月: 2003年4月

4月18日

 作業疲れを癒そうと、1週間ぶりのビール、いやアルコールを胃に流し込んだ。特段、なんの感慨もない。断酒記録は1週間で止まった。いや、止めた。別に体調が悪いわけでもなし、アルコールを飲んではいけない理由なんて何もなかった。5時間ぐらい作業したし、久しぶりに飲んだらおいしいだろうと、ビールを開けて飲んだのである。この1週間、飲まなくても何の支障もなかったから、アル中ではなかったことは証明されたと言って良いだろう。

 昨日は3つの荷物が届いた。一つはオークションで落札した4連スロットル。もう一つは貸していたバルブスプリングコンプレッサー。あとは、加工に出していたシリンダーヘッドである。玄関が荷物でいっぱいになってしまった。

 ヘッドが届いてしまったからには、寝る時間を削っての作業をするしかないだろう、と今日は仕事も早々に切り上げて、上司そのほか、同じ部署の人間がまだまだ仕事に打ち込んでいる隙をついて、仕事場を抜け出した。午後8時前に帰宅。晩飯をかき込んで作業着に着替え、親父のガレージで作業を始めた。

 燃焼室の加工である。今回、直径78mmのノーマルピストンから、81mmのものに変える。これで1597ccから1722ccへと排気量が上がることになる。3mm分拡大されたシリンダーブロックに合わせて、ヘッド側も広げてやるのだ。別に広げなくてもエンジンは動くし、広げれば必然的に圧縮比が下がるから、最近ではあまりやられていない加工らしいのだが、ある方のアドバイスがあったからきちっと加工する。広げないと、スキッシュ効果が出てしまい、高い圧縮比になるとノッキングの原因になる、とのことであった。

 使い古しのガスケットをあてがって、がりがりと拡大していく。ガスケットのおかげで削りすぎることも、面研したてのヘッド下面を傷つけることもないから、楽ちんである。また、シートカットによってできた吸気ポートのちょっとした段付きを落とす。

 1mm面研しても、燃焼室とスキッシュに1mmほどの段差があった。気に入らないので削ってまっすぐにすることに。スキッシュの幅がかなり狭くなった。良いのだろうか…。

 せっかくカットしたバルブシートに何度かフラップホイールを接触させてしまった。バルブフェース研磨もしておきながら、すりあわせをする羽目になるかもしれない。

 燃焼室を2つまで磨いたところでさすがに疲れて嫌になった。時計を見たら午前1時すぎである。さすがに、苦笑した。

4月16日

 寝不足がたたって一日ボーっとすごすことになってしまった。やはり人間、きちんと寝ないとすっきりしないみたい。

 なにを血迷ったのか、家でお酒を飲まないことにした。いや、血迷ったのではなくて、お腹の肉が余りかけて大変な事態になってきたから、さすがに反省して、やめただけなんだけれど。土曜日から飲んでいないから、ここ5年くらいだと、禁酒の最長記録更新ということになるかもしれない。たかだか丸4日絶っただけなのだが。

 肝臓も復活して快適生活スタートと意気込んでいたのだが、朝起きてけだるいのは変わらず。いままで、朝がだるくて頭がさえないのは前日のアルコールが残っているせいだとばかり思っていたが、どうやら血圧が低くてボーっとしているだけだったようである。

 変わらないどころか、なんだか体調が悪い気がするのは気のせいか。お酒を飲まなくなったら体調が悪くなる、ということはすなわち、体がアルコールに依存しているということであり、それは「アル中」と呼ぶ状態だったのかもしれないけれど、そう考えると恐ろしくなるから気にしないで寝よう。

4月15日

 日付が変わった頃に思い立って、荷物の整理をしていた。そう、まだ僕の引っ越しは終わっていないのである。

 松本の家に散らばっていたさまざまなものを段ボール箱に詰め込んだままにして、実家に持ってきてそのまま部屋の中で積んであるだけなので、どこになにがあるのかさっぱり分からなくなった。半年も開けなくてもまったく不便がないのだから、全部不要なものと言えなくもないのだろうけれど、写真やら手紙やらも交じっているのでさすがにそのまま捨ててしまうのは惜しかった。

 ところで、なぜ今ごろこんなことをやり出したかと言えば、Freedom関係の説明書もすべて箱の中に収まっているからである。Freedomをいじっているだけならもう不便はないのだが、4連スロットルの取り付け説明書やら、4連スロットルに付属してきた部品やらが紛れ込んでいるのだ。なにが足りないのかも分からない状況だから、一通り箱の中身を見る必要がある。

 何とか、4連スロットルの取り付け説明書は出てきた。が、何が書いてあるのかさっぱり分からない。本当に動かすことができるのか?

