月: 2004年4月

4月19日

 非日常から離れて、日常に戻って、仕事をやらねばならない。午後から緑区のNPOに出かけて、理事長に会う。昔、卓球場だった建物を借りて、そこを子どもの居場所とする活動をしているNPOだ。休みの日だったのだが、子ども3人が「遊んで良い?」とやってきて、テニスラケットでゴムボールを打ち合う遊びに興じていた。最近の子どもは、あまり外では遊ばなくなっているのだろうか。

 「雑木林がなくなってしまったんですよ」とこの理事長。子どもが遊ぶ場所が街の中からはどんどん失われている。僕が子どもの頃、近くにはまだ雑木林があって、年齢の近い者同士が徒党を組んで遊んでいたものだが、確かにその雑木林も住宅地になってしまって今はもうない。理事長は「そうやって遊んでいない子どもたちは何かやりたいことがあっても”どうせ無理だ”と最初からあきらめてしまうんです」と話していた。

 最初からあきらめてしまうのは、子どもたちだけなのか。大人が最初からあきらめているから子どももそうせざるを得ないのじゃないか、などと考え込んでしまった一日であった。夜、久しぶりに飲む。

4月18日

 「おい、おっさん」とレース屋さんに呼ばれる。年齢の割に体力がとってもないので、「この中で一番年寄りだ」というのがその理由だ。レース屋さんはマシンを通じて僕のことはすべてお見通しだ。体力が切れれば、タイムは落ちてゆき、集中力が切れれば、スピンやコースアウトをする。タイヤに付いてきたタイヤかすを見れば、理想的なラインを走っていないことがすぐばれる。「早くコースを覚えろ」と言われるのは、そのためでもある。こっちが努力してある程度の水準に達しなければ、次のステップには進めてもらえない。

 レースの受付は前日に済ませてあった。事務局から郵送されてきた書類を渡すと、レースのプログラムやタイム計測のための発信器が手渡される。予選の前に、受けなければならないのが車検。午前7時から始まり、フォーミュラEnjoyから始まって、カテゴリごとに進んでくる。FJ1600の場合、フォーミュラだから、車の改造個所をチェックするわけじゃないので、それほど大変じゃない。それでも、シートベルトがカウルに当たってこすれている点を指摘され「ガムテープでも張って擦れないようにしておいて」と言われた。レーシングスーツ、グローブ、シューズ、バラクラバス、ヘルメット。ヘルメットは有効期限もきちんと見る。製造から10年までしかレースでは使えない。

 市場の魚屋さんやロードスター仲間が応援に来てくれた。雑談でもしてサービスしたいところなのだが、「なるべく集中力を高めるため努力しろ」と言われているので、スーツに着替えて、なるべくマシンのそばにいるようにしていた。

 車検が最後の方になってしまい、予選のコースインゲートに向かう車列に並ぶのも遅くなってしまった。FJの予選時間は他のカテゴリより5分多い15分。西コースなら10周ほど走ることができる。

 新品のタイヤで本コースにコースインするのが初めてだったから、緊張した。自分のマシンが納車されて、初めて南コースを走ったとき、コースインをしたらあっという間にスピンをした覚えがあったからだ。加減して加速してまず130R。前の車はかなりのスピードで突っ込んでいった。後ろからはまだ追いついてきていなかったので、思いっきりブレーキをかけてのろのろと立ち上がる。ショートカットもそっと曲がる。デグナー1つ目も怖い。2つ目ぐらいから、そろそろグリップし出しているのが感じられる。

 それでも、やはり最初の2、3周は無理はしない。たとえ、後ろからびゅんびゅん抜かれても。もうレースとなってしまったら、新しいことを試すことができない。その日までに培ったものを淡々とこなすだけだ。スピンしてコースアウトしてしまったら、まずいから。それにしても、まだまだ力不足であることを実感する。

