月: 2004年2月

2月8日

 最近、ロードスターの燃費がクソ悪いのが気になっていた。

 どうも、2寸管からノーマルマフラーに付け替えてから極悪燃費になった気がしていたので、どんな理由なのだか頭の中で考えていた。だいたい、リッター7キロぐらいしか走らないのである。いくら回し気味で走っているからと言って、これはひどいだろうと思っていた。空燃比を見ている限り、おかしな燃調で燃えているというわけでもなさそう。寒いから始動時にたくさん燃料を吹いているはずだけれど、それでもどばどば吹いたらかぶって始動しないはずなので適正範囲内だと思われる。

 今日、久しぶりにツーリングに出かけた。鈴鹿を通り越して伊勢方面へ。道中、高速を使ってのんびりと。アクセル開度一定で、追い越しもそれほどかけない走り方。すると、往復360キロぐらいで燃料は30リットルぐらいしか使っていないじゃないですか。リッター12キロぐらいは走った計算。

 燃費が悪いのは、最近名古屋の街中をぐるぐる回っていることが多いから、というのが真相だったみたい。それでも2寸管のときの方が良かった気がするのだが。

2月7日

 ついに、新エンジンの走行距離が2万キロを超えてしまった。昨年5月中旬から8カ月ちょっとしかたっていない。ロードスターの総走行距離も、18万キロを超えている。まずは1万キロ持つように、と作ったのだが、楽々クリアし、ついに目標の倍を走ったことになる。

 FJで走り出そうとしている今、壊れてしまったらとっても困ることは言わずもがな、だ。欲を言えばタペット調整ぐらいで、あと2年4万キロぐらい動いてほしい。2寸管からノーマルマフラーにして相当パワーダウンしているから、それぐらいは持つと思うのだけれど。とは言うものの、乗ればエンジンを回し気味に走ってしまう。

 壊れてしまったら、ノーマルエンジンにターボを付けて最低180馬力ぐらいは出しちゃおう。Freedomと空燃比計さえあれば、どんな仕様のエンジンだろうが回せちゃうから何でもありだ。

2月6日

 走る枠がない、という事実に愕然としてしまったのである。

 4日の初走行では、今までの経験の延長線上にはフォーミュラカーはない、1からのスタートなのだから、これから先、やることが多い、ということだけが分かった。乗って乗って乗りまくるしか解決の方法はないのだが、鈴鹿サーキットのホームページを見ると、南コースをフォーミュラカーで走れる枠が全然ない。金曜日以外なら平日でも何とか休めるのだけれど、その金曜日に枠が集中していて、下手をすると3月末までに1、2回しか走ることが出来ない。さすがに慣れない車で本コースを走るのはやばすぎる。う〜む、困った。

 総監督と相談すると、やはり同じことを考えていたようであった。こうなったら方法は1つ。ほかのサーキットで走るしかない。

 あ、最初は「レーシング雅」の更新とともに「ガレージ雅」も連動して更新の案内を書いていたけれど、一応別サイトという形を取っているので、連動させることはやめました。レーシング雅は2月3日にも更新しているので、見ていない方はどうぞ。今後は適宜チェックしてください。

2月5日

 1日経過してみて、動きづらいほど痛い部分はない。ただ、右のふくらはぎに500円玉大のあざができていた。両膝の車体側と当たる部分は色が変わるほどではないけれど、指で押すと痛む。やっぱりかなりの力がかかっているらしい。あちこちが痛む、というほどではないけれど、やはり一日中体はだるかった。

 仕事場の上司に誘われて、金山の「飯場」という居酒屋に行った。昭和30年代を再現したというお店なのだが、あちこちの解体現場から持ってきたのであろうさまざまな古い材料を使って、確かに昔の家「風」の建物になっていた。古い引き戸の入り口やタイル張りの流し、壁には昔の女優のポスターやら昔の成人雑誌から切り抜いたようなヌード写真が張ってある。

 案内された部屋は畳敷きで古い勉強机のようなものが置かれ、古びた本が並べられている。テーブルもいかにも30年代、という感じのデザイン。エアコンはたぶん最新型なのだが、たばこのやにで汚れたような感じだった。たぶん彩色したんだろう。窓の外には傘つきの裸電球がともって、股引のようなものが干してある。まあ、すべて作られたものだから、場所の醸し出す「味」から言えば、名古屋の円頓寺商店街の方が格上だ。

