月: 2003年9月

9月20日

 友人の結婚式に参加するため、東京へ。大切な日であるから、やっぱり仕事はきちんと片づけておきたかったのだが、ちょいとやることを残してしまった。普段からさぼっている方が悪いのだが、ちょいと反省する。

 呼ばれたのは、同級生でも仕事の関係者でもない、なんと車仲間なのである。ロードスターに乗っていなかったら、インターネットを通じて知り合っていなかったら、縁もゆかりもなかった人間が、こうやって人生の大切な節目に呼ばれるぐらいまで親しくなれるのだ。地域も職業も学校もまったく関係ない人たちが4人も呼ばれて式場の一角を陣取っているのだから、親族はじめほかの出席者たちは「あの人たち何者かしら」と不思議に思っていたに違いない。血縁も地縁も金の縁もなく、共通の趣味を通じてここまでつきあいを深くした経験を持っている人なんてなかなかいないだろうから、やっぱり端からみたら理解できないに違いないのである。

 式は池袋のサンシャイン59階にて。1眼レフを持ち込んで、式場専属カメラマンよりも目立つ場所でばしばし撮ったやった。歌をうたったり、大暴れ。

 こういうことがあると、ほぼ毎日こうして役にも立たないくだらない文章を書き続けてきてよかったなと思う。ロードスターがつくってくれた縁に感謝。

9月19日

 「前のスタンドが大変なことになってるよ。行かなくて良いの?」と、市場で知っている人に声を掛けられた。エレベーターに乗る寸前だったので、何のことだか聞き直すことができなかったが、ピンときた。

 市場のおっちゃんとともに、3階の窓からスタンドを見下ろすと、果たしてテレビカメラや中継車がスタンドを取り巻いていた。大曽根で爆発した人がガソリンを仕入れたのは、市場の隣のスタンドだったのである。消防法かなにかの違反容疑で家宅捜索があったらしい。

 ポリタンク8本も持ち込んで、144リットルのガソリンを買ったら、絶対に怪しまれる。ポリタンクでは危険だし、大量すぎる。「機械の洗浄をする」といって買ったらしいのだが、別のスタンドでは無理だったろう。市場の隣なら、市場でつかうガソリンをポリタンクに入れて売るというのはしょっちゅうだから、怪しく思っても売ってしまったのだろう。

 あのおばちゃんが住んでいる同じアパートに住んでいたんだよ、と市場のおっちゃんが近くに座っていたおばちゃんを指さしながら教えてくれた。世間は狭い。

9月18日

 土曜から夏休み4連休を取るのだ。ことしの年末年始は、丸1週間とここ数年ないぐらいの連休を取ることができたのだが、それ以外は土日で連休を取るぐらい。世間一般の人がリゾートしているお盆前後は、宮城へ行ったりしてあわただしかったので、夏休みがこんな時期になってしまった。しかも、平日で休むのは月曜日だけという涙ぐましい休みの取り方である。

 ちょっとまて、お前は遊びに行きたい先に出張をつくって散々やりたいことをやっているだろう、という指摘は正しい。まったくその通りなのだが、やはり仕事を考えない日々というのもたまには欲しいじゃない。

 何が何でも休むためには、仕事を片づけなければならない。が、そんなときに限って仕事が山積しているのである。まず、朝7時から市場へ行かないといけない。寝不足のまま仕事もはかどらず、夕方には仕事場のソファで意識を失っていた。

 夜になって、まったく仕事が片づいていないことに気が付き、しばしぼう然。

 これはいかん、と気合いを入れるために、コンビニでビールを仕入れて飲みながら仕事。ビール飲みたいでつ、と愚痴るとビール券くれる上司がいる変な仕事場なのである。

 日付が変わるぐらいまで粘ったのだが、空きっ腹に3本飲んでふらふらになってしまったので、さすがに質を上げることはできないと観念して帰宅。

9月17日

 帰り道、爆発事件の現場を通りかかった。現場では夜にもかかわらず、復旧工事のため、足場を組んでいる最中であったが、爆発したフロアは、無惨に焼けただれて変形した窓枠が生々しく剥き出しになっていて、火力の強さを伝えていた。

 本当に大曽根駅のど真ん前。最近、虎が3たてを喰らった名古屋ドームから歩いて10分ほどの場所である。

 亡くなった警官をうちのオヤジは知っていた。同じ社の同じフロアーにいる人がけがをした。世間って狭い。

9月15日

 朝、起きたら体中がめりめりと悲鳴をあげていた。さすがに、昨日のツーリングはきつかったらしい。自分のペースで走る650キロと違い、助手席を意識しながらの650キロなので疲労度が違う。一人で走ったのだったならなんともなかったのだろうけれど。

 大阪で午後3時から仕事があったので12時には家を出なければならない。が、昨日さぼった仕事を進めないといけないので、少し早めに起きて、ぼちぼちと取りかかる。疲れているときだから、まったく能率が上がらない。

