月: 2003年1月

1月31日

 市場のおっちゃんからもらったハタハタを食べた。これが絶品であった。

 ハタハタは秋田名物の魚だ。20センチぐらいで鱗がなく、淡泊だが脂がのっていてとてもおいしい。秋田の塩魚汁(しょっつる)鍋が有名。「しょっつる」はハタハタの肉や内蔵を塩漬けにして、発酵させた液の上澄みから取るもので、北陸にもある魚醤の一つ。これを調味料に、魚と野菜を煮込んだ鍋らしい。想像するだけでうまそうなのだが、さすがにそこまで手の込んだ料理はできない。

 で、手軽にうまく食べる方法として丸干しがある。ハタハタのはらわたを抜いてお好みの濃度に調整した塩水につけ込み、それを冬の寒い風に当たるように干しておく。風がある日は、それこそ3時間ほどで干し上がる。半日も干していれば良いらしい。もし、干せる環境がない場合、皿にキッチンペーパー敷いて、その上にハタハタを置いて冷蔵庫で2日ぐらい置いておくと干し上がるという。

 で、そうやってできた丸干しは、焼いて食べと、これがうまい。生のまま焼くよりも干した方がうまみが数倍であるみたいである。昨日もらったハタハタは、すでに丸干しに加工してあるものだった。朝、焼いてもらい、賞味した。

 市場のおっちゃん曰く、「はしでつまんで食べたらおいしくない」とのこと。頭から丸かじりするのがたぶん一番おいしいのだが、さすがに硬い骨が気になる。おっちゃんが教えてくれた方法を紹介すると、まず、焼きたてのハタハタの頭としっぽをむしり取る。「あっちっち」と言って耳たぶをつまみながらむしるのがベストだ。

 次に、身をほぐす。なぜほぐすか、と言えば、背骨を身と分離するためである。ほぐした後、封筒を開くときのようにハタハタの身を指でつまんで、首をむしった後のところを広げて、はしで背骨をつまんで抜き取る。背骨はいとも簡単にごそりと抜けるから、なかなか気持ちがよい。

 背骨が抜けたらあとは賞味するだけ。ぱくりと身にかじりつく。噛むと脂がジワリと口のなかで広がり、風味が鼻に抜ける。今の時期は特に、脂が乗っていておいしい。3匹のハタハタ丸干しがあれば、日本酒2合ぐらいは軽く飲めそうである。

 名古屋ではあまり見かけないのだが、ほかの地域ではどうなんだろう。

1月30日

 タクシーが迎えに来てくれない、ということなので、仕方なく我が家のジムニーで向かうことにする。ロードスターはちょうどスタッドレスタイヤからネオバに付け替たところであったし、例えスタッドレスタイヤが付いていようがあまり名古屋の積雪路を走りたいとは思わない。

 朝から渋滞が必至なので、渋滞が起きる前に仕事を終わらせようと、午前4時に起きてすぐさま出発。積雪は1センチほどなのだが、通常名古屋で降る湿った雪ではなく、きめの細かいしまった雪なので路面は圧雪状態である。滑りやすい路面だが、ジムニーはそれをものともせず猛ダッシュを見せる。

 まだ、他の車がまばらな時間帯。トラックやタクシーがのろのろ運転をしている横を猛スピードで走り抜ける。ブレーキもきちんと利くので、安心して飛ばすことができた。

 ただ、ABSが利くと、途端に制動力がなくなって、恐ろしい思いをする。驚く人がいるかもしれないが、新しいジムニーには、ABSが付いてる。パワステだって、パワーウインドーだって、キーレスエントリーだって付いている。夏にエアコンがちゃんと効く。僕のロードスターよりも数段快適なのである。松本で乗っていた550ccインタークーラーターボのスパルタンなジムニーから比べると、焼きが回ってしまったと、当初は思っていたのだが、雪道での性能はABSを除いて健在であった。

 熱田区日比野の市場の周辺では、ほとんど積雪もなかった。少し南に行っただけでかなり様子が違う。市場のおっちゃんから、ハタハタの丸干しをもらった。

 急いで市場を後にし、午前6時には帰宅した。さすがに、まだ通勤時間帯ではなかったので、渋滞もなくスムーズに走ることができた。怖いのは、名古屋だと雪道を甘く見て夏タイヤで走る人がいることである。そんな人と入り交じった渋滞の列には並びたくない。

