カ国で試合をしてくるという。工場ラインを設計する仕事をなげうって、プロとして活動する志の高い人である。江南市の某所に自転車を持ってきてもらい、せせらぎの中にある石の上を攻めてもらう。

 自転車にまたがったままで静止するのが僕のあこがれなのだが、なかなかバランスが難しい。そこはプロ、ぴたっと静止し、そこから前輪を持ち上げてウイリーの状態になり、そのままジャンプして石から石をぴょんぴょんと飛ぶ。曲芸の域である。

 「あそこからも飛べますよ」と指さしたのは、高さ1.5メートルほどもある石製のモニュメント。さすがに自転車に乗ったままはそこには登れないが、先に人が登って、僕が自転車を手渡し、モニュメントの上で自転車にまたがる。そんな高い不安定な場所で自転車にまたがる神経がしれないが、なにしろ相手はプロであるから、そんなこと朝飯前なんだろう。

 で、そこから飛び降りる。かなりの衝撃のはずだが、うまく殺して何事もなく着地した。もうパチパチと拍手するしかない。

 すごいのだが、競技だけでは食っていけないから、自転車屋でアルバイトしつつ、遠征費用を自分でためている状態。こういう志の高い人を江南の市民が支えてあげる必要があると思うのだが。今度、商工会議所の会頭さんでもたぶらかそう。

6月29日

 夜、もしかして、と思いロードスターの車検証を見ると、ちょうど今日で車検が切れることが判明。明日までだと思っていたのに。

 ま、車検を通そうとしてもお金もないし仕方がない。普段の足はデミオに乗っ取られてしまっているので、ロードスターの出る幕がない今日この頃だから、どうしても車検を通さねばという危機感もない。Freedomとかカムとか4連スロットルとかをヤフオクで売れば車検代が出るかもしれないが、それじゃあ不動車になって車検自体が通らない。

 どうしたらいいかいろいろ考えたが、ま、いいやと放置決定。任意保険代と自動車税代がもったいないから、一時抹消でもしようかしら。

6月28日

 兄貴にもらった新婚旅行土産のオーストラリアコーヒー。さっそく飲んだのだが、なんとなくおかしい。挽いてある豆なのだが、挽き方がかなり細かい。家の近くのコーヒー豆屋で挽いてもらうと、細かく砕いたぐらいのつぶつぶなのだが、オーストラリアコーヒーは徹底的にすりつぶして粉々になっているどころか、ふわふわぐらいまで挽いてあるのである。

 なんかおいしそうじゃないし、余分な味まで出ている気がするし、オーストラリアコーヒーは変だよ、という話を、コーヒー豆屋さんにしたら、コーヒー屋さん「海外のおみやげのコーヒーはそんな挽き方が多い」と語り始め、妙に納得できる答えを教えてもらえたのである。

 それは水の違い。日本が軟水なのに対して、海外は硬水のところが多い。硬水と軟水を比べると、軟水の方がよくコーヒーが出るらしい。だから軟水で入れるなら、つぶつぶ程度まで挽いてさっと湯を通せば良く、硬水だと良く挽いた上に、時間をかけて湯を通さないとなかなか濃く出ないという。

 それが道具の差にもなっている。日本のカリタのドリッパーには穴が3つあいていて、そこから湯が落ちる。ドイツ製のメリタ(紛らわしい)のドリッパーだと穴は1つ。より湯が落ちるのに時間かかるようになっている。コーヒーミルも、カリタは砕くようなカッターで、メリタはすぱっと切る感じのカッター。

 道具の違いがあることは分かっていたのだが、そこには水の違いがあった。道具一つでも奥深い。

6月27日

 30年ぐらい前、尾張地方は繊維産業で大変なにぎわいを見せていたらしい。江南市もその例に漏れず、グンゼやシキボウの工場を中心にとっても盛っていて、中心部の古知野の町なんかはかなりにぎやかだったらしい。んが、今は見る影もなく、商店街はシャッター街になり、昼間でもだれもいないゴーストタウンのようになってしまった。日本全国、大都市以外の商店街はどこでも同じ状況なのだが、一つ、古知野の町が違うのは、行政の支援がほとんどなく、放置されてしまったことだろう。

