月: 2003年5月

5月30日

 台風が来やがった。ワクワクしながら走る、会場までのツーリングがミーティングの楽しみの大きな部分を占めている気がするのだが、行きについては大人しく風雨の中を走っていくしかなさそうである。下道を走って峠を通る人たちは、もしかすると雨量規制で通行止めがあるかもしれないので注意が必要だ。

 台風も速度がけっこう速いみたいで、びゅーんと通過していきそうである。西にそれてくれれば、雨が降るのは日曜未明までで、ミーティングが始まるころには一気に晴れ上がるという予測をしているのだが、甘いかな。

 この日のために仕事をノラリクラリと受けないようにしてきたのである。まだ午後7時前なのだが、もう帰る気満々。9時間は労働したのだから十分だろ。帰って洗車しよう。

5月29日

 アイドリングが勝手に2000回転になってしまった。

 ISCVのおかげでとっても楽にアイドリングし、エンストもあまりしないエンジンになったのであるけれど、エアコンを入れるといまいち調子が悪かった。エアコンが入った途端、1100回転ぐらいだったアイドリングが850回転ぐらいになってしまうのである。もしかすると、これはエンジンの仕様であって、エンストしないだけマシだと思ってそのまま乗っていれば良かったのかもしれないのだが、そこはFreedom、じたばたする余地がいろいろあるので、パソコンでぱちぱちといろいろ設定を変えていた。

 ところが、余計に調子が悪くなった。アイドリングが2000回転になったり、1200回転になったりと、周期的にエンジン回転数が上下するようになってしまった。信号待ちではぶおんぶおんと勝手にレーシングしてしまうため、周りにいる車はさぞかし不愉快に思ったに違いない。もし、近くに走り屋さんややくざやさんがいたら、いちゃもんつけられぶん殴られていたと思われる。

 普通ならそんな症状が出ればすぐにでもパソコンを取り出し、あれこれ設定を見直すのであるが、ちょうどそのとき、職場の上司を助手席に載せて帰宅する途中であった。アクセルを踏んでいるわけでもないのに、勝手にぶおんぶおん言っている車を見て、いかに僕が車変態であるかを実感し、いよいよ僕の左遷スケジュールを決定したに違いない。

 左遷されようが殴られようがかまわないのだが、さすがにアイドリングが滅茶苦茶なのは困ってしまう。人生の一大事なのである。

 ぶおんぶおんと一定周波数でエンジン回転数が上下していたのが、ある拍子に2000回転アイドリングとなって落ち着いた。いや、信号待ちで常に2000回転であるのもなかなか鬱陶しいのだが。

 あれこれパソコン画面で調べてみるも、原因がよく分からない。分かっているのは、ISCVのカウント数が255のまま張り付いているということである。かみ砕いて言えば、ISCVが全開になったまま固まってしまったということだ。いろいろ試してみるが、255の数値は変わらない。エンジンが止まっているときにも255とう数字が表示されるのだから、もう壊れてしまったのかもしれない。

 軽井沢で妙にアイドリングの回転数が高いNA・Vスペシャルがいたら、ほぼ間違いなく僕のクルマだと思って良いだろう。

5月28日

 ちょいと密度高く仕事をしてしまったので、さすがにこれ以上仕事したところで給料をはずんでもらえるわけでもなし、馬鹿らしいので手を抜くことにした。いや、仕事をしようと思ったって、もう僕の魂は軽井沢に駈けているのであり、手が付く状態じゃ、ないのである。

 軽井沢ミーティングのプログラムなどが昨日届いた。1000ぐらいの郵便物を発送しているのだから、事務局の方々にはやはり、ただただ頭を下げるしかないのであるが、楽しみなイベントが近づくに従って僕の頭の中はエゴの固まりになって、もはやどう楽しく過ごすかしか考えていないのであり、人の苦労に感謝している余裕すらないのである。

 天気予報を見ると、どうやらあまり良い天気ではないらしい。しかし、晴れるというジンクスが続いている軽井沢ミーティング。すかっとした晴れ空はないにしろ、雨が落ちてくることはほとんどないと見た! 心配させておきながら、やはり当日はお日様がちらりと顔を覗かせるぐらいの天気になるとみられるのだから、やはりロードスターに乗っている人には、日ごろの行いが悪い人はいない、ということなのであろう。

5月27日

 東京・駒込の某所にあるビルの前に立ちつくす。自民党の有力な支持母体でもある団体の総本山にしてはそれほど大きな建物ではないのだが、なにか一般人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。中に入るとだだっ広いロビーにガードマン2人。用件を告げて、4階に上がることを許される。一般人をびびらせる仕掛けが抜かることなく用意されている。

 通された応接間には畳1枚分ぐらいはある油絵が掛かっていた。昔のお偉方であろう人が、勲章をぶら下げて、苦虫をかみつぶしたような表情でにらみつけている絵柄。「おらおら、なめるんじゃねえぞ」と、描かれた人物が主張しているみたいで、これも一般人に権威をみせつけて震え上がらせる仕掛けの一つだな、と思う。