 家に帰って再び寝たのは言うまでもない。さらに、お昼ごろのそのそと出勤して、ぐうたら社員のレッテルをさらに深めてしまったのも言うまでもない。

1月29日

 長野で仕事であったので、10時の特急しなのに乗り、木曽路、松本平を抜け、善光寺平に至る。夏だったら、早起きしてロードスターで向かってしまうのだが、やはりこの季節、電車で行った方がリスクが少ない。果たして、木曽路に入る前から周りは雪景色であった。国道19号が圧雪路になって、車がのろのろ運転。

 松本平に抜けた時点で雪はやんでいた。それでも、空には鉛色の雲がたれ込めて、いつ降り出してもおかしくなさそうな雰囲気。松本の懐かしい景色を眺めつつ、列車は長野へ向かう。

 篠ノ井あたりから、雪が少しちらついているも、松本よりも積雪が少ないくらい。大雪を予測していたので、ほっと胸をなで下ろす。

 長野に降り立つとやっぱり寒い。今日の名古屋も寒かったけれど、比較の対象じゃない。じっと耐えていれば何とかやりすごせるのが名古屋。じっと耐えていると死んでしまいそうになるのが長野、というくらいの違いがある。

 仕事を終えてとんぼ返りでしなのに乗り込む。松本で下車して友人と食事。松本駅前にある温度計は-5度を示していた。縄手通りにあるお店で晩飯を喰らう。さすがに寒すぎるのか、お客は少ない。外に出歩いている人も少ない。

 お店を出る時点で-7度。この気温になると、真剣に命の危険を感じる。心臓がばくばくと暴れ出す感覚は、やはり現地に行ってみないと分からないだろう。

 最終のしなので名古屋に向かう。千種駅に着いてびっくり、こちらも雪が降っていた。この分だと明日の朝、路面が凍結している。こちらだと、圧雪路でも夏タイヤで出かける無謀な人が多いから、事故多発&大渋滞必至である。

 そういえば明日は早朝に市場に行く日である。タクシー会社に朝4時50分に迎えに来てもらうよう電話を入れるも、「雪だから無理です」との返答。何のためのタクシーなんだろう。

 仕方がないから明日は早起きして、我が家のジムニーで市場に向かうことになりそうである。

1月28日

 暇をつぶしていてもいっこうに仕事がこないこと数時間。日付が変わっても、音沙汰がないが、寝るわけにもいかない。ずっとパソコンに向かって掲示板などを巡回して暇をつぶしながら、ひたすら待つ。待つ。待った。

 脳波がとぎれかけた午前4時に連絡が入り、出動することに。再び左京区聖護院川原町。5時すぎまで写真を撮るなどの仕事をして、5時半には仕事が終了。待ち時間が異様に長くて効率が悪い。

 Yahoo!で調べてみると、東京行きの新幹線の始発が午前6時17分であった。そのままタクシーで向かい、始発のひかりで名古屋へ。約40分。名古屋と京都ってとっても近い。せっかくの京都行きもまったくおいしい思いもすることもなくとんぼ返りになってしまった。

 仕事場に7時すぎに到着しちゃったのだが、さすがに誰も出社していない。心おきなくソファで寝ているといつの間にか10時。いつもの通り、朝から熟睡しているのをお偉いさんも含めたみなさんに見られてしまった。徹夜で仕事をしてきたことなんかみなさん知らないから、相変わらずぐうたら社員が朝っぱらから熟睡している、としか思われなかっただろう。ぐうたらであるのは間違いがないから、別に誤解されても良いのだけれど。

 昼ぐらいには帰って寝ようと思っていたのだが、そのまま通常の仕事に戻ってしまった。座って何かをやっている分には時間はどんどんと過ぎてゆく。これはいかんと午後4時に退社。西春日井郡に置いてあったロードスターを取りに行って帰宅した。

 眠いと言いながら、ビデオのベストモータリングを買ってきて見てしまった。RX-8の特集だったから。なかなか格好いい。

1月27日

 痛飲したのに、なぜか深夜に起き出し、ほぼ酔っぱらったまま書き忘れていたこの「日常」を書いていたりしたら、今度は眠れなくなり、ようやく寝付いたと思ったら、午前9時前だった。寝坊である。

