月: 2001年12月

12月20日

 気が付いたら、いつものショットバーのマスターが僕を揺り起こしていた。「送っていくから帰りましょ」と誘われ、思考能力がはがれ落ちていたので言われるままにのろのろと付いていき、すでに店前に置かれていた車の助手席に乗り込んだ。酔いつぶれて、マスターに自宅まで送ってもらうなんて、実に正しい飲んだくれである。

 マスターが帰る時間だったのだから、かなり遅い時間だったに違いない。でも酔っぱらうと時計を見なくなるから何時だったのかはまったく分からない。

 同業他社の人の水戸への転勤が決まり、その送別会だったのである。なぜか市のエライ人らも加わり、2次会でいつものショットバーになだれ込んだ。一次会でもビールにワインを浴びたのだが、さらに飲んだ。みなさん、次々と帰っていき、エライ人に「一緒にタクシー乗っていくか」と誘われたのだが、かなり遠回りになってしまうので、さすがに遠慮して「まだ飲んでます」と言ったのが運の尽き。見事につぶれてしまった。

 いったい、どれだけ寝てたんだろう。

12月19日

 WindowsXPを我が家のデスクトップ機に導入した。ヤマダ電気のパソコン専門館に寄ったら、ちょうど発売日だったらしい。衝動買いをしてしまったのだ。ネットワーク機能は必要ないだろうと、ホームエディションを選んだ。

 ホームページ作成や電子メールはノートパソコンのDynabookでやっている。このパソコンは会社から支給されたものだから、OSをいじるわけにはいかない。だから、デスクトップ機を遊び用に作った。ゲームを入れたり、変な実験をしたりするためのもので、いつ壊れても痛くもかゆくもない。95以来、個人向けのOSが久しぶりに大きく変わったので、ぜひ遊んでみたかった。

 Windows98からCD-ROMを読み込ませてやったら、セットアップ画面が起動し、数十分待ったら、XPへと進化していた。なかなか優秀なセットアッププログラムである。基本的に、98の環境がそのまま移行されている。Windows3.1から95へ乗り換えたころと比べると、かなり進歩したもんだ。95に移行したときは、NECのPC9821Aシリーズに採用されたローカルバス用のCanopus製グラフィックカードの対応ドライバーがなかなか出なくて、3.1用のドライバーを無理矢理95で動くようにあれこれした。今から考えると、すごく暇だったらしい。

 優秀であるが、2000円ぐらいで買ったサウンドカードを認識してくれなかった。バッタもんの無印カード。付属CDを見てもWindows2000用のドライバーが入っていない。メーカも不明。仕方ないので、同じサウンドチップを使っている他社製カードのドライバーを放り込んだら、音は出るようになった。けれども、妙にエコーがっかった変な音。おまけにジョイスティックを認識しない。手動で認識させようとすると、突然リセットが掛かるおかしな状態になった。

 だましだまし使っていたら、オンライン認証の期限が切れかけた。XPは1カ月以内にインターネットを通じて「認証」という手続きをしないと、使い続けられないのだ。某パソコン雑誌関係者の友人に聞くと、認証についてはマイクロソフトが仕組みを明らかにしていないが、どうやら認証した当時のハードウエア構成を記憶しておき、複数の機械に不正インストールをするのを防いでいるらしい。すると、デスクトップ機をいじって再インストールをしたときに認証ができない可能性があるわけだ。

 フライトシミュレーターをやりたいので、ジョイスティックはぜひ動いてほしいし、Windows98の時代から何となく不安定だったので、サウンドカードを新しく買ってきて再インストールをすることにした。クリエイティブのサウンドブラスターのバルク品を6400円ぐらいで。さらに、IBM製の40GBハードディスクを14000円ぐらいで買った。20MBが10万円していた時代と比べると、ただみたいな値段。340MBが100万円というのもあった覚えがあるぞ。

