月: 2004年3月

3月31日

 この世に発生した日であるなら、世間一般ではめでたいことになっているかもしれないのだが、問答無用で仕事である。

 とこの2年間、同じことを書いている。2年間、まったく進歩はない。

 発生日だから、というわけじゃないのだが、昼ご飯は仕事場の仲間で名城公園まで出かけてそろそろ満開を迎えている桜を見ながら弁当を喰らった。空は春霞で白っぽく、まぶしいほどの青い空の真下でというわけにはいかなかったけれど、とにかく快晴であった。

 よく考えてみると、名古屋城に訪れたのは小学校の遠足以来のような気がする。すぐ近くにあるのに、なかなか寄らないのはやっぱり、小学校のときにがっかりしたからだろう。姫路城をしのぐ素晴らしい建築だったのだが、戦災で焼けちゃった。昭和34年にできた今の名古屋城は、鉄筋コンクリート製。エレベーターまで備えた近代的な建造物なのである。松本城はいくら小さく、城内の階段が急で、内部は頭を打ってしまうほど狭くても、400年の歴史があるというだけで名古屋城に勝っている。当時のままの姿に再建すれば良いと思うのだが、今の名古屋市の財政状況では無理だろう。

 桜の木の下には青いビニールシートを敷いて夜の宴会の場所取りをする会社員の姿もある。彼らを横目にお花見弁当を喰らう。風があって上着無しではちょいと寒かったが、何となく春っぽい気分を味わった。

3月30日

 松本に住んでいたとき、さんざんお世話になったディーラーの店長さんから電話があった。僕がでかでかとRoad&Sterに載っていたのを見て、電話してきてくれたのだ。やはりメディアの力はすごい。

 僕が最初に言った1998年には「ユーノス信州」という名前で松本市の白板にあったお店だった。マツダスピードとしての看板もあったので通い始めたのだ。いつしか、白板のお店は廃止になり、スタッフは村井のディーラーに異動してしまった。ディーラーの統廃合で名前もころころ変わり、まず信濃マツダに変わって、それから長野マツダになり、今は甲信マツダになった。自動車販売業界の荒波をそのまま体現しているようで面白い。ロードスターでツーリングに出かけて南松本の周辺でトラブルが起こったら、甲信マツダの松本村井店の店長を訪ねると、いろいろ詳しいので力になってくれるはずである。

 4月6日に瑞浪に走りに行くから来ないか、とのお誘いだった。さすがに平日だから無理だろうな、と思いつつ、朝ちょっと顔を出して、それから出勤すれば可能かもしれないなと、密かに企む不良社員なのであった。

3月29日

 送別会があったので、今月2回目の飲酒。異動で仕事場から人が一人抜けるのだが、補充がないので歓送迎会とならないところが笑えないところである。

 あまり飲みたくないと思いつつも、席に座って入ればコップに自動的にビールが注がれるので、どうしても飲み過ぎてしまう。ふらふらになりながら2次会のカラオケへ。

 夕方までに仕事が終わらなかったので深夜再び仕事場に戻る羽目になった。酒臭い息でまだ仕事をしている人たちに迷惑をかけ、さらに仕事場のソファで寝てしまった。いびきをかいていたかもしれない。何時間も寝込んでしまい、結局家に帰ったのは午前4時ぐらいだった。

3月28日

 鈴鹿で開かれたフォーミュラ・ニッポン開幕戦に出かけてきた。市場の魚屋さんがチーム「COSMO OIL CERUMO」のトライバー・松田次生のスポンサーを知っている関係で、パドックパスで中に入れてもらえるとのこと。これは行くしかあるまい、と待ち合わせの午後1時半に着くようにロードスターで出発する。

 高速が込んでいたので桑名で降りて、国道1号に乗り換えたがこちらも込んでいた。素直に行った方が早かったに違いない。わんだぁあぐり君の横をすり抜けて、鈴鹿の住宅街を抜け、勘で走っていったらピットクルーレーシングの横を通ってサーキットに到着した。

 が、駐車場に入る車で渋滞。車列に並んでいたら間に合わないかもしれないので、裏道を走って回り込み、西コース入り口の手前の駐車場に割り込む。サーキットの入り口では、先日届いたばかりのSMSC会員証を見せれば中に入ることができる。ちょっと優越感。