 仕方がないので、着替えてロードスターで出かけることにした。朝から大雨。ネオバの溝はあまり残っていないので、スピードを出すと水たまりでタイヤが浮いてハンドルが取られる。重ステなのでそれがもろに手にキックバックとして返ってくる。危ないったらありゃしない。

 10時半ぐらいになに喰わぬ顔で出社した。だれも、僕の遅い出社に気を払う人はいない。タイムカードなんてあるわけでもなく、遅刻もできる半面、いつまでもどれだけでも働かされるという、やくざな職場だ。

 ぼちぼちと過ごしていたら、急きょ、京都に泊まりがけで出張することになってしまった。しまった、と思う。ロードスターが路上駐車のままだ。また、今回のように突然用事ができることがあるわけで、もしかすると、1泊が2泊になる可能性がある。路上駐車のままだと、最悪レッカーされてしまう。

 仕方がないので、西春日井郡の知人の家に置かせてもらうことにした。ここからなら、名古屋駅が名鉄で10数分である。突然「車を置かせろ」と押し掛けて、そのうえ、上がり込んでお茶を1杯すすり、さらにその家の人の車で駅まで送ってもらっちゃったのだから、恐縮しきりである。世の中、厚かましい方が勝ちなのかもしれない。

 ひかり自由席で京都まで。名古屋からなら近いものだ。京都駅からタクシーで左京区聖護院川原町あたりまで。運ちゃんが面白かった。50ぐらいの人なのだが、実は芝居をやっている人間。人生で47回も引っ越しをしたそうな。これだけ引っ越ししているとさまざまなことがあるわけで、一度はグリコ・森永事件の容疑者として疑われたらしい。引っ越していった先々で「毒入り危険」菓子が見つかり、ただでさえ引っ越し回数が多いから、警察に職務質問までされたという。

 そのほかにも喫茶店でいつも隣にいた感じの悪い人を見なくなったと思ったら、実は殺しで逮捕されていた、とか、友達の友達が革マルや赤軍派だったとか。運ちゃんは言う。「私はなにも犯罪行為はしたことがないですからね」

 もちろん、そんな言葉は信じられない。

 タクシーを降りてしばらくウロウロしたり、救急車を撮影したりして過ごす。とりあえず、当面の用事はなくなったので、仕事中にもかかわらず京都の同じ会社の知り合いとビールを飲んで景気をつけた。

 次の仕事は深夜。寝たり、こんなくだらない文章を書いたりしながら暇つぶし中。

1月26日

 起きたら昼だった。体がうずうずして仕方がない。原因を考えたら、やはりロードスターで思いっきり走っていないからだろうと、スタッドレスタイヤをツーリング用の14インチのネオバに付け替えて、屋根を開けて出発した。久々に純正BBSにホイールキャップを取り付けた。1つどこかに落として来たらしく、1つだけ欠けているのも格好が悪いので、半年以上外したまま走っていた。それを不憫に思った大阪の某氏が1つ譲ってくれたのだ。「キャップがない方がレーシーでいい」なんて自分を納得させていたのだが、やっぱりあった方が見栄えがよい。ありがとう>某氏。

 瀬戸から藤岡へ抜ける峠道を走る。峠道、といってもちょっとした丘を越える程度なので、大した道ではない。交通量も多い。そのままでは一般車の後ろをとろとろと走ることになるので、勝負ヘアピンの直前で路肩に停車し、後ろの車が来たところでのろのろと走り出す。のろのろとペースを上げずに走って後ろの車がいらいらしたころにシフトダウン。激しい吸気音とともに突然猛烈な加速した変なオープンカーに、後ろの車は焦ったに違いない。

 やっぱり、松本を離れてから絶対的なスポーツ走行距離が短いので、イメージ通りに走れない、というか、走りのイメージすらつかめなくていらいらする。瀬戸の道は路面の凹凸が激しく、あまりコンディションが良いとは言えないからかもしれないけれど、とにかくいらいらする。

 藤岡から岐阜県瑞浪市の方角へ向かう。ぶっ飛ばしてもおもしろい道ではなかったが、いらいらが募っていたので思わず飛ばしてしまう。直線では3速が吹けきって、4速に入ったから、馬鹿みたいなスピードで走っていたのは間違いない。

 国道363号と合流する。瑞浪モーターランドが近かったらのぞいて行こうかしら、と地図を見たら、瑞浪の街を抜けた反対側、つまり谷の向かい側の斜面に当たる場所にあることを知り、時間もないのであきらめた。

