月: 2003年9月

9月9日

 何となく点火系の調子がおかしいと感じていた。時々、高回転で黒煙が出ているのを確認しているし、突然アイドリングがばらついて、回転数がぐっと下がる。ま、普段からどろどろしてあまり調子が良くないのだから、アイドリングの不調はそれほど気にならないのだが、高回転で失火しているのだとしたら、大幅なパワーダウンになってしまい、さらにノッキングの要因となってしまい、困ったことになるのである。

 永井電子のプラグコードは、これで2セット目である。前使っていたものは、2年前の富山の走行会直前にリークだか分からないが、調子が悪くなってしまい、アイドリングで3気筒状態になってしまった。もちろん、2年前のまだまだ経験が足りなかった時分の話であり、実際にプラグコードがおかしくなっていたのか、点火コイル周辺で接触が悪かったのかどうか、完ぺきに原因を追及したわけではない。

 今回もプラグコードが悪い、という結論ではないのだが、とりあえず交換してみることにした。富山の車屋さんに落ちていたNGKのプラグコードである。

 さくっと交換して、エンジンをかける。ぶおん、がぶぉんとちょっと吹けが良くなった気がする。人間の感覚なんてまったく信頼の置けないものであって、「気がする」という程度では実際良くなったかどうか分からない。悪くなったとしても、良くなったと思いこんでしまうのが人間の感覚である。

 実際に回してみれば、高回転の違いが分かるかも知れない。おもむろに乗り込み、富山の田園地帯をぶっ飛ばす。2速で8000回転まで回るのは当たり前だ。それでも、これまでは6000回転あたりがピークでそれ以降は震動も増して回す気にならなかったのが、7000回転以上でもスムーズに回っていく。3速でも高回転ではじけるように回り、8000回転までは何とか回せる。何キロ出ているかは、考えないことにする。

 とりあえず、プラグコード交換で少しは良い結果となった気がする。次はコイルを交換してみよう。

 圧縮比が高くなり、ハイカムも入ってくると、点火には厳しい環境となる。燃焼室の中は覗くことができないので、実際どんな現象が起きているかは分からない。一つでも不安要素をなくすために、永井電子のMDIなどで点火強化をしたいと考えている今日この頃。

9月8日

 朝5時にモーニングコールで起きる。かわいいおねいちゃんのコールなら飛び起きるのだが、残念ながら。

 富山の水田地帯の静寂を4連スロットルの吸気音が破る。本当に迷惑な車だ。暖機もあるからあまり踏まないようにそろそろと走り出す。

 妙に乗り心地が良いことに気が付く。そう、タイヤが新ネオバに変わっていたのだった。前の旧ネオバがかなり減っていたことを差し引いても乗り心地が良い気がする。かちんかちんの旧ネオバと比べて、しなやかさを感じる。が、サーキットでは「よれ」としてネガティブな要素となるかも知れない。

 と、思って、コーナーを幾つか曲がってみたら、とんでもなく食いついていることに気が付く。よれる感覚はあるのだけれど、そこからぐぐっとグリップが立ち上がって、きゅっと車の向きが変わる感じ。コーナー手前で向きを曲げたら、すぐアクセルが踏める感じ。まだまだ新品だからだんだん変わっていくかもしれないが、とても良い第一印象である。

 国道41号から360号に入り、タイトな山道をぶっ飛ばす。飛騨清美インターへ。

 ここで失敗。ガソリンがない。古川あたりの国道沿いだったら、早朝から営業しているだろうと高をくくっていたら、まだ営業していなかった。インター直前のスタンドもまだ。メーターの針はすでに「E」に重なり、残りは10リットルもなさそう。これはこまった。スタンドは、90キロほど先の関サービスエリアまでない。

 ゆっくりと燃費の良さそうなスピードで走り、ひるがの高原に至るまでの坂は登り切った。あとは下りが多いから、燃費も良くなる。何とか、郡上八幡まで到達できれば、国道156号沿いにスタンドがあるだろう。が、いかんせん、本当に心許ないガソリンの量しかない。

