月: 2004年3月

3月19日

 朝から地下鉄を乗り継いで平針へ行った。僕の住む場所からの交通アクセスは最悪に悪く、藤ヶ丘駅からいったん方向が違う伏見まで行き、鶴舞線に乗り換える形になる。遠回りだ。

 平針でお勉強会に参加することになったのだ。名古屋市近郊に住む人であれば、この地名が何を意味しているかはピンと来るはずだ。なぜ、参加することになったかは大人の事情があるから詳しくは書かない。愛車のロードスターの窓にステッカーを張られたり、ドアミラーにワイヤーをかけられたりしたことがあったな、と思っていたら、お勉強会に参加することになってしまった。昔と違って規則が少し緩くなり、僕のケースだと自動車で平針まで行っても良かったらしい。

 教室のようなところで、おじいさん方の話を聞く。退屈だが、座っていればすむ話である。

 午後から、お勉強会が「実技練習」と「見せしめ」の2コースに分かれた。「見せしめ」は、実際には「社会参加活動」という名前がついているのだが、看板を持たせて道ばたに立たせ「こいつは馬鹿です」と辱めるのが実態である。公園に繰り出してゴミ拾いだったら喜んでしたのだが、「社会参加」の美名の下、恥をかかせるだけの活動には絶対参加したくなかったので、割高だったのだが実技練習を選んだのである。

 信号や横断歩道付きのミニサーキットのようなところに連れて行かれ、オートマのマークツーに乗せられた。おじさんの運転した通りに走るだけである。なぜかS字やクランクがあって、そこをぐるぐると回る。車野郎に取っては簡単すぎる内容だ。翌日は鈴鹿フルコースで激走する人間が、前日にとろとろと実技練習をしている状況がなかなか良いコントラストで面白かった。

 「ほぼ満点だけど一つ大きな欠点があった」とおじさんが言う。特にミスした覚えがなかったので何かしらと思いつつ、講評を待つ。同乗の3人の運転が終わって反省タイム。おじさん曰く、

 左コーナーでインを開けすぎだ。刺されちまうぞ!

左コーナーでインを開けすぎだ。刺されちまうぞ!

と聞こえた。おお、なんとレーシーなアドバイスだと思ったら幻聴であった。左折時に左側にもう少し寄らないと、原付が滑り込んでくるので、危険だよ、とのことだった。

 2回目にそこを気を付けて「満点に近い」との講評。それからビデオを2本見せられて、放免された。

 夜はハートランドスタジオであったgulffのライブに出かける。格好良い。

3月18日

 午前6時に市場に行かねばならなかったのに、起きたら6時20分だった。魚屋さんに電話して遅れることを伝え、東名阪、名古屋高速を通って市場へ。

 やはりいつもより1時間以上遅いこともあって、お魚が売れてしまってトロ箱の量が少ない。それでも、仕事はなんとかなった。ひとまず安心。

 ロードスター内で仕事をして、今度は野菜屋さんを訪ねる。なぜか、一緒に浜松へ行くことになっていたのだ。

 野菜屋社用車のプラッツに乗っていざ出発。この車、ETCが付いていたので、ETC初体験である。が、名古屋高速も東名も、入り口で渋滞していたから、あまりETCのありがたさを感じなかった。それでも、それぞれの料金所に10台ずつ並んでいるのをごぼう抜きしてゲートをくぐるのは気持ちが良いかも。

 渋滞のせいで、約束の時間に遅れそうだった。しかも、東名がえらく込んでいる。ハンドルをにぎる野菜屋さんもイライラが募る。どうも、運転が荒っぽい人らしく、車間距離をべたべたに詰めるわ、左側から追い越しをかけるわ、ばんばんブレーキを使うわ、なかなか怖い思いをした。浜松西インターで降りたときには、インター出口の信号がちょうど赤になるところだったのだが、信号で止まるものと思っていたらアクセルを踏み込み、交差点に進入、AT車だがシフトダウンを駆使してエンジンブレーキをかけ、急ハンドルで右折した。助手席に人が乗っていてこの運転だから、1人だとものすごいんだろう。

