月: 2003年11月

11月8日

 Freedomをいじるために車に積んでいるThinkpad535を水没させてしまった。冷却水を補充するために積んでいたペットボトルの口の閉め方が悪かったらしく、いつの間にか助手席が池になっていた。Vスペシートだから、余計に水がたまる。やばい、とすかさずお池にはまっていた535を救出して、ぶんぶんと思いっきり振ってタオルでふき、乾かしてから電源を入れたが、スイッチを押してもうんともすんとも言わない。電源がやられてしまったようだ。

 同じThinkpad535を雨漏りで水没させてしまったこともあるから、同じことを2度繰り返してしまったことになる。こちらは1996年にあり金はたいて、当時2万はしていた16MBの増設メモリーとともに、35万ぐらいで買ったものだから、壊してしまったときはかなりショックだった。

 が、Yahoo!で1万ほどで買うことができることを知り、買い直したのが今回水没したモノ。もうちょっと出せば、そこそこ速い機種が買えたのだが、あえてこれを選んだ。Pentium133MHzといまのパソコンと比べたらとっても遅いのだけれど、当時のWindows95で使うとこれがすこぶる調子がよい。FCSSなんて速いパソコンを使ったところで、9600bpsと10年も前の速度でFreedomと通信しているのだから、意味がないのである。

 特質すべきがレジュームの早さで、ふたを閉じると3秒で寝て、開けると3秒ほどで復帰する。しかも、FCSSをバッチモードにしてFreedomと通信させた状態でレジュームさせると、次に復帰させたとき、そのままFCSSが動作するのだ。FCSSは起動した後、Freedomと通信する時間が鬱陶しいだけに、これはかなり使える。電源OFFからWindows95を起動しても、OS自体がとても軽くできているから、今の最新パソコンで2000やXPを起動するよりも早い。DOSにはかなわないが。

 2回目に壊して、今度こそ、今3万円ちょっとで買えるThinpad240でも買おうかしら、とも思った。が、ちょっと待てよ、と以前に壊した535を取り出してみてACアダプターと接続し、電源を入れると、LEDが一度光り、次にハードディスクのLEDが光ってそのままの状態で固まる。電源は入るが、次のBIOSとかマザーボードがやられているっぽい。

 ぴん、とひらめいて、35万で買った535をばらし始める。ハードディスクを外し、キーボードを外し、液晶を外して、筐体から基盤を取り出し、MWAVEという名前のDSPボードを外す。モデムと音源とを1つのチップでまかなうという当時としては優れた仕組みだったのだが、モデムと音源を別々に搭載した方が安く小さくできたようで、姿を消したものだ。

 次にマザーボードと電源、シリアル、パラレル、ディスプレイの各ポートが一体となったボードを取り外す。

 で、今回水没させた535も同じようにばらし始め、電源ボードを入れ替えてから、再び元に戻していく。とりあえず、マザーボードと電源をドッキングしたところで電源ON。ぴかっとLEDが光った。おお、生き返ったっぽい。

 急いで元に戻してハードディスクを差したら、何事もなかったかのように動くようになった。思わずガッツポーズが出る。

 あとにはばらばらになった535一台が残った。35万で買ったのに、と思うとちょっと切ない。

11月7日

 仕事が忙しいときほど、ほかごとをやりたくなるもので、しこしこと外気圧補正のことを書いたりしてしまった。最初、簡単に書くつもりだったのだが、やっぱり簡単に書いただけではよく分からない文章になってしまうので、あれこれ付け加えていったらどんどん肥大化し、なにやらFreedomの制御について半分ぐらいは書いてしまった感さえある。

 昨日の夜に書き出して、ビール腹が悲惨な状態になってきたので、お湯割り安焼酎を飲んでいたら、いつの間にか眠ってしまい、再び午前4時半ぐらい起き出して書き始め、そのまま出勤してしまったから、今日一日は眠くて仕事にならなかった。

 それでも、懸案だった外気圧補正を締めくくることができてホッとしている。まだFreedomについて理解できていないうちから書き始めてしまったので、理解が進むまで、書けなくなってしまっていたのだ。途中、エンジンの仕様も派手に変わってしまったのが、より深い理解に繋がった。

