月: 2003年3月

3月20日

 朝5時前に起きて、市場へ行く。この時期にしてはちょいと寒い中、市場で仕事をする。初ガツオの季節で、大量のカツオ入りのトロ箱の山があちこちにあった。朝ご飯は市場のおっちゃんと食堂で食べる。焼きサンマであった。この時期は冷凍ものである。味は、まあ、言うまい。

 おっちゃんとの話題も当然、戦争が始まるかどうかであった。始まるかどうかというよりは、いつ始まるか、ということか。市場は10時前には引き上げたから、結局始まる前に市場を後にする。

 仕事場でがんがんニュースが流れている中仕事。なぜか我が職場はイラク戦争でなんだかあわただしくなっていた。

 そのうちどんぱちが始まった。繰り返し流される同じニュースを聞いていると、頭がおかしくなりそうになる。

 イラクの政権もろくなものじゃないと思うが、ブッシュ政権もろくでもない。一見、ろくでもないもの同士の小競り合いのようにも見えるが、なんて言ったって、アメリカは世界のスーパーパワーである。その力にはだれもがひれ伏すしかなく、逆らうことができない。どの国だってアメリカがやることを封じることができる力を持たないことが、今回の一連の流れでよく分かる。

 ホワイトハウス内に生息するブッシュ政権の首脳のポリシーは、あらゆる国の民主化らしい。武力を行使しようが国王がいるような圧政の国には民主主義を導入する。各国の人たちに「自由」をもたらす、と言えば聞こえが良いが、自由になったそれぞれの国では自由な競争の下、巨大でテクニックに長けたアメリカ資本が独占的に富を吸い上げる。そんな目論見があるような気がしてならない。

 民主、自由がやってきた、といえば聞こえはよい。しかし、アメリカによって強制的にもたらされても、それぞれの国の人たちって幸せになれるのかしら。

3月19日

 松本へ行っていた。昨日、最終のしなのに乗って松本入りし、そのままお酒をがぶ飲みして、友人の勤める駅真ん前のホテルで寝たのが午前4時をすぎていた気がする。従って、ふらふらなのである。富山にいたと思ったら東京行ってとんぼ返りして、その翌日は松本なのだから、朝目覚めたときに自分がどこにいるのか分からなくなることがたまにある。

 夜でも-2度であった。予測していたよりは寒くはない。でもまだ梅は咲いていないのだという。名古屋ではそろそろ桜か、という気候なので、やはり松本は3週間ぐらい季節が遅れている。

 10時半ごろ、フロントから怒られつつチェックアウト。浅間温泉で仕事。ちょうど一年前、山火事があった現場は、今は木が伐採されて痛々しい景観になっている。台風並みの風で飛び火して、僕の元ホームコース周辺まで焼けただれてしまった。火災は恐ろしい。そう思うのだったら、パーツクリーナーで爆発するなよ、という突っ込みは、聞かないことにしておく。

 1年前は暇があれば走っていたのに、最近では走る機会が減ったどころか、車さえなくなっちゃった。走りたい。

3月17日

 仕事で犬山に行く。犬山城のすぐ南へ。

 犬山は松本と同じ城下町である。細い道だとか、街の造りがそっくり。しかし、犬山の方が古き良き城下町の面影がたくさん残っている気がする。

 松本は、長野県中部「中信地方」の最大都市であり、松本平、木曽谷、伊那谷から諏訪方面まで、かなりの広い地域の中心都市である。歴史的に、商業が発展してきた「商都」である。松本城の周辺にはたくさんの武家屋敷やら、街道に面している間口は狭いのだが、奥行きが異様に長い「ウナギの寝床」と称される商家があったのだが、明治時代あたりに大火があり、火災に強いなまこ壁の土蔵が大量に建てられた。よって、城下町の区画は残っているけれど、現存する建物は明治時代以降の土蔵が多い。武家屋敷は数えるほどしかない。

 犬山はちょっと歩いただけだから分からないが、少なくとも松本のようななまこ壁はなく、木造の古い感じの建物が何軒かあった。もしかしたら昭和以降の新しい建物かもしれないけれど、趣は松本と異なり、本来の城下町の雰囲気が漂う。近くに岐阜だとか、一宮だとか、名古屋だとか、大都市があって、犬山は中心都市でないから、開発が遅れがちになってきたのが幸いだったのかもしれない。実際、松本では、道路拡幅だとか、再開発だとかで、もとからあった街はぼろぼろに壊されている。

