月: 2003年12月

12月10日

 全容が明らかになるにつれ、ホッとした部分とどきどきする部分とが入り交じって、反省することしきりだ。今日もメールが来て、失われた過去を改めて知るという何とも奇妙な経験をした。これも、周りが阿鼻叫喚の飲み会の中、一人、ウーロン茶を飲んで冷静に居てくれたベーシストのおかげである。

 「○○ちゃんは服を汚されたって怒ってたよ。今度見かけたらぶっとばしてやる!ってさ。ははは(^^)」

……。吐いて服を汚したのではないことは確かなのだが、気になる。

 「○△氏のセクハラみたいに、人に迷惑を掛ける類の酔っ払い方じゃないから。愉快!愉快!の楽しい酔っ払いであったぞよ。 人に害を与えない陽気な酔っ払い君でありました」

 良かったのか、悪かったのか判然としない。

 「帰る寸前に□○ちゃん(雅の注:人妻である)が来たのを覚えてるかな?君は□○ちゃんの足を持って放さなかったんだよ。愉快!愉快!わははははは〜(^▽^)」

 笑ってすむんだろうか。さらに引用。

 「あの焼酎はデンジャラスなのさ。 来日公演の際、ジョンがあの焼酎を飲み過ぎて翌日二日酔いで苦しんだそうだ。その体験からジョンが作ったのがDOCTOR
ROBERTらしい。

 ちなみに、その時ベッドで苦しんでるジョンを横目に、ポールが作った歌がGOOD DAY SUNSHINEらしい。そんな名曲を生み出した伝説の焼酎で二日酔いできるなんてCOOLじゃん!」

 おお、なんだかカッコイイじゃないですか(勘違い)。

12月9日

 ひどく気分が悪く、午前中ベッドから起きあがることができなかった。どんなひどい状態だったのか、思いだそうにも思い出せない。途中までは覚えているが、その後は断片しか残っていない。なぜかパジャマを重ね着して、しかも前後が逆だ。

 うう、とのろのろ起き出して、考える。どうやって帰ってきたのか。タクシーを降りた記憶はあるが、乗った記憶はない。久々にひどい酔い方をしてしまった。

 こんなとき心配になるのが、乱暴狼藉を犯していないかである。女の人とかに抱きついちゃったりしてたら大変じゃないですか。どうも、過去の経験からは、記憶がなくなるほど酔っぱらってもけっこう普通らしい。でも、心配だ。

 こんなときは、自分の失った記憶(いや、記録されなかったのか)を取り戻すため、おそるおそる情報を集める。パソコンを開いてみると、「大丈夫でしたか、無事帰りましたか。心配になって携帯に電話したけれど繋がらなくて」とメールが入っていた。心配してもらっている、ということはたぶん、乱暴狼藉はしていないだろう。一安心か。が、最後の一文。「カメラ大丈夫ですか?」。へ?

 のろのろと玄関にたどり着くと、ブラケットから脱落し、中身の電池をぶちまけたフラッシュを発見した。根本が折れている。直さなければ。

 もう一通メールが届いていた。「やっぱりあの焼酎はヤバいんだよ。たぶん君は2本分ぐらい飲んでるはずだよ」。そんなに飲んだんですか。2時間ぐらいの時間に焼酎1リットル以上飲めば、ちょっと中毒気味でやばいよなあ。文字で書いていると人ごとみたいだけれど、今にも出そうな吐き気を感じながら読んでいるのである。最後の一文。

