月: 2003年2月

2月15日

 「レゾネーター」って聞いた事があるだろうか。ノーマルの吸気管を外したことがある人なら分かると思うが、あのぐにゃぐにゃした樹脂製の吸気管の途中に、へんなお部屋が設けてあるのだ。最初見たときは、ずいぶん余計なものが付いているんだな、トルクでも上がるのかな、なんて見ていたが、主な目的は別のところにあったのである。

 グランプリ出版の自動車用語辞典によると、レゾネーター=共鳴器、と書かれている。吸排気系の特定周波数の音を共鳴(レゾナンス)を利用して低減する装置、だそうな。ヘルムホルツの共鳴の原理、というものが応用されているそう。

 僕のエンジンは現在、スロットルにエアクリが直付けしてある仕様なので、吸気音がとってもうるさい。アイドル時に「シュー」という音が耳に付くし、「ガロロロロ」という間の抜けた音が3000〜4000回転あたりで特に耳に付く。ノーマル吸気管を付けることでこの音が少しでも小さくなるんだろうか、と試してみた。

 こんな感じ。NA8Cの吸気管しか手元になかったので、普通には付かなかった。NA6CEとNA8Cではサーモスタットの取り回しが若干違うから。

 写真を見てもらえば分かるが、巨大なものが吸気管の下についている。どこの周波数の音を消すかで寸法、形状が変わるのだという。この状態でエンジンを掛けたら、やっぱりかなり静かになる。空ぶかしして回転数を上げると、やっぱりうるさいけれど、走ってみれば、やはりかなり静かになるんだろう。ノーマル吸気管は形が悪いから取ってみたくなるものの第一に挙げられるが、消音に重要な役割を担っているのである。

 ちなみに、社外品のアルミ品のインテークパイプで、レゾネーター付きのものは見たことがない。僕が以前付けたクスコのアルミインテークでもそうだったが、吸気音が豪快になるのは、アルミ管に変えて共鳴するの以外にも、このレゾネーターがなくなることが大きいんだろう。

 インマニの中にこの機構を採り入れて、消音とトルクアップを狙うものもあるという。ファミリアB5エンジンなど。NBの可変吸気もそうなのだろうか。

 吸気管一つでもメーカー製はやっぱり工夫されているのである。でも、インマニ内に設けるならトルクアップしそうな気がするのだが、吸気管内にあっても、トルクアップにはつながらないんじゃないかなあ。当初、インテークパイプは空気の流れを作ってトルクアップのためにある、と思いこんでいたのだが、取ってしまった今の方がふけがよい。

 インテークパイプは消音とエアクリ、エアフロの場所確保のために付いているんじゃないか、というのが今のところの僕の感想。

2月14日

 人生の時間とお金の大半を車に注ぎ込み、回りからは変態扱いされている全国500万人(推定値)の車野郎にとっては、何とも微妙な気分にさせられる日がことしもやってきた。車野郎は時間とお金の大半を車に捧げてしまった人種であり、すなわち日ごろは仕事場などの回りの人たちと交流が疎遠になり、一匹オオカミになりがちなのは自明の理であって、今ごろ(PM
7:43)寂しさで打ちのめされている時間帯であろう。

 実は、車野郎の中でもそんな寂しさを感じているのは僕だけであり、それは別に車野郎だからという理由ではなく、ヲトコとしての魅力がいまいちであるだけなのかもしれないのだが、そう考えると涙があふれて前が見えなくなってしまうので、自分の寂しさを車野郎の共通の寂しさであると強弁しているのかもしれない。遠吠え。いいのさ、愛に生きずに車に生きるのサ。決して仕事には生きない。

 寂しいに違いない車野郎たちに僕からチョコレートならぬ、ネタをプレゼントしようと、堂々と仕事をさぼってしこしことページを書いた。どうも、Freedomネタって、読者に受けていない気がするので、久しぶりにメカメカしたネタである。全国500万人(推定値)のロンリーな車野郎のみなさんは、ぜひ車ネタでも読んで寂しさを紛らわしてほしい。