 常任理事の方と40分ぐらいお話。言っていることは全て正論であるのだが、一般人を見下す立場に立とうとする意識が見え見えなのに、いくら善人ヅラを下げたところで、所詮共感は得られるはずはない。はなっからボタンの掛け違いがあるのだが、そんなことは承知の上でずけずけと「自助努力」を強調する論理の組み立て方に、やっぱりずるがしこい頭の良さと、一般人との感覚のズレを感じてしまう。

 納得がいかないまま、某建物を後にする。そのまま名古屋にとんぼ返りだ。妙に腹が減っていたのでおかしいな、と思ったら、そういえば昼ご飯、食べてなかった。東海道新幹線の改札の近くにある回転ずしで、ちょっと高めのウニを喰らってにこにこ、ちっぽけな幸せを感じている僕なのであった。所詮、階級が違うのサ。

5月26日

 ツーリング後の心地良い疲労を感じつつ、筑波N2決戦のビデオを見てやっぱりエンジンの音が全然違うなあ、とそのレベルの差にがくぜんとなりながらも、さあ、そろそろ仕事でも取りかかるかと、ようやく前向きな気持ちになったのに、テレビを付けたら、BSでモトGPがやっていたので見入ってしまった。ビールを飲んでほろ酔い気分。仕事なんて手に付くわけもなく、寝てしまった。

 朝起きて、自分が置かれている状況にがくぜんとする。ああ、そういえば、今日中に仕事を提出しなきゃならないのだった。時間は残り少ない。出勤する時間も惜しいので、昼まで自宅で仕事をしていた。

 何とか半分ほど仕上げて雨も降っていることだし、ロードスターで出かけることにする。エンジンをかけて、そういえば昨日走ってからオイル量をチェックしていなかったので、エンジンを止めてレベルゲージを調べると、、、少ない。オイル交換してから700キロぐらい、慣らし運転をしただけなのに、かなりの減り具合であえる。ちょっとやばいかも。

 オイルをつぎ足して、オイルが減ってしまった原因についてあれこれ考える。仕事場についても、そればかり考えてしまい、仕事が手に付かない。ま、自分で造っているんだから、オイルが減るぐらいは覚悟している。足せばよい。が、前造ったエンジンのように、プラグがオイルでくすぶってしまうほどにひどくなると困る。

 圧縮も高く、それなりのカムを組んでいて、それを回しているのだから、自分の中では未知の領域なのである。何が起ころうと不思議じゃない。しかし、ある程度、原因はつかんでおきたい。

 

追記:午後11時すぎに社を出て、いの一番にオイルレベルゲージを見てみたら、きちんと満タン入っていた。継ぎ足した分がちょこっと減っている感じだが、セッティングが取れていないことを考えれば問題ないレベル。悩んで損した。

5月25日

 月曜夜までに仕上げなければならない仕事があるのだが、つきあいで土曜日は半日がつぶれてしまった。本当であれば、日曜日だろうが仕事を進めておくのが普通のサラリーマンの神経なのだろうが、僕はそんな神経を持ち合わせていないらしく、我慢できずにロードスターで走りに出てしまった。

 開幌状態で走りに出て、市場のおっちゃんの住む東郷町まで行く。届け物の用事があったからである。僕のロードスターを見たがっていたので、ちょうど良い機会であった。どろどろと怪しいアイドリングに、ぼえーというエンジン音。固い足回り。予想以上の変態さに面食らっていた。新エンジンで初めて7000回転まで回した。

 三重県のオリーブボールさんに出かける。非常にマニアックな話題に興じた後、エアクリーナーだけ注文して店を後にする。御在所岳の鈴鹿スカイラインへ。一般車がたくさんおり、頂上付近では片側通行が何カ所かあって、気持ちよく走れるような状態ではなかった。

オリーブボール

 すごすごと山を下って、四日市インターから高速に乗る。伊勢湾岸道が開通していたので、思わず向かってしまう。片側3車線のとっても広くて無駄な道であった。海の上を走っていくのだが、爽快かと言えば、別にそんなこともなかった。

 車も少なく安全な場所であったし、そろそろ走行1700キロぐらいになってきたので、アクセルを踏んでもかまわないだろうと、6000回転までの全開域のセッティングをする。4速フルスロットルなら、まあまあ吹け上がっていくのだが、5速にした途端、回転が上がっていかない。予測したよりも燃料が入っていかない。全開にすると吸気圧が下がる場合もあるので、スロットルの口径がちょっと大きすぎるのかもしれない。高速道路でぶっ飛ばすには今のところいまいちである。

 終点でおりて、そのまま豊田に向かい、国道153号を足助へ。良く知っている裏道をぶっ飛ばすことにする。ちょくちょくセッティングしながら、家に帰ってくるまで気づいたことがある。

