やっぱり疲労がたまっていたので、朝はゆっくりすることにして、午前中は家でパソコンに向かい仕事。こうなると、地下鉄に乗って通勤する気なんてさらさらなくなるので、ロードスターで向かう。
ちょいと思うところがあったので、玄関先に積んであった2脚のシートのうち、助手席シートを持ち出して、ロードスターに積んでおく。運転席は相変わらずエスケレートである。
今日は中村区、近場での仕事があった。タクシーで中村日赤に行き、仕事が終わって通りに出てみると、昔ながらの商店街だったので、なんとなく歩き始めた。
名古屋駅方面に歩いていて、ちょいと異様な雰囲気に気が付く。どうも、普通の店の間に風俗店があったり、古くて豪壮な建築なのに、なぜかビジネス旅館をやっているお店があったりするのを見ると、昔はやばい街だったんじゃないだろうか。あれこれ、巡ってみてやはりそうだと確信した。(あとでネットで調べると、昔は中村遊郭という一角だったそうだ)
なんとなく、怪しげな雰囲気と歴史を堪能して、名古屋駅西銀座通商店街へ。あかひげ薬局が何とも言えない。太閤通りに出て、ガードをくぐり、円頓寺商店街へ。円頓寺本町、西町、東町に分かれているみたい。アーケードの商店街は昭和40、50年代の面影をそのまま残しているのだが、やっぱり市街地の空洞化で人通りは少ない。こういった場所を残していかないと、街の味のようなものが無くなってしまう気がするのだが。
気になるのは商店の建物である。通りに面した壁、ファサードは、こぎれいにしてあっても、それは壁一枚きれいなだけで、裏側は瓦屋根の古い木造の建物。しかも、通りに面した部分は店舗とするため、壁も柱もない。コの字にだけ柱と壁があり、たぶん造りの古さから壁には筋交いも入っていなさそう。何が言いたいか、と言えば、そのうちに来ると言われている東海地震が来た場合、揺れの方向によっては、商店が道側に倒れてくる大惨事になっちゃう可能性があること。宮城県の被災地を見てきているから、余計にそんな心配をしてしまう。
災害に強い街にするには建て替えた方が良い建物。しかし、新しくなったら味がなくなっちゃうかもしれない。そもそも活気がなければ建て直そうという気もお金もない。でも、地震は来ると言われている。良い処方せんはないものか。
そんなことを考えているうちに仕事場に到着。夜10時ごろまでうだうだすごしていたら、昨日乗車拒否した上司が再び声を掛けてきた。「今日は助手席積んできましたからOKですよ」と答える。
一緒に帰ることになり、ロードスターへ。そういえば助手席のボルトは手で回した程度で固定していなかった。「ボルトが締まっていませんが、めんどくさいからこのままでも良いですよね」と言ったら、「ちゃんと締めてくれよ」と怒られた。