 セットアッププログラムがCD-ROMから起動できるのも、便利すぎるのである。昔は、MS-DOSを起動して、コマンドプロンプトからの操作でフォーマットしてFDISKして、さらにCD-ROMのドライバーをCONFIG.SYSに記述して、と大変だったのに。良い時代だ。

 40GBのハードディスクにセットアップしたら、ドライブレターがFになっていた。失敗。元々付いていたハードディスクの電源を抜き、もう一度セットアップ。楽ちんだから、あまり苦にならない。

 大容量化でディスクが速くなったこともあるけれど、全体的に快適。鬱陶しいビジュアル系なインターフェイスはすべて、OldWindowsスタイルにしてやった。余分な飾りはいらない。

12月18日

 B6エンジンがどうやら車に積み込めるところまで完成した。見かけはちゃんとエンジンの形をしているように見える。今回、問題だったのは同じ場所で2基のエンジンをばらしたため、部品が倍あること。組み忘れた部品があるのかまったく判断できない。

 現在、ヘッドカバーまで付いている。インマニはオイルクーラーの配管を組む関係でまだ外れたまま。ちゃんと載るだろうか。

 問題は、どうやって部屋から外に出すのか。2人ぐらい呼んで力ずくで運ぼうとも考えたのだが、来てもらうのも悪い気がする。エンジンスタンドごと、50センチほど下の地面に降ろす方法を考え中。コンクリートブロックを使えばできる気がする。

 次の土曜が休みだから、積み込もうかな。仕事が入らないことを祈るのみである。

 完成する前に、更新しなきゃ。

12月17日

 友人たちの忘年会に誘われて、穂高町の高台にある貸別荘でしこたま飲んできた。

 薫製作りにチャレンジしたらしく、スモークチーズやらタマゴやら、肉やらがたくさん燻されていた。なかなかいける。ビールにワインにシャンパンに、と飲み、冗談で買っていったアルコール96度のスピリタスをコップにあけて、火を付けたらかなり豪快な炎が。吹いても消えないくらい。

 皿でフタをしてようやく炎を消し少し温かくなったスピリタスを2、3口含んだら、我がシングルタスクの脳みそに不正なエラーが発生し、シャットダウンした。

 朝起きて、2日酔いの頭をシャキッとさせうと、−5度ぐらいと思われる外に出たら、薫製されたまま放置されていた豚肉が、固体になっていた。凶器になりそうなぐらい。高台とはいえ、まだ12月なのに激しく寒い。

 朝、高台から下ると、すっかり雪をいただいた常念岳が真横に。得した気分。そのままジムニーを板金に出した。勉強代払わなきゃ。

12月15日

ジムニーをぶつけちゃった。

雪雲にどんよりと覆われていた安曇野を高瀬川沿いに北上すると、松川村あたりから雪が強く降ってきた。大町市に入る頃には本降りとなり、路面は圧雪状態。4駆に切り替える。普段の遅さのイライラをここで解消するのだ。だてに175-80-R16のタイヤを履いているんじゃない。ロケットスタートだぜ。

街中ではさすがに飛ばせないけれど、山道に入ってしまえば遊び放題。目的地の美麻村に入った頃、再び2駆に戻した。積雪は30センチぐらいか。馬鹿である。コーナーでわざと姿勢を崩してみたり、急ブレーキをしたりと、はたから見たら狂った野郎だ。ジムニーはホイールベースが短いだけに後輪を滑らすと、一気にスピンモードに入ろうとする。なかなか難しい。

訪問先に電話したら、外出中だったので、3、40分待つことになった。滑らして遊ぶしかない。

信州新町の僻地へ通じる狭い道を走る。ところどころガードレールがなく、ふざけていると、2、30メートル落下してしまうので、あまり遊ぶことができない。Uターンして再び美麻村の少し広い道路でストレス発散。スラローム走行である。

アクセルを踏み込んで後輪を滑らせると同時にハンドル操作し、姿勢が傾きかけたところでカウンターとともにアクセルを抜いてやり、くるりと逆に向きが変わったところで再び踏み込む。この動作を連続させようとすると、ハンドル操作とアクセルの調和が難しい。だが、非力な車でも振り回せるのは雪道ならでは。面白い。

