月: 2003年6月

6月6日

 午後5時すぎに電話が入り、ナゴヤドームのチケットが余っているから来い、とのこと。今日はささっと帰ってオイル交換し、名古屋高速でセッティングを進めてから明日の長野入りに備えようと思っていたのだが、急きょ予定変更である。

 ナゴヤドームに行くのも7年ぶりぐらいだ。ナゴヤ球場へは良く行ったのだが、ドームになってからは仕事もあってあまり行っていない。蒸し暑いものの、お空が見えて時折そよ風が吹いて来て開放感のあるナゴヤ球場は好きだったのだが、ドームはなんだか体育館にいるみたいであまりワクワクしない。

 今日は中日−広島戦。中日山本と広島鶴田が先発。鶴田はちょっと前まで中日にいたはずの選手である。4−3で中日が勝ったのだが、観戦しても勢いというモノが伝わってこない。たぶん、今シーズンの阪神戦を見に行くと、とっても面白いんだろう。やっぱり、どれだけわくわくどきどきできるか、だと思うのだが。

 池下のレストランバーに寄って帰宅。合格点のお店だった。

6月5日

 携帯電話のアラームで目を覚ましたら午前4時45分であった。前日の飲みではビールだけにしておいたのが正解で、少し残っていたものの、何とか起き出すことができた。

 外はもう明るい。さすがに夏至が近づいているだけあって、日が昇るのがかなり早くなった。天気も良いので、仕事なんかほっといて、ロードスターでツーリングに出かけたい気分になる。

 しかし、市場のおっちゃんが寂しがることを考えると行かねばならぬ。暴走軽トラやフォークリフトが行き交う中を命からがら歩き回る。冷凍マグロ。養殖鮎。ウナギに、サワラ、太刀魚などなど。イサキが旬らしく、イサキの入ったトロ箱がものすごい量積まれていた。

 おっちゃんとともに魚の煮付けの朝食を喰らい、8時前にいの一番で仕事場に上がる。だれもいないフロアの片隅にあるソファに寝そべって本を読んでいたら寝不足がたたってそのまま10時すぎまで記憶が途絶えた。

 「あいつは朝から寝てばかりいる」。近くを通りかかったお偉いさんは、あんぐり口を開けていびきをかいている僕の間抜けな顔を見て、左遷スケジュールを練り上げたに違いない。

6月4日

 慢性的にγGTPが高い(3桁)という上司に声をかける。もちろん、居酒屋へのお誘いである。最近の血液検査でやっぱりγGTPが高かったので、肝臓を破壊してあげようと思った。

 と、いいつつ、僕は左足の中指に依然として違和感があり、ハイ尿酸値である可能性が高いのだから、プリン体ヘブンである居酒屋へ自ら出かけるのは自殺行為に等しいのかもしれない。もう、そこら辺はあきらめており、ビールを飲んで立ち上がれないほど足が痛くなればやっぱり通風だったことが証明されるのだから、気にせず飲みに行ってしまうのである。

 池下の居酒屋に入り、枝豆、刺身、ナス田楽に焼き鳥というきわめて正しいオーダーを出し、ひたすら僕は通風危険因子ナンバーワンの高プリン体飲料であるビールをがぶ飲みする。

 翌朝は午前5時に家を出なくてはならないのだから、あまり飲み過ぎてはいけないはずなのだが、1杯飲んでしまうと頭の中のねじが2、3本欠落してリミッターが外れるらしく、加速補正ばっかりかかってビールを体内にインジェクションしてしまうことになる。気が付いたら、ブロー寸前、ジョッキ5杯。頭は若干ノック気味。時間は午後11時を回っていた。

 家人が寝静まった我が家に戻り、そのまま布団に倒れ込んだのである。

6月3日

 仕事で刈谷市の畑に行くことになった。本当なら公共交通機関で行かねばならないのだが、一度名古屋に出てから向かうよりも、家から直接マイカーで行った方が手っ取り早い。ロードスターを開幌にして出かけることにする。

 どうも、オイルの減りが早いみたいので憂うつな気分になっていたのだが、出発前に調べてみたら、軽井沢でオイルをつぎ足したときより、若干増えていた。きわめてオイルが落ちてくるのが遅いみたい。今入れているオイルの特性なのか、HLAを廃止した影響なのか。軽井沢からの帰り、ワインディングを駆け回ったり、標高2000mまで駆け上ったり、高速道路で8000回転まで回したりと、エンジンにとってはかなりハードな使用状況だったにもかかわらず、ちょこっと増えているぐらいなのだから、オイル食いで問題が出ることは、しばらくないだろう。