 それならば、と周りにまったく車がいない道路状況を利用して、下り坂でスピードを上げて、エンジンオフ。滑走する。急坂なので、かなりの距離が稼げたと思う。エンジン切ると、ブレーキのマスターバックに負圧が供給されなくなり、ブレーキが利かなくなるので、他の車がいるときはやってはいけない。ま、最悪、エンジンに火が入っていなくても、ギアさえつないで回転数を上げれば負圧が供給されるのだが。

 郡上八幡で下りたら果たして営業しているスタンドがあった。給油43リットル近く。あと20キロちょっとでガス欠だった。関までいけたかどうか、ぎりぎりのところ。

 再び高速に乗って、東名・名古屋インターまで行ったら朝のラッシュが始まっていた。8時前には家に到着し、朝ご飯を喰らって着替えして、いつものように出発した。

 おお、富山から戻ってくるのは、文字通り「朝飯前」ということか。

9月7日

 富山の仲間がエンジンを組んでいるので助太刀になれば、と土曜日から富山入りした。

 ワイヤーが出てしまったネオバはさすがに交換しないといけないので、富山の車屋さんに新ネオバを注文してあった。2日前に替えたばかりの14インチから15インチに戻す。富山までの250キロでバーストしなければよいが、と不安に思いつつ、出発。

 ひたすら高速を走って飛騨清美から古川へ。ある方と待ち合わせして、富山市の食べ放題屋さんに行ってマニアックな話をしながら肉を喰らう。非常にビールが飲みたくなるシチュエーションであったが、車だし作業もあるし、我慢した。

 エンジン製作の手伝いだったはずなのだが、なぜか青いロードスターをいじくり回していた。なんと、エンジンとミッションとデフと足回りとブレーキパッドを一気に交換してしまうという、なんだか車を一台作り直すような作業だったので、もう猫の手も借りたいぐらいの忙しさである。僕の手も、猫の手よりは役立つだろうとあれこれ作業をする。

 排気系からデフ回り、PPF、ミッションと降ろしていき、エンジンを吊る。なにせ車屋さんだから、施設が仕事をしてくれるのでかなり楽だ。自分の家でミッション交換なんてやってしまうと、ごろごろと地面の上をはいずり回りながら苦労してミッションをエンジンから切り離し、お腹の上に載せたはよいが、自分が車の下から抜け出せないことに気づいて、ミッションをえたまま悶絶するという、というようなことになってしまう。

 気が付いたらあたりは暗くなるぐらいの時間。エンジン製作をちょっとだけ手伝って、宴会に突入。車のビデオを見たりしながら冗談みたいな量の缶ビールを消費し、いつしか意識を失う。

 それでも8時には起きだして、9時からエンジンの腰下製作開始。オイルポンプ、リアオイルシール、オイルパンと組み付けて一段落。腰下ってけっこう部品が少ない。

 そのほかにもヘッドカバーを磨いたり、カムのジャーナルとキャップを磨いたりして、その間に、エンジンを積んでミッションを積んでブレーキパッドを交換していた。なんというハードスケジュールだ。

 夕方、屋外でおもむろに宴会が始まってしまい、今日中に帰らないと明日の仕事に差し障るという理性の声はあっという間に聞こえなくなって、缶ビールの消費を始めていた。大量のビールを飲みながら濃い話をしていれば、いつしか時間は過ぎてしまう。結局、次の日に差し障る時間まで飲んでから撃沈した気がするが、あまり覚えていない。

 休日だったはずなのに、普段の仕事の日よりもハードだった気がする。それでもほかの人と一緒に作業していると、あれこれ現場の知識が増えるので、ためになるのだ。

9月5日

 4連ハイカムボアアップ新エンジンの走行距離が10000キロに到達した。動いてからまだ3カ月半なのだが。新潟行ったり、富山行ったり、長野に行ったりと大活躍なので、あっという間に走行距離がかさんでしまう。