 買い物ならジャスコやイトーヨーカドーに行けば良いと、若ければそう思うのだが、年を食うとそんなわけにもいかない。まず車を運転して行かねばならないし、食品を買うにもだだっ広い売り場を回るだけでも歩き疲れてしまう。家のすぐ近くにある商店で、顔見知りからものを買った方が本当は便利だし、じじばばが増えるこれからの時代、地元の商店街ってかなり重要になってくるはずなのである。

 んが、古知野の町は衰退しきってしまった。どうもここ数年のうちに、名古屋から電車で20分の立地を生かして、シャッターが閉まったお店なんかはぶっ壊し、マンションが何軒も立つような気がする。そうなれば最後、古知野という町があった、という記憶だけが残って後にはひょろ長いマンションが林立するだけである。

 商店街が衰退した契機の一つがやっぱり、ジャスコやイトーヨーカドーのような郊外型の大型店ができたからである。で、江南の場合は、アピタができてからかなり地元の商店街の景気が悪くなったらしい。今でこそ、小ぢんまりとして中途半端な大きさのアピタなのだが、与えた影響は大きかった。

 で、25日に、シキボウの工場跡地に、バカでっかいアピタ江南西店がオープンした。中に入っている本屋やCD屋や服屋や食品、レストラン街は、間違いなく江南市でトップクラスの売り場があるお店で、あるおっちゃんなんかは「もうこれで商店街も壊滅だわ」と尾張弁で話していた。ま、全国どこの街でもこれと似たような状況だ。

 で、テープカットには満面の笑みで市長が出ていたらしい。出るのは良いけれど、もう少し街のことを考えるべきだ。

6月25日

 松本にいたときに一緒に仕事をしていた人が飲むためにわざわざ紀伊長島から一宮に出てきた。松本時代は、ほとんど毎晩、目から「飲みに行こうぜ」光線を発してきて、それにやられていつも一緒に飲みに出ていた人である。凍えるような日にも、夏の暑い日にも、ひたすら松本のいつものショットバーでアホみたいに飲みまくった半ば「戦友」のような人であるので、夜勤で日付が変わるぐらいまでは仕事場にいなければならなかったのだが、電話で呼ばれてしっぽ振って抜け出たのは言うまでもない。

 一宮で仕事をしていたことがある人なので、5人ぐらいで飲む。ビールをがぶ飲みし、2次会はカラオケへ。歌いまくって飲み食いしまくって、気が付いたら午前1時。夜勤が終わる時間帯となっていた。

 仕事場に戻ってソファに倒れ込み、意識を失う。気が付いたら、すでに明るかった。

6月24日

 いつの時代も、先端を走っているのは商工業者の人たちかもしれない。

 ここ10年、まったく行政の活動がなかったかのような町、江南市で、商工業者が暴れ始めた。財政が悪化し、市民への負担が増えていく中、28人いる市議会議員はまず負担を求める前に自ら範を示すべきだということで、半分の14人にしちゃえ、と、なかなか正しく、それでも乱暴な意見を突きつけ、ぜんぜん議員定数を減らす動きがないものだから、署名を集めて直接請求という手続きに打って出た。

 有権者数の50分の1の署名を集めて提出すれば、議案を提出することができるのが直接請求。議案を提出したところで、自らの仕事を奪われることになる議員は否決するに決まっている。決まっているのだがそれでもまったく妥協せずに「半分に減らないと意味がない」と突っ走るところが、経営者の本能なんだろう。

 議員を半分に減らせば3億3400万円使っている議会費を半額とまではいかないけれど、かなり減らすことが可能だ。仮に1億円ちょっと浮いたとしたら、国や県のお金ももらって3億円の事業をすることができるから、お金がない市にとってはかなり大きい。んが、狙いはそこばかりじゃない。