 無事走り終えた。自分の結果はだいたい見当付いたのだが、半分以上がトップの1秒以内で走っていることに驚いた。とってもレベルが高い。それに引き替え、僕は3秒落ちであるから、最初からまったく勝負にならない。

 決勝は午後からだから、かなり時間がある。座ってくつろいだり、腹ごしらえをしたりする。体力が切れたらまともに走れないので、売店でカレーライスを買って食べる。朝飯の残りの、おにぎりと、ゼリーを食べたら、お腹がもたれてしまった。

 フォーミュラEnjoyのレースのスタートを見て、ダミーグリッドからフォーメーションラップ、グリッドに付いて、最後尾で旗が振られて、シグナルが点灯し、消灯してスタートだ。

 レース屋さんが「お前、何台抜くつもりだ」と質問してくる。さすがにタイム差から人を抜くことなどできないと思ったのだが、虚勢を張って「3台」と言ったら、業務命令が出た。「一台も抜こうと思うな。30台の車が一斉にスタートしてショートカットやヘアピンに一斉に飛び込んだらどうなる? 最後尾は渋滞で一時停止するぐらいになる。抜かなくても飛び出す車があるから、落ち着いて走れ」とのことだった。

 いよいよ、決勝。コースインしてまずはダミーグリッドに並ぶ。ほぼ最後尾だから、場所を探すのが楽。さすがに、こんなに後ろだと、そんなに緊張もしない。ダミーグリッドに並んで、旗が振られて、フォーメーションラップ。一周走る。それほどペースを上げないので、130Rですでに渋滞して一時停止になってしまった。それからヘアピンの後でも一時停止。スプーンの一つでも一時停止。順番にグリッドに付いていって、僕も並ぶ。すぐ後ろで旗が振られ、赤シグナル点灯。1秒ぐらいで消灯して一斉スタート。

 そっとスタートしたら、みなさん猛ダッシュを決めて(当たり前だ)一人取り残される形となってしまった。ああ、遅れちゃった、と思うも、ほとんど車の性能が同じだから、付いていくのが精一杯。最後尾をうろうろと付いていく。

 どうやって通ったのか知らないが、ショートカットでもヘアピンでもまったく渋滞がない。そのまま、普通のペースで一周を終え、130R。イン側に付いて、形だけでも前の車を牽制しようと思ったら、ショットカット手前でコース脇のクラッシュパッドに突き刺さった車が目に飛び込んできて、急ブレーキ。ドライバーがちょうど降りて駆けていくところだった。けがはなさそうだ。

 すぐに赤旗が出てレース中断。のろのろとスプーンまで走っていったら水温が80度を超える。70度ぐらいがベストだから、やばい。のろのろと車列が動いているからエンジンを切るわけにもいかない。87度ぐらいまで上がったところで、たまらずエンジンを切る。

 最後尾でしばらく並んで待っていたら、審判員が走ってきて「スタート時のグリッドに戻って」とのこと。ラッキーだ。もう一度レースがスタートからやり直しになったらしい。絶好のスタート練習になったということだ。

 10分ぐらい待って再びフォーメーションラップ。水温を下げるようになるべく低いギアで走って75度ぐらいまで下がった。これで安心して踏める。

 グリッドに並ぶ。西コースのスタートは上り坂なのだが、最後尾付近はちょうど勾配がなくなっていた。本来なら、ブレーキを踏みながらアクセルをあおって、シグナルの消灯を待たねばならないのだが、ブレーキを踏む必要がなくてアクセルに集中できた。次は、取り残されないようにしないと行けない。

 赤シグナルが点灯して、2秒ぐらいで消えた。3000回転ぐらいにキープして置いて、クラッチをジワリとつなぎ、リアが空転しない程度にアクセル開度を調整してなかなか良いスタートが切れた。

 今度も混乱なくショートカット、ヘアピンをクリアしていく。抜くことはできないから、ずっと前の車に付いていくだけである。時々、ショートカットやヘアピンでスピンした車が立ちふさがるが、前の車が回ったわけではないので、安全にパスする。遅いから、走っているうちに先ほどスピンしていて抜いた車に再び抜かれていく。

