月: 2003年9月

9月30日

 やっぱり疲労がたまっていたので、朝はゆっくりすることにして、午前中は家でパソコンに向かい仕事。こうなると、地下鉄に乗って通勤する気なんてさらさらなくなるので、ロードスターで向かう。

 ちょいと思うところがあったので、玄関先に積んであった2脚のシートのうち、助手席シートを持ち出して、ロードスターに積んでおく。運転席は相変わらずエスケレートである。

 今日は中村区、近場での仕事があった。タクシーで中村日赤に行き、仕事が終わって通りに出てみると、昔ながらの商店街だったので、なんとなく歩き始めた。

 名古屋駅方面に歩いていて、ちょいと異様な雰囲気に気が付く。どうも、普通の店の間に風俗店があったり、古くて豪壮な建築なのに、なぜかビジネス旅館をやっているお店があったりするのを見ると、昔はやばい街だったんじゃないだろうか。あれこれ、巡ってみてやはりそうだと確信した。(あとでネットで調べると、昔は中村遊郭という一角だったそうだ)

 なんとなく、怪しげな雰囲気と歴史を堪能して、名古屋駅西銀座通商店街へ。あかひげ薬局が何とも言えない。太閤通りに出て、ガードをくぐり、円頓寺商店街へ。円頓寺本町、西町、東町に分かれているみたい。アーケードの商店街は昭和40、50年代の面影をそのまま残しているのだが、やっぱり市街地の空洞化で人通りは少ない。こういった場所を残していかないと、街の味のようなものが無くなってしまう気がするのだが。

 気になるのは商店の建物である。通りに面した壁、ファサードは、こぎれいにしてあっても、それは壁一枚きれいなだけで、裏側は瓦屋根の古い木造の建物。しかも、通りに面した部分は店舗とするため、壁も柱もない。コの字にだけ柱と壁があり、たぶん造りの古さから壁には筋交いも入っていなさそう。何が言いたいか、と言えば、そのうちに来ると言われている東海地震が来た場合、揺れの方向によっては、商店が道側に倒れてくる大惨事になっちゃう可能性があること。宮城県の被災地を見てきているから、余計にそんな心配をしてしまう。

 災害に強い街にするには建て替えた方が良い建物。しかし、新しくなったら味がなくなっちゃうかもしれない。そもそも活気がなければ建て直そうという気もお金もない。でも、地震は来ると言われている。良い処方せんはないものか。

 そんなことを考えているうちに仕事場に到着。夜10時ごろまでうだうだすごしていたら、昨日乗車拒否した上司が再び声を掛けてきた。「今日は助手席積んできましたからOKですよ」と答える。

 一緒に帰ることになり、ロードスターへ。そういえば助手席のボルトは手で回した程度で固定していなかった。「ボルトが締まっていませんが、めんどくさいからこのままでも良いですよね」と言ったら、「ちゃんと締めてくれよ」と怒られた。

9月29日

 飛騨で仕事をしてから出社しなくてはならない。富山を8時に出発して、開幌で走り出す。秋の爽やかな空気に青い空。素晴らしいオープン日よりであった。

 国道41号から国道360号を通って飛騨に至るいつものコースをぶっ飛ばす。谷間のすれ違いも厳しいぐらいの道だが、これぐらいの広さがロードスターにはちょうど良い。

 10時には仕事する場所に着き、昼メシを食べさせてもらったりしていたら1時前に。11月2、3日にあるお祭りにご招待された。「泊めてやるから」と。鍾乳洞に入るイベントがあるらしい。むむ、行きたいぞ。

 帰りはせせらぎ街道を使って郡上八幡まで走る。このその名の通り、せせらぎが流れる森の中を走るコースなのだが、走りやすくて気持ちがよい。あと半月もすれば紅葉のシーズンとなるのでツーリングでもしたらさぞ楽しいに違いない。

 郡上八幡から高速に乗る。フェラーリ360スパイダーが走っていた。ずっと後ろをつけ回していたのだが、非常に大人しく走っていたのでその排気音は聞くことができず。

 フェラーリで思い出したのだが、先日東名を名古屋から静岡方面に向けて走っていたら、豊橋のバリアーあたりで10台ぐらいのフェラーリ軍団にぶち抜かれたことがある。けっこう込む区間なので、追い越し車線だけでなく、走行車線も使ってじぐざぐに追い抜いていった。大人しく走っている方がカッコイイ。