4月14日

 午前3時ごろまで強制的に仕事をさせられていた。なんだか数字の確認ばかりに追われて、大変な思いをしたのである。

 なんだかんだと言っていても仕事は発生しており、ボーっとしていてはたまるばかりなので、昼過ぎに出勤する。さすがに体がだるかったので、ジムニーで出発。ロードスターより小さいから、縦列駐車がやりやすい。

 5月連休がやってくる。なぜか休みのために仕事を前倒ししなくてはならず、あれこれいろいろこなさなればいけないみたいなのだが、そろそろ加工に出したヘッドが戻ってくる頃でもあるし、やはり車も5月連休ぐらいには走るようにしたいなあと思っているので、仕事&エンジンづくりのダブルパンチとなりそうである。

 体が悲鳴を上げないことを祈るばかり。

4月13日

 RX-8関連本を2冊仕入れてきて、ざっと目を通した。別にRX-8を買うつもりはない。なぜ関連本を買ったかと言えば、ロードスターへの流用パーツがないか、チューニングの参考になることはないか、を見ているのである。素人が見たところで、あまり役立ちはしないのだが。カーボンのプロペラシャフトあたりがなんとか付かないのかしら。エンジン、駆動系を流用するために、プロシャを加工して長さを調整する、ということはできなくなってしまったのかな。

 形については賛否があると思うけれど、ほかのメーカーでは絶対つくることのできないスタイルとパッケージングが素晴らしいと思う(買わないけれど)。ロードスターから比べたらウルトラロングなホイールベースだから、ステアリングの軽快感はないと思うが、9000回転まで回るエンジンが素敵。12000回転、280馬力も十分可能なのだという。必ずどこかのショップがやりそうな感じのチューンである。

 価格がかなり抑えてあるところが注目どころ。現行ロードスターとあまり変わらないのだから、乗り換えるときには有力な選択肢になるかもしれない。

 フロントのサスペンションアームや後のドアがアルミだったりするところがマツダのマニアックなところ。こういった技術が、ロードスターにどう生かされていくのかが注目どころである。噂では次期RX-7はロードスターのシャーシをベースにするようだが…。

4月12日

 二日連続で復活したロードスターを運転している夢を見た。いかん、病気だ。ぶっ壊れてから一月がたつので、そろそろ禁断症状が出てきたようである。ロードスターなしでは生きていけないらしい。

 夢の中で、昨日も同じ夢を見たじゃないかと、ぼんやり思っていたのでかなり目覚めかけの時の夢だったんだろう。

 AE101のISCVもなんとか調達することができそうだし、あとは加工から返ってきたヘッドの燃焼室をいじれば、組み立てるだけである。自分でも驚くぐらいのペースで今のところ進んでいる。

 仕事を終え、家に帰ってきたら、誰もいなかった。松本のときは普通だったが、実家に戻ってきてからはだいたい人がいたから、何となく寂しい。そういえば両親が旅行に出かけていたのだった。

 とってもハングリーだったのだが、もちろんメシなど置いてあるわけもない。バナナや夏ミカンならあるが、それだけでは飢えはしのげそうにない。

 がらがらとあちこちの戸棚を開けたら、スパゲティーがたくさん入っていた。ペペロンチーノでも作って喰らおうと、オリーブオイルを探したら、あった。あとは、ニンニクと唐辛子が少しずつあれば良い。がさごそとあちこちを探ったら、あった。「ペペロンチーノの素」が。

