月: 2004年2月

2月29日

 遊びほうけていたら、寝る時間がないことに気が付いた。今日はDさんのFJ初レースの日だ。僕は出ないけれど、レースの雰囲気を味わいに、鈴鹿に出かけることにした。

 夜半から雨が降っていたらしい。明け方の東名阪を走り、鈴鹿サーキットに至る。到着したのは午前6時前。パドックの駐車場は、まだ静けさを保っていた。リクライニングしないロードスターでは厳しいが、少しでも良いからと横になる。うつらうつらしたと思ったら、次々と積載車がやってきて、爆音シビックがばんばん空ぶかしを始める。負けるものか、とひたすら目をつむるも、空がだんだん白んできてなかなか寝付けなかった。

 いつの間にか寝たらしく、窓ガラスをこんこんたたく音で目が覚める。総監督が起こしてくれたのだ。寝ぼけていたから何時だったか覚えていないが、2時間弱寝たんだろう。

 雨のおかげで、とても寒い一日だった。完全ウエット路面でのレースで心配だったけれど、無事完走した。勝ったのはDさんが選んだウエスト04Jを駆るドライバーだった。

 夜は、なぜか名古屋市内の病院で仕事だった。午後7時から10時ぐらいまで救急外来ですごす。医者も大変な仕事だ。

2月28日

 左のあばら骨付近が痛い。

 ここには書いていないが、ちょくちょくとレンタルカート場へ行き、練習している。今の自分の手持ちの経験ではFJに乗っても納得の行く走りができないと悟ったので、コソ連しているのだ。遅いので練習している過程をなるべく隠したいだけで、していないわけじゃない。

 金曜日は1万円で何周でもOKというイベントがあったので、仕事を早めに切り上げて午後8時前から走り始めたのである。

 基本的に平日の夜練習していたから、いままではカート場には僕一人だけ走っているだけだった。自分でいろいろ試行錯誤してタイムもちょっとずつ伸びていたのだけれど、Dさんが1回だけ走ってさくっと出したタイムとはほど遠い感じで、一人だけの練習では限界を感じ始めていた。走りたい放題なことも魅力だったが、だれかが走っているのを見られるだけでもありがたかったのだ。

 行くと案の定、何人かが走っていた。タイムを見ると、なかなか上手な人らしい。じっとしばらく走りを観察。コーナーの曲がり方について、大きな誤解をしていることに気づいた。

 誤っていたところが分かればあとは実践である。休む間もなく走る走る。試行錯誤試行錯誤。朝方は雪が降るほどの寒い日だったのだが、ジーパンにトレーナー1枚だけで走っていた。全身が凍るように寒い。が、走るには気合が入って良い感じだ。

 走りまくったものの、最初はほんの少ししかタイムアップしなかった。なぜだ、と思いつつ、走りまくって、あるコーナーで新しい攻め方(ようするにアクセル全開)ができるようになったと思ったら、ぽんと0.4秒以上短縮できた。Dさんが一発で出したタイムにようやく並んだのである。目標達成。

 ほかの人と一緒に走っても追いつかれることも、引き離されることもなくなったから大きく外れた走り方でないことは確か。まだまだ行ける気がするが、コースレコードからはまだ1秒以上ある。どう考えても、そこまで速くはならない感じだ。

 午後10時の営業終了間際になってきて、左の脇腹が痛いことに気が付いた。すでに周回数は120周に達していた。最後走ったときは、右コーナーは無意識に「うごご」と叫び声が出るほどの激痛で、なるべく痛まないよう体をずらして乗っているのでタイムは伸びない。130周で時間も来たことので、それ以上乗ることはあきらめることに。

 無限プレイングカートのPK-50という50ccのカートに乗っているだけで、体へのダメージは少ないかと思っていたのだが、考えが甘かった。ほかに走っていた人はなにか変なものと身に着けているな、と思っていたら、あばら骨用のプロテクターだったのだ。