 名古屋に戻ってぐだぐた仕事をしていて、夜10時ぐらいに「そろそろ帰るか」と上司に言われた。もちろん、僕のクルマで帰ろうと企んでいたわけで、「君、今日は車?」と聞いてきた。僕がこう返答して、この上司は僕の変態度を改めて思い知ったに違いない。

 「あ、助手席付いてないっす」

9月28日

 反省会と称する大宴会は、前夜祭よりも盛大に執り行われ、仕事の都合で残念ながら当日に帰らなければいけない人たちが後ろ髪引かれながらとぼとぼ帰途に就くのを送り出しながら、相変わらず大量のビールを流し込んでいた。僕は当然ながら、走行会当日にも泊まってしまう厚かましさなのである。

 走行会の反省ビデオを見ながらあれこれ検討する。時間にするとものすごい量の録画がしてあり、それは手でカメラを持ってズームを駆使しながら車を追っているのだから、撮影者の労力には脱帽である。ま、走り狂う亭主をビデオで追っている姿を見ればうれしそうな表情をしているのだから、似たもの夫婦ということなのだろう。

 やはり疲れがあるらしく、寝たくないのだが勝手にまぶたが閉じて1分のうち50秒ぐらい意識がない状態となった。半分、睡眠しているのだが、突然会話に相づち打ったりして平気なふりをするやっかいな状態だ。でも、倒れたらしい。朝、ソファに横になっていた。

 起き出してテレビでカートを見ていたら、みなさんピット作業がしたくなったらしく、3台分のSタイヤをストリートラジアルに交換する作業をした。リフトに載せて、4人で取りかかるのだからあっという間。

 一人がオイル交換をするという。なぜか僕が作業をしていた。先週も同じような作業をやっていたから話が早い。オイルフィルターも交換してばっちり。

 時間はお昼近くになり、コンビニで買い出しに行ってきた食べ物にビールが加わり、工場の前で宴会に突入してしまった。秋の心地よいぐらいに涼しい風にあたりながら、仲間で円陣を組んで座り、なにも考えずにビールを飲んでいるこの快感。この1杯のために生きているんだ、と実感する。いや、決して一杯ではすまないのだが。

 昼間から飲んでいたら車運転できないじゃない、帰れないじゃない。という心配は正しいのだが、翌日、帰り道に仕事をつくって、帰るつもりがなかったからOKなのだ。よく考えたら3連泊であって、普通人様の家にそんなに泊まると嫌われちゃうに違いないのだが、なんとなくそれも良いという空気だったので、ひたすらビールを注入して一日をすごす。

 夜になっても注入を続け、気が付いたら午前になっていた。ぜひF1が見たかったのだがあきらめて撃沈。

9月27日

 車屋さんと合流して一路、富山へ向かう。積載車の後ろに付いていれば良い楽ちんな走行だったので、膝の上にパソコンを載せて、スロットル補正マップを修正。踏み始めが若干濃くなる以外は、だいたい良い具合になった。たまにはのんびり走るのも良いものだ。

 外気圧補正もいろいろ試してみる。吸気圧変換方式でゲインと切片をあれこれと。これまで切片は0にしておき、ゲインだけで調整していたので、切片にさまざまな数値を入れるが、あまり良い具合にならない。試しにマイナスの値を入れたら、明らかに変な挙動をした。切片は0にしておき、ゲインだけの調整でだいたいOKみたい。ちなみに、ゲインは750mmHgは1.0000で、730mmHgは1.0250。710mmHgは1.0500と、外気圧が20mmHg低くなるごとに、0.0250を加えていくぐらいが具合がよい。それでも、高山あたりではちょいと濃い燃調になる。0.0250をもう少し低くするぐらいが良いかもしれない。まあ、ふけが極端に悪くなるほどではないので、濃いぐらいがちょうど良いだろう。

 富山には午後11時ごろ到着。車屋さんの宴会ルームにて、阿鼻叫喚飲み会は佳境を迎えており、みなさんフルブーストでビールを流し込んでいた。広い部屋に座る場所がないぐらいの人、人、人。すでにブローしている人間もちらほらと。