 こうやって新しいページがアップできた、ということは、本当にロンリーな一日を過ごしていることを自ら証明し、自爆しちゃったのだな、と今気づいた。

2月13日

 見知らぬ街に行くと、散歩に出かける。あちこち歩いていろいろ見て回ると、素通りするよりは、その街のことについて知った気になる。水俣も歩いた。以前には、潮岬のある串本、長野の善光寺の周り、などなど。歩く距離は数キロぐらい。

 当然、昨夜は博多の街を歩くことにした。まずはうまそうなメシ屋を探したい。博多と言えば、ラーメンであろうと、ラーメン屋を探し歩く。

 宿から博多駅に向かい、まっすぐではなくジグザクに歩いていく。駅前の割にはそれほどたくさんの店がない。いや、店はそこそこあるのだが、ラーメンがない。ラーメン、ラーメンと呪文のように唱えながら、博多駅をスルーして裏側へ。

 しかし、裏側はどうも官庁街、オフィス街らしく、お店がそんなにない。博多、というと屋台が立ち並ぶにぎやかな場所が思い浮かぶのだが、歩いた範囲でそんなところはない。おかしいな、おかしいな、と思いつつ、仕方がないから元に戻る。

 ガードをくぐって表側に出、さらに寂しい街をしばらく歩くと、ラーメン屋があった。いい加減、腹が減って体力も限界であったので、そこに入ってラーメン、チャーハンセットと餃子を注文。ラーメンは期待したよりもうまくなかった。薄味というか、スープがしゃびしゃびだがね(名古屋弁、スープが薄いじゃないかという意)。

 ちょいと欲求不満ながら、満腹なのでもう一軒ラーメン屋に入るわけにもいかず、とぼとぼと宿の方向に向かって歩く。帰って、ビールでも喰らって寝ようと思ってひたすら歩いたのだが、どうも違う道を歩いているらしい。だんだんと見覚えのない景色になっていき、ネオンサインがぎらぎらしだしてきた。道に行き交う人やタクシーの量が増える。

 道を間違ったのは明白なのだが、怖いもの見たさにずいずい歩いていく。そのうち、怪しい色遣いの店舗と、見るからに怪しい出で立ちの呼び込みが立つ街並みとなった。名古屋で言えば、錦三、今池あたり。錦三のぎらぎら、怪しさ度を5倍したぐらいの怪しい街だ。こんな街はおそれることなくそのまま素通りすれば良い。いろいろ声がかかるけれどひたすら無視すれば良い。

 そのうち、川に出た。川沿いには、屋台が立ち並び、多くの人たちがカメラやビデオのレンズを向けているから、たぶん観光名所なんだろう。川岸を歩いて行く。おいしそうなラーメン屋や居酒屋の屋台があるのだが、さすがにこれ以上詰め込めないので、涙をのんで通り過ぎる。

 そうこう歩いているうちに、本当にやばい地域に入ったらしい。まさしく裏。そこら中が怪しい。僕なんかが入り込んではいけなかったのかもしれない。うつむき加減に、ただ早足で通り過ぎることしかできなかった。まじでやばい。

 気が付いたら、本格的に道に迷ったらしい。どこを歩いているのか、どっちに歩いているのか、分からなくなってしまった。立派な迷子である。タクシーに乗るのも何となくシャクである。迷子になってしまったと、ばれてしまうのは、いやだ。

 ひたすら歩いても、どこにいるのかも、どっちに向かって歩いているのかも分からない。だんだんと足が痛くなってきた。タクシーに乗ろうか、と焦る。それでもタクシーを使うのは何となくシャクなので、歩きまくる。とことん歩きまくる。どっちに向かって歩いているのか、どこを歩いているのか、ヒントになる看板や地図を探しながら。

 焦りながら歩いているうち、後ろから若い女の人の声で「すみません」と呼び止められた。振り向くと、なかなかぷりちーな女の子。これは、何かやばい勧誘かもしれない、と思い身構えると、「財布を落としてしまったんです。○○まで帰るお金を貸してください」などという。