 普段の練習やクラブマンレースのときとは打って変わってサーキット内はなかなかの人混みだ。それでも、3年前にF1に出かけたときとは比べものにならないが。ちょうど2輪のレースをやっており、ホームストレートを弾丸のように走り抜けるバイクが見える。だいたい200m看板のところでブレーキをかけていた。4輪ではもっと奥でブレーキのはずだから、やはり違う乗り物だと実感する。F3なんかは、コーナーの直前までアクセル全開だった気がする。

 魚屋さんに出会い、ワールドクサリヤという会社の専務さんと待ち合わせてパスをもらう。グランドスタンドからトンネルをくぐってパドックに入る。見慣れたパドックも、フォーミュラニッポンの開催日となると様相がまったく変わる。なにより、人が多い。レースクイーンなお姉さま方がたくさん歩いている。

ワールドクサリヤ

 「COSMO OIL CERUMO」のピットにたどり着き、専務さんはずかずかと中に入っていく。躊躇していると、「入っても良いよ」とのこと。おお、さすがスポンサーさん! と尻尾振って付いていき、フォーミュラニッポンのマシンに対面する。

 レース30分前。ピットの中ではピットクルーがあわただしく動き回る。カウルを外されたマシンがジャッキアップされていて、ちょうどエンジンに火を入れるところだった。エア・スターターで無限MF308・V8エンジンが一発始動。ぶばん、と爆音が響き、ずばばっばと意外に普通のアイドリングをしている。メカニックが樹脂でできたファンネル一つ一つにライトを照らして確認。別のメカニックは車体につながれたパソコンをにらめっこしている。

 メカニックがスロットルを開く。ふぉん、ふぉん、ふぉんと素晴らしいレスポンス。鼓膜がしびれるほどの爆音が響くかと予想したのだが、思ったより大人しかった。コックピットにもメカが乗り込み、ステアリングについたデジタルパネルの表示とにらめっこしている。クラッチがつながれて、駆動輪がぐるぐると回っていた。

 5分ほどで外に出て、松田選手のお父さんと挨拶する。最近は、漢洋堂という健康食品のお店のプーアルティーカプセルが売れているという。フォーミュラニッポンの松田が3カ月で12キロの減量に成功! と宣伝したらばかすか注文が入ったのだとか。そして、そのお売り上げがまたスポンサー料に還元されるという世界。数千万単位で毎年出せるスポンサーがいないと、走れない世界でもある。資金力も実力のうちなのだ。

漢洋堂

 1・2コーナーのスタンドでストップウオッチを片手に観戦する。予選5位の松田はスタートで1つ順位を上げて順調な滑り出し。1分50秒後半から51秒前半の安定したラップを刻む。ピット作業でちょっと手こずったものの、他の車と絡むこともなく独自の戦いであった。

 小暮卓史(PIAA NAKAJIMA)とPPの井出有治(mobilecast IMPUL)のデッドヒートは見物だった。テールトゥノーズ、サイドバイサイドのやり合いだ。自分も走ったスプーンや130R、シケインで駆け引きをしているのが、なんだか別世界のようである。結局、井出がヘアピンで追突して自爆してしまった。小暮が優勝。松田も4位で惜しかった。バトルを見たかったけれど、終始淡々と危なげないレースであった。自分の今の実力と、世界が違うことだけは思い知った。

3月26日

 ロードスターのオーナーなら買ったことはなくても一度は見たことがあるに違いないニューズ出版の「Road&Ster」に取り上げられてしまった。実は、3月7日、鈴鹿本コースを初走行した日に、取材があったのだ。さっそく本屋で見てみると、僕とDさんがでかでかと見開きで載っている。4分の1ページぐらいのものかな、と思ったのでちょっと驚きであった。

 本コースを走ることに緊張してしまっていたので、あまり取材の対応は良くなかったと思うけれど、なかなかうまくまとめられていた。走行中の写真が載っていたのには感動だ。プロのカメラマンが流し撮りしたもので、素晴らしく格好良い。これだけでも買う価値があると思い、思わず2冊買ってしまった。

 車はカッコイイのだが、自分はどうなのかというとまったく自信がない。日ごろあまり顔についてはしげしげと見ることもなく、メンテナンスフリーな状態だから、ああ、自分はこんな顔だったな、と思ったくらいである。なにはともあれ、恥ずかしいのとうれしいのが交錯して複雑な気分だ。

