月: 2003年12月

12月31日

 酔っぱらったまま、地下鉄で帰宅し、午前6時すぎにふらふらと玄関をくぐったら(午前様も甚だしい)、父と兄はすでに出勤していた。母も忙しく立ち回っており、ひとりどろどろに酔っぱらってにごった目で帰って来ちゃって反省することしきりだった。

 次に意識を回復したら、すでに昼過ぎ。なにか重要なことを忘れてはいないか、と考えたら、そうだ、年賀状を書いていない。慌ててパソコンを取り出して、デザインして印刷する。

 宛名を書かなきゃ、と思ったら気が付いた。友だちの住所なら分かるのだが、仕事関係の人たちは、仕事場に置いてある名刺を見ないと分からないじゃないですか。すでに年越し気分なのに、相変わらず殺伐とした仕事場に行く羽目になってしまった。年賀状書きは年越しが決定。

 元日からヘッド載せ替えで始まった今年も残すところわずか。とっても速くなったのだが、3月中旬に妙なトラブルでブロー。負けるもんかと、寝る間もおしんでヘッドを加工し、ボアアップに4連スロットルまで取り付けて、復活させたのが2カ月後の5月中旬。よくもまあ、そんなエネルギーがあったな、と振り返って思う。

 筑波を走るために、バネはフロント12キロリア10キロ。エンジンに固めた足、Sタイヤで昨年より6秒以上タイムが上がった(去年のエンジンが遅すぎたという話もある)。そこそこ速い車になったと言えよう。事実、ネオバを付けてワインディングを走らせると、決まった足にチューニングエンジン、恐ろしく速い。

 筑波をあと1秒速くしようと思ったらたぶん可能だ。LSDを組んで、空力もちょこっと手を入れる。お金をかければまだまだ。

 だが、僕の求めているロードスターとちょっとかけ離れつつあることを最近、特に感じる。足回りはバネレートのわりにはしなやかなのだが、やはり普通の車と比べるとひどい乗り心地だ。吸気音も排気音もものすごい。サーキットでの速さを求めれば、犠牲にしなければいけないのだが、僕の欲しいのはサーキットで速いロードスターじゃない。日本全国、あちこちに運んでもらい、人生を豊かにしてくれる道具なのである。

 年初めにまずやることは、デチューンになりそうだ。だが、来年も車三昧の1年であることには変わりがない。

12月30日

 放課後の教室に居残りにされて課題をこなしているような気分になりながら、ぱちぱちと仕事をこなす。はかどらなかったから、ほとんど寝ていない。午前中、寝てからこなそうと思ったが、さすがに髪の毛生え放題の頭のまま年越しするのは気が引けたので床屋へ行って処理してきた。

 再び自宅に戻って、ぱちぱち仕事。必要なメモ1枚が見つからなかったのだが、仕事場に上がると、余計な仕事を押しつけられそうだから、行かない。仕事を提出しても、電話すらしない。不良社員だ。

 夕方は、名古屋某所でキムチ鍋を囲む会。ほとんど寝ていないものだから途中で意識を失ってしまった。

12月29日

 名古屋某所にて友人が集まっての暴燃会があったのだが、今年最後の仕事がなかなかくせ者で終わらない。というか、気分はすでにおとそ気分で自宅にこもっていたら、いつの間にか夜になってしまった、というのが正直なところ。結局、この日は終わらず、翌日に持ち越しになってしまった。暴燃会にも出られず。

12月28日

 午後から鈴鹿入り。某ガレージにて打ち合わせをする。どっちも一長一短。安全パイを取るか、苦労するかも知れないが秘めたる可能性に期待するか。苦労するのは一向にかまわないのだが、報われないのは困る。苦労し損だったら、なんのために飛び込むのか分からない。金と時間は決まっている。その条件の中で最大限の上を目指せるのはどちらか。ばくちを打つつもりはない。理詰めで納得した方を選ぶことになる。

 夕方はオリーブボールへ。レーシングハチロクやら、妙にタイヤが引っ込んだロードスターがいた。

12月27日

 官公庁が昨日で仕事納めをしていようが、そんなことはまったく関係なく仕事だけは発生するので、仕方がないから午後から出勤した。よく考えてみると、外回りするのは今年、これが最後だと気づき、改めて年の瀬だと実感。

 夜は、昔からの知り合いと暴燃会。風邪気味だったのでビール1本飲んだだけでふらふら。座ったままあっという間に意識を失い、気が付いたら午前2時ぐらい。せっかくみんなと会ったのに、寝ただけで終わってしまった気がする。