 いかにも、人をだますときにありそうな口上ではないか。こうやってだまして、何か高額の商品を売りつけるだとか、なにやら怪しい雰囲気にさせて、うはうはっと舞い上がったら、怖いやくざのお兄ちゃんが出てきてたこ殴りにされた上、身ぐるみはがれて川に捨てられる、だとか、そんな思考が頭を駆けめぐる。「本当?」と聞いてみるが、だましたり、商売をしたりする感じの人ではなさそう。「いくらかかるの?」と聞いたら「1500円ぐらい」という。低額だし本当らしい。それに男が出てきた。開口一番、「お願いします」だって。先に女の子に声を掛けさせて立ち止まらせるなんて、うまい戦略じゃねえか。

 ま、本当に困っているのかもしれないし、1500円である。財布を取りだし、「これで足りるでしょ」と、2000円を渡す。「返しに行くので住所を教えて」と男。名古屋まで返しに来たらいくらかかると思っている。「郵送で送るから住所を教えて」とまた男は言うが、まあ2000円だし、「愛知の者だし、別にいいよ」と言って名乗ることもなく立ち去ってしまった。

 立ち去るときに男、うれしそうに「じゃあ、次に会ったときに返します」。立ち去りながら「そうしてくれる」と捨てぜりふを残す僕。何が何だか分からないが、何となくその場を立ち去ってしまった。2000円をくれてやった格好である。よく言えば、お人好し、悪く言えば、馬鹿である。住所を教えても帰ってこなかったら、とっても後味が悪いので、無意識のうちにそれを避けたのかもしれない。いや、知らない人に住所を教えるのが嫌だっただけか。

 2000円のことなんかはどうでもいい。どこにいるのか、分からないのである。半ばべそをかきながらとぼとぼ歩いたら、ようやく博多駅の方向を指し示す看板を発見した。さらに2キロほど歩いてようやくホテルに到着。足が棒のようになる、とは正にこのことだ。

 朝起きて、地下鉄で空港へ。航空3社の空席状況や到着時間を比べながら、日本エアシステムを選択。羽田へ。モノレールを経て、永田町。用事を終えて、新幹線。2泊しただけなのだが、それ以上帰っていない気がした。

 月曜日の東京往復を入れると、この4日間で3000キロ以上移動したことになる。異常だ。

2月12日

 朝からデコポン畑に行く。聞き慣れないかもしれないが、ミカンと同じ柑橘類で、ポンカンという品種と清見という品種の合いの子だ。ヘタの回りが出っ張っているのが特徴。水俣周辺では今ぐらいから露地物が採れ始める。

 元々、全国一と言われた甘夏みかんの産地だったが、あまり食べられなくなったのでデコポンに切り換えているのだという。皮を手でむくことができ、中の房ごと食べられる上、味も良い。だから高い。柑橘類の高級品なのだ。

 デコポンでも全国一の産地だと、名古屋の市場のおっちゃんに聞いてはるばるやってきた。冬でも霜が降りない温暖な気候と良い土壌。他の産地では、なかなかまねできない。しかも、光センサーを使って糖度と酸を計測し、基準に満たないものは出荷しないから味のばらつきがない。農家に対しては、基準に満たないものばかりを持っていくと儲からないシビアな仕組みを作っている。だから、市場での信頼も厚く、高値で取り引きされる。

 今は、ハウス加温のための作業の真っ最中であった。今年の11月中旬に収穫できるよう、今のうちから春の気候を再現して、早めに芽吹かせるのだという。だから、今は収穫や木の剪定と同時にハウスの加温作業も加わって、異常な忙しさなのだ。そんな場面にのこのこと顔を出してしまい、恐縮することしきりである。

 水俣は熊本県最南端である。すぐ向こうが鹿児島、というところまで行ったのだが、鹿児島の土を踏むことはなかった。

 昼飯を水俣駅前の和食の店で食べる。駅前の目と鼻の先に、あの水俣病の原因となったメチル水銀を排出した会社「チッソ」の工場がある。そんな場所でちょっぴり複雑な気分になりながら、刺し身定食を食べた。地元とれたての魚の刺し身は非常にうまい。市場でも新鮮な魚を食べているけれど、それよりもさらに新鮮である。輸送に時間がかかっていないのだから当たり前なのだが。