 実は偶然にも、同じニューズ出版の雑誌「REV SPEED」の5月号にもこのサイトが紹介された。こっちから依頼したというわけではなくて、ある日1通のメールが届いて「紹介しても良いか」というので、「ネット上で公開しているものだから、紹介目的ならいくらでも使ってください」と返事しておいたのだ。

 てっきり、車野郎のホームページ特集でもやるのかと思っていたら、「走り屋必見!!お役立ちWEBサイト」というコーナーで取り上げられたのだった。3つ紹介してあるうちの一番最初だから、けっこう良い扱いだ。更新をさぼっているので、新エンジンについて「早く完成させてくれることに期待」と書かれてしまった。昨年5月に積んですでに23000キロ走っているのだけれど、やっぱりちゃんと更新した方が良いと反省する。もちろん、こちらも2冊買ったのは言うまでもない。

 みなさん、ぜひこの2冊の雑誌を買いましょう(笑)。

3月25日

 早朝市場へ。普段は朝が普通の人より遅いので、6時前に起きたりすると、途端に寝不足になってしまう。道ばたに止めたロードスターで1時間ほど意識を失う。

 午後からの走行がなくなってしまったので、仕事も余裕ができたな、と思っていたら、急きょ、東京に行くことになった。午後4時前のひかりに飛び乗り、東京へ。新橋に行き、銀座方面に少し歩いて仕事をする。

 仕事はすぐに終わって再び新橋からホームに入ってきた山手線に駆け乗ろうとしたら、渋谷方面のホームだった。ちょうど、東海道線が入ってくるところだったので階段を下りて駆け上がって飛び乗る。東京へ。

 午後7時50分ののぞみの座席を取る。禁煙席の座席を取ったはずなのだが、新橋駅の駅員さんが聞き間違えたらしく、喫煙席だった。あんなガス室のようなところで2時間近く我慢できるはずがないので、自由席に乗る。のぞみ自由席ができた直後は指定席が極端に取りづらくなって腹が立ったが、こんなときは便利だ。

 ところで、東海道新幹線の改札口の目立つところに、警察官が箱の上に立ってにらみを利かせていた。きょろきょろ回りを見ただけでも、警察官のほか、警備員も歩いたり立ったりしていて、なんだかものものしい。ホームに上がっても、機動隊員が不機嫌そうな顔で歩いていた。

 新幹線に乗り、デッキで電話していたら、女性の乗務員が電話ボックスとゴミ箱の中をわざわざチェックして歩いていった。不審物がないかチェックしいるんだろう。

 スペインで起きた列車爆破テロの余波。新幹線は日本経済の大動脈でもあり確かに真っ先に狙われる対象かも知れない。先頭の自由席に乗りながら、時速200キロ以上で吹っ飛んだ場面を想像し、肝を冷やす。

3月24日

 明日、25日午後に鈴鹿南コースでフォーミュラで走ることができる時間枠が設定されていたので、まず車で走り込むことが必要な僕はもちろん、走るべきだろうと思った。が、平日だから当然仕事があるに決まっている。来週月曜が納期の仕事があるし、そのほかもろもろぐちゃぐちゃと仕事があるので、いろいろ調整してみた。何とかなりそうな感覚なのだが、ある仕事が不十分ならやり直すための予備日が必要だ。

 あれこれやっているうちに、今日になってしまった。それでも、明日、早朝から働いて鈴鹿に行って、また帰ってきてから夜まで働けば何とか走れるだろうと思って、レース屋さんに電話したが、さすがに前日に言われても対応できないみたいであった。こちらも、駄目でもともとで電話したわけだから仕方がないけれど、気合が入っていただけに拍子抜けしてしまった。

 20日の走行でびゅんびゅん抜かれまくってほかの人のコーナリングを見た。それをヒントにして自分も試してみたいのだけれど、スピードが高い本コースでいきなり試すのは怖い。だから、ぜひとも南コースで走り、S字後の右コーナーで試行錯誤してみたかった。が、レース屋さん曰く「南コースで走っても、1人で走るだけでほかの人から学ぶこともない。さらに、速度域が違うから、やはり南コースと本コースでは挙動の出方が違う。南コースはスランプに陥ったときだけにして、とりあえず、本コースで慣れたらどうか」との意見だった。

 本コースはフォーミュラの枠が金曜日にあることが多い。が、金曜日は決まった仕事があるので、なかなか休みを取るわけにもいかない。練習したいのに、練習できない。このジレンマ。限られた時間の中で練習して、速い人はやっぱりすごいのだと、改めて思う。感心してばかりではいけないのだが。