 「ふふふ…楽しませてもらったよ( ̄ー ̄)」

 そうか、面白かっただけか。たぶん、乱暴狼藉はしていなさそうだ。返信メールを打つとしばらくして返信があった。

 「○○ちゃんの巧妙な『調子こいて飲んでんじゃね〜よ!二日酔いにしたろか大作戦』の罠にはまったね。△△ちゃんも手強いな。彼女にトドメを刺されたって感じだな」

 どうやら、おねえさま方のおもちゃになっていたらしい。がーん。

12月8日

 ライブがあるので一人勝手に興奮し、仕事が手に付かないでボケッとしていた。仕事が手に付かないのは、ほかの理由もあるのだが。

 7時半すぎにアンティーク・ノエルへ。「Give Peace a Chance(平和を我らに)」というポール・マッカートニーの曲の名を冠したイベント。日本が戦争を仕掛けた日にジョンレノンを追悼するとともに、暴走するアメリカに反対するというのが趣旨だ。

 店について驚いた。たくさん来る、とは聞いていたが、すでに超満員。立ち見も出始めているぐらい。いやいや、すごい。超満員なので、写真を撮るにもスペースが不自由。仕方がないからステージと客のテーブルの間に潜り込んだ。

 「Don’t let me Down」「Help!」「Stand by Me」「Helter Skelter」「Let it be」などなど。そして最後に、ジョン・レノンの「Happy
XMAS」。

 War is over if you want it (みなが望めば戦争は終わる)

と、観客とともに大合唱。けっこう、決まったライブだった。自衛隊が派遣されようとしているが、アメリカのエゴ丸出しの戦争に荷担する、という自覚をもっと持たなければならない。つい最近の選挙で首相を選んだのは僕たちなのだから、軍隊を送ることになったのも僕らの責任なのだ。

 そんな深刻な思いはケロリと忘れて、東京の満員電車みたいになってしまった店内からそそくさと抜け出し、飲みに行ったことは伏せておこう。

12月7日

 昨夜は知り合いに会いに行って飲ませてもらって、家に転がり込んで泊まらせてもらった。悩んでいることを相談したが、「やりたいのならやっておくが良い」との答えだった。人生の中の、本当にピンポイントのこの時期だからこそ、できることがある。

 10時すぎまでぐっすり寝させてもらい、何をすることもなく、のんびりすごす。人に家に上がり込んで、よくもまあ、図々しい。

 午後は、東区泉のアンティーク・ノエルというライブカフェで、ビートルズバンドのリハーサルを聞きに行く。僕の出番はないから、ただ聞くだけ。明日、8日にジョン・レノン追悼と反戦のライブが開かれるのだ。やたら人が集まっているらしく、席に座りきれないから立ち見になるんだって。すごい盛況ぶり。

 明日も仕事に身が入りそうにない。いつクビになるんだろ。

12月6日

 夕方に仕事場にいると、なんだか外が騒がしい。何だろう、と思ったら、うよく屋さんが街宣車で騒いでいるらしい。大音響で何かを叫んでいるのだが、何を叫ぼうが音が大きすぎて音が割れ、おまけに周りのビルにこだまするので何を訴えているのか分からない(笑)。

 用事があったので、その街宣活動のさなかに外に出ることに。5時すぎだったが、すでに外は暗い。表に出ると、想像以上の大音響だ。大迷惑。

 やかましいんじゃ、ボケェ!

やかましいんじゃ、ボケェ!

と、叫ぼうが、そんなささやかな叫びは大音響にかき消されてしまう。騒音には騒音で対抗するしかない。ロードスターに乗り込み、エンジンを始動する。のろのろと走ってくる街宣車。おもむろに、車を走らせて、ちゃんと車間距離があることを確認する。信号が青になったころを見計らい、

 ぶおん、ぶおん、ぶおん、ぶおん

ぶおん、ぶおん、ぶおん、ぶおん

と、暴走族まがいのレーシング。2寸管が付いているのがザンネンだ。直管だったらうよく屋さんもびびったんだろうけれど。

 信号が黄色になったら、急発進して逃げたことは言うまでもない。

12月5日

 部屋を片づけていたら、床に散らばった本やゴミの地層の奥から、一冊の本が見つかった。いや、9月号だからつい最近出た本なのだが、行方不明なってから久しぶりに発見されたので、感慨深かっただけなのだ。ああ、こんな本も買ったな、と。