スキーのウェーデルンみたいな動きを目指して走っていたら、甘いアクセル操作をしてしまった。踏みすぎ、ぐらりと車体が左側に大きく傾く。とっさにハンドルを右に一杯切ってカウンターを当てたものの、操縦不能になった。直線でスピンモード。やばいと、パニックブレーキを踏んだら、壁に吸い込まれるように突き進み、鈍い音とともに激突。馬鹿。下手でごめんね、マイ・スイート・ジムニー。

バックしたら、ハンドルが切れないことに気が付いた。降りてみると、凹んだバンパーが前輪に食い込んでいた。近くでバールとごついハンマーを借りて、大雪の中、修復を試みるものの、一人では無理。訪問先から電話があったので、車で来てもらう。さすがに「スラロームをしていてぶつけました」とは言えなかった。ロープで引っ張ったり、たたいたりしてみたけれど、バンパーの裏側のフレームが食い込んでいるみたいで、びくともしない。結局、車屋を呼ぶことにして、訪問先で用事を過ごす。この家には、ロードスターの宿敵である猫ちゃんが10匹ぐらい生息している。

車屋が来たので外に出ようとしたら、僕の靴の中に猫ちゃんの嘔吐物がぶちまけられていた。想像するに、家の人と違う人のにおいがするので、クンクン、とかいでみたら、あまりにも異臭がしたので、ゲロしちゃったんじゃないだろうか。ゲロしながら逃げた後があった。泣きっ面に蜂とはこのことである。

長靴を借りて車屋さんとともに雪の中、現地で動けるようにする。修理代3000円。地獄に仏とはこのことである。正しく直すとしたら、バンパー交換、フェンダー板金で5万円ぐらいだろうか。痛い。自分で直すかな。

教訓:下手なくせに雪道で遊ばない

12月14日

 寒波がやってきて、長野県北部では大雪が降るらしい。松本でも、どんよりと重たい雪雲が盆地の西側を覆い、雪がちらついた。でも、路面が濡れるほどじゃない。内陸で北アルプスの絶壁に守られた松本は、雪があまり降らないのだ。冬型の気圧配置が強まると、からりと晴れて、恐ろしく冷えるだけ。

 いくら降らないとは言え、さすがに夏タイヤじゃまずいと思い、仕事をさぼってジムニーのタイヤを付け替えた。スーツ姿のままである。用意するのは、75センチのブレーカーバーと十字レンチ、19ミリのソケットと、安物のトルクレンチ、フロアジャッキである。

 タイヤを替えるときは、いつもだいたいの時間を計る。用意ドンで、死にものぐるいで作業をするのだ。75センチのブレーカーバーで一気に20個のナットをゆるめる。すかさずジャッキアップして1輪を浮かせ、十字レンチを回転させてナットをすべて外し、タイヤをスタッドレスにして、再び締める。ナットは仮止め。4回繰り返して、20本のナットをトルクレンチで本締めしたら、20分弱が経過していた。まあまあかな。

 スタッドレスだと、すこしハンドルが軽くなる。固くなっていそうな表面をちょっと削ってやろうと、いつもの山道をジムニーで攻めた(笑)。とっても遅い車でも、ちゃんと操作してやると、なかなか面白い。

 自分でもいつ仕事をしているのか、不思議なのである。

12月13日

 「車にはねられました」

 と、職場の後輩から連絡が入った。情報はそれだけ。たぶん、救急車にでも乗り込む前に1本電話を入れたんだろう。困った奴だ。

 松本広域消防局に電話する。と同時に、目の前を救急車が走っていった。職場の同僚が事故に遭った旨を話し、現場を教えてもらう。仕事場から300mほど東へ行った辺りの、交差点だ。歩いていてはねられたらしい。