 国道363号を瀬戸に向かう。前の車に引っかかっていたら、後ろからカプチーノがやってきた。車間をぎりぎりまで詰めて、センターラインをまたぎながら走っていたから、僕も含めて抜く気満々なのだろう。ものは試しと、一緒に走ってみることにする。

 前が開けたところで、2速にたたき込み、フル加速する。8000回転近くまで引っ張ると、気持ち、カプチーノの方が速い。けれども、3速へ入れると、じりじりと差がついてゆく。これは、排気量とギア比の差が出ているんだろう。

 当たり前のように追っかけてくるので、こっちもアクセルを踏み抜く。コーナーが迫ってきたのでブレーキング、なかなか気持ちがよいコーナーリングを2、3クリアして再び長い直線に入ると、カプチーノとの差は200mぐらい。直線加速で遅いはずのロードスターが意外なくらい速くてびっくりしたに違いない。高速コーナーでもやはりロードスターの方が速いのかな。つまり、整備された国道では勝負にならなかった。道幅がない峠道だと分からないけれど。

 カプチーノは違う道を走っていったので、再び一人旅。家に戻る。

 夜は、ビートルズバンドのライブへ出かける。なかなか決まっていた。打ち上げで大量のビール&焼酎を飲み、そして歌わされた。酔っぱらっているから恥も外聞もなく、どなっていた。

1月25日

 日曜日からロードスターに乗っていないので、禁断症状が出てきた。もう、ロードスターなしには生きていけない体になっちゃったみたい。久しぶりに(といっても9日ぶりなのだが)車通勤である。

 通勤、といっても起きたら昼だったので、仕事場に着いたのは午後3時前。土曜日であれば休んでかまわないのだけれど、仕事場には上司を含め、ほとんどの人が出ていた。こういう状態をワーカホリックという。アル中と同じく、仕事中毒なのである。健康にはよろしくない。僕は仕事中毒ではないのだが、どうもアル中気味である。こっちも健康にはよろしくない。

 ぼちぼちと仕事をして、夜、営業活動(のようなもの)に出かけた。ま、半分趣味のようなものなのだが。終わって仕事場に戻ったのが午後11時であったので、一応8時間労働をしたことになる。なにか、ちょっと間違っている。

 釈然としない気持ちも、ロードスターに乗れば一発で解消だ。アクセルをちょいと踏むと、激しい吸気音とともに、豪快な加速をみせる。本音を言えば、速いよりも快適な方がうれしいのだが。でも、サーキットのタイムも伸ばしたいから、しばらく我慢するしかない。

 新調したスタッドレスタイヤがついているので、なるべく減らないような運転を心がけている。しかし、今のエンジンはどうしてもアクセルを開き気味にしてしまうので、リアのタイヤの摩耗が目立つ。タイヤを長持ちさせるためには、理性で右足をコントロールしなくてはならない。

 ま、車遊びしている限りは、お金の浪費は覚悟せねばならない。タイヤの1セットや2セット、捨てる覚悟が必要なのかもしれない。

1月24日

 毎週金曜日は市場の日である。2日連続で市場漬けである。

 地下鉄・日比野駅で降りて、市場へ向け歩いていると、道ばたにマグロの首が落ちていた。目の後ろあたりで一文字にぶった切ったマグロの頭が切り口を下にして置いてあったので、まるで地面からマグロの頭が生えているかのようであった。シャレじゃなく、ぎょっとしたのだが、なんで頭だけ市場の敷地外に捨てられているんだろう。猫かなにかの仕業かもしれないが、なんだか不吉な暗示を感じてしまうのは、不合理な考えなのだろうか。

 市場ビルの最上階の食堂で昼食を食べる。いつも、刺身定食を食べることにしている。今日は、メジマグロ(ヨコワとも呼ばれる)であった。そういえば、朝、地面から生えていたマグロは、メジぐらいの大きさだった。朝のマグロは、昼飯を暗示していたのか。

 仕事を終えて帰宅する。午後10時ごろ、最寄りのバス停で降りて、道を渡ったところで、歩道のアスファルトの上に、おびただしい量の豆が落ちているのを発見。暗がりでよく分からないのだが、春日井のグリーン豆らしい。グリーン豆が路面に大量に落ちているのも、シュールな光景である。マグロと合わせ、なにか不吉な未来でも暗示しているんだろうか、と考えてしまうのは、現実的でない、不合理な考えなのだろうか。