 浜松の温室を訪ねた。なぜかチンゲンサイをもらう。

 帰り、浜名湖サービスエリアで遅い昼メシを食べた後、怖かったので「僕が運転しますよ」と気を利かせたふりをして運転を代わってもらった。このプラッツ、1500ccなので、けっこう良い加速をする。アクセルをちょっと踏むと、ぐんと前に出る感じがある。停止状態の出だしだけなら僕のロードスターより速いかも。

 名古屋インターで運転していて初のETCを体験する。やはり、出口が込んでいて、スイスイという感じにはいかない。ゲートが開くタイミングが遅いので、どうしてもブレーキをかけてしまう。たぶん、50キロぐらいで通過しても大丈夫だと思うのだが、ゲートが開かなければブレーキを踏んでも衝突してしまうタイミングなので、慣れないと突っ込むことはできない。

 市場でロードスターに乗り換える。乗用車と比べちゃうと、やはり乗りづらい。

3月17日

 仕事場で久しぶりに飲み会があった。4月から1人、他の部署に異動になるのだが、補充がないため人が減ってしまう。すでに1年以上前から1人減の状態だったから2人減となってしまう。仕事量はそれほど変わらないから、ようするに一人ひとりがやらねばならない仕事が増える。ま、この時代、そんなに珍しい話ではないのだが、休みが取れなくなってしまう可能性がある。すると、世界で一番遅いFJドライバーの称号がいつまでも取れないことになってしまう。困ったことだ。

 対策を考える、というのが名目なのだが、対策なんて人事権がない限り取ることができないわけで、ようするに減員で消沈した気分を飲み屋で一杯やって景気付けるというだけのことである。もちろん、仕事場のボスだけ仲間外れだ。1人減ってしまう責任の一端はボスにあるわけで、当然の措置である。

 ボスにしてみれば、もしかしたら謀反を画策する会ではないのかしら、と不安になったのかもしれない。自分は行かないが「寸志」を封筒に包んでくれた。まあまあ、そんなに熱くならずにお手柔らかに頼むよ、という意味なのだろうが、飲めば欠席裁判、けちょんけちょんに言われることは決まっている。無駄な努力だ。

 アルコールを飲むのは本当に久しぶり。どれくらい飲んでいないか、と考えてみると、3月に入ってから飲んでない。20日ぐらいの長期休肝日を取ったことになる。過去の日常を読み返してみれば分かると思うが、僕にとっては画期的なことである。

 でも、飲み始めたら止まらない悪い癖が出て、ビールジョッキ3杯に白赤ワインをがぶ飲みし、あっという間に撃沈してしまったことは内緒にしておこう。

3月16日

 最近、ウイルスが飛んで来ることが多くなって困ってしまった。

 アウトルックを使っていないし、アンチウイルスソフトも使っているから感染はしないのだが、会社のLAN経由でウイルスメールを受信すると、会社側のサーバーでトラフィックの中にウイルスが紛れていることを検知してしまうらしい。変な題名のメールが届いた、と思ったら、間髪入れずパソコン保守担当者から連絡がある。いちいちやってきてウイルスを削除して(すでに削除してあるのだが)レポートを作成する。非常に鬱陶しい。

 一日数件ずつ飛んできてしまうと、1日数回も担当者が飛んでくる羽目になりかねない。仕方がないから、@Niftyのサーバー側でウイルスを削除するサービスを受けることにした。月額200円。自分はまったく感染したことがないのに、なんだか不条理な出費である。