 日が変わっても激痛は変わらず、湿布を貼ってごまかす。

2月27日

 朝からテレビは某宗教団体教祖さんの判決の話題でもちきりだ。ここ数日、洪水のように事件関連の特番がやっていたから、その間電波ジャックをしていたのと同じようなものだ。この期に及んでまだ迷惑をかけるところ、やっぱり常人ではない。

 裁判で判決が言い渡される場合、通常は「被告人を懲役 ○年○月に処する」と主文をまず読み上げて、それから理由を朗読する。が、死刑の場合は、慣例として理由から読み上げ、最後、主文を言う。最初に言ってしまったら、被告人がショックで理由を聞けないだろうから、というのがその理由なのだが、イレギュラーに理由から読み上げれば、死刑だと分かってしまうわけで、実効性があるのかないのか、いまいち分からない慣例ではある。ま、理由から読み上げたのに、無期懲役の判決だった例もあるみたいだけれど。

 今回の判決でも理由が先だ。だからマスコミなんかは「厳しい判決が言い渡される見込み」などと騒いだ。理由のなかでは、過去の事件で教祖が教徒たちに犯行を指示したのかどうか「認定」していくのだが、松本に住んでいた僕としては、もちろん松本サリン事件の認定が気になったのは言うまでもない。ニュース速報では「松本サリン事件も認定」と流れていた。

 松本市北深志の現場は本当に城下町らしい細い道が入り組み、建物が密集した住宅街だ。松本城の北隣には、長野地裁松本支部がある。そこからちょっと東に歩き、左に曲がってほんの少し北上すると河野さんの家がある。その南側がサリンをまいた現場だ。松本城から5分もかからない。取り壊された建物もあるけれど、当時とそれほど変わっていないようである。すぐ近くに裁判官が住む官舎があり、周辺住民も含めて狙ったらしい。組織の論理が人間のもっとも基本的な倫理を忘れさせてしまうところが、内向きの組織の怖いところだ。付近の住民はあまり当時のことを話したがらない。事件そのもののトラウマもあるだろうけれど、それに加えて、マスコミがたくさん押し寄せて「荒らした」のも原因の一つだろう。

 河野さんに会ったことがある。お話をして違和感を感じたものだ。奥さんが事件の被害に遭ってもう10年近く意識が回復しないのに、某宗教団体を非難するようなことは一言も言わない。むしろ、住民運動が起こって教団施設が立ち退かせようとすると、某宗教団体を擁護する発言をする。怒る、という感情はないのかしら、と心配してしまうほど、理詰めでものを考える人である。判決が出ても、露骨に怒ることはないのかもしれない。

 即時控訴で裁判はまだまだ続く。

2月26日

 たまにはいいか、と思って夜、飲みに行った。まったくの大人のつきあいの飲み会で、知っている人の顔を立てるだけが目的のようなものだった。参加することに意義があることが、世の中にはある。

 そんな飲み会なので、ようするに暇であったのだ。どうせ飲むのなら、少ない人数でとことん話し込むのが好きなのだけれど、20人もいるような会ではどうしても愛想笑いに終始してしまう。暇だから、酒に手が伸びる。知らず知らずのうちに量を飲んでしまったらしい。本格的に飲んだのは、けっこう久しぶりだったので、かなり回った。が、ぐるぐると地球の自転を感じるまでには酔わなかった。帰りのタクシーでは寝たけれど。

 せっかくの減量も、元の木阿弥になっちゃったかも。

2月25日

 「アット・ニフティを9年間ご利用いただきまして誠にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 From アット・ニフティ
スタッフ一同」

 というメールが届いた。ほお、もう9年ですか。1995年2月から入ったということなのか。

 当時は、PC9821As2という機械を使っていた。もちろん、Windows3.1だ。HDD340MB、メモリ5.6MB、CPUは486SX33MHzでディスプレー込み40万円という驚きプライス。いま、40万かけたら、ばりばりビデオ編集ができるパソコンが買えるのに。まだパソコンが非力で、MS-DOSもばりばり使わないと、不便な時代であった(それでもPC8801に比べて異常に速いと感じたのだが)。なぜなら、まだWindowsでゲームができる時代じゃなかったのである。