 前のエンジンはちょうど10000キロぐらいで壊れた。シリンダーに傷が入って、オイル消費が増大。オイルを消費するぐらいなら問題はないのだが、プラグがオイルでかぶってしまい、3気筒状態になって走ることもままならない、という症状が出始めたので、さくっと降ろしてストックしてあったノーマルエンジンに積み替えたのだ。それが昨年の4月。

 今回のエンジンは、もう少しだけ過激な仕様になっているので、寿命は10000キロぐらいだろう、と半ばあきらめている。とすると、もう僕の中では壊れるかも知れない時期を迎えている、ということなのだ。まだサーキット走行すらしていないのだが。

 9月27日に富山の走行会後、10月18日には筑波サーキット。エンジンだけで昨年より2秒くらい上がりそうな気配なのだが、果たしてそれまでエンジンがもつのだろうか。

9月4日

 朝、6時に起きだして、おもむろに始めたのはタイヤ交換。ツーリングがてら、長野・飯綱高原で仕事を作ったので、下道を駆使してロードスターで行こうと思ったのだが、今付けている15インチワタナベ8スポークのネオバはフロントタイヤが片減りしてしまい、ワイヤーが出ている状態。ワイヤーよりももっとひどくて、なにやら繊維が飛び出している状態なので、さすがに往復500キロちょっとは不安だったので、14インチBBSに交換するのだ。こちらもネオバ。

 安物電動インパクトレンチの騒音が、朝の静寂を破る。日が昇り始めて気温も徐々に上がり、4本交換したら汗だくになった。

 多治見から中津川までは高速を使う。木曽路を走って、松本平へ。約束の時間に間に合わせるために、豊科から長野まで再び高速を使った。

 高速を走っている途中、面白い車を発見。異常に速いプリウスである。時速ぬおわキロぐらいで巡航していた。さすがにハイブリッドのプリウスでも、そんな時速で巡航すれば燃費が悪いに違いない。もう、エコカーでもなんでもなく、飼い主のエゴに従順なエゴカーである。そんなスピードで走れるという事実を知って、ちょっと新鮮な気がした。

 七曲がりから飯綱高原へ。去年の7月に走ったときには、2速でしんどかったので1速にたたき込んだ覚えがあるのだが、今回は2速でぐんぐん上っていった。ハイカムと4連でさすがに3000回転以下はトルクもへったくれもないのだが、それでも上っていく、ということはやはり排気量と圧縮比アップの効果が出ている、ということであろう。

 仕事をして、浅川のループラインを通って長野市へ。知り合い2人のところに顔を出したら夕方。アイドリングでなんとなく調子が悪いので、松本のディーラーの店長の携帯に電話を入れて「永井電子のプラグコードない?」と質問。残念ながら在庫はなかったが状態を見てくれる、ということだったので、見てもらいに行く。

 永井電子のプラグコード独特の持病があるらしく、簡単な対策をしてもらう。が、調子が悪くてディーラーに見せに行ったのに、なぜか見てもらっている間は調子が悪くならない、というマーフィーの法則的な現象が起き、結局決め手が分からないままであった。

 松本の知人とメシを喰らったら、午後10時前。高速代を浮かせるために、また木曽路を走り、中津川から国道363号。ひたすら下道で走り抜けて3時間半で家に到着した。

 アイドリングのばらつきがまだ出る。何が原因なのだろうか。

9月2日

 ある場所で強烈なにおいを嗅いでしまった。あまりにも強烈すぎて、しばらく鼻がおかしくなってしまうぐらいのものであった。

 においの発生源は、耳鼻科のお医者さんが持っていた道具であった。世の中にはにおいがまったく感じられなくなる嗅覚障害の人がいる。主に中高年の人が多いのだが、蓄膿症からにおわなくなったり、風邪を引いたときに突然、においがなくなったりするのだという。事故でむちうちになったときも、鼻と脳をつなぐ神経がぶちっとちぎれて臭わなくなることがあるのだそう。