 ある車いじり雑誌の増刊号。プロのメカニックの方がエンジンを元気にするために何が効果があるのかを解説している本だ。何が効いて、何が効かないか、が具体的にばっさりとした口調で書かれている。例えば「インターネット情報の落とし穴」という項目では「誰もが即座に情報を配信できるため根拠がない情報も多い」と、実に正しいことが書いてある。その通り! こんなサイトに書いてある情報など信頼しちゃあ、いけないのだ。

 チューニング業界で真実として流通している情報について「ちょっと待った!」という感じで反論しているところは面白いかもしれない。が、中には「反論のための反論じゃないか」と思ってしまう部分もある。例えば、「チューニングを始める人は『必ずポート研磨が効く』と信じて疑わない。『規則の厳しいノーマルカーレースはポート研磨などできないのだよ』と言いたくなる」と書いてあり、「無駄な作業はやめておきな」と締めくくっているのだが、それはポート研磨の効果云々の話ではなく、レギュレーションだろ!と突っ込みたくなる。が、まあいい。参考になることも書いてあるから。

 が、「アースチューニングこそ燃焼改善に大きく貢献するチューニングアイテム」「トルマリンはかなり効果が得られる」「最近注目すべきは波動処理製品!」とか書いてあると、本に載っていることのすべてが信じられなくなってくる。ま、それらのグッズに何らかの効果がある可能性は否定しないのだが、きちんと根拠を示してもらいたい。自らインターネット上にあふれる情報について正しく批判しているのだから。

 プロで責任持って書いている本であるのなら、「『何でこんなに変わるの?』と驚く製品もある」といった抽象的な表現ではなく、データで示さなくては駄目だと思う。はっきり言って人の体感はまったく当てにならない指標だ。思いこみで、ころころと人の「感じ方」は変わってしまう。「特効薬デス」と医者から勧められて、うどん粉を丸めたものを飲んだって、効果が出るのだから。さらに、費用対効果の検証もまったくない。オイルや燃料添加剤は効くのかもしれないが、トータルでいくらかかるかを検証してみたら、素直にシリンダーヘッドを面研して圧縮比アップした方が安くより高い効果を得られるかもしれない。

 ま、出版にあたってはさまざまな利害関係もあるだろうから、仕方がないところがあるのだろう。それでも、5月にエンジンを組んだときに、油圧が上がらなかった現象について、ばっちり言い当てた部分があった。「セルモーターを長時間、キュルキュルと回してもオイルが吹き出さないというトラブルも結構発生し、アマはパニック状態に陥る。この場合の多くの原因はオイルポンプにある。オイルポンプは分解して組み立てる際は、当然ながらオイルを塗布して組み立てるが、最後のカバーと付ける前とかに呼び水になるように少し多めにオイルを入れておかなくてはいけない。これを怠るとオイルポンプは空回りし、オイルは圧送されなくなるのだ」と実に的確に紹介されていた。エンジンをいじったことがなければ絶対得られない情報がきっちり書いてある半面、おや?っと思うことも書いてある。

 大切なのは、なにが本物なのかを見分ける目なんだろう。

12月4日

 スキャナーとプリンターをパソコンにつないで動くようにした。最近はUSBにつないでしまえば良いだけだから、設定がとっても楽。さっそく、9月に富山で開かれた走行会の写真をがしがしと入力する…、と思ったら、けっこうスキャンに時間がかかる。ま、一回セットすれば12枚まで自動で読み込んでくれるので、楽ではある。

 27枚撮りフィルム8本ぐらい撮ったので枚数が半端じゃない。スキャンしている間、ネットサーフィンでもしていればよいのだが、それも飽きたのでどろどろに汚れた部屋を片づける。スキャナーの導入で、これまであったフラットベッドスキャナ(EPSON
GT-5000WINS)とフィルムスキャナ(CANON FS2700)が余ってしまった。欲しい人がいればあげるのだけれど、こんな古いものだと誰もいらないか。オークションにでも出してみようかしら。