 @niftyもNiftyserveという名前だった。NECがやっていた、PC-VANにも入っていたが、ほとんど使わなかった覚えがある。初めて買ったモデムの速度は14400bpsだった。「パソコン通信」はテキストベースで、まだ一部の人の世界だった。ADSLで12メガだとか26メガだとかは想像すらできなかった速度である。

 まだ、インターネットの商用利用が始まったばかりのころで、大学など一部で使われていただけ。Niftyとインターネットでメールをやりとりすると、なぜか12時間後に届いたりした。思えば不便な時代であった。今から当時に戻ったら不便で涙がでちゃうだろう。

 わずか10年足らずでここまで進んだものも、いままでなかったかもしれない。僕が買った東京R&DのFV/2Kは大本の設計が1995年。僕のネット歴と同じだが、レギュレーションのおかげでこの9年、ほとんど変わらない。もちろん、陳腐化もしない。

2月24日

 出勤するときに久しぶりにFreedomをいじった。最近、暖かくなってきたためか、スロポジがずれてきたのか、4連スロットルの当たりが変わってきたのか、4000〜5500回転ぐらいのアクセルの開け始めで薄くなる症状と、踏み込んだときにノッキングが出ていたので、調整する。

 どちらも、加速しようとすると気持ちが悪い症状だ。薄くなる症状はほんの一瞬でるだけなのだが、レスポンスがとても悪くなったようで気持ちが悪い。ノッキングはちりちりきんきん鳴っているだけだから無視すればよいのだけれど、やっぱり気持ち悪い。

 昨年、シングルスロットルだったときは、寒い朝なんかは一発で始動しなかった。始動時の噴射量や水温補正がうまく設定できていなかったのだと思う。ことしはいくら寒くても一発で始動する。せっかくインジェクションで回しているのだから、やっぱり一発で回った方が気持ちがよい。

 それにしても、負圧で制御している限り、アクセル開け始めの微妙な領域は、機械的な当たり具合やカーボンの噛み込みでいくらでもずれてしまう。4連スロットルの同調と同様、ここら辺は季節ごとにちょっとずつ調整するしかないのかもしれない。

2月23日

 ブレーキパッドを変えてみて分かったこと。やっぱりプロジェクトμは高いだけあって、良く効くパッドであったということだ。まだSTAGEパッドの当たりが付いていないだけかもしれないが、タイヤをロックさせるのにけっこう気合を入れて踏まなければならなくなった。あと、フェードで効きが悪くなるのも早い気がする。

 が、その減りの早さも感動的で、1年でなくなってしまった。モーターランド鈴鹿が2回、ジムカーナ1回、おわらの里が1回、筑波が1回。スポーツ走行も松本にいたときよりは少なくなったし、何より、エンジンが壊れて2カ月は不動だった。積極的にモータースポーツをやっていれば、3カ月ぐらいでなくなってしまうかもしれない。そのたびに4万円払うかどうか。もし、これしかなくてタイムを削りたかったら使うしかないのだが、代替となる安いやつはないのかしら。

 街中で走っている分にはSTAGEパッドはまったく問題がない。キーキー鳴かないし、かえって快適か。

2月22日

 朝、総監督のモーニングコールで目覚める。「レーシングシューズを持ってきてくれ」とのこと。Dさんが忘れてしまったらしい。普通の靴では狭いFJのペダルは操作しにくい。

 今日は、Dさんの練習日。事実上のシェイクダウンで、スキルスピードでお世話になる最初の日だから、当然僕も行くことに決めていた。気合を入れて起きるつもりだったのだが、寝不足。きゃっぴきゃっぴなギャルギャルのモーニングコールならバッチリ目覚めたのだろうが、いかんせん、男からの電話である。また再び寝てしまって、寝坊気味になってしまった。

 それでも、走行開始15分ぐらい前にはシューズを届けることができた。朝から鉛色の空で、今にも雨が降りそうな天気だったが、とりあえずはぽつぽつと雨が落ちる程度でドライ路面である。