 パスタをゆでて、かけるだけ!と、とってもお手軽な作り方が書いてあったのだが、ソースを絡めるだけではペペロンチーノとは言えない気がする。

 とにかく、湯を沸かして、パスタをひとつかみ、ばらばらと入れ、ぐわらぐわらと煮る。包装には8分と書いてあったが、6分半ぐらいでどう見てもきれいにゆであがっていたので火を止めてざるに移し、水気を切る。

 これをお皿に移してソースを絡めるだけでは、やはり味気ないので、フライパンを温めてオリーブオイルを敷き、パスタを炒める。フライパンにペペロンチーノソースと乾燥したニンニクなどの具を放り込み、軽く炒めてできあがり。

 そういえば、これまでパスタなどゆでたことなんてなかったのだが、ちょいと芯が残るぐらいのなかなか良いゆで具合で、できあいのソースも絡めたパスタの量とのバランスがばっちりで良い塩加減であった。

 きわめて簡単な晩餐であるが、ちょっぴり満足。

4月11日

 いつも通り、キーをひねるとエンジンは何事もなかったかのように始動した。エンジンを積んだばかり、しかも4連スロットル化でアイドリングすら難しいと思っていたので、拍子抜けである。

 走り出してみる。まだ当たりの付いていないエンジンは回すわけには行かない。まったく見覚えのない道を我がロードスターはひた走る。まったくスムーズに吹けるエンジン。2000回転あたりのトルクはかなり薄く、回していくとだんだんと元気が良くなる。が、5000回転まで回してもそんなにパンチがない。1722ccに排気量アップしたわりにはノーマルエンジンのような吹け上がり。まだ、Freedomのセッティングもなにもしていないのだが仕方ないだろう、と心を落ち着ける。

 信号待ちで止まると、回転数が500回転までがくっと下がる。すわエンストか、と身構えるも、ISCVがうまく動いているのか調子の良いアイドリングに戻った。

 ようやく復活したな、、、なんて考えていたらいつの間にか朝であった。夢であったと気づくと同時に、まだエンジンがばらばらであることを思い出し、しばし落ち込む。

 しかし、うまく動いたのはとっても喜ばしい夢なのだが、排気量まで上げたそのエンジンがまったく普通のエンジンだったというところが妙にリアルだ。良い夢だったのか悪夢なのか。

4月9日

 仕事で紀伊長島へ行った。いや、紀伊長島に行くために、仕事を作った。松本にいたとき、いつものショットバーで散々飲み明かした人が1月に紀伊長島に異動になったからである。仕事のための段取りをいろいろ取りはからってもらい、行けばよいだけの楽ちんな仕事である。

 昨日のうちに現地入りすることにし、夜にたどり着けば、飲むことになるのは当然、いや必然であり、居酒屋に行って刺し身とウツボの空揚げを食べて、ビールを大量に飲む。カツオとブリの刺し身が名古屋で食べるものとは別物。ブリと言えば、スーパーに並んでいるものはほとんどがハマチの名で売られた養殖ブリであり、養殖物はやはり脂がくどくて量が食べられないのだが、天然物は大量に喰らってもいやにならない。ウツボは固い皮をかみ砕くと、独特の生臭な風味があってビールや日本酒にはぴったりのお味であった。

 この店の大将が地元の顔のような人で、なんと漁船に乗せてもらえることになった。午前5時に港に来い、と。こちらの呼び方では大敷(おおしき)と呼ばれる定置網の漁である。

 午前5時に来いと言うことであるのだから、良い子は早寝して早起きに備えるものであるが、飲んでいたメンツはみんな悪い子であったので、もう一軒寄って11時半ごろまで飲んでいた。午前4時半に起きたときは、二人とも激体調が悪かったのは、当然と言えよう。

 足下もおぼつかない怪しげな2人が漁船に乗り込んだ。当然、慣れぬ者が地面を離れて波に揺られれば船酔いというものがあるのは覚悟していたので、体調不良との相乗効果で逆噴射必至かと思われた。やばかったら、へりで波を見ているふりをして事を済まそうという企みまでしていた。

 漁船のエンジンがけたたましくうなり、岸壁を離れる。優れない気分も小学生の遠足のようなうきうき、わくわく感で吹っ飛んで、快調になった。大敷までは15分ほどの航海。ちょうど日が昇ってくる中、風を切って海の上を突き進む爽快さは、ロードスターの爽快さと通ずるものがある。