 市議会議員は江南市の代表なのだが、実態は自分が地盤とする地域の人たちから票をもらって、地域の代表の意味合いが強い。地域の代表と言えば聞こえがよいが、次の選挙でも当選するように、いかに地元の人たちの要望を市政に反映させることができるかを考えているだけなのである。ようするに「あそこの道を直せ」「あそこに公民館を早く作れ」ということを聞いて実現しようとがんばっているだけなのである。

 議員を半分にしてしまえば、地域からの票だけじゃなく、市全体から支持を受けないと当選しない。すると、細かい地域のことばかりでなく、全体のことも考えて働くようになるでしょう、というのが本当の狙い。

 半分になることはないにしろ、危機的状況にも気づかず、のほほんと過ごしてきた人たちに喝を入れる意味はあるんだろう。

6月23日

 名古屋市のすぐ北、来年3月に北名古屋市になる師勝町というところに、歴史民俗資料館という面白い場所がある。

 一歩足を踏み入れると、そこは昭和30年代。ホーロー製の看板やら郵便ポストやらバイクの「陸王」やら、駄菓子やらタイル張りのショーケースやら、これでもかというぐらい古いものが置いてある。

 最近でこそ、名古屋周辺には「昭和食堂」や「飯場」といったなつかしさを売り物にする居酒屋が増えてきたが、ここは10年以上前から「新しい日本の原風景」のコンセプトでものを集めているから迫力が違う。昭和30年代の駄菓子屋を再現しようと思ったら、3軒ぐらいは開店できるらしい。

 さすがに僕からしたら昭和30年代のものは初めて見るものばかり。それなのに、見ると懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう。確かに、洗練されてはいないかもしれないが、温かみがあるデザイン。生活がちょうど電化されはじめた時代なので、メカヲタクにとっては初期の簡単な構造の家電製品を見るのも楽しい。

 愛知万博では、サツキとメイの家が人気らしい。子どもにとってはアニメに出てきた家がそのまま再現されているのが楽しく、大人にとってはとなりのトトロの時代背景である昭和30年代当時の生活を思い出すことができるのが懐かしく楽しいらしい。だが、1日800人しか入れないのでほとんどの人は入ることができない。

 「懐かしさ」を感じたいなら、こちらもお薦め。万博に来たとき、名古屋空港あたりに車を置いておき、帰りがけに寄っていくのにちょうど良い場所にある。

6月22日

 それはそれはバカでっかい火事だった。

 昨晩家に帰り、ご飯を食べてのんびりしようと思っていたら携帯電話が鳴る。江南と一宮で火事が起き、どうも危険物みたいだから、行ってくれ、とのことだった。仕方がないから雨の中、デミオに乗って出かける。

 燃えていたのは廃タイヤ。数本が燃えているだけなら小さな消火器でいとも簡単に消せるのだが、数万本積み上げられた山が燃えているとなると話は別。夜なのに、黒々とした煙が立ち上っているのが見えるぐらいの派手な燃え方をしていた。

 現場に着くと、さらに派手だった。EOS20Dをぶら下げて走り、近づくと、火柱が立っていた。熱気を感じながら、とりあえず、現場を一周する。とりあえず、廃タイヤを扱っている産廃業者の敷地内だけで燃えている格好だったので一安心。それでも、近くに家があって延焼しないか冷や冷やものである。

 写真を撮ろうと草むらをかき分けて火に近づこうとしたら、水路にはまった。左足のひざまでが浸かったのだが、そこに流れていたのはお湯だった。

 火は収まるどころかどんどんでかくなっていったので、これは朝まで消えないなと覚悟を決める。果たして、翌日の正午まで鎮火とはならなかった。火を前に帰るわけにもいかないから、結局徹夜。次の日も普通に仕事。