 とにかく、松本から持ってきてそのまま置いてある段ボール箱を何とかしなくてはならない。ぐちゃぐちゃになっていた中身を整理して、多くを捨てる。が、微妙に捨てられない仕事がらみの書類がけっこうあって、大変。こっちに入っていたガラクタをこちらの箱に移し替えただけ、という感じで不毛な作業だ。

 夜に始めてビールを飲みながらやっていたらいつの間にか意識を失い、朝起きても出勤もせず、スキャンと片づけを続けていた。そのうちに、ピンポーンと呼び鈴が鳴って、クロネコさんがやってきた。届けられた品物を見て絶句したのである。

 なんじゃこりゃ!

なんじゃこりゃ!

12月2日

 栄にて仕事をした後、丸善、マナハウスに寄って本をあさりまくる。頭の中がレーシング一色になっているので、関連書籍を探してみたが、これといったものはなかった。仕事をする気もないので、新書などを買い込んで、マナハウス内のカフェでさぼって遅い昼メシのカレーライスを食べながら、本を読み、仕事場に上がる。頭がレーシングなのでインターネットで関連情報をあさる。

 夜に「魚を食べに行こう」と誘われた。新栄にあるお店に向かう。旬のブリを食べてみた。大きめに切られてきて期待が高まったが、歯ごたえもなく、ちょっと残念。カワハギの刺身を頼んだら、肝がたくさん付いてきた。カワハギなんて身自体はそんなに味がしない。一番の食べどころはやはり肝だ。しょう油をつけてそのまま食べても良し、しょう油にといて、いろいろな刺身を絡めて食べても良し。たっぷり食べて堪能した。ぺらぺらにケチ臭く切られてくるフグの刺身をありがたがって食べるぐらいなら、カワハギを食べた方が安いし、楽しめると思うのだが。いや、高いフグを食べたことがないだけかもしれない。

12月1日

 Freedomコンピューターが調子が悪い。最悪なことに、パソコンとの通信ができなくなってしまったのだ。ほかに、ISCVが固定されたままになっているようで、冷間時のアイドルアップはもちろん、エアコンONのときのアイドルアップもしない。最近、ちょっと寒くなってきたので、アイドルアップしてくれないと、キーをひねっただけではエンジンが回ってくれない。仕方がないから、アクセルを踏んでマニュアルアイドルアップで対応する。5秒も踏んでいれば良いのだけれど。

 日ごろの酷使ぶりが気にさわってストライキでもしているんだろうか、僕のFreedom。エンジンは回るが、通信はしてくれない。家事は普段通りやってくれるが、突然口をきいてくれなくなった奥さんのように、いや、いつも通りを装って実は裏で何かを工作している裏切り者のように。悪いことをしたのなら、謝るよ、ごめんよ、と言っても何の反応もしてくれないので、手のほどこしようがない。

 とりあえず走るのだが、パソコンと通信してくれないとなんとも不安である。エンジンが不調になったらどうやって走ればよいのか。旅先で困ったことになったら、どうしよう。例えば、サーキットなどでバキュームセンサーがやられたら、その場でスロポジ制御に切り替えれば、そのまま乗って帰ることが可能だが、何よりも通信ができなければ、あきらめるしかない。

 こんな場合、まず、疑うのがケーブル。次にパソコン。パソコンは、家にあった予備のThinkpad535につないでみたがだめ。COMポートの番号をいろいろいじってみたが、まったく反応がない。土曜日に、三重のオリーブボールさんでケーブルとパソコンを借りてつないでみたものの、まったく反応無し。最悪なことに、Freedom本体に問題を抱えてしまったみたいである。