 7周目ぐらいから、前に走っていた車にも付いていけなくなってきた。スプーンコーナーがまだ攻められないので、周回をこなすごとにじわりじわりと差が開いていく。途中から、追いかける形ではなく、一人旅になった。後ろの車も見えないから、最後尾に違いない。淡々と周回を重ねる。サインボードには残りの周回数が出る。残り1周となって、今さらスピンしても仕方がないので、より慎重に走る。

 12周走り終わって、チェッカーを受ける。ふう、と一息。無理もしなかったから、無風のままゴールした。レースにはならなかったけれど、今できることをやって12周を問題なく走りきった充実感に浸る。

 ショートカットを曲がろうとしたら、オフィシャルの人が前に出てきていて、両手を振って完走を祝ってくれていた。すべてのポストのオフィシャルの人が、まだまだ遅い僕にも平等に手を振ってくれたのが、かなりうれしかった。

 2回止まって僕の後ろになってしまった、同じガレージの選手が追いついてきて、僕の左側に並んで、親指を出して来た。完走おめでとうの意味だろう。僕も手を挙げて挨拶する。

 初レースは完走、という結果。今回はレースをする、というよりもレースの手順を経験しただけにとどまった。まだまだこれからだ。

4月17日

 いよいよ、明日の初レースに向けて最後の練習である。午前8時から走行開始なので、7時すぎにサーキットに到着するように出発。道がすいていて30分早めに西コースのピットに到着すると、いつもとは様相が違い、すでに明日のレースに備えて場所取り合戦が始まっていた。たぶん、昨日のうちに運び込んだのだろう、カバーを掛けられたレーシングカーがすでに何台も止まっていた。

 完全にサーキットはレースモードになっていて、走行枠も8時からの30分はFJ専用枠。10時すぎの枠はフォーミュラEnjoy優先枠として区切られていた。確かに、フォーミュラEnjoyが普段よりも多く、FJとともに混走したらちょっと危ないだろう。

 ドライの3月7日の西コースは初めての本コースでアクセルを全開にするのが精一杯、4月4日は雨でウエット路面だったから、今日、ようやくドライ路面で思いっきり練習できると思っていたのだが、さすがにレース前日に車を壊しては意味がないので「無理しないように」というアドバイスを受けていた。まあ、無理できるほどの腕もまだないのだけれど。

 とりあえず、1本目を走る。最初にぽんとタイムが出て、そこからあまり向上しない。台数が多く、みなさんレース前で気合が入っているので、後ろを気にしながらの走行となった。朝の一本目はこんなものだろう。

 続く2枠目は、フォーミュラEnjoyが優先。FJが走れる台数が限られるので、早めにピットロードに並ぶ。確かに、フォーミュラEnjoyが多く、クリアラップを取ることが出来ない。スプーンコーナーを練習したいのだが、200Rやコーナー進入でフォーミュラEnjoyが走っていると、アクセルを抜かざるを得ず、その周はアタックができないことになってしまう。何周かは攻められたが、思うようには走れなかった。

 お昼ご飯を食べて、1時半からはFJ専用枠。困ったことに、タイムが上がらなかった。木曜から金曜にかけて徹夜したので体がくたびれていて、集中力が続いていなかったのかもしれない。「もう駄目だ」というぐらいまで疲れているわけではないのだが、本当にサーキット走行は微妙なところがある。最後の枠は「練習にならない」とのレース屋さんのアドバイスで走るのを見送り、ほかの人たちが走るのを見ていた。

 レース前日で無理はできず、サーキット自体もすでにレースモードに入っていて、枠が決められて走る台数も多い。少しでもトップグループにタイムを近づけるための練習日としよう、と考えていたのだが、ちょっと甘かった。