 抱えている問題は松本も犬山もまったく同じで、古くからの街は、とっても高齢化が進んでいる。松本では松本駅周辺、犬山では名鉄の駅周辺に中心が移ってしまい、古くからの中心は寂れる一方。住んでいるお年寄りにしてみれば、別にぼろぼろの家になったって暮らすのには不都合はないのだから、街は寂れる一方である。

 とことん寂れた犬山の街も最近は行政が街づくりに力を入れて、新しい商店が生まれているみたい。歩いていれば遊べる街になると面白いのだけれど。

 そんなことを考えながら、名鉄犬山線で仕事場に戻る。そういえば、夜に東京で仕事があることを思い出し、新幹線に乗る。市ヶ谷で仕事をして午後10時、最終ののぞみに乗って零時半ごろ帰宅した。

3月16日

 金曜日に「どうなることやら」と、書いてあるが、とんでもないことになろうとは予測すらしていなかった。

 富山のホームコースに8時半集合であったので、朝5時すぎに出発する。この時期、富山に行くのに問題になるのが、飛騨地方の天候だ。雪が降っちゃったら、北陸道経由になってしまう。とんでもない大回りだ。

 前日までの天候をきちんとチェックして、路面に雪はないだろうと判断して行くと、果たして大丈夫であった。順調に走り、8時半前には到着。

 昨年10月以来の、ひさびさのホームコースである。前回はさんざんなタイムだったから、今回は気合いが入っていた。5000円を支払って、準備する。

 9時になって走行できる時刻となると同時に、数台の車が勢いよく、飛び出してゆく。僕もタイム計測器をちゃちゃっと取り付けて、まず試しに走ってみようとヘルメットをかぶり、ピットロードを進む。

 エンジンはとっても調子がよい。車高を下げた足回りも、前よりは良いはず。まず1周目はタイヤやブレーキを暖める。ちんたら走っていても暖まらないので、それなりのスピードで。4コーナーを抜けて一番きつい5コーナーに至り、1速にたたき込んでフル加速。6コーナーに進入する直前で、トラブル発生

トラブル発生トラブル発生

 フルブレーキしたものの、コースアウト。「きゃあ〜」と悲鳴を上げながら、車は土の上を突き進む。4コーナーに飛び出ることはなかったのは幸いした。飛び出てしまったら他車と正面衝突してしまう。コース上にいた富山の車屋さん曰く、「雅くんが変なとこから突っ込んで来る〜」と焦ったらしい。そりゃあ、普通に走っていればぜったい突っ切ることがない場所だから、焦るよねえ。

正面衝突雅くんが変なとこから突っ込んで来る〜

 当然、赤ランプ点灯。自走できない我が愛車は、サーキットの車にドナドナされた。申し訳ない。気合いを入れて臨んだホームコースであるが、1周もすることなく終了。せっかくタイム計測器を付けたのに、一度も計測地点を通過することがなかった。

1周もすることなく終了

 とりあえず動くようにしないと帰ることができないので、仲間のロードスターを借りて、片道30分弱の車屋さんまで部品を取りに行く。戻ってきて、エンジンルームとにらめっこ。前にもこんなことをやったなあ。デジャブということにしておこう。

 素人が作ったエンジンだから、壊れてしまったという壊れ方ではないことは確か。

 とりあえず、エンジンがかかるようにする。キーをひねってぎゅぎゅぎゅん、とセルが回り、ぶぉ〜ん、とエンジンがかかると、聞こえてはならない音が…。

 

 カン、カ、カン、カン

カン、カ、カン、カンカン、カ、カン、カン

 

 慌てて切る。異物を吸い込んだらしい。プラグを外してみると、果たして3番気筒のプラグに傷が付いていた。異物がプラグホールから発射されないかしら、との期待を込めて、プラグを取った状態でクランキングしてみると、バヒュンと部品が飛び出さないのは当たり前だが、異音がしない。排気バルブをすり抜けて触媒前まで飛んでいったカモ、と思い、もう一度エンジンを掛ける。ぎゅぎゅん、ぶぉ〜ん…。

 

 カ、カン、カン

カ、カン、カンカ、カン、カン

 