3月15日

 古くからの友人2人に誘われて夜、ファミレスに行く。動かなかった自作パソコンを動くようにしてあげたお礼に、ごちそうしてくれる、とのことだったからだ。

 ちょいと遅れて到着すると、すでに2人は定食を食べ終わった後だった。さらに1人は食後のデザートであるパフェをほおばっていた。パフェを食べながら「今日は俺のおごりだ、なんでも遠慮せず食べてくれ」と言うので、遠慮なくブタキムチ定食を注文する。パフェを食べ終わった友人は、僕の注文と同時にポテトフライを注文した。よほど飢えているのだろうか。

 パフェを食い終わった友人は、もう一人の友人に「お前ももっと注文しろよ」と薦める。友人は「お腹いっぱいだからそんなにいらない」と言いつつも、ミックスピザを注文しやがった。定食を喰らい終わった後なのに、テーブルにはポテトフライとピザが並ぶ。食べ過ぎだ。

 ブタキムチ定食を食べ終わってさらに残ったピザをほおばったらさすがにお腹が一杯だったのだが「もっと食べろ」という友人の薦めでチーズケーキを注文する。さらに友人はケーキを注文してしまった。たぶん、人に薦めるのだから、自分もたらふく食べるのが礼儀だと思っているんだろう。ケーキを完食したと思ったら、「うお!」と叫んで机に突っ伏した。ケーキに付いていたアイスクリームを一口で食べて頭痛がしたらしい。「さすがに腹がいっぱいだあ」と冗談を交えながら、四方山話に花が咲いた。

 しばらく会っていなくてもすぐ昔のように冗談を言い合える友人はやはりいいものだ。忘れていて欲しいことまで克明に覚えていて冷や冷やすることもあるけれど。

3月14日

 我が第2のふるさと、松本で面白いことが起こった。

 市長選で現職の市長を破って、菅谷さんが当選したのだ。時代の流れと、長野県民や松本の人たちの意識の高さを実感する。こんな面白い場面があったのに、松本に居られなかったのが非常に残念である。

 前職の有賀市長は地元農協の出身だ。並柳の農家でセロリーづくりを始め、一大産地にまで押し上げた人である。県議から市長に挑戦し、前職を破って当選したときは92票差。苦労人である。が、市長としてはかなり強引に物事を進めていた気がする。各町会長を抱え込んで、なにか懸案があればそこの地区から自分の思うとおりに陳情させる。さも、地元から起こった声のような形にして自分がやりたいことをやっていた。その典型が来週にもこけら落としになる新市民会館こと、まつもと市民芸術館。この時代に145億円もかけて建設された「オペラハウス」だ。

 なぜか松本では毎年夏に指揮者の小沢征爾がやってきて総監督を務めるサイトウ・キネン・フェスティバルという音楽祭が開かれる。小沢さんに自分が作った豪華劇場でぜひ世界レベルのオペラの指揮をしてもらいたい、と市民会館を巨大劇場に建て替えることにしたのが前市長の本音だろう。その規模は一地方都市の「市民会館」として完全にオーバースペックであった。

 福祉や環境に目が向いてきた時代だからもちろん、反対運動が起こった。が、地元町会を使った署名集めやら、信州大学の学長を使った陳情やら、さまざまな声を集めて、建設を既成事実化していき、気が付いたときには中止できないところまで進めていた。まさに、箱モノ行政の最たることをやっていた。

 開発で活性化するという手法は、1990年代までは通用した論理だったかもしれないが、すでに時代遅れだった。政治家としてのバランス感覚に長けていた人だったけれど、ちょっと感覚が古かったかもしれない。今回の選挙の結果を見る限り、松本市民が市長にだんだんと違和感を覚えるようになっていたのだろう。唯一、僕が好きだったところは、あの田中知事に真っ向から反抗していたところだ。

 菅谷さんは、お医者さんである。信州大学の外科の専門家であった。が、浅間温泉に風変わりな和尚さんがいたことでこの人の人生はがらりと変わってしまう。1990年、和尚さんと茅野の鎌田医師がひょいとベラルーシに飛んでしまう。チェルノブイリ原発がメルトダウンしたとき、もっとも放射能が降り注いだ地だ。放射線の影響が出ているという予測は当たって、すでに現地の子どもらには甲状腺がんが多発していた。和尚さんは帰国してから、地元・松本にある信州大学に助けを求めた。