 それでも、理系の知識がある人からすれば、突っ込みどころ満載の文章だと思う。間違っていようが、これでお金取っているわけじゃないから、別に良いのだけれど。「おかしいよ」っと指摘があると、自分の知識と経験が広がり、うれしいのだが、あの文章自体、フリーダー以外には意味不明だろうから、たぶん指摘しようにも読んでさえいないに違いない。

 かなり狭い読者層に向かっての発信ではあるな。

11月6日

 ロードスターの冷却水激減り症状が出ているのだが、ここという場所が分からず漏れっぱなしになっている。走っているとクーラントの臭いがするので、間違いなくエンジン内部ではなく、外側に漏れているはず。そうでなかったらやばい。

 ファンが回るようになって、水温は93度を上回ることはなくなったのだが、気が付いてリザーバータンクを見ると空っぽ、という状態が続いている。2リットルペットボトルに水を用意し、補充する毎日。どこから漏れているのか、一度、下回りにでも潜ってみないと完全には分からないかもしれない。

 最悪なのがヒーターから微妙に漏れているケース。ヒーターを交換するためには、ダッシュボードを脱着しなければならない。面倒だからやらない。寒い冬になっちゃう。

 とりあえず、ラジエーターの漏れ止め液でもぶち込んでみようかしら。

11月4日

 金曜日、だらだらと仕事をしていたら、あっという間に時間が流れ、日付まで変わってしまった。同じくだらだらと仕事をしていた上司たちは、仕事場であるにもかかわらず、日本酒を飲んだりビールを飲んだり、楽しそうにやっているのだが、僕はロードスターで出勤しちゃったので飲むことができない。飲んでいるところを見せつけられるのは、非常につらい。

 翌朝は早く家を出なければならなかった。顔を出しているビートルズバンドが内海フォレストパークで開かれたさよならコンサートに出演することになっていたのだ。コンサートは午後からだから10時ぐらいに家を出れば間に合ったのだが、コンサート後の打ち上げで食べるべく、市場のおっちゃんからうまい刺し身を仕入れて行こう、という話になり、僕は車を出す係になってしまったのだ。朝8時に、仕事場のお偉いさんでもあるメンバーと市場で落ち合う約束をしてあった。

 が、起きたら8時だったので焦った。今起きたと電話したら「アホ、早く来い」と怒られた。慌てて支度をして、ロードスターは荷物が載らないからオヤジのクラウンを勝手に出して、ナゴヤバシリを駆使しながら出来町通りのバスレーンを暴走し、8時45分に日比野の市場に到着。お魚満載のトロ箱を積んで、名古屋高速から知多に向かう。

 雨が降るかもしれない予報だったのだが、素晴らしい秋晴れで、日なたにいるとちょっと暑いぐらい。コンサート前には時間があったので、ビールを飲んで芝生の上でボーっとしていたら、前日の疲れも忘れるぐらいのリラックス。良い時間をすごした。

 コンサートでは写真撮影係。フィルム2本ほど撮影。コンサートも順調に終わり、フォレストパークを後にする。ゴンドラリフトから眺める海は、夕陽に輝いて素晴らしい眺め。良い公園なのに、もう閉園。とても惜しい。

 内海駅にめり込んだすし屋で海の幸山盛りの飲み会が開かれる。例によってビールをがぶ飲み。後半になって大量の刺し身が出てきたのだが、すでに腹がいっぱいで残飯化しちゃったのが残念。隣のスナックに移動し、2次会。再びすし屋に戻って3次会をやり、取ってもらってあった旅館で意識を失う。

 何時に寝たかは覚えがないのだが、日曜日に起きたら8時半。この日は、飛騨・丹生川村で開かれる宿儺(すくな)祭りの前夜祭にご招待されていて、2時ぐらいには現地入りしなければならなかった。朝飯も食わずに慌てて知多半島道路から名古屋高速を経由して帰宅し、着替えだけ取ってそのままロードスターで出発する。