 顔ぶれがものすごい。富山から来た人が中心なのは当たり前だが、新潟、三重、群馬。みなさん、距離の感覚が壊れてます。僕はあっという間に撃沈してしまった。気が付いたら座っていた場所で横たわり、布団を掛けられていた。

 サーキットへ。走行会は3回目。ジムカーナ大会も4回ほど開いているメンツなので、あうんの呼吸で準備が進められていく。だれかが命令しているわけでもなしに、それぞれが自分のできることを見つけてちゃちゃっと片づける。一緒に作業していて、気持ちがよい。

 今回は、写真撮影をしっかりしておこうと思って、フィルム8本を持ち込んだ。むさ苦しい容ぼうの怪しい男が、ごついカメラをぶら下げて歩く姿はまさにオタク。車オタクにカメラオタク。そうさ、僕はオタクさ、八郎さ。

 一発目の走行では、とりあえず先週走ってうまく行ったときの感覚を取り戻すことにする。スタート直後は込んで思うように走れないので、同じクラスの人の写真を撮った後、10分ほど経過したところでコースイン。アクセルを踏む時間を長くするために、どう走ったら良いか、イメージをつかむ。それにしても、新ネオバのグリップは素晴らしく、他のタイヤの車と比べても明らかにアドバンテージがある。

 10分ほど走って戻ってみると、先週より若干タイムアップ。空気圧が高かったので調整したところで残り3分ほど。1周ならタイムアタックができそうだったので、すかさずコースイン。タイム計測できない1周目から全開で行き、2周目をクリアで回ったらチェッカーとなった。タイムを見ると、0.5秒上がっている。いい感じ。

 写真を撮ったり、炭火をおこしたり、走ってみたりと、忙しくすごして時間は過ぎてゆく。午後は軽く1本走り、写真に精を出す。車を休めて、タイムアタックでベスト更新を狙うのだ。

 タイムアタックは気合いを入れて、前のクラスの走行が終わる前からピットに車を進めて、車を暖機して待つ。1番最初にコースインし、いま持っているすべての技術を駆使して愛車を操る。一カ所だけパワーバンドから外れるコーナーがあって「ふごっ」と息つきして、もたつくので、見よう見まねでクラッチ蹴り。ぎょん、とリアが流れ出すおまけもついてなかなか具合が良かった。

 7、8分走って、ピットインし、雨水タンクの水でタイヤを冷やす。気合い入りまくりである。再びコースインして攻めまくる。走っていたら、知り合いの人が前を走っていたので、そのまま追撃モード。タイヤの差で有利に走ることができた。

 これだけの気合で走れば、午前中に出したタイムぐらいは出ているだろうと、高をくくっていたら、1秒近く遅かった。反省会での結論。

 あれはまぐれだった。

9月26日

 明日は富山で走行会に参加。もう、心ここにあらずで、あれもいるこれもいると準備をしていたら、おもいっきり遅刻してしまった。助手席のない愛車で、しかもスーツも着ずに出発する。市場での仕事だから、スーツも必要ないだろう。さすがに「今日はラフな格好だね」と声をかけられたのだが。

 市場での仕事を終え、ロードスターの中でざっと作業をし、だだっ広い伏見通りの路上に駐車してボンネットを開け、スロポジ調整してから、名古屋高速に乗り込む。仕事をさぼってセッティング。全開の燃調を合わせた。

 夕方にいち早く仕事を切り上げて、三重から参戦する車屋さんと合流して富山入り。そのままエンドレスの飲み会に突入し、走行会、そのまま夕方に再び飲み会入りして、ぶっ倒れるという完ぺきなスケジュールが用意されている。

9月25日

 5時15分に呼んだはずなのに、5時前にぴんぽ〜ん、と呼び鈴がなった。家人が寝ている時間帯なのに、まったく常識がない。風呂に入っていたこともあって無視していたら、10分後ぐらいに再びぴんぽ〜んと鳴ったので、「待っててちょ」と、タクシードライバーについちょいと強い口調で言ってしまった。