 仕方なく、新幹線の中でも、パソコンを広げてぱちぱちと仕事をしていた。さながら、敏腕ビジネスマン風のシチュエーションだが、遊びすぎたつけを払っているに過ぎず、服装もよれよれのシャツにジーパンなのだからさまにならない。

 新大阪から梅田。阪急で豊中へ。仕事だか趣味だか分からない時間の過ごし方をして、午後8時ごろ、帰途に就く。

 ここで不吉な情報を入手した。阪神の優勝が決まった、とのことである。阪神が優勝するのは一向にかまわないし、おきまりの巨人が優勝するよりはなんとなく晴れがましい気分になるのだが、今から梅田を通らなければならないのである。すでに阪神ファンの騒ぎが始まっているに違いない。

 果たして御堂筋方面は身動きできないほどの人が集まり、歩道橋の上もびっしり。大変、緊張を覚える状態になっていた。六甲おろしの大合唱。発煙筒を振り回しながら走り回るヤンキー車。タイガースの応援グッズに身をまとった人が多かったということは、甲子園から戻ってきた連中だったのかもしれないが、異常なハイテンションで、さめた人間からすれば、怖いだけの状況であった。

 そそくさと新大阪に逃れて、新幹線へ。東京行き最終ひかりの自由席は虎ファンで一杯だったので、あきらめて次のこだまに乗ることにする。

 さすがに疲れが出たらしく、気を失って気が付いたら名古屋だった。

9月14日

 仕事に疲れてため息ばかりついている友人が、「ツーリングに連れて行け」というので、仕方なく1日をつぶすことにした。仕事がたまっちゃっていたので、ちょっとだけでも進めておきたかったし、ロードスターはISCVの配線が断線してしまい、アイドリングが1500回転になってしまっている。配線が繋がったり切れたり、微妙な状態になるのか、ぶおんぶおんと回転が上下して、しまいにはエンストする、という症状も出ているので、はんだ付けでもしてしっかり配線したいと思っていた。

 が、暗い表情を見ると「イヤだね」なんて答えができなかったので、連れて行くことにした。

 朝10時ごろ、迎えに行き、どこに行きたいか、と聞くも決まっていない。高速道路に入るまでに西か東かは決めないといけない。行けそうな範囲を絞れというので、東なら伊豆ぐらいまで、と答えた。

 「だったら伊豆」と簡単に言う友人。せっかくだから、先端まで行きたいのだと。北陸の仲間は今日、能登をツーリングしているのだし、悪い目的地ではない。が、往復をしたら尋常な距離じゃない。僕にとってはたいしたことがないのだが、うるさく乗り心地が悪い僕のクルマで助手席に乗せられて、そんな距離を走ったらしまいには怒り出すんじゃないだろうか。

 それでも、言い出しっぺに責任があるわけで、東名高速を東へ。九月も半ばなのが嘘みたいにクソ暑い。仕方がないから、クーラーを付けていく。それでも直射日光が当たって暑い。

 やっぱりネオバは新ネオバになって若干乗り心地が良くなっている気がする。なのにグリップレベルはかなり上がっているらしく、ちょっとハイペースに走ってもまったく不安感がない。

 順調に走っていたら、清水インターの先で事故渋滞。迷惑な人がいるものだ。仕方なく、静岡インターで下りて国道1号で伊豆を目指す。

 沼津に入って伊豆半島に侵入したと思ったら、大渋滞。やっぱり狭い半島目指してたくさんの車が入ってくるのだから、込んで当たり前。覚悟はしていたのだが、すでに午後1時を回っていたので、予想外であった。

 西側の海岸線を走り、途中、スカイラインを目指す。海からいきなり山になっている伊豆だから、高度を稼ぐと眺望が良いに違いない。果たして、山の上は気温もちょうど良く、下界では不可能だった開幌にできて、海が見えて気持ちがよい道であった。

 半島中ほどまで尾根伝いの、ビーナスラインのような道をぶっ飛ばし、細いつづら折れを下って西伊豆へ。海岸線沿いの国道を走っていたら、いつしか辺りはうっそうとしたジャングルのような土地になっていた。ものすごいへんぴな土地である。

 石廊崎に着いた頃には日没近かった。夕陽がとってもきれいだったのだが、ロマンチックな思いに浸ることもなく、下田に向かう。下田で海鮮料理を食べ、天城峠あたりを通って修善寺に至り、沼津、富士市。富士インターから高速をぶっ飛ばして、名古屋に着いたころには零時を回っていた。

 走行距離650キロほど。運転する人間もおかしいが、ずっと乗っている人間もおかしい。

9月13日

 ビートルズバンドの練習があったので、仕事を途中で抜け出して見学に行く。

 リードボーカルが仕事で途中まで来られなかったので、当て馬にされた。「help!」「Ticket to Ride」「Octopus’s Garden」などなど。「勝手な音でコーラスするな」と怒られた。