 タイヤを新品に付け替えてもらい、ゼッケンやステッカーを張って明日のレースに備える。

4月16日

 深夜の仕事場で付けっぱなしのNHKから聞こえてくるのは、イラクで拉致されていた3人が解放されたニュースばかり。殺害予告までされていた人が、無事帰ってきたのだから、大変喜ばしいことなのだが、素直に喜べない複雑な気分でパソコンに向かって、ぱちぱちと仕事をしていた。

 別に拉致されたフリージャーナリストの安田さんを、実は知っているのだ。知らない人がとらわれていても、遠い世界の関係ない話なのだが、顔を見知った人ともなれば、やっぱり心配になってしまうものらしい。気が気でなく、仕事にも集中できなかった。

 親しかったわけではないが、松本時代に何回も会ったことがある。初めて会ったのは1998年だ。僕が松本に行ったばかりのころ、なぜか女鳥羽川の川の中で遭遇した。信濃毎日新聞の松本本社の2、3年目の記者で、当時は水辺をテーマにした企画を書いていた覚えがある。建設会社の談合の場面を暴露した記事を書いたり、北アルプスでの環境問題、はっきり言えば、糞尿の問題を書いていたりした。

 個人的には松本市役所で遭遇したり、信州大学で夜を明かしたりと何度も顔を合わした。いつも眠そうにしていて、何を考えているのかとらえどころがない人だったが、群れないで一匹狼で仕事をする感じの人であった。親しく話をすることはないまま、僕は松本を離れ、安田さんは会社を離れていた。フリーになってイラクに行ったことは雑誌の記事で知ることになった。地元新聞である信毎に「イラクに行かせろ」と要求し、「地元とは関係ないから」と拒否されてそのまま辞めてしまったと聞くから、けっこう思い切った人だ。

 新聞にも記事が載って、組織から離れてがんばっているな、と思っていた矢先、嫌なニュースが飛び込んできた。遠く離れたこの地からは、ただただ無事を祈っているしかない。

 埼玉県出身らしいから、お互い、縁のない土地でばったり出くわして、人生のうちの一時期を近い場所で過ごしたことになる。片やイラクで遊んで仕事して捕らわれ、片や仕事をさぼってレースをしている。何たる差だ。

4月15日

 午前5時に目覚ましをかけて、確かに鳴ったことは覚えている。が、気が付いたら午前6時50分。しばらく、ぼう然としてしまったが、深刻な事態に気が付いて、素早く市場の魚屋さんに電話を入れた。「今から、向かいます」と。大寝坊である。仕事は魚屋さんが何とかしてくれた。寝不足なのに、仕事から帰ったのが午前2時ぐらいだったから、ま、仕方がないだろう。

 東名阪と名古屋高速を駆使して7時30分には市場に着いた。速すぎる。

 寝坊してしまったのでゆっくりできる朝があわただしくなってしまった。10時40分すぎののぞみに乗って新横浜に行き、八王子まで行かねばならない。ばたばたしていたら時間ぎりぎりになってしまい、のぞみに滑り込んで事なきを得た。

 本を読もうと思っていたら、意識を失ったらしく、次の瞬間に新横浜にいた。横浜線に乗って八王子へ。松本から上京したときにあずさで通ったことしかない場所である。ちょっとのどかなイメージがあったのだが、十分都会だったのでびっくりした。

 駅前のすかいらーくで人と会い、そのままとんぼ返りして午後7時には会社に戻る。今日までにやらなければならないことがあった。5月16日のスーパー耐久の前座レースの申し込み期限だったのだ。中央郵便局へ行き、書類をあれこれ書いて何とか間に合った。

 会社に戻ると上司が冷たく言い放つ。「明日の朝までに仕事を提出してくれ」。まったく手を付けていなかったので、徹夜である。人質解放のニュースを聞きながら、朝までかかって何とか仕事を終えた。土曜は練習、日曜はレースなのにこんな日々で良いのだろうか。