 飛騨からの直電で、紅葉を目当てにした観光客で高山周辺はすでにものすごい渋滞であることを知っていたので、国道41号で飛騨入りすることにした。が、すでに美濃加茂で大渋滞。住宅地の道や線路沿いの道などさまざまな裏道を駆使したものの、到着したのは3時前。

 飛騨大鍾乳洞がある山の中腹にある小さな鍾乳洞が、飛騨地方の伝説に出てくる「両面宿儺」という豪族にゆかりのある場所で、祭りの前にそこで法要が営まれる。9月末に丹生川で仕事をしたときに、地元の人しか入れない場所に入れてくれる、というので、顔を出す約束をしてあったのだ。

 この鍾乳洞にたどり着くのが大変だった。絶壁に設けられた階段を延々と上らねばならない。法要は3時15分で時間がぎりぎりだったから、最初走っていったらあっという間に酸欠になって貧血になってぶっ倒れた。

 なんとか5分前に鍾乳洞にたどり着いた。知多半島の先端から移動してきて、本当にぎりぎりだったのだから、自分でもあきれるぐらいの過密スケジュールである。忙しいのが仕事じゃないところは、問題があるかもしれない。

 役場前で開かれた前夜祭も終わり、お祭りに招待してくれた人の家に泊めてもらう。仕事で一回顔を合わせただけなのに、泊めてもらってお風呂入れてもらって食事を食べさせてもらって、さらにビールをがぶ飲みするのだから、ものすごく厚かましい人間だ、と自分でも思う。結局、午前1時まで飲んでいた。

 3日の月曜は祭りの準備があるというので午前6時に起床。残念ながら雨だった。それでも祭りの目玉である直径6.1メートルの宿儺鍋に火が入れられる。

 ロードスターはラジエーターファンのスイッチが壊れたのを機に、冷却水がなくなるトラブルを抱えてしまった。なくなり方が尋常じゃないので、飛騨の番長に応援を要請する。ラジエーターファンのスイッチももらう。「お前、飛騨まで車直しに来たのか」とあきれられた。雨の中、お祭りの会場の真ん前に止めた車のエンジンルームに顔を突っ込んで作業をしている姿は異様だったに違いない。

 とりあえず、ファンは動くようになり、冷却水漏れもサーモスタットからウオーターポンプへ出ているパイプがパンクしたのだろう、という結論になってとりあえずは様子見をすることに。

 祭りは雨の中でも大盛況で宿儺鍋が完成した頃には千人以上が列を作っていた。会場でだらだらと過ごし、午後1時、泊めてもらったおっちゃんに挨拶して会場を後にする。夕方から名古屋で職場の同期の結婚式二次会があるのだ。

 帰りの高速でちょっとラジエーターホースに取り付けた水温計の針の動き方がおかしかったので関サービスエリアで止めたら、リザーバータンクが空っぽ。ラジエーターにも500ccぐらい継ぎ足した。すでに3リットルは継ぎ足しているので、クーラントが薄まってほとんど真水のような状態である。家に戻って再びリザーバータンクを見ると、また空っぽ。早くホースを取り替えないとやばい。

 スーツに着替えて、地下鉄で栄へ。2次会は仕事場の人が多くてちょっぴり堅苦しかったので、同期だけで3次会、4次会。例によってビールをがぶ飲み。午前3時すぎまで飲んでいた気がする。

 で、金曜夜から月曜夜まで何をやっていたかを書いたわけだが、3日連続で飲んでいたことに気が付いて自分でもあきれた。

 今朝は7時半に起床。まだアルコールが頭を駆けめぐっていた。それでも、昼過ぎに岡山に行かねばならないので、気合で起床。3日間遊びまくっていたのだから、たまには働かないといけない。

 新幹線の中で寝たらちょっぴり体力が回復したらしく、かなり体調が良くなった。岡山大病院で仕事。いつも通り、街歩きをした。大学前商店街をずっとまっすぐ。駅前の市電が走っている通り沿いの街をあちこちぐるぐる歩いた。小一時間歩けたということは、まだそれだけの体力が残っていた、ということか。