 サラダたまねぎも作っているというので、そちらの畑にも出かける。農協のおじさんの車に乗せていってもらうと、街にはチッソの関連会社が立ち並んでいることに気づく。そして、海だったはずの場所は広大な埋め立て地になっていた。チッソは昭和7年から41年まで、アセトアルデヒドを生産した排水を垂れ流した。水俣湾にたまったメチル水銀を、埋め立てて封じ込めた形だ。

 たまねぎ畑に行くと、不知火海に面し、緑色一色に染まった畑が広がっていた。素晴らしい展望であったのだが、反対側には、今も工事が続く埋め立て地も望むことができる。複雑な気分だ。

 複雑な気分のまま、サラダたまねぎの話を聞く。やはり、水俣産というレッテルが誤解を招いて販売面で苦しい時期もあったのだそう。水俣病を経験しているから、農薬と化学肥料を減らし、除草剤を使わない、今のトレンドを先取りした農業を早い時期に確立したのだという。

 化学肥料を減らすため、特別に作った肥料も使っている。それを作っているのはチッソの工場だ。複雑な気分。

 午後3時半の特急に乗らないと名古屋に今日中にたどり着けないのだが、仕事が長引いてしまったので、帰るのをあきらめた。博多に泊まることにする。何となく後ろめたい気がするので、こんなときには仕事をつくるしかない。1泊増えたのを上司に報告するときの理由とするのだ。明日、東京で仕事をすることにして、福岡から東京まで飛行機で行くことにする。滅茶苦茶だ。

 今日中に博多に着けば良いことになったので、時間に余裕ができた。ならば、行って置かねばならないだろうと、市立の水俣病資料館に行く。58ヘクタールに及ぶ、広大な埋め立て地の一角にある。

 大型スクリーン映像を独占したり、パネル展示を見たりする。小さな漁村だった水俣に、チッソの工場が来て、熊本でも一二を争う工業都市に発展。一時は5000人の従業員を抱え、水俣は豊かになった。ところが、1500人近くが亡くなり、12000人以上が健康被害を受けた。メチル水銀で神経が冒されるのだから、恐ろしい。

 外に出て、埋め立て地の端っこを歩く。どうせ時間があるのだから、水俣駅まで歩くことにする。1時間ぐらいの距離か。埋め立て地には大きな建物が建てられないからと、見渡す限りの巨大な公園となっている。

 人口規模からすればまったく不必要なくらい巨大な公園の縁を歩いていると、思いはどうしても足下に残っているはずのメチル水銀に至ってしまう。公園のグラウンドではサッカーの練習。その傍らでラジコンヘリが飛んでいる。埋め立て地反対側では、まだ整地する工事が続き、公害がまだ現実の問題であることを知らせてくれる。その向こうにはチッソの工場施設が立ち並び、操業を続ける。

 チッソはまだ水俣の主要企業の一つだ。一時、5000人いた従業員も、今は660人。年々、規模が縮小されていくに従い、水俣の街も寂れていく。悪夢のような被害を出した企業なんぞは、地域から追い出してしまえばよい、と思うのだがそんなに単純に割り切れる問題でもない。

 複雑な思いを、博多へ向かう車中でつらつらとテキスト化していたら、こんなに長くなっちゃった。

2月11日

 世間一般は祝日であったようだが、問答無用で仕事。大阪・吹田の某所に午前11時までにたどり着かねばならなかったので、午前8時41分のこだまに乗る。その1時間以上前に家を出なければならんので、早起きしなくてはならなかった。

 あいにくの雨模様。京都で降りて新快速、快速と乗り継ぎ、茨木で降りる。仕事を済ませて、大阪の某氏と合流する。ロードスターで迎えに来てもらったのだから、オープンにしたいのだが、雨である。オープンの助手席ほど気持ちの良いものはないのだが、残念であった。