4月14日

 仕事をしているふりをして、鈴鹿に行ってしまった。とある方がフォーミュラEnjoyの試乗をしたので、付き添いである。

 せっかくの試乗だったのだけれど、あいにくの空模様。しかも、鈴鹿に近づけば近づくほど雨足が強まる。試乗した鈴鹿南コースは水たまりがあちこちにできるほどの悪条件だった。

 Enjoyという名だが、中身はやはりフォーミュラだ。ドライでもシビアなのに、さらにウエットとなったら大変。初体験であれば、全員がスピンしまくりに違いない。

 やっぱり、スピンをしてしまったのだが、そこは昼休みの時間を利用した試乗である。ほかに誰も走っていないから、スピンし放題、回り放題で、これはこれで気分がよいかもしれない。それでも、ちょっと攻めるとくるりと回るため、我慢の走りを強いられる。フロントに過重がかかりすぎたままステアを切り始めると、あっという間にリアが流れて、カウンターも間に合わない。だんだん慣れてきて、スピンをしなくなったのだが、ウエットに慣れる、というのは要するに我慢することであるので、1時間の間、思う存分走ったというよりは、ストレスがたまってしまったかもしれない。

 ウエットでもフォーミュラならではの非日常を味わって、満足した様子。車を借りて走って27000円なのだから、とっても安い。

4月13日

 朝っぱらから家の近くの大学病院に向かう。なぜだか分からないのだが、僕は不思議と病院に行く機会が多い。仕事でもプライベートでも。

 さらに不思議なのは、かなり頻繁に足を運ぶのだが、自分がお医者さんにかかっているわけじゃない、ということである。10年前に足を折ったとき入院して以来、健康診断か、風邪薬をもらいに行ったときぐらいしか医者に診てもらっていない。決して、看護婦さんと仲が良いだとか、そんな話があるわけじゃ、ないんだよ。

4月12日

 仕事でなぜか池袋の東京芸術劇場へ向かう。お昼すぎ到着だから、10時前ののぞみに乗らなければならない。

 東京駅から池袋へ。山手線を待っていたら、同時に京浜東北線の快速が来たからそちらに乗って田端で山手線に乗り換える。まだまだ東京には慣れないが、それぐらいの判断はできるようになった。

 東京芸術劇場ではなぜか楽屋口から入って、舞台の横を通って観客席に座った。ミュージカルを鑑賞。その後、なぜかホテルビーナスの老オカマオーナーに会った。

4月11日

 久々に、しなくてはならないことがない一日だったので昼過ぎまで寝て、ロードスターで出かけた。

 桜巡りツアーである。久しぶりにのんびりとツーリングして、骨休めをしたい。名古屋周辺の桜はすでにほとんど散ってしまっているので岐阜を目指すことにする。最初は郡上八幡周辺へ行こうと考えていたのだが、遠いから恵那峡にした。

 恵那峡の公園はちょうど桜が散り始めたころで、ダム湖の景観も良く、なかなかのものだった。ほとりでのんびりすごして、開幌状態で中津川に向かう。

 行く先々に桜が植えてあって、本当に日本人は桜が好きなんだな、と実感。中津川の街の川沿いに桜が植えてあって、遠くから見ると上流から下流へと帯のように見えてなかなか良かった。国道363号を登って岩村町に至り、瀬戸に抜けて帰宅した。途中、満開の桜の大木や、上り坂の並木道がライトアップされている場所に車を止めて、桜三昧。ソメイヨシノも綺麗だが、しだれ桜も良い。

 久々のツーリングで気持ちが良かった。が、ツーリングを楽しむには足が固すぎる。

4月10日

 鈴鹿フルコースで練習。快晴で、路面は完全ドライだ。3月7日の西コースは雪がまっていて、ちょっと湿っていた上、未体験のスピード域にまともに走れなかった。2回目の20日は、午前中が完全ドライだったものの、午後からウエット。4月4日の西コースは、一日中雨。要するに、ドライで思いっきり走った経験って、まだ少ないのである。