オリーブボール

 以前、Freedomを修理に出したことがある人に聞くと、3週間かかったという。その間、車が不動になるわけで、これはもうたまらん事態である。あわてて、富山の車屋さんに電話して、使っていないFreedomを1つ借りて送ってもらうことにした。

 昨日、家に帰ってきた時点でFreedomを取り外して、箱に梱包し、今朝に製造元のE&Eシステムへ送る気満々でいた。で、朝一番で電話。向こうでは怪訝な様子である。症状を伝えたところ、故障じゃない、と思っているらしい。が、現に動かないのだ。「ISCVも動いていないんですよ」というと、「だったら、やっぱり内部でエラーが起こっている可能性が高い」という。

 Freedomは内部でマルチタスクになっている、という。たぶん点火をする部分、噴射をする部分、各種補正をする部分、ISCVを動かす部分、パソコンと通信する部分などが各自独立したプログラムとして動いていて、何らかのエラーが発生してある特定のプログラムが致命的なダメージを受けても、他のタスクはそのまま動くようになっているらしい。一カ所がやられたら、コンピューター全体が停止してしまうようなプログラムだったら、簡単に車が不動になってしまう。純正ECUのようにフェールセーフ機能は持っていないのだが、一応は防御を考えた高度な設計であることに、へえ、と感心した。

 今回は、なにかの拍子に、パソコンと通信をする部分とISCVの制御部分がバグって機能を停止した。たぶん、パソコンとつないでいたケーブルが動作中に外れたことがあるから、それがきっかけになったんだろう。

 で、一度バグってしまったプログラムを復活させるには、Freedomを初期化する必要があるという。僕もプログラムがバグっただけだろう、と思って、パラメーターの切り替えはしていた。パラメーターとは、別のセッティングを呼び出すことができる機能である。Freedomは4つまで覚えていて、スイッチ一つで切り替えることができるのだ。

 オリーブボールでFreedomの不調が確定した時点で、他のパラメーターに切り替えてみたのだが、やっぱり通信はせず、ISCVも動かなかったから、これはだめだ、と思い込んでいた。が、E&E曰く、一度バッテリーを外したりして、電源を完全にOFFにしてから、初期化するのが重要なのだそうだ。さすがにそこまではやっていなかったので、ちょうどFreedomを車から取り出して、完全に電源を切った状態に一晩置いたことだし、再び取り付けて初期化をしてみることにした。

 僕はパラメーター「0」しか使わないからスイッチを「4」にして電源をONにする。30秒ほど待つと初期化が終わっている。そのまま、パソコンをつなぎ、FCSSを立ち上げると、何事もなかったかのように、内部のバージョンとシリアルナンバーが表示され、起動した。

 どうやら、パラメーターを切り替えて変わるデータと、Freedom内部に読み込んでいるプログラムは別らしい。データはイグニッションをONにすると毎回、読み込むが、プログラムの領域は変わらないのだろう。パソコンに例えれば、エンジンを止めるとレジューム状態に入るだけで、再起動するには、ハーネスから切り離したり、バッテリーを外したりして電源を切ってやり、改めて初期化する必要がある、ということか。

 そういえば、エンジンを組んだ直後の5月にISCVの数値が255のままに張り付いたときがあったが、あのときも直ったのは、電源OFF後の初期化をして直後だった覚えがある。

教訓:「故障かな」と思ったら、まずは電源OFF後の初期化を

教訓:「故障かな」と思ったら、まずは電源OFF後の初期化を

 ようやく動いたのが午前11時ぐらい。そうしたら携帯に電話が。「お前、今日10時から電話番だろ」。ぐげ、そうだったんですか、まったく頭の中に入っていなかった。しまったと、すぐさまロードスターで飛び出し、高速を駆使して仕事場にたどり着いたが、エンジンはまったく普通に動いていた。

 今日は夜に神楽坂で仕事だったので午後4時24分ののぞみで東京へ。6時すぎに到着し、最終のひかりで帰ったから、4時間弱の滞在だった。ただいま、ひかりの車中である。