 慌てて切る。異物は相変わらず3番気筒に居座っているらしい。あれこれ努力してプラグホールから取り出そうとチャレンジしてみるも、出てこない。あきらめるしかないか…。「あきらめる=ヘッドを外して異物を取り出す」ことだということは考えないことにしておいた。

 富山の車屋さんの積載車でドナドナ。この日はもう1台が原因不明の不動車になってしまったので、車屋さんのマシンも含めて計3往復させてしまったことになる。申し訳ない。

 車屋さんの工場に入れてとりあえずヘッドを外すことに。とりあえず、とはいえタイミングベルト回りをばらしてエキマニを外して、配線類を外してと、とっても手間。たった75日前にも同じ作業をしていたことは、考えないことにしておこう。でも人数がいるからインマニを外さなくてすんで楽であった。仲間って素敵。

たった75日前にも同じ作業をしていた

 手伝ってもらって、よいしょっとヘッドをはがすと、果たして異物がシリンダーの中で暴れ狂ってピストンに数百回はたたきのめされて、別の物体になったものがスキッシュのところにへばりついていた。(ioi)がーん

(ioi)がーん

 あわよくば、ぼろぼろになった燃焼室は見なかったことにしておき、ヘッドガスケットだけ交換して、また組んでしまおうかとも思ったのだが、バルブを見てみると、端っこが何カ所かゆがんでいた。(ioi)どーん

(ioi)どーん

 ちょいとこれをこのまま取り付けるわけには行かない。困った。だって、名古屋まで帰る足がないじゃない。

 普通の人がこんなことになっちゃったら、

 「エンジンが壊れちゃってどうしよう」普通ならスクラップだよね

普通ならスクラップだよね

 「積み替えっていくらかかるの?」中古エンジンセットで10万くらい?

中古エンジンセットで10万くらい?

 「乗り換えようか」もっと速い車たくさんあるしね

もっと速い車たくさんあるしね

と慌てふためいて、ショックのあまり2、3日ふさぎ込んでしまうかもしれないが、僕はあきれた変態車野郎なのであって、エンジンは壊れるモノであって、諸行無常であって、財布は空っぽなものである、というのが普通になっている。だから、エンジンなんて作って載せればよいモノであって、いや、実は心の奥ではいやおうなしに作らなければいけない状況に追い込まれたのがちょっと快感だったりして、すでに次期エンジンの構想がぐるぐると回っているのだから、さしあたっての問題はどうやって帰るか、なのである。ま、悩むまでもなく電車で帰るしかないのだが。

 今日は朝から腰下の降ろし&ばらしに取りかかる。とりあえず、シリンダーをボーリングできる状態にまでエンジンをばらさないといけない。昨晩のやけ酒のため思考能力が著しく低下し、工具を前に呆然としていることが多く、大変な作業の多くを車屋さんまかせてしまった。申し訳ない。

 腰下をぶら下げてインパクトレンチを使ってばらばらにしていくのは快感でさえある。けれども、ばきばき外していくだけでボルト類は床に散乱させたまま。「普通は仮組みしながらばらすものだぞ」と怒られた。素人だから、そこら辺がいい加減である。いや、素人がエンジンをいじるには、いい加減でないとなかなか踏み出せない。

 夕方、雨の中を高山まで車で乗せていってもらい、マニアックな話に興じる。エンジン仕様についていろいろ考えた。高山駅に着いたら、たった今、最終の特急が出発する時間だと知った。乗れないや、とあきらめかけたら、2分ほど遅れているとのこと。まさしくその2分の遅れで乗ることができた。

 悪いこともあれば、良いこともあるさ。

3月14日

 うるさくて、乗り心地が悪くて、ハンドルが重くて疲れる我が愛車であるが、ストリートのチューンとしてはなかなか良い感じに仕上がっているかもと思う、今日この頃である。

 先週日曜日、車高を下げ、ついでに減衰力をきちんと合わせた。バネの硬さは走りに大いに影響するが、それに対するショックの調整を甘く見ていた。ま、走れればどんな足回りだろうがあまり変わらないだろうと、ほとんどショックの調整はほったらかしにしてあったのである。

 ところが! しかるべきところまで締め上げてやったら、乗り心地がよい! とはいっても、バネレートはフロント10kg/mm、リア8kg/mmであり、それなりにゴツゴツしているのだが、KONIがしなやかにショックを受け止めている感じ。