3月23日

 学生時代の先輩が結婚することになった。それはめでたい。1次会に呼ばれればカメラマンぐらいならできる。まあ、同じ学年の人を呼べば、僕なんかは呼ばれないだろうから2次会にでも参加して、写真を撮ってあげようかな、と思う。2年近く、休刊状態になっている「雅スポ」みたいなものを作ってあげても良い。

雅スポ

 が、この先輩の希望は違った。結婚式は親族だけでやり、2次会は別の日に改めてパーティーの形式で開くというのである。しかも、2人の仕事関係の人たちを呼ぶから、総勢300人のパーティーになるのだという。ものすごいことになりそうだ。

総勢300人

 で、先輩の要求曰く「パーティー参加者に配る記念誌を作って欲しい」といのことだった。雅スポどころの騒ぎじゃない。冊子を作れというのだ。僕なんかは、結婚式や2次会に来てもらうだけでありがたく満足だと思うのだが、文章や写真で埋めた印刷物を作る、となるとこれはかなりの労力が必要で、あらゆるお願いの中でももっとも贅沢なものかもしれない。

記念誌

 仕方がないから記念誌製作委員会なるものを内輪で立ち上げ、一番仕事をしなければならないような役職に僕がなった。「記念誌を作ってもらっただけでも結婚する意味があったな」とうならせるクオリティーのものを作ろう、ということになっている。FJも仕事もプライベートも、なんだかぐちゃぐちゃに忙しい半年となりそうである。

3月21日

 富山の車屋さん主催の練習会が、おわらの里で開かれることになっていたので、ぜひとも前夜祭から突撃したかった。前夜祭というのは、ただビールを飲みまくってマニアックな話をしまくる宴会なのだが、走行会よりもそちらの方にぜひとも参加がしたかったのである。

富山の車屋さん

 が、土曜は鈴鹿で一日走り、雨の走行だったので午後4時すぎに走行が終わった後、レース屋さんの工場でマシンをきれいにする作業が待っていた。目に見える汚れをウエスで一通り拭き取り、さらにCRCをウエスに吹いてアーム類に塗ってさび止めをする。コースアウトで砂利の中に突っ込んだこともあってけっこう汚れており、作業が終わったのが午後8時すぎ。やらねばならない仕事もあったから、富山行きは断念した。

 そういえば、富山のサーキットを走っていて予期しないトラブルでエンジンが壊れたのが1年前だった。富山に車を置いて電車で帰り、家に転がっていたエンジンをチューンして2カ月足らずで組み上げて富山に持っていて積み込む、ということをやったのだった。今から思うと、よくもまあ、そんなことができたな、と自分でも感心する。すでにエンジンは23000キロも走行しているけれど、今のところ壊れる様子はない。オイルは徐々に減っていくけれど。

 実は、思っていたより車が速くなってドライバーの実力以上のタイムが出るようになり、当時の仕様でサーキットに行くのが嫌になっちゃったのも、今FJで走り始めたきっかけの一つなのだ。

3月20日

 朝6時前に起きて鈴鹿に出かける。初フルコースである。普通の順序なら、南コースで練習して車に慣れ、その後フルコースのうち、東半分の東コースで慣れてから130Rもある高速の西コースを走り、そして東、西が繋がったフルコースを走るというのが筋道だろう。が、鈴鹿の走行スケジュール通りにしていたら、3月7日に突然西コースを走り、次にフルコースというちぐはぐな順序になってしまった。

 ただの駐車場がピットの西コースと違い、東コースは屋根付きのピットに食堂などの設備があって、さすが国際レーシングコースだな、と思う。走行開始は9時すぎだったのだが、7時半には到着して、初めて走る東コースの下見をする。一番見て置かねばならないのは、ピットインの場所だ。西コースではコースに出てから下見をしていないことに気が付いて焦った覚えがある。

 S字や逆バンクを見ながらピットを確認。ちゃんとピットインの表示があった。が、下見をしたにもかかわらず、ピットインで失敗してしまうとはこのときは知るよしもない。

 Dさんが鈴鹿インター付近の渋滞に巻き込まれて1回目の走行までに間に合わなかったため、1人でコースインすることになってしまった。まったく初めてだから、本当なら知っている人に1、2周引っ張ってもらうと良いのだが、それもかなわず。走行開始前、ピットロードに出走する車がわれ先にと並んでシグナルが青になるとともに、出発していくのだが、僕はピットで待機してほとんどの車が出ていくのを待ち、のろのろと出発していく。