 4日のウエットでそこそこ走ることができて、ちょこっと自信を持っちゃったのだが、その自信はまったくあさってな勘違いであることを思い知った。朝一番の1本目、けっこう攻めているつもりなのに、一向にタイムが伸びない。前回3月20日のフルコースで走ったときよりも、遅いのだから、かなり焦ってしまった。頭から血の気が引く思いで走っていたら、トラブル発生。アクセルオフしているのに、車が前に進む。シフトアップのとき、クラッチを切っているのに、1秒ぐらいエンジン回転が落ちてこない。たぶん、アクセルワイヤがしぶくなって、スロットルの動きが悪いんだろう、と思って、ピットイン。CRC吹いてもらったら治った。やはり雨の中走った車だから、注油しないと不具合が出る。

 走行再開するも、良いところがなく終了する。総監督曰く「今日は元気がないな」。1周2分半かかるコースで与えられた時間は30分。のんびりしている暇はない。

 2本目。やっぱりタイムが伸びず。焦りまくる。

 午前中の走行を振り返り、まだまだドライ路面のスピードに慣れていないのが一番の敗因だと思う。ドライバーが勝手に車の限界を作っちゃって、それ以上の速さで走れないのだ。でも、ドライバーにしたら、怖さを抑えていっぱいいっぱいで走っているのである。

 3本目。強制的に先頭でコースインさせられる。レース屋さん曰く「荒っぽいけど、速い車に付いていくしかない」。覚悟を決めてコースイン。付いていくのだけれど、あっという間に離されてしまう。速い車に付いていったときはタイムがちょこっと上がるのだが、一人になるとぐんぐんタイムが落ちてゆく。そうして、コース上にひとりぼっちになってコーナー進入速度の指標がなくなり、怖いな、と思っていたら、逆バンクでリアが流れ、慌ててカウンターを当てるも回復できず、スピン。ぐるりと180度回ってコースアウトした。出られると思ったが、左リアタイヤがくぼみにはまって空転してしまったため、車を降りる。総監督曰く「走りを見ていたら次の周は戻ってこないと分かったぞ」とのこと。ドライバーが原因のアンダーオーバーが出まくりで、はたから見ても雑な運転だったらしい。確かに、ひとりぼっちになって怖くなったら、集中力が切れていた気がする。

 散漫な気持ちで走っていたら、それこそ高いお金を出して走っている意味がない。次の走行開始までの数十分の間に、なるべく集中する努力をする。走行前、早めにヘルメットやグローブを付けて、いすに座って気持ちを落ち着けて、次にどう走るのか、イメージをつくる。

 4本目。やっぱり先頭からのコースイン。速い車からコースインするのが普通だから、あっという間に追いつかれ、抜かれ、そして付いていけなかった。

 課題は1、2コーナーとスプーンカーブ、130R。いずれも高速コーナーですっごく怖いコーナー。特にメインストレートから1コーナーのブレーキングの最中に、ものすごい勢いで抜かれていくから、それだけ僕が遅いということになる。Dさんによると「かなり突っ込んでも大丈夫。ブレーキングしながら1コーナーを曲がっていく感じ」と聞いていた。速い人に付いていき、どこでブレーキを踏んでいるかを学ぶ。何周かするうち、明らかに前より速く進入できるようになった。体力的には3本目よりきつかったけれど、集中力は切れなかったので、冷静に走ることができる。トップの人たちより1周4、5秒落ちぐらいのタイムにまでこぎ着けた。

 赤旗中断。残り5分でコースイン。タイムが計測できるのは2周目だけである。気合を入れて走り、自力で先ほどまでのベストと同じぐらいタイムが出せた。

 3本目まではタイムがろくに上がらず、焦ってしまったけれど、4本目でようやく進歩がみられてホッと一息ついた形。今回、向上したから良いけれど、タイムが良くならなかったら、かなりへこんでいたに違いない。

 タイムを上げる過程は、自分の壁を一つ一つ乗り越えていく作業だ。壁は次から次へと現れる。たくさんの壁の向こう側に、トップグループの人たちがいる。