 路面のギャップがあっても、前のようにがたがた車体が揺れることがなくなった。現在住んでいる実家の西側、瀬戸市の丘陵部は、それはそれは路面の舗装がひどい状態なのである。「瀬戸物」の名の通り、陶器を作っている町であり、土砂を積んだダンプカーがひっきりなしに行き交うから、路面がうねっているのだ。

 ところが、そんな路面をものともせず、今の足回りは僕の常識からすればとんでもない速度領域で走っていてもそれほど怖くない。いやあ、足回りってとっても重要かも。今までがちょいと、いい加減にしすぎていたみたい。

 そんな自己満足のセッティングをひっさげて、明日は富山の我がホームコースを走行する。どうなることやら。

3月13日

 昨日は仕事を終えて、仕事場の上司とともに池下の串屋へ行く。どて煮に串カツ。生ビールを3杯と少しだけ飲む。

 話が盛り上がり、覚王山まで歩いてショットバーへ。バーボンロックを何杯か。

 今日は昼まで仕事にならなかったことは言うまでもない。いや、出勤したのが正午すぎであった。

3月12日

 出勤でロードスターに乗ったら、アイドリングが1700回転。設定してあるのは950回転。全然下がらない。Freedomの画面を見ても、各センサーからの情報に異常はなさそうである。

 前日、スロポジセンサーの配線が一つ外れかかっていたから、まだ配線が完璧じゃないんだろう、と信号待ちでおもむろに車の外に出て、ボンネットを開けてスロポジの配線をチェック。3車線の道路の真ん中でそんなことをやっているのだから、周りの車からの視線が突き刺さるようであった。

 別に悪そうなところはない。アイドルは1700回転。スロットルを少し開けてやるとぶぉんと大変調子よく回る。解せない。

 さすがに1700回転アイドリング。普段は400mmHg程度しかない負圧が、520mmHgでぴたりと安定して、ノーマルエンジン並みである。音は少しうるさいが、震動もなくて実に快適。良いかも。

 が、信号待ちしていると、この季節なのに水温、油温が上昇していく。夏以外は80度に張り付いている油温が90度を超えた。夏なら110度ぐらい行っている感じだ。さすが1700回転アイドリング。

 会社近くに車を止めて、おもむろにマイナスドライバーを取り出し、スロポジセンサーのカバーを開ける。NA6CEの場合、センサーとはいえ、ただの接点が入っている単純な構造だから、目視で異常が確認できるのだ。異常なし。おかしい。愛車はまだ1700回転アイドリング。客待ちをしているタクシーの運ちゃんの視線を感じる。

 これはFreedom側の設定がおかしいのだろう、とあれこれ見てみる。やはり、そうであった。ISCVをコントロールする設定の数値である「ベースカウント値」。これが水温80度と100度の数値がなぜか「0」になっていた。通常は80〜90あたりの数値が入る。暖機した途端にISCVの作動が止まってしまう設定になっていた。

 いじったわけでないのに、なぜ勝手にこんな数字になってしまったか。Freedomのバグ? たぶん、前日にスロポジセンサーの配線が外れかかっておかしくなったとき、変な信号がFreedomに入力され、訳の分からない学習をしてしまったんだろう。

 Freedomを付けたら、パソコンは常時車載にしておかねばならない。

3月11日

 仕事である医師に会う。用件が終わると、突然思いがけない質問が飛んできた。

 「君、まだ若いよね。独身?」

 「はふ? は、ドクシンでしゅ」

 「何年生まれ? どこの学校出たの? ふむふむ。そうか、で彼女いるの?」

 「い、いましぇ〜ん…。(傷つくことをずけずけと。怒)」

 「そうか、ちょうどいい!(何が?) こういう仕事をしているとね、(僕の渡した名刺になにやら書き込みながら…)人からよろしく頼まれるんだよ」

 (おもむろに立ち上がり、棚のファイルをごそごそする医師)

 「あ、あの〜何やっておられるんでしゅか?」

 「いやね、年頃の娘さんの親からなんだけれどね、良い縁談がないか、よく相談があるんだよ。(一つ写真を取り出し) この娘! けっこう美人でしょう。でもね、残念ながらもう決まっちゃったんだよね」