 トンカツ屋でトンカツを喰らいながら、それぞれの次期エンジン構想についてマニアックな語りが繰り広げられる。コンロッド軽量化、クランクバランス取りなど、腰下チューンがメーンの某氏。僕は腰下は排気量を上げるぐらいで、ヘッドがメーン。それぞれの個性が現れていて面白い。

 トンカツ屋を出て、次に向かうはホームセンター。ヘッドを削るのに使う先端工具、特にフラップホイールを買うのが目的だ。大阪の地理はまったく分からないので地名は分からないのだが、コーナンというばかでかいホームセンターへ。しかし、フラップホイールが置いていない。某氏曰く「置いてあるホームセンターってなかなかないよ」。確かに、自宅近くのホームセンターにも置いてなかった。ところが松本近辺のホームセンターにはほとんど置いてあったのだ。ホームセンター事情は松本も捨てたものじゃないらしい。

 断っておくが、いちおう今日は仕事である。ほんのちょこっとだけ後ろめたい。

 某氏に新大阪まで送ってもらい、名古屋へ帰ると思いきや、まったく反対側に向かった。九州の熊本・水俣である。明日、朝から仕事をするには前日のうちに入っておかねばならない。ひかりで博多に向かい、そこから特急・つばめ。実は広島より西へ行くのは初めて。九州上陸も初めて。

 さすがに遠かった。博多までは新幹線がトンネルの中で揺れまくる以外は何の支障もなく行けたのだが、そこからつばめに乗って水俣までがなかなか遠かった。新幹線だけで疲れている上、博多から2時間19分かかるのだから、そりゃあ、疲れるに決まっている。

 水俣の街はなにもなかった。ホテルにチェックインし、ホテルを出てうろうろと、1時間近くそこら辺を歩いてさまよった。

 せっかく、遠く九州の地に来たのだが、街の風景ってそれほど変わらない。日本の街ってなぜ同じような風景が続くんだろう。 

2月10日

 名古屋に帰っていた東京の友人が今朝東京に出勤する、という。たまたま今日は東京での仕事を作ってあったので、一緒に行きついでに秋葉原をあれこれ見て回ることにした。午後1時ごろに出勤すればOKというこの友人の仕事も僕の仕事と同じぐらいやくざなものである。

 友人は一応、パソコン関係の仕事に就いているので、そちらの知識は豊富だ。一方僕は、昔はパソコンヲタクであったものの、最近は車ヲタクに転向してしまい、最新の知識はあまり持ち合わせていない。最近のパソコン事情にはまったくうとい。だって、Pentium3
700MHzを804MHzにクロックアップした自作デスクトップと、MobilePentium3 733MHzのノートパソコンの体制でまったく不都合を感じたことがないのだから、最新情報にも疎くなる。昔は、PentiumPROが出た、それが元になって2になったなどという記事を読んで興奮したものだが。

 DVDドライブがあると便利かもしれない、と思い、DVDドライブを物色したのだが、DVDの+と−、±なんかでいろいろ企画がごちゃ混ぜになっているらしい。ビデオカードも今使っているGeForce2MXを使ったカードでまったく問題ないのだが、3世代前だと言われてしまった。

 パソコンのCRTでテレビが見られたら便利だと思い、ビデオキャプチャーボードなどを見るも、アナログとデジタルが入り乱れて訳が分からない。結局、まだまだVHSでHotVersionやら、VestMortoringなんかを見られるのだから、別に無理してパソコンで見る必要がない、と思ってしまった。

 パソコンはどんどん速くなっていくのだけれど、ビデオ編集やDTP、3Dゲームなどをしない限り、そのパフォーマンスを発揮できる場面はあまりない。「何に使うのか」というところをもうちょっと見直さないと、パソコンのパフォーマンス競争も一部のユーザー以外からまったく切り離された意味のないものになってしまう気がするのだが。