 コーヒーなんて香りを楽しむようなものなので、鼻が利かなければおいしくないだろう。牛乳が腐っているかどうかも分からない。車野郎であれば、オイル臭やさまざまなにおいで、車の調子を判断する。ガソリンが漏れていて危険な状態でもにおいがしなかったら分からない。においは化学物質。それを感知するためのセンサーである嗅覚が壊れてしまったら、危険が近づいていても分からない、という危ない状態になるのだ。

 そんな嗅覚障害の人が、どれだけにおわないか、を測定するためにさまざまなにおいを封じ込めた試薬がある。かなり専門的な病院じゃないと置いていないらしいのだが、興味本位に見せてもらったのである。

 その試薬はA4版ぐらい、ちょうど麻雀を入れておくぐらいの箱に、ずらりと並んでいたのだが、開けた途端に、この世の物とは思えないようなきっついにおいがただよってきた。なんのにおい、と表現できないぐらい、いやなにおいである。「バラのにおい」という爽やかなにおいもあるのだが、「野菜が腐ったゴミ箱のにおい」「汗くさい、古い靴下のにおい」なんてものもある。試薬はふたがしてあるのだが、少しずつ成分が揮発して箱の中にたまっていたのだろう。それらのにおいが一緒くたになって鼻に飛び込んできたのだから、これは、たまらない。一瞬めまいがするぐらいである。

 災難はその後も続いた。ふとした瞬間に、強烈なあのにおいがにおってくるのである。たぶん、嗅覚を感じる細胞が馬鹿になっちゃったんだろう。直後は、なんのにおいを嗅いでも、そのにおいしかしなかった。セルフスタンドでガソリンを給油したとき、ガソリンが気化した強烈なにおいを嗅げば少しは収まるだろうと、給油口をくんくんしたら、におってきたのは、ガソリン臭ではなく、まさしく先ほどの強烈なにおいがしたのにはさすがに焦った。もちろん、ガソリンの臭いがしていたのだろうけれど、それを感じる僕の嗅覚神経が完全にくるっていたに違いない。

 さらにその後である。二上山のお店でおいしいものを食べているのに、ふとした瞬間、食べ物からそのにおいがするのである。せっかくのごちそうも、台無しだ。鼻に水を注入して洗いたい気分にさえ、なった。さすがに翌日までは続かなかったが。

 お医者さん曰く、「服に付くとイヤなんですよ。ずっとゴミ箱の臭いがするんです」。いつもゴミ箱のにおいがしている白衣のお医者さんを想像して、笑ってしまった。

9月1日

 場所の力、というものが確かに存在する。

 計測できるような具体的な力ではない。そこですごしていると、緊張もほぐれ、力をもらうことができる。「癒やし」という言葉は氾濫しすぎて安っぽくなってしまったのでなるべく使いたくないのだが、殺伐とした日常を送ってすり減った心を回復させることができる。やっぱり、そんな場所は、人を集める磁力のようなものを持っていて、周波数の合った人間がわらわらと集まってくるのである。

 富山の二上山にあるお店はまさしくそんな場所だ。白川郷や五箇山で有名な合掌造りを、五箇山近くの福光町の奥地から移築した建物。地区の関所も兼ねていたといい、他の合掌造りよりも一回り大きい。

富山の二上山にあるお店

 築200年。最近の建築ではあり得ないぶっとい柱に巨大な梁。3階建て。コーヒーを楽しみながら、天井を見上げるだけで時間がつぶせる。1杯のコーヒーで何時間長居しようが、頻繁に水をついで圧力をかける店ではないので、ゆったりとすごせる。まあ、「裏メニュー」が豊富なこの店を訪れて、コーヒー一杯だけ飲んで帰る、という芸当は不可能なのだが。

 土曜日に、仲間とわいわいやった後、ビールを飲みながら深いトークをマスターと繰り広げた。味覚と視覚と語りが心に染みわたる。とりとめのない話の中、マスターのこの言葉が心に残る。「ここはいろんな意味で『レストハウス』ですから」

 現代に生きる人間には、こういう時間が大切かもしれない。