12月26日

 ビートルズバンドのリーダで仕事場の上司でもある人からライブに誘われたので行ってきた。「gulff」というバンドで、なんと上司の息子さんがドラムをたたいているのだ。沖縄出身のボーカル、ギターが中心メンバー。沖縄色の濃いバンドで、東京あたりのライブはかなり盛況らしい。

 夜、仕事を抜け出して新栄のアポロシアターへ向かう。なかなか決まっていて良いライブであった。演奏に三線も取り入れているところが格好良い。ちゃんと、”LOVE&PEACE&MUSIC”と沖縄らしく平和のメッセージを音楽に込めているところも感心。この世相によく似合う。ブレイクすると良いのだが。

12月25日

 午後2時から、神戸市で仕事だったので、正午前ののぞみに乗る。1時間ちょっとで着くから近いものだ。地下鉄で板宿、山陽電鉄に乗り換えて月見山。仕事は2時間ぐらいで終わり、そのままとんぼ返りする。

 さすがに、本気カテゴリーではないとはいえ、フォーミュラに1時間乗って体力を消耗していたのか、はたまた、その後の夜遊びと寝不足がいけなかったのか、それとも、昼メシを食べなかったのがいけなかったのか、名古屋に戻ったときには非常にだるく、体を引きずるようにして仕事場に。そのままソファに座ったまま意識を失った。たぶん、上司らを前に大口を開けて寝ていた。

12月24日

 昨日のうちに会社のホワイトボードに「24日 三重」とだけ書いて、今日は鈴鹿へ行って来た。巷では、冬なのになんだかほんわかと温かな空気が漂い、数多くの若者が、夜の計画を完ぺきにこなそう、と企んで仕事が手に付かない中、僕は仕事を思いっきりさぼって、初めて走る鈴鹿・南コースを激走してきたのである。

 朝、作業用のつなぎを着て家を出発。サーキット近くのガレージに立ち寄り、メカの方とコースへ。ジムカーナ大会のお昼休みを貸し切りにして、まるまる1時間走れるのだから贅沢な話だ。

 簡単にシートを合わせて、保険に加入、そしてすぐコースインととてもお手軽。クラッチとブレーキが固いことと、シフトが右にあること以外は、極端に遊びをなくして軽量化したロードスターのフィーリング。車には10周ぐらいで慣れ、あとはコースをどう攻めるかである。

 ま、今の僕がタイムを云々と語るのはおこがましい。とにかく、合格点はもらった。

 走行終了後、ロードスターに置いてあったスーツに着替えて慌てて出勤。午後2時すぎには到着し、何食わぬ顔で仕事をしていた。

12月23日

 粗大ごみを捨てるのに、家の前に置いてあるロードスターが邪魔だったので、朝早く起きて動かすことに。いつものように乗り込んで、おもむろにキーをひねるも、、、。指導しない。ぎゅぎゅぎゅぎゅん、ぶすす、ぎゅぎゅぎゅぎゅん、ぶすす、と繰り返すばかりで、何ともならない。

 こういう場合、まず疑われるのがFreedomである。FCSSで通信してパラメーターを確認するも、それほどおかしいところはない。いくら回してもぶすすとまでは行くのだが、ぶおーんと回らない。おかしい。

 仕方がないのでプラグの様子を見ることにして、プラグレンチで外す。外してみて、ああそうか、と理解した。IRIWAYの8番が入っていた。さすがに一けた前半の気温になってくると、8番のプラグでは始動性が悪いみたい。昨日当たりに、オヤジがほんのちょっとの距離を移動させたらしいので、もともとかぶり気味になっていたんだろう。

 トランクに入っていたイリジウムの6番を付けて、クランキング。ぎゅ、と回ったらぶおーん、とあっという間に始動した。

教訓:むやみにFreedomを疑わない。基本すら忘れてしまう。

教訓:むやみにFreedomを疑わない。基本すら忘れてしまう。

12月22日

 さすが、シーサイドな温泉旅館だけあって、朝の景色はなかなか良かった。目の前に広がる三河湾。奥には渥美半島が東西に伸び、東の方から日が昇ってくる。野郎ばかり、虐殺されたように浴衣をはだけて転がっているむさ苦しい部屋から見ている、というのがとっても残念だ。

 朝ご飯も正しい、温泉旅館のものだったが、やっぱりちょっと古い。伝統と格式も大事だけれど、この時代にあっては、なにか新しい提案がないと、次に来ようとは思わない。

 ジムニーをぶっ飛ばして名古屋の職場へ。軽自動車のくせにけっこうスピードが出る。松本で乗っていたジムニーが時速100キロも出したら分解しそうだったのと比べると、すごい進歩である。名古屋インターから名古屋高速へ。途中に東名阪の料金500円が取られるのが、納得できない。