 メニューなんかも「懐かしの」で統一。こちらも調子に乗って「ホッピー」を飲んだ。昔、東京を中心に、安居酒屋にあったノンアルコールビールで、焼酎を入れて飲むビールもどきである。

 こんな具合に「ここまでやるか」というぐらい徹底していた。だが、感心を通り越し、「あざとさ」を感じてしまうのは僕だけではあるまい。居酒屋というよりは、テーマパークだ。何より、通おうとは思わない。物珍しさはあるが、いつも通りの安心感はない。「行きつけ」になれない時点で、居酒屋としては致命的かもしれない。

2月4日

 昨夜、富山の車屋さんから電話がかかってきた。「明日の走行会にFreedomのケーブルを持っていかないか」というので、もちろん持っていくよ、と伝えた。

 あることに気が付いた。忘れてきた、ということはすでに出発しているのである。時間はまだ9時すぎだ。どこに泊まるんですか、と聞くと、「サーキットの前で積載車の中で寝る」と言うではないですか。家に泊まってもらったのは言うまでもない。大変お世話になっているのである。ちょっとでもお返しがしたい。

 積載車をとめておけるように駐車場にある兄貴の車とオヤジの車を問答無用でどかす。久しぶりにビールを飲んで、レースでの心構えなどを聞く。

 朝から南コースへ。初めてのレーシングスーツ姿でシート合わせや、スイッチ類の操作の説明をしてもらう。昼、走行会の休み時間に1時間。フォーミュラEnjoyとはまた別次元の世界だった。まともなドライビングすらできない自分がもどかしい。これまでのドライビングはまったく通用しない。

 世界が分かった、などとおこがましいことは言わない。レースまでに、相当の練習を積まなければならない、ということ。この1点だけを悟った。

 レーシングスーツからサラリーマンスーツに着替えて、何食わぬ顔して仕事場に顔を出す。上司から「顔がむくんでいるぞ」と言われた。確かに、頭に血が上ったようになって、頬も腫れぼったい。体もだるい。鍛えないと。

2月3日

 仕事が終わらず、帰ったのが午前2時すぎだった。普段だったら午前中ずっと寝て、昼過ぎに大きな顔して出勤するところなのだが、今日は悪いことに午前10時から東京・虎ノ門で仕事が入っていたのである。ろくに寝る間もなく起きて、7時30分すぎののぞみに乗り、東京へ。浜松までは意識があったのだが、気が付いたら新横浜だった。

 地下鉄を乗り継いで神谷町へ。東京タワーを横目に見ながら、歩き、約束の場所に向かう。ちゃちゃっと仕事を終えて、歩いて厚生労働省に向かう。こちらもちゃちゃっと仕事を終えて、昼前にはすべての用事を終えてしまった。

 昼メシでも一緒に食べようと、2人の友人に電話したが、繋がらない。仕方なく八重洲ブックセンターで本を物色してから名古屋に帰る。仕事場に戻り、さすがに寝不足だったので、ソファに座って2時間ばかり意識を失っていた。

 明日はいよいよFJに乗る。

2月2日

 市場のおっちゃんに頼んで、ツバスを1本、さばいてもらった。房州・大原港直送のツバスは1キロほどの目方。ツヤツヤしていて、それはそれはうまそうであった。名古屋あたりでは、ツバス、ハマチ、ブリと言う。どこまでがツバスで、どこからがブリか、というのはけっこういい加減に決められているらしい。

 出刃でざくざくとおろしてゆく。がりがりっと鱗を削り落としてから、胸びれの下から斜めに包丁を入れて頭を落とし、腹を切ってワタを抜く。背側から背骨に沿って包丁を入れてまっぷたつ。血合いに沿って2すじ切れ込みを入れて、骨を抜く。さすが魚屋さんだけあって、鮮やかな包丁さばきである。

 頭の目の回りの部分や、皮、骨の部分は吸い物にするとうまいらしい。知多・師崎港出身のおばちゃんが、うれしそうにもらっていった。僕は皿にてんこ盛りになった刺し身をたらふく食べた。脂が程良く乗っていて、うまいのなんの。

2月1日

 自分の中ではやっかいな仕事を抱え、休日を半分つぶして取りかかったものの、なかなかはかどらずにもんもんとすごした土日になってしまった。睡眠時間削ってまで仕事に向かったのに、まったくはかどらない、この歯がゆさ。いやになる。

 それでも映画を2本見た。無駄にすごしたわけではないと自分に言い聞かせる。