 その後、すぐ横の居酒屋で宴会。なぜか家にあった大町の銘酒3本セットがあったので、こっそり持ち込んで、飲みまくった。ふらふらになって、帰宅。

9月12日

 「これやるよ」と会社の同期から2枚のチケットをもらった。中日対阪神のチケットである。マジック2で、絶対優勝がない、という微妙な試合である。せめて、昨日の試合が終わる前にもらっていれば、速攻でチケット屋にたたき売れば数万円になっていたはずである。

 仕事中にもらったので、チケット屋に行くわけにもいかず、さすがに球場前の「券ないか〜」のおじちゃんに売るのも気が引けたので、行くしかない。それでも、道連れを探す時間も余裕もない。もたもたしているうちに、午後6時のプレイボールの時間になってしまった。もったいないので、ドームに向かう。

 知り合いからメールが届いたので、券があるよ、と伝えたら、来る、と即答があった。まあ、今シーズンの一番良い時期の試合だから、当たり前のことか。

 金沢に住む知り合いの虎キチ夫妻がこの3連戦で優勝するだろうと山をはり、2試合のチケットを押さえて名古屋に乗り込んできた。真っ黒な法被を着こんで応援している姿は、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。

 ふれておかねば分からない人が多いかもしれないのだが、今シーズンの阪神の快進撃は、名古屋人にとって、とっても複雑な、というよりはにがにがしい気分なのである。だって、中日を辞めた星野さんが、野村さん降板の一報を受けて間髪入れず監督に就任し、さらに中日の首脳陣を引き抜いて、いまのチームを作っているのである。かつては名古屋のヒーローだった星野監督が、今はタイガースの神様になりつつあるのである。

 だから、名古屋人はドームで星野監督を胴上げされてたまるか、と思いながら見ている。が、監督すらいないいまの弱竜チームで、猛虎が倒せる勝算はないのである。

 ドームは、阪神ファンに占拠されていた。スタンドは、右翼のドラ応援団以外は黄色と黒色な感じ。ドームなのに甲子園な雰囲気。福留がんばれーとでも叫ぼうなら、回りからタコ殴りに遭いそうな殺気。ホーム球場なのに、なぜ?

 でも、阪神ファンの応援って気持ちが良い。3塁ベンチ裏あたりで観戦したのだが、回りの虎キチは外野の応援団の音頭を常に気にしながら叫んでいる。距離にして100mはあるから、タイコやトランペットの音が若干遅れて聞こえるのをうまいこと合わせて、合唱している。虎キチであるならば、さぞかし気持ちよく、ストレス解消になる空間であっただろう。

 試合といえば、監督もいない弱竜に、猛虎が食われてしまった。こんなファンを抱えた球団だから、優勝のプレッシャーもかなりのものなのだろう。気合いが空回りして、駄目だったみたい。

 金沢から来た虎キチが、枯れた声でしょげているのを見て、かわいそうになったから、14日のチケットが手に入るつてがあったので、手配して3枚プレゼントした。これもたたき売れば数万円になったのかなあ。

9月11日

 東京帰りして、残務整理していればなんとなく時間は9時をすぎてしまい、そこから帰宅するのが10時となれば、寝るのはどう早くたって零時を回ってしまう。今日は市場の日であり、午前4時半には起き出して、向かう。

 早朝の仕事も最初は大丈夫。市場のおっちゃんと軽口をたたいて、メシを喰らって引き上げればよい。9月から底引き漁が解禁となったとあって、魚種が豊富になっていた。市場の扱う品物はサケやサンマなどすっかり秋めいているのだが、どうだこの暑さは。

 仕事場に戻ってたまっている仕事を整理しようと気合いを入れたのだが、入らずあえなくソファーで就寝。あんぐり口を開けている横を、たぶん重役が通っていったはずである。名古屋に来てから1年たつので、そろそろ左遷スケジュールが確定してどこかへ飛ばされるかもしれない。

 気合いを入れて寝ていたので気が付いたら10時。やっぱりスタートが悪いと一日中気合いが入らないもので、机に向かっては眠くなってソファで寝て、机に向かっては寝てということを繰り返していた。

 そして、家に帰るとなぜか元気になって遊びまくっているのである。見よ、このスチャラカぶり。

9月10日

 仕事があったので、11時20分ののぞみで東京へ。市ヶ谷に至る。

 名古屋は朝、天気が悪く大雨だったのだが、東京は晴れていた。名古屋と同じ程度に、東京もクソ暑い。2時間程度の仕事を終え、向かったのは秋葉原。

 前にROMチューンに使うEP-ROMをレールで13個買ったのだが、どういうわけかレールごとどこかへ行ってしまった。1個400円が13個だからなかなか痛い。ないと不便なこともありそうなので、またレール買いしてしまった。

 そして、とんぼ返り。