 6時前に市場に到着すると、いつもいるはずのおっちゃんが見あたらない。おかしいな、と思って携帯に電話してみると、「緊急事態。悪い、ほかの人をあたって」と、弱々しい声が帰ってきた。なんでもぎっくり腰になってしまい、出勤したは良いが更衣室で動けなくなり、仕方なく車に乗って帰ったは良いものの、激痛で車から降りることもかなわず、家人が起き出してくるまで、車の中でうんうんうなっているんだと。痛みが分からない他人には単なるコメディーであり、おっちゃんにとってはトラジェディーだ。

 仕事を済ませて、向かったのは豊山にある北部市場。ここで待ち合わせして、ある方の車に乗せてもらって、飛騨・丹生川村へ行った。東海北陸道をひたすら北上し、飛騨清美に至り、高山市内を通って乗鞍、松本方面へ少し走ってようやくたどり着く。

 地理感がある人には分かるのだろうけれど、火曜夜に富山から帰ってきたルートの半分以上を走ったことになる。いや、僕は運転していないのだけれど。

 実は明日夜も富山の走行会に参加するため、同じ道を走ることになる。本来なら、そのままどこかに滞在して富山に向かいたいところだが、明日も市場に行けねばならないという、仕事があれば思うようには動けないサラリーマンの悲しい宿命があるので、再び帰ることになった。週3回も飛騨地方に来る名古屋人…。

 早朝に起きたため、非常に眠かった。さすがに助手席で寝るわけにもいかず、さらに寝られたら自分の命の保証がないため、運転席のおじさんのお話に合わせてしゃべりまくる。きっつい睡魔が襲いかかっているのに、寝られないこの苦痛。襲いかかっているのに、寝られないこの苦痛。いつもなら、近く感じる飛騨が、遠く感じた。

9月24日

 帰ってきたのが午前零時すぎ。なんとなく体がほてっていたので、ビールで冷やしながらくだらない文章を3日分書いていたら、明け方になったので、当然朝は起きられない。夕方からしか予定が入っていなかったので、思う存分寝坊する。

 昼ごろに仕事場に着いて、なんとなくすごし、夕方から先輩と栄の某ホテルに行って、なにやらメシを食わせてもらいながら小難しいお話を聞いていた。

 世の中、意味のないことが多すぎる。

9月23日

 のろのろと起き出して、取りいだしたるはROMチューンセット。知り合いから頼まれていたので、ちょちょいと燃調と点火時期を変更してみることにした。

 少し点火時期を進めて燃調を濃くしたものをつくり、とりあえず、現状のROMで走ってみる。これがびっくり、ノーマルにもかかわらず、なかなか速い。中間のトルクがけっこう出ている。ピットクルーのうねったエキマニが付いていたのだが、それが良い働きをしているのだろうか。

 とりあえず、ROMを差し替えて、走ってみるも、若干、高回転で良くなったかな、ぐらいの違い。たぶん、プラシーボの範囲を出ていない。薄くしたのも作ってみたが、やっぱり分からない。走行会で本人に乗ってもらって希望通りつくり直すしかないだろう。

 5月にエンジンを積み替えたときから、油温センサーが死んでいたから、取り替え作業をする。大森のオイルブロックに直付けだから、とってもやりづらい場所。オルタネーターを取り外してから、手を伸ばして、ちょっとずつ外していく。腰が痛い。

 センサーを外したら、オイルがだだ漏れになることに気が付き、慌ててリフトまで押して、オイルを抜く。走行会前にちょうど良いタイミングのオイル交換だ。たった2週間前に替えたばかりなのだが。

 やっとのことで取り付けて、オルタネーターも手伝ってもらいながら取り付けてエンジン始動。オイルが漏れてこないかどきどき。しばらくしても漏れていなかった安心。

 仲間が組んで慣らし中のエンジンのFreedomのセッティングがぜんぜんやっていないようんだったので、おつきあいして助手席に乗ってパソコンとにらめっこする。ノッキング出まくりなのと、アクセル踏み始めでぎくしゃくするのを何とかする。

 ギクシャクはスロポジのアイドル接点が怪しかったので調整したら改善した。4000回転ぐらいまでの燃調、点火時期と空ぶかしのレスポンスなどなど、改善して、とりあえずお買い物車になるまでセッティングして終了。