 車高やバネ、ショックの減衰などがテキパキとセットされていく。ドライバーが慣れてきたこともあり、1日の走行で平均的なラップタイムが刻めるようになっていった。1コーナーやS字付近で見ていたのだが、目の前を疾走するFJを見ていると、あれに乗って自分も走るのだ、という現実感がいまいちわかない。自分の車が来れば実感が出てくるのだろうか。

 夕方、FJをトラックに積み込むときに雨が降ってきた。ぎりぎりセーフ。一日を有効に使えて良かった。が、夕方からカートで走りたかった僕にとってはちょっと残念。そう思っていたら「むしろ雨の方が練習になる」と総監督。それでは、とちょっと水たまりのできたカート場で雨合羽を着こんで激走してきた。自分では激走しているつもりなのだが、とんでもなく遅い。曲がらないカートが、輪を掛けて曲がらなかった。すっ飛んで行ってコースアウトする恐怖との戦いなのだが、「別にぶつかっても大したことないですよ」とカート場の兄ちゃん。よっぽどカートが壊れることもないらしい。壊れても、よっぽどの大破でもない限り、お金は請求されないらしい。

 なんだ、そうだったのか。

2月21日

 ビートルズバンドのライブが春日井インター近くの教会であるとのことだったので、行くことにした。午後1時30分が集合時間である。午前中、同じくインター近くにあるカート場でも寄ってからのんびり行こうと考えていた。

 が、起きたら1時半だった。いくら真夜中にブレーキパッドの交換をしたとは言え、ちょいと寝過ぎたと反省しつつ、ロードスターに乗って春日井に向かう。自宅からなら、北にちょっと走れば春日井である。

 が、大都市近郊では良くあることだと思うのだが、名古屋方面へ向かう道は綺麗に整備されていて走りやすいうのだが、尾張旭から春日井へ行くとなると、高速道路を使わない限り、変な道しかない。土曜日だったので、案の定、ファミリーカーで渋滞していて時間がかかった。

 へんぴな場所にあったので、かなり迷った。ちょうど演奏が始まったぐらいの時間でぎりぎりセーフ。十字架を背景にした演奏は、アットホームな雰囲気でなかなか良かった。

 夜は勝川の居酒屋で反省会という名の、カラオケ大会。ライブが主役なのか、その後の飲みが主役なのか。車なので一滴も飲めずじまい。

2月20日

 ロードスターのブレーキがやばかった。プロジェクトμのHCを一年ちょっと使っていたのだが、フロントのパッドを使い切ってしまったらしく、ブレーキを踏むと左フロントから「ふごごごご、ごっご」と異音が出るようになってしまった。よく見てみると、まだ1mmちょっとは厚みがある。ローターの外周が変な削れ方をしているのを見ると、どうやら片減りして、地金の一部がローターに接触して音が出ているらしい。とても不快だ。

 1週間以上も前にRSファクトリーSTAGEのS-500パッドを取り寄せてあった。本当はプロジェクトμのHC-TITAN Kaiを富山の車屋さんに確保してもらってあったのだが、FJを始めるにあたって消耗品に4万以上のお金を払うのがもったいなくなり、急きょ、13500円とお買い得でもけっこう良いSTAGEのパッドにしたのだ。が、いかんせん忙しくて付ける暇がない。だましだまし乗っていた。普通にブレーキを踏むとローターまで交換しなければならなくなりそうだったので、サイドブレーキを駆使して車をコントロールしていた。

 我慢も限界に達していたし、なにより危ないので仕事から帰ってきて午前零時前から作業を始めた。

 きちんとグリスアップしていたら、終わったのが午前3時すぎだった。グリスがなかったり、ブレーキクリーナーがなかったりしていたので、車庫や物置を物色して探さなければならなかった。日ごろの整理の大切さを痛感するのだが、だからといって整理整頓しようとしない。ずぼらである。

 タイヤもスタッドレスから15インチネオバに交換し、心おきなくブレーキが踏めるようになった。