 午後に出社すればよい友人もおかしいが、午前中、電気街で過ごしてしまう僕も怪しい人間だ。午後、夕方まで用事をこなして、再び秋葉原に向かう。ROMチューンに使うEP-ROMを物色。Freedomに移行してまったく無用のものなのだが、なんとなく欲しい気がした。名古屋の大須で買うと800円ぐらいするものだ。きっと日本一の電気街なら安いだろうと思って探すとやはりあった。半額の400円。これは買うしかあるまい、と10個注文したら「レールでどうですか? 13個入り」とすすめられ、なんとなく13個入りを買ってしまった。

 13個のEP-ROMが縦に1列並べられた60センチぐらいの長さのケースを持ち運ぶ羽目になった。ムカデのような物体を大量に持ち歩く姿はさぞかし怪しかったに違いない。

2月9日

 昨日、今日と新エンジンのポート研磨。チタンの刃先を使い、ドリルでバルブガイドや鋳肌を落としてゆく。5時間ぐらいかかって、吸気側だけ、80番のフラップホイールで荒削りまで終了した。

 今回は、鋳肌だけを落とした全回と違い、ポート形状の大幅変更をしている。といっても、基本的には元にある形を生かすだけで、ガスケットの幅までぎりぎり削ったり、バルブシートを入れるときにできた段付きを削るぐらいなものである。本来なら、ガスケットぎりぎりまで広げるのは、低回転で流速が落ち、いけないのかもしれないが、今回のエンジンは4連スロットルを付けて高回転型にする予定。低回転のトルクがない仕様、とも言える。

 現在の吸気ポートはこんな感じ。

 真ん中の壁にある段差は解消できなかった。これは鋳造した時点で、大きなくぼみがここにできてしまっていたもの。なくそうとすれば、隔壁がなくなるぐらい削り込まないといけないわけで、それではさすがにポート径を広げすぎだろうと、そこそこまで削ってあきらめた。あと1時間ぐらい電気ドリルを使い、その後は手でペーパーがけする地味な作業が待っている。ここまで削るのでさえ大変だ。

 今日の午前中はとりあえず、吸気ポートを削った。午後からは友人の引っ越しの手伝い。夜、お礼に中華を食べさせてもらった。

2月7日

 市場の食堂で高級刺し身定食を食べた。活サバに、天然ブリに上マグロ。どれも脂がのっていてうまい。ブリは富山県とかを除き、スーパーで出回っているものは養殖であり、ハマチと呼ばれているのだが、この定食ではちゃんとした天然のブリであった。

 同じ魚でも養殖と天然ではまったくものが違う。何が違うかと言えば、脂の質である。バターとサラダ油ぐらいの差がある。天然は脂っこいがくどくはないのだ。

 夜も刺し身を喰らった。家族でお魚を食べに行ったのだ。ここでも天然ブリが出たが、昼に食べたブリとはまた1ランク違った。昼間のブリがうまいマグロだとすれば、トロであった。

 ブリに、カワハギと黒鯛の刺し身。カワハギの肝を食べて、感動する。どれくらい感動したか、と言えば、泣けるぐらいである。その後出た、あんきもよりもおいしい。

 うまい魚が食べられる、というのは実に幸せだ。

2月6日

 久しぶりに日本社会の暗部をかいま見てしまったぜ。

 日ごろ、なにも疑問を持たずに払っているお金、というのは確かに存在する。例えば病院で払う医療費。

 日本は国民皆保険という素晴らしい制度となっている。保険証さえ持っていれば、どこの病院に転がり込もうが、誰にでも同じ料金で、同じ(という建前の)サービスが受けられる。水はただである、という大変な勘違いと同じように、日本では病院にかかる敷居がとっても低い。これって世界の中で比べても幸せなことなのだ。

 例えば、もっとも医療が進んでいるとされるアメリカ。確かに世界トップレベルの医療である。病院もとってもきれいで、看護も手厚い。インフォームドコンセントもきちんとなされ、不明朗なところがない。2時間待って3分診療の日本とは大きな違いに見える。