 網を引き上げるのに2隻の漁船が網の両端を引き上げていく。徐々に2隻の距離が短くなっていく。

 最後はこんな感じ。この日は、小さいブリであるワラサが60ぐらい上がっていた。もっと小さいものと合わせて200匹の水揚げ。そのほか、売り物になるものではマンボウ、アジ、イワシ、小さなイカ、カワハギなどなど。フグ、ウミヘビ、エイなんてものもいた。エイは売り物にならないらしく逃がされていた。ワラサは水を張った魚槽に入れられ、生きたまま運ばれていた。最初、魚槽に水が入れられたときは水柱が飛び出し、船が沈没しないかと焦った。

 おこぼれ頂戴! とばかりにカモメが船の回りに群がる。急降下して水面にタッチアンドゴーするとちゃんと魚をくわえているから大したものである。

 網を2回上げて、手際よく撤収。接岸して魚を降ろす。ワラサは水槽に移し替えられてそのままセリにかけられていた。

 

 水揚げされちゃったマンボウ。紀伊長島のシンボルになっている。イカのように白い身でおいしいとか。このマンボウは畳半分ほど。大きいと5畳分というから、巨大なお魚である。食べようと思ってもなかなかお目にかかれないだろう。

 セリを見学していたら、乗せてもらった漁船が陸を離れて撤収してしまった。置いてきぼりを喰らった。仕方がないので歩いて漁船を追いかける。15分ぐらい歩いて船に戻ったら船長に「どこに行ってた?」と怒鳴られる。怒られた訳じゃなく、普段からそんな話し方なのである。

 水揚げしたイカやアジなど、6種類ほどの魚介を煮込んだ大敷汁を振る舞ってもらった。イカのワタやら魚のだしやら、ものすごく濃厚なみそ汁。悪い大量にはちょうど良かった。アジの刺し身も豪快に皿に盛られていた。漁船の上で食す刺し身はもはや別の食べ物といって良い。ぱりぱりとした歯ごたえがたまらない。

 寝不足でふらふらの中、仕事。鈍行、快速を乗り継いで名古屋へ。

4月7日

 東京で仕事があったので、10時20分ののぞみで向かう。東京駅から秋葉原、飯田橋。本来なら地下鉄で神楽坂駅まで行くのだが、時間の余裕があったので歩く。

 東京はごみごみぎらぎらし、都会臭がしてあまりなじめないのだが、神楽坂周辺の路地は古い街並みが残っていてなかなか味があった。表通りはそう大した街並みではないが、裏側が良い。たぶん、戦災で建物自体は焼けてしまったのだろうけれど、路地や街の区画は残っているんじゃないかしら。奥まったところに老舗らしきお店があって歴史を感じさせる。石畳や神社、お寺。

 仕事を終えて、飯田橋駅へ。外堀沿いに桜の並木があり、一面薄紅色で染まっていた。散りかけだが、まだまだ美しく咲き誇っていた。

 飯田橋駅前の橋で呆然と外堀と桜を眺めたら、散歩をしたくなった。背広を着て歩いて、ちょっと額に汗がにじむ程度の陽気である。急いで帰る理由もないので、東京駅まで散歩することにした。中央線をまたいで、まっすぐ皇居方面へ。しばらく歩くと北の丸公園にぶち当たった。ここでも桜が咲き誇っていて、それを目当てにしてか、多くの観光客でにぎわっていた。僕もその中の一人なのだけれど。

 お堀沿いに植えられた桜が歴史を感じさせる巨木で多くの人がカメラを向けていた。街中に植えられた5、6年の若木とは違う貫禄がある。お堀にスミレが咲いていて綺麗だったのでほかの観光客と同じようにカメラを向けた。

 スミレと桜とお堀とビルと。

 武道館が皇居北にあることを初めて知る。ああ、ビートルズも最近ではローリングストーンズもここに来たのだな、と思うと感慨深い。

 お堀沿いを歩いて東京駅へ。ゆっくり歩いて1時間ちょっとの散歩であった。