 「はあ」

 「もちろん、親から頼まれたとしてもね、僕のところに一緒に来てもらうんだが…。(あちこち引っ張り回した挙げ句) この娘なんかどう? 外車ディーラーに勤めているんだよ。なかなか良いでしょう。あ、でも君より年上か…。これじゃ、いかんな」

 「はあ(ちょっとトキメキ)」

 「この娘なんかもね、なかなかかわいいんだよ」

 「はあ(いったい何人ストックしているんでしゅか?)」

 「ま、異業種での交流を進めているからね、その一環なんだけれど」

 「はあ」

 「こうやって縁談持ちかけるとね、中には嫌がる人もいるんだよ。だからね、もしその気があるんだったら、履歴書書いて持ってきてね」

 「はあ。(エンリョしておきまふ)」

 

 世の中変わった世話をする人がいるもんだと思った。

3月10日

 「筋肉痛が次の日来ているからまだまだ若い!」

 なんて携帯メールが突然入ったのでびっくりした。だって、今日一日、筋肉痛で苦しんでいるんだもの。筋肉痛で体がぎくしゃくしていることは、だれにも言った覚えはないのだから、もしかしてストーカーにつけねらわれているのかしら! なんていう恐怖感を覚えたのである。

 背筋と、足のももの筋肉が痛くてひっかかるので、ロボコップのようなよちよちした歩き方しかできない。よちよちふらふら、自分では普通に歩いているつもりのときに、突然「あいタ」なんてあえぎ声を出しているのだから、周りにいる人は不審に思ったに違いない。

 久々の筋肉痛になったのは、もちろん、昨日車高を低くするために足回りを脱着したからである。今朝、起きてみて、自分の体のなまり加減に閉口した。エンジンを脱着したときだって、こんな露骨な筋肉痛はなかった気がする。ただ、全身が疲れて、倦怠感のため、1週間ぐらい仕事が手に付かなかったぐらいの副作用しかなかった。

 携帯メールは大阪の某氏からのもの。自分がスキーに行き、その筋肉痛に苦しんでいる、という内容。詳しくは書いてはいないけれど、翌日に筋肉痛が出るくらいだからまだまだ肉体年齢は若い、と言いたいらしい。年取ると遅れて筋肉痛が出る、ということだが、本当??

 真偽は定かではないけれど、まったく同じ苦しみを同時に味わっているわけでなかなかおかしかった。

3月9日

 久しぶりに休みであった。ゆっくり寝ておこうという思惑通り、起きたら正午すぎ。ようやく寝不足が解消された感じ。

 まぶしいほどの青空が広がる晴天であった。開幌にして遊びに行きたい衝動を抑えて、車高を低くする作業に取りかかる。4月には北陸ミーティングで間瀬サーキットを走らねばならない。それまでには、車高を下げてアライメントを取っておこうと考えていたのだ。

 フロント10K、リア8Kの硬いバネを入れているわりには、現在の車高は高すぎる。フロント、リアともに、指が3本入ってしまうのである。いちおう、もう一段階下げられるはずなので、足回りを外してばらして、車高を低くすることにした。

 フロントをジャッキアップして、ハブとアッパーマウントを連結するボールジョイントを外す。久しぶりの作業なので、なかなかささっと作業は進まない。

 ショックとバネがかなり汚れていたので、バケツに水を張って、ショックごと突っ込んでじゃぶじゃぶと洗う。なかなかきれいにはならなかったが、どうせすぐに汚くなるのだから、問題はないだろう。

 丁寧に作業していたら、夕方までかかってしまった。タイヤはスタッドレスから、サーキット走行専用の15インチワタナベを取り付ける。

 試しに走りに出かける。やはり、スタッドレスタイヤと違い、15インチNeovaはすばらしいグリップを発揮する。瀬戸の山奥をぐるぐる回る。やはり、松本の山道ほど素晴らしい道はなかなかない。松本が懐かしい。

 車高を下げたところ、前後とも指2本弱の車高になった。もう少し下げたい気もするが、ツーリングであちこち走るにはこれくらいがぎりぎりだろう。いや、もし下げたいと思ったところで無理だから仕方がない。ヘルパースプリングか、ショックをオーバーホールに出してロッド長を短くする、それかバネを柔らかくするかしない限り、これ以上車高を下げることはできない。

 とりあえず、車高は下げた。次はアライメントか?