 が、医者にかかるためには目の飛び出るようなお金が必要だ。所得格差も激しいから、貧しい人はなかなか思うように医者にかかることができない。最高の医療が受けられて例え重病が治癒したとしても、治った暁にはホームレスになるしかないというちょいと大げさに言えばこんな感じの厳しい現実がある。アメリカでは入院は最小限しかしない。出産であれば、48時間で退院する。それ以上保険が下りないから。

 日本ではすべての医療は基本的に保険でカバーされる。患者が払うのは1割から3割程度。あまり高くないから、疑問すら持たずに言い値を払う。40年間続けてきた習慣だから、言われたそのままを払ってしまうくせが付いてしまった。居酒屋では1品いくらで明朗会計なのに、病院ではレシートさえくれない。どんな医療行為にいくら払っているかも分かりやしない。

 病院も必死だ。なにせ、医療行為のすべてが保険点数によって縛られ、金額が決められ、あまり儲からないどころか、赤字が出るような仕組みになっている。つぶれないためには、ちょっとぐらいは不正をしたくなる気持ちも分からないでもない。けれども、人間、余分なお金は払いたくないものである。払うべきお金は払うが、納得して払いたい。

 最たるものは「差額ベッド料」だ。これは、患者が「大部屋は落ち着かないし、トイレもしずらいから嫌だ」と言って個室などの特別待遇を求めたときに支払うお金だ。個室であれば1日5000円から15000円くらい。本来は、入院費用は保険でみてもらえるのだが、特別待遇を求めたのだから自己負担は当然という考え方だ。余分に徴収できるお金だから、病院側は、いくらで個室に入られるかを分かりやすい場所に掲示しないといけないし、本当に患者が望んで個室に入ったのかを確認するため「同意書」にサインしてもらう必要がある。

 ところが、これが病院が儲けることのできるほとんど唯一の手段なものだから、あの手この手を使って個室を埋めようとする。

 例えば、心臓発作で救急車で運ばれる。「この患者さんは人工呼吸が必要だ。きちんと呼吸管理するために個室に入って」と看護婦さんから言われる。書類が出されて「ここにサインして」。動転している家族は、訳も分からずサインする。そして、個室に入り、2カ月入院。一日5000円として60日、30万円が医療費と別途に請求されてびっくり。どういうことだこりゃ、ということになってしまう。確かに同意書は書いたけれど、特別待遇を求めたわけでもないし、そもそもどんな書類にサインしたのかすら覚えていない。でも、病院から請求されたのだから、こんなものだろうと、ちょっと家計には痛いけれど、すんなり払ってしまう。

 こんな不条理なことが横行している。中には、同意書すらなく、差額ベッド料を請求したケースもある。そりゃあ、ちゃんと見識を持っている病院だってあるけれど。

 入院して、4人以下の部屋に入ったらまずは確認することだ。「この部屋は差額ベッド料が取られないのか」。入院時に変な書類にサインしていないか。病院の請求書が妙に高くないか。日本では保険で医療費がまかなわれ、患者は一部を負担すればよい。しかも、自己負担額も上限があり、まず1カ月7万円以上は取られることが少ない。

 妙に高い医療費を払った覚えがあったら、病院に文句を言おう。取り合ってもらえなければ県庁の保険担当にちくると、お金が戻ってくるかもしれない。

 こんな妙な仕組みがそこら辺を見回すと、あちこちにある。例えば、公団住宅の管理費。道路公団に群がる天下り関連会社と同じ構図なのである。ああ、いやだ。

2月5日

 再び仕事をする気がなかったので、10時半すぎに出勤する。それをとがめる者は誰もいない。この無関心さ、があるから、ずっと勤めていられるのかもしれない。働いた時間よりも、何が結果として出てきたかが問われているのだから、ある意味では厳しいのかもしれないのだけれど。

 夕方、日没までの時間がかなり長くなった。5時半ぐらいまで空は明るい。夜、酒飲んで、帰ってきた。脈絡がまったくないけれど、ようするに春の訪れを首を長くして待っているのである。

 すみません、酔っぱらっていて、なんにも書くことができないんです。