 日差しはすでに真夏ぐらい強く、少し走っただけでひりひりするほど。スーツ姿で畑に行くわけにもいかず、ジーンズ姿だから、だれも仕事に向かうのだとは思わなかったに違いない。

 ちゃちゃっと仕事を終えて、国道1号を走り、星崎から名古屋高速に乗る。名古屋高速は都心部が環状になっている。おお、これはセッティングにぴったりではないか、とぐるぐる回り出した。仕事時間にもかかわらず、セッティングにいそしむ僕。しかも、名古屋高速からは仕事場が見える。ぐるぐると仕事場を横目に見つつ、セッティング。パソコン画面をにらみながらの危険運転。思い出したように爆音を発して猛烈な加速をする怪しいロードスター。

 結局十数周してから降りた。軽井沢への往復と、今回の名古屋高速でどうセッティングしていくか、方向は固まった。そろそろスロットル補正に入ることができそうである。

6月2日

 なんでそんなこと知っているんですか!

と、驚くことが最近良くある。特にロードスターつながりで初対面の人とお話しすると、僕の住んでいる場所だとか、アイドリングが2000回転になっちゃったこととか、遊びに行く先々で仕事を作って出張にしてしまうこととかを知っていて、しかも細かいことまで知っているので、びっくりしてしまう。アナタは諜報機関のスパイ? もしくは超能力者? と一瞬恐怖すら感じてしまう。

 ここを読んでいれば知ることができる情報なのだが、僕は書いた端から書いたことを忘れてしまっているので、初対面の人や時々会う人の口から、僕についての情報が出てくると驚いてしまう。そんな調子なので、熱心に読んでくれている人がいるとすれば、僕より僕のことに詳しいかもしれない。

 軽井沢ミーティングでも何度かびっくりした。裏を返せば、こんなくだらない文章を見てくれている人がいるわけで、最近たまってきたネタもちゃんと文章化して更新しないといけないな、と身も引き締まる思いなのである。新エンジンにFreedom。もう盛りだくさん。

6月1日

 ミーティングの一番の目的は、やっぱり数多くの車の知り合いに、いっぺんに会えることである。広範囲に広がっている人たちであるから、もしミーティングがなければ2度と会えない人がいるに違いない。無条件に集まることができる機会は大切にせねばならない。

 今年のメインのイベントは、当日ではなく前日夜であった。ありとあらゆる「濃い」メンバーたちが集まり、マニアックな談義に花を咲かせる飲み会が催されたのである。こんな集まりに参加できる、この幸せ。

 去年は松本に住んでいたのでとっても近かった軽井沢であるが、今年は名古屋からの参戦である。若干遠くなった気もするが、誤差の範囲内であろう。大阪の某氏と一緒に行くことに決めて、地下鉄・藤ヶ丘駅に来てもらって名古屋インターから高速に乗る。雨が降っているのが非常に残念であった。

 松本までの200キロの道のりは、一人で走ると後半部分で退屈だったりするのだが、二人で乗っているとあれこれマニアックな車談義に花が咲き、それほど苦にならない。あっという間に松本に到着し、富山組と合流する。

 去年と同じ道を案内して軽井沢入り。ミーティング会場でしばらく過ごして、いよいよ地獄の飲み会本番である。みなさんの夕食を買いに外へ出かけて、戻ってみたら、20畳の部屋に30人ぐらいが集まっていたので面食らった。ものすごい人口密度と熱気である。臆病で小心者の僕ではなかに入っていけない。

 スタートで飲み過ぎてあっという間にぶっ倒れてしまったら、いつまでもだらだらと飲んでいるに違いない「濃い」メンバーと濃いお話をすることができなくなってしまうので、最初は慣らし運転する、名古屋弁で言うところの「こすい」作戦を選択した。

 目論見通り、午後10時ごろにはかなり濃いメンバーどもだけが残って依然とハイペースの飲みを続ける結果となったので、その中に交じったのであるが、そのときいた面々のなかでもっとも「薄い」と思われる僕は、迫力に圧倒されるばかりであった。

 酔いを醒まそうと風呂に入ったら、余計に酔いが回って地球の自転を感じるようになったので、布団に潜り込んで意識を失った。

 そんなわけで、ミーティング当日は力が入るわけもない。のろのろと会場を回って、各ショップやフリーマケットを冷やかして、閉会式の前に会場を後にしてしまった。このページを見ていて声をかけてくださった人が2、3いたのだが、あまりお話をすることもなく、つれない対応をしてしまった。前日に燃え尽きてしまったのだから、致し方ない。

 帰りは、佐久平から諏訪に向かえば近かったのだが、大阪の某氏に松本の良さをしってもらおうと松本経由で帰宅。標高2000mに寄り道して帰宅した。