 たまたま信州大学にいた菅谷さんはベラルーシに飛んでしまう。甲状腺の手術で首を十文字に切り裂く現地の古い術式を目の当たりにし、最新技術の指導を始めた。最初は日本から通っていたものの、96年からは現地に住み込んでの活動になった。若い人を自分のアパートに招いた勉強会や、患者の家まででかけての治療を地道にこなした。5年ほど現地で技術指導をしていたはずである。

 帰国したところで、田中知事に呼ばれて県の衛生部長を務めていたところまでは知っていたのだが、市長を目指していたことまでは知らなかった。どのメンツが関わったかはいわずもがな。浅間温泉の和尚さんが立候補するというウワサはいつもあったのだけれど、よくも素晴らしい人を引っ張ってきたものだ。

 リーダーが代わった松本市でどんなことが起こるか楽しみ。松本時代、ともに遊んだ福祉団体の人たちがガッツポーズしている姿が目に浮かぶ。

3月13日

 目が覚めたら午前7時だった。いかん、起きなければとごそごそと布団から立ち上がろうとして、ふと思う。「なんの用事があったっけ?」。しばらく考えて、今日は土曜日で仕事も急ぎのものがないから寝ていればよいことに気づいた。がくっと倒れ込むように意識を失う。

 次に起きたのは11時ぐらいだろうか。だるかったのでまた意識を失う。起きたら午後2時。正しい休日だ。

 栄に出て三越などを徘徊してみる。車野郎にとってはまったく縁のない品物ばかり売っている店だ。ぐるりと一周して何もないから丸善、マナハウスと回って本を物色する。といってもF1速報などを読んでいただけなのだが。

 久しぶりに何もしない休日。たまにはこんな日もあった方が良い。

3月12日

 恒例の市場へ。さっそく魚屋さんが「どうだった」と感想を聞いてくる。「むちゃくちゃ怖かった」と簡潔正直に感想を述べておく。同じ時速200キロでも、質が全然違う。市場内にある食堂でいかげそ炒めを食べる。絶品。

 ようやくあばらの痛みが落ち着いてきた。27日の金曜日にカートで130周してから悩んでいるのでかれこれ3週間痛み続けていたことになる。FJ初走行では、こんなに痛いのに大丈夫かしら、と思っていたのだが、あばらの痛さより、自分の体力のなさが問題になるとは夢にも思っていなかった。ロードスターで初めて、筑波でSタイヤを付けたときにも、走行が終わってから足が震えていた覚えがあるのだが、首に来るとは夢にも思わなかった。ま、バケットシートで支えがあるロードスターと違い、FJは支えがなにもないから余計首に来るんだろうけれど。

 これって効くんだろうかと思いながら、手足におもりを装着する毎日。

3月11日

 仕事でリニアモーターカーを見学してきた。多くの人は知らないだろうけれど、来年3月から愛知万博というイベントが長久手、瀬戸という場所で開かれる。名古屋駅から地下鉄で藤ヶ丘駅まで行き、そこで乗り換えて会場まで連れて行ってくれるのが、リニアモーターカーである。会場まで高架で結ばれているのだが、なにやら工事が始まったと思ったらあっという間に高架が立ってしまった。さすが、国家プロジェクトと感心したほどだ。

 リニアモータカーというと、山梨に実験線があるJRが開発中のものを思い浮かべるが、こちらのものは仕組みがかなり異なる。超電導で500km/h出るあちらと違い、こちらは常電導で100km/hほどだ。超と常でどう違うのかは文系人間な僕では簡単には説明できないので、おいておく。