 タイヤは火勢が弱まったと見えても、くすぶり続けて、気を抜いていると再び大きく燃え出す。消防もポンプ車がフル稼働で水をかけるが、内側が燃えているのでなかなか消えない。で、活躍したのが、このタイヤ屋の重機である。火を出した責任感からか、重機で火のすぐそばまで行って、タイヤを掘り起こしていた。そのパワーに圧倒。日ごろの作業とはまったく違って、ただの破壊行為だったので、操縦していた人もかなりストレス解消になったに違いない。重機は良いね。

6月21日

 楽しみにしていたアメリカGPだったが、あまりの事態に言葉を失う。他のサーキットのすべてのコーナーは問題ないのだが、インディアナポリスのターン13だけはNG。10周以上は走ってくれるな。見方を変えれば、そこまで追い込んだ世界で戦っているということだ。それがレース。

6月20日

 月に1度か2度の「お祭り」の、しかも当番になったから、仕方なく朝6時に家を出た。

 今住んでいる江南市では、ごみの分別がやたらと細かい。週2回の可燃ごみの日に捨てられるのは、生ごみ程度で、包装紙や、トイレットペーパーのロール、紙箱などは「雑紙」として資源回収に出さねばならない。商品のパッケージなどビニールやプラスチック類もひとまとめにして資源回収に。このほか、空き缶や空き瓶、不燃ごみ、牛乳パック、発泡スチロールの食品トレー、段ボールなどなど、すべて分類して捨てなければならない。

 これぐらいなら、普通の分別なのだろうけれど、江南の場合は、捨て方に問題がある。資源ごみはすべて、各地区にあるごみステーションに持っていき、さらにごみを袋から出して用意してあるかごに分けて入れなければならない。食品に直に触れていたような包装なんかは一度洗ってはあるものの、何となく生ごみ臭い。それを袋から取り出して、すでに同じようなごみが満タンに入っていればそれを押しつぶしてから入れなければならない。いくら自分で出したごみで自分に責任があるとはいえ、さわやかな朝が台無しである。

 毎週あるのなら良いが、月に2度だけ。5月なんかは月に1度しかなかった。くそまじめに分別していると、1カ月ためるとかなりの量になる。それを手では一度に持っていけないからデミオの後部座席に満載して持っていく。

 いつもは捨てているだけだったが、今回は当番だから朝6時から1時間、ほかの人のゴミ捨てを見守っていなければならない。F1アメリカGPをライブで見ようと思っていたのだが、泣く泣く録画にしておき、朝早く起きてごみステーションへ。

 特段、何をするわけでもないから、ほかの人たちが何を捨てるのかを見ているしかない。空き缶のところに立っていれば、みなさん何を飲んでいるかが分かる。ガラガラと捨てた空き缶が、キリンクラシックラガーだったりすると、なかなか経済状況の良い家庭であり、僕なんかはガラガラと淡麗の空き缶を捨てる。またある人はドラフトワンを捨てる。酎ハイを捨てる人も。なんとなく生活が透けて見えてしまう。ある家庭からは古いミニコンポが捨てられたのだが、どこからともなく現れたおじさんが、軽トラに載せて持ち去っていった。

 ずっと見ていて分かったのだが、子どもがいるような家庭でも、僕の家よりごみが少ないところが多い。どういうことかと言えば、たぶん分別しなければいけないようなごみでも、可燃ごみとして捨ててしまっているんだろう。名古屋市に4カ月だけ住んでいたが、可燃ごみの収集と同じようにして資源ごみの収集もあり、資源ごみ用の袋にいれてごみ捨て場に置いておけばそのまま持っていってくれるから、とても楽だったし、きちんと分別もできていた。子どもがいる家庭なら、それなりの量となり、2人暮らしとは歴然と差が出る。

 あまりにも細分化させてさらに月に2回しか集めず、しかもごみを近所のみなさんに見える形で捨てさせる江南の方式は、きちっとやっているように見えても、リサイクル率なんかで比較したら名古屋市を下回っている気がして仕方がない。名古屋市でやっていたのと同じぐらいの分別をすると、2人暮らしなのに資源ごみ排出量番付で上位に載ってしまうのが現状。住民に負担を求めているわりには実効性が薄い。なんなんだこれは。