 自分が数カ月悩んだことが一気にセッティングに生かせた気がする。無駄な経験じゃなかったみたいで、なんとなくうれしい。

9月22日

 良いタイヤです。ニューネオバ。

 レーシーになった車を前に、むらむらと来たのでちょいと走りに行くことにした。ホームコースである富山のおわらの里スポーツランドである。今週土曜にTORFの走行会があるのでちょいとコソ練に。距離的には瑞浪やモーターランド鈴鹿へ行くのが近いのだが、ここ1年は距離の感覚が壊れちゃっているので、どのサーキットに行こうが、あまり違いを感じない。

TORF

 太平洋側から日本海側に出て、八尾町に至ると、TORFの車屋さんもコソセッティングに来ていた。Vスペシャル4連とちょっと似た車に見えるのだが、中身はまったく別の車。タイムもお話にならないぐらいかけ離れている。

 実は、2回連続でこの場所でエンジンが壊れているので、走ること自体あまり気乗りがしないのである。でも、そんな状態で走行会に望みたくないので、普通に走ることだけでも確認しておきたかった。

 準備をしてコースイン。エンジンは、点火系を直したためか、調子がよい。高回転もきっちり回る。前回は、せっかく走りに来たのに、コースインしたその周に壊れてしまったので、走るのはほぼ1年ぶりとなる。

 緊張の1周目も問題なくクリア。おお、素晴らしい。2周目に徐々にペースを上げていく。

 ニューネオバがすごいグリップである。ちょっと昔のSタイヤぐらいあるんじゃないだろうか。とにかく、今までの限界だと思っていた先にまだグリップがある。突っ込みすぎてぐらりとリアが流れ出しても、アクセルを踏み足せばそのまま斜め前に進んでいく感じ。休ませながら走ったのでそれほど減らず、乗り心地も良く、値段も安い。良いことずくめ。やはり、よれる感覚はあるのだが、その先のグリップがものすごいから気にならない。漢字2文字で表すなら「反則」。これでラジアルクラスと言い張れるんだろうか。

 タイヤのおかげで、1年ぶりだったにも関わらず、ベストタイムを1秒3も更新した。エンジンも少しは良くなっているが、どう考えてもタイヤが出してくれたタイム。

 そのまま車屋さんの家になだれ込んでマンツーマンでマニアックな話をしながらひたすらビールを飲む。10本ずつ飲んだ辺りで、ぶっ倒れた。

9月21日

 三次会まで行って、ホテル横のショットバーでバーボンを飲む。朝起き、食事はなんとか食べられた。

 やはり疲れたのでまっすぐ新幹線で名古屋に戻る。夕方、おもむろにロードスターをいじることにする。

 ISCVの配線が断線してしまい、アイドリングが1600回転ぐらいになっていたので直さなければならない。配線するとき、ぱちんと挟んで割り込ませるもので簡単に済ませておいたら、やっぱりおかしくなった。最低でもコネクタできちんとつながないと、危ない。線を剥き出しにしてリード線をつなぎ、その上からはんだ付けしてビニールテープで巻いて終わり。普通のアイドリングが復活した。アジャストスクリューを回して多めに空気を供給してやり、なるべくISCVが閉じているように調整した。

 で、点火のコイルがどうも調子が悪そうだったので、もらってきてあったものと交換する。これで調子が良くなればよいのだが。

 走行会仕様とするため、シートを変更する。運転席、助手席とも外してしまい、エスケレートのバケットシートを付けるのだ。

 シートを両方とも外すことなんてないから、ついでに掃除をすることにした。カーペットが汚れていたので、洗う。やっぱり10年もたつ車だから、タン色が黒ずんでなかなか落ちない。

 まったく磨いていなかったロールバーも、WAKOSのメタルコンパウンドでつやを出す。真っ白になっていた表面も、すぐ顔が写るぐらいまでになる。素敵。

 バケットシートを取り付ける。エスケレートのシートは僕の体には合わないので正直言ってVスペ皮シートの方が好きなのだ。けれど、4連スロットルの端からみたらやる気のある仕様の車が走行会を皮シートで走ったら、それだけでもひんしゅくを買いそうなので、仕方なく取り付けるのである。

 シート1脚だけバケットシートが付いた車はなんとなくレーシー。