 インベタで1コーナーに進入し、ゆっくりと2コーナーを立ち上がる。タイヤが冷えているから、ちょっと変な操作をするとあっという間にスピンしてしまう。S字の進入。外から見るよりも勾配があるように見えた。左、右、左と曲がると逆バンク。少し登ってダンロップで長い左を立ち上がり、ここから前に走った西コースへ。すぐデグナーに進入する。1発目2発目。ゆるい上り坂とゆるい右カーブの直後にヘアピンがある。もっとも車速が落ちるところだ。

 ここはなぜかいつも右フロントがロックしてしまう。立ち上がって「まっちゃん」こと200R。ゆるい右がずっと続き、しかも全開で加速し続けなければならない怖いカーブだ。登っており、頂上付近で直線に入るのだが、登り切るときに一瞬なにも見えなくなる。車速も出ているから、怖いことこの上ない。すぐにスプーンカーブ1発目がやってくる。かなりつっこめそうなのだが、攻めるのはまだ無理だ。早めにブレーキをしてインに付き、またアウト側に向かって加速して改めてブレーキをかけ、2発目を曲がる。

 バックストレートにむけて加速。最高速に到達する。7日に西コースを走ったとき、風景がとろけて色しか見えなかったのだが、今回は様子が違って、きちんと回りが見えた。ちょっとスピードに慣れたのかもしれない。130Rに進入。怖くて攻められない。

 「ヘアピンの入り口が見えないから何度かまっすぐ突っ込むぞ」と聞いていたので気を引き締めていたのだが、西コースのショートカットの少し奥にあるだけで距離の看板も出ているから、手前で減速しすぎたぐらいですんだ。少し登っているのか、減速しやすい。

 ホームストレートにむけてのゆるい右カーブを立ち上がる。5速に入れて、1コーナーでどこまでつっこめるかを見極めようとしたが、まったく分からず、下り坂になっているから怖くなってアクセルをゆるめてしまった。かなり減速して安全に1コーナーを曲がり2コーナーへ。

 結局1回目の30分は前回の西コースのように下見をしただけのような走行だった。スプーンコーナーがどのくらいまでつっこめるか試してみたら、縁石の右側を走行してしまって土埃にまみれてしまう。無事コースに復帰できて完走。「次からはもう少しがんばって2分30秒を切らないと、練習にならないぞ」とレース屋さんに注意される。

 2回目の走行も最後尾スタート。各コーナーの進入にも慣れてきて、30秒が切れるようになった。S字がなかなか面白くて調子に乗っていたら、コースから少しタイヤがはみ出しスピン。コースを横切ってイン側の砂利に突き刺さってしまう。走行枠の最後の方だったのが幸いした。

 砂利にまみれたマシンは、あちこちにトラブルを抱えていた。なぜか冷却水漏れが発生。これはエンジンを組んだときのミスらしい。あと、キャブが土を吸い込んだらしく、エンジンの調子が悪かった。レース屋さんが昼の時間を使って直してくれた。ここら辺の手際よさはさすがである。

 昼メシを食べていたら雨が降ってきてしまう。止んでくれ、と祈っていたが、その気配はなくウエットコンディションでの走行。コースにも慣れていないのにウエットである。ストレートでは、前の車が巻き上げる水煙で何も見えない。タイヤを滑らすこともできず、まったく練習にならなかった自分がもどかしい。さらに、やってはいけないミスをする。落ち込んでいたら、「失敗できるのも最初だけだぜ」と大阪の某氏に慰めてもらった。走る資格がない、と言われても仕方がないのだが、反省だけして次の走行のことを考えることにした。

 4回目はウエットだと思っていたら、乾いた路面と入り交じっていてさらに怖い状態だった。午後は見学しただけのような走行で終わってしまう。雨が降ってしまって運が悪かったのだが、そのコンディションで何もできなかった自分がもどかしい。

 それでも、そんな路面で他のドライバーがどんな走りをしているのかをかいま見ることができた。びゅんびゅん抜かれていくのだけれど、抜かれたその次のコーナーでは何とかその車の走りを見ることができる。コーナーの間中、がんばっている、そんな走りだった。相当練習を積まないと行けないことを、またまた再認識する。