 HSSTと呼ばれる常電導式の仕組みは簡単で、モノレールのようにレールを抱え込んだ車両の、レールの下側に電磁石が付いている。その電磁石の磁力で上にあるレールにくっつこうとする力で車体が浮上するのだ。ギャップセンサーで8ミリほどの距離を保つように電磁石の力を制御するのだという。推進力は普通のモーターを平たく伸ばしたリニアモーターで得る。

 実は9年ほど前にHSSTに試乗したことがある。名古屋市南区の大江という場所に実験線があるのだ。実験なので、万博で使われる車両よりは小さかった覚えがある。車両に乗って、浮上する瞬間を体験したのだけれど、体感できないぐらいのものだった。走行は浮いているだけあって、ウルトラスムーズ。

 余談だが4年ほど前には山梨の実験線にも乗ったことがある。時速450キロほど出したみたいだけれど、ほとんどがトンネルの中なので景色が流れていくのは見えなかったのだが、ものすごいスピードで移動している実感だけはあった。あっという間に450キロに到達したと思ったらすぐに減速して物足りなかった覚えがある。かなり減速したな、と思って速度表示を見たら、まだ290キロぐらい出ていてびっくりした。

 話がずれてしまったが、長久手町に行ったのである。ちょっと前まで愛知青少年公園と呼ばれていた場所に常電導式の「リニモ」の車庫があった。子どもの頃から親しんだ地域だったのだが、万博会場となってしまって、あちこちがはげ山状態。長久手や瀬戸の街も万博特需であちこちで開発が進んでいる。地形が変わるほど掘り返して、開発しまくっているのだから、どう考えても環境がテーマの万博とは思えない。いや、乱開発した悪い例を展示して開発のむなしさを体感できる博覧会なのか。それを前面に打ち出すのなら、少しはやる意義があるのだが。

 整備中のリニモを見ているとき、ちょうど電磁石のスイッチを入れたらしく、浮き上がるのが見えた。乗っていると分からないが、外から見るとやっぱりけっこう浮き上がっていることが分かる。ちょっと感動。

 それにしても、ここまで大規模な開発になるのだとは思わなかった。子どものころ遊び回った青少年公園の面影がほどんどなくなってしまったのを残念に思った一日だった。

3月9日

 土曜日、日曜日に備えてどうしてもロードスターの洗車しなければならなかったけれど、体中筋肉痛、体力も時間も温存したかったので、ガソリンスタンドの洗車を初体験した。

 せっかくだから手で洗うやつにしてもらおうかと思ったが、料金が高いことと時間がかかるのが嫌だったので1500円で洗車機に放り込むタイプを選択する。洗う前のロードスターは、しばらく洗っていなかった水垢と、高速道路の不凍剤でどろどろに汚れている状態。乗っている本人ですら、気分が暗くなるほどの汚れ具合であった。

 ハイオク満タンと洗車を指示して店舗内で待機。15分ほどで完了する。自分でやるとワックスも含めて一時間以上はかかるから、とっても楽である。

 あまり期待していなかったのだけれど、しつこくこびりついた汚れ以外は綺麗に落ち、さらにワックスもまあまあかかってさらに、タイヤワックスまでかけてあった。心配していたボディーの傷も見あたらなかった。ぴかぴかである。

 心配していたのが、高圧の水がかかるから、ぼろ幌から浸水して室内がぐちょぐちょにならないか、ということだったが、問題なし。1500円という安さと、自分の手を汚さない手軽さは、もしかしたら病みつきになるかも。

 これまでミーティングに出かけるときは、出かける前の日に時間をつくって洗車して、ぴかぴかにして出かけていた。が、道中でかなり汚れてしまうので、徒労に感じていた。が、会場近くのスタンドで洗ってもらえば、ぴかぴかで会場入りができる。車野郎の作法として正しいかは疑問だが、前日に時間をとらなきゃ、と暗い気分になるくらいなら、やってもらった方が早いし、結果安い。

 それでも、洗車を機械にやってもらうことが、ちょっと心に引っかかる。車野郎の倒錯したところだろう。