 ところで、春日井製菓のグリーン豆はローカルなお菓子なのだろうか? 今住んでいる尾張旭市の隣が春日井市であるので、もしかしたら、隣の市で作っているローカルなお菓子かもしれない。気になったのでネットで調べてみると、春日井の由来は社長の名前。本社は名古屋市だから、やはりローカルなのか、と思ったのだが、東京、神奈川、大阪、広島に工場がある、ということは太平洋ベルト地帯ぐらいには出荷されているんだろうか。和田勉が「春日井のキャンディーはいかすがい」なんてのたまうCMやっているんだけれど、知っている人はどれだけいるんだろうか。

いかすがい

 なんだか、とってもくだらないことばかり書いちゃった。

1月23日

 朝6時前はまだまだ暗い。今日は、雨に雪が混ざった天候で、寒々しいったらこの上ないのだが、サラリーマンの悲しい宿命、仕事があったらいくらぽかぽか暖かい布団が恋しくても抜け出して働きに出なければならないのである。

 早朝に行って活動している場所と言えば市場しかない。いつものように軽トラや魚満載のトロ箱を積んだ代車にひき殺されそうになりながら、目的の場所へ向かう。

 松本にいたから寒さには強くなっていると思ったのだが、まったく関係ないらしい。冬の雨は雪が降るよりも寒々しく、風もあって体の心から冷えてしまう。仕事を終えてとぼとぼと市場を後にしようかと思ったのだが、あまりにも体が冷え込んでいたので、市場の定食屋に飛び込んだ。

 朝から、刺身定食。780円なり。マグロにホタテの貝柱に、甘エビにタイがけっこうな量入り、ごはんみそ汁、煮物、漬け物セットだから、安いと思う。市場の刺身だけあってうまい。

 仕事場に何とかたどり着いて、そのままソファに寝そべって熟睡。出勤して一番、一息つこうと自販機に飲み物を買いに来たお偉いさんたちが枕元を通ったはずなのだが、朝から熟睡しているぐーたら社員は、どう思われているのかしら。

1月22日

 東京の、非人間的な朝の通勤ラッシュを避けようと、午前7時前には起き出して、そそくさと支度をして、中板橋駅から東武東上線に乗る。少し早くしたとはいえ、やはり列車の中は満員。それでも肩が触れ合うほどではないから、ましなのか。駅員さんに、ぎゅぎゅっと押し込まれるぐらいなら、まだ歩いた方がましである。人として扱ってほしい。

 池袋始発の地下鉄丸の内線では座ることができ、快適に移動ができた。国会議事堂前駅に降り立ったのは、予定の2時間前。いくらなんでも早すぎたかな、と思いつつ、すし詰め列車に乗るよりは、出先で待っていた方がまし、と思い直す。マクドナルドの永田町店が少し歩くとあるので、朝マック初体験。たかだか、400円弱払えば、いつまでも気兼ねなくいられるから便利である。

 世間から「先生」と呼ばれているものの、ちっとも尊敬されていない種類の人たちが国から与えられている宿舎で仕事だった。入るだけで申込用紙に記入させられ、入り口では金属探知機にかけられる。警官に鞄の中を見せてといわれたので「パソコンだけっす」と開いたら、自分のパンツとシャツも入っていてばつが悪かった。ポケットに入っていたMDウオークマンを取り出して、金属探知機内を通ると、警告音が鳴って引っかかった。ベルトのバックルぐらいしか金属がなかったはず。もしかすると日ごろのハードな車いじりのせいで、体の中に金属類が蓄積してしまっているのかもしれない。やけに丁寧な言葉遣いをする警官から、手持ちの金属探知機で再スキャンされてしまった。

 詳しくは書かないが、「先生」たちはやっぱり支持者達の求めに応じて、細々とした雑用をこなさないといけないらしい。さまざまな便宜の取り計らいに、就職の世話なんてのもやっているみたいだから、本来の仕事なんてやっている暇がない人もいるかもしれない。

 仕事が終わり、そそくさと永田町を引き上げて、東京駅の八重洲ブックセンターへ。チューニング本2冊を購入してしまった。新幹線で名古屋へ到着したのが午後3時。さすがに疲れた。