 速すぎて怖い、という現実。

5月23日

 なんとなく仕事が集中してへろへろになってしまったので、夕方にはすでに脳波の起伏がないような状態になってしまった。

 これはいかんと、心のガソリンを補給すべく、仕事場のボスを誘って安居酒屋に行く。ビールやおつまみはセルフサービスで取って来るような店だし、狭くて出される料理の見栄えはあまりしないけれど、店も料理もなかなかいぶし銀のような味を出している。

 土日は本当は慣らしの旅にでも出たいのだが、仕事もあって無理そう。いまのうちに仕事しておいて、軽井沢には堂々と行くことにしよう。

5月22日

 奈良・京都県境は、なにやら「学研都市」とされて開発が進められたらしく、だだっ広い土地に、箱ものの巨大なコンクリートの固まりがぼんぼんと立っているような寂寞たる街であった。周りの施設を当て込んだらしいホテルなのだが、人があまりいないの。

 朝、チェックアウトして街でも見てみようかと思って歩き出したのだが、まったくつまらなかったのですぐにバスに乗った。敷地と道だけ広大なのだが、人通りも車通りも多くない。建物も見るべき特徴がない。ただ、維持管理費だけが膨大にかかりそうな雰囲気を漂わせている。バブルの残骸、というべきか。

 近鉄、新祝園駅から丹波橋で京阪鉄道に乗り換えて、枚方市へ。うろうろと仕事をして、再び近鉄丹波橋まで行き、京都駅へ。京都駅のビルはなんであんなに醜悪なものを造ってしまったのか、見るたびにいつも首を傾げてしまう。列車の車窓から京都の街を眺めても、まったく無秩序にビルが建ち並んで、閉口せざるを得ないのだが、京都の駅ビルはあんまりだ。

 外国人が新幹線に乗って、あこがれのフジヤマを眺めて期待をふくらませ(そのうち第二東名の橋脚で風景がぐちゃぐちゃになるようだ)、魅惑の街・京都へと降り立った途端、あのビルを見せられたら、降りる駅を間違えたと思うんじゃないだろうか。あのビルを見ると、岐阜・神岡の鉱山の山に沿って建てられた工場を思い出してしまう。知らない人のために別の表現を使うと、アニメ・天空の城ラピュタで出てくる鉱山の街の趣なのである。ふざけちゃいけない。戦艦大和の大艦巨砲主義にも似た虚栄と浅はかさを感じてしまう。

 行きと違ってぎりぎり座ることができた。うとうとしていたら、すぐに名古屋着。時間は午後3時すぎ。そういえば、朝から飯を喰っていなかったので、最近できたラーメン横町で博多ラーメンと餃子を喰らう。まあまあおいしい。

 ホテル泊でさすがにちょいとくたびれたので早く帰ろうと思っていたら、仕事を催促されて帰れなくなった。日付が変わるごろ帰宅。

5月21日

 昼過ぎに出社。おもむろに電話を取り、ある高校教師と会う約束をする。突然の電話にもかかわらず、快く会ってくれるということで、さっそく今日の夜に会うことになった。

 新幹線自由席回数券をもらって、ひかりに滑り込む。夕方のひかりは満席で、自由席にはまったく空きがなく、京都まで立って行くことになった。とはいえ、たった40分だから、近いものである。それにしても、せっかく特急料金を払って乗っているのに、新幹線の貧乏くささは何とかならないものか。

 近鉄に乗り換えて、奈良県境の駅へ。わざわざ駅まで迎えに来てもらった。夜の団らんの時間にもかかわらずずかずかと人の家に上がり込み、晩ご飯を出してもらい、さらにビールまで飲ませてもらう。この厚かましさ。

 当然、帰る電車はないのでホテル泊。

5月20日

 夕方、知多半島で仕事があり、新名古屋駅から名鉄に乗って向かう。半田口というマイナーな駅で降りるため、阿久比で急行から普通に乗り換える。

 列車に乗り、車窓から外を眺めていると、移り変わっていく景色に見とれてボーっとしてしまう。別に松本のように美しい北アルプスの峰々が見えるわけでもない。生活剥き出しの物干し台や朽ちかけたトタン壁の工場、スクラップにされた自動車、忙しそうに田植えするおじさんたち。ありふれた日常がスライドのように次から次へ流れては消えていくだけなのだが、思わず、顔も見たことのない見知らぬ人の日常に思いが巡ってしまい、口をあんぐり開けたまま焦点も定まらずに見とれることになってしまう。

 気力があればポケットから本を取りだして読んでいるのだが、そんな気にもなれずにボケッと外を眺めていたら、「はんだぐち〜」という声が聞こえ、扉が閉まった。降り損なったのである。バスなら開けてちょ!と叫んで駆け下りることも可能だが、電車ではいかなる抵抗も無駄である。ちんちんっとベルの音がなり、発車してしまった。

 で、次の駅で降り、目的地まではタクシーで行く羽目になった。電車より高いお金を取られる。ばかばかしい。