 路上駐車してあったジムニーに乗り込み、アクセルターンをしたい気分なのだが、非力なので大人しくUターン。30秒で救急車とパトカー、はねたとみられるRX7が目に飛び込んできた。交通整理をしているお巡りさんの真横に車を止め、救急車に飛び込む。顔にけがをしていたものの、普通に話していた。なんだ、軽いじゃないか。大丈夫か、と声を掛けたら、やっぱり少し朦朧とした表情だった。どうやら、宙を舞って顔から落ちたらしい。正しいはねられ方である。

 救急車に付いていきます、と救急隊員に言ったら「交通違反になるからダメ」。ケチ。

 ジムニーを駆って近くの病院に着くと、レントゲン室にぶち込まれるところだった。15分ぐらいで出てきて、処置室へ。顔に絆創膏、足に湿布を張って出てきた。ジムニーの助手席に乗せ、走る。ただでさえ乗り心地の悪い車なのに、バンピーな松本の路面。打った頭がゆさゆさと揺れて、少々気の毒に思った。

 青信号で横断歩道を渡っていたら、突然宙に舞ったらしい。車が近づいている、ということすら気が付かなかったのだから、少々ぼんやりしていたんだろう。右折のRX7の餌食になっちゃった。軽いけがだから、4輪ドリフト状態ではなかったことが推測できる。普通に走っていて、右折中に人をはねるなんて、ひどいドライバーだね。

 先生も走るこの季節。落ち着いて運転しましょう。

12月12日

 東京出張から帰ってきた仕事場の人が、物欲しそうな顔して立っているのでピンと来た。「いつものショットバー行きたいんでしょ」と言うと、「うん、行こう」。外はとても寒かったので、近くの居酒屋で熱燗を2つ。ぽかぽかしたところで、歩いてショットバーへ。ちなみに今朝の最低気温は−6度である。

 金曜日以来だったが、「久しぶり」とマスター。ビールに半分以上がアルコールのいつものバーボンをストレートで飲みながら、語らう。気がついたら午前2時。

 今日は仕事で麻績村という山あいの村へ行った。長野道のインターもあるのだが、松本から1区間だから馬鹿馬鹿しい。ジムニーをかっ飛ばす。

 ロードスターに乗れなくなって、そろそろ1カ月になってしまう。ちょっとストレスがたまっていたので、ジムニーで発散する。

 松本市の北、四賀村から本城村へ抜ける道は、なかなか面白い道なのである。ここでROMのセッティングをしたこともある。550ccOHC・インタークーラーターボエンジンF5Aがうなりを上げる。

 2速でレブリミッターに当たる7000回転まできっちり回して、猛ダッシュ。かなりの上り坂だが3速に入れても、まだ回転が上がっていく。タコメーターがレッドゾーンに飛び込んだところで、タイトな右コーナーにさしかかった! 車格のわりには良く利くかっくんブレーキを踏み込み、かかとでアクセルをあおるものの、失敗した。だって、アクセルとブレーキの位置がどう考えても、そんな操作を前提としていない。足を90度近く横倒しにしないと、かかとがアクセルに届かないの。体全体が傾きます。とにかく、2速にたたき込んだ。

 少々減速しすぎたものの、タイトコーナーである。車幅より高い全高とオフロードを前提とした柔らかなリーフスプリングに支えられたサスペンションのため、ものすごいロールだ。タイヤが滑る前に横転間違いない。体は水平を保とうとするため、窓ガラスが迫ってくる錯覚を受ける。

 倒れるか倒れないかのスリルを味わいながらクリップに付き、アクセルを踏み込む。2速7000回転で数回レブリミットに当たりながらも、速度を維持。内側の後輪が若干空転する感覚が伝わってくる。こう書くと、ものすごいスピードのコーナーリングで、緊張感にあふれているように思えるが、時速40キロでの攻防である。回転を落としたら加速しないんだもの。

 下りにさしかかり、4速からのフルブレーキング! 3速全開の高速コーナーをクリアする。3速全開でも60キロちょっとです。

 極めて安全にスポーティーな走りができる車なのであった。軽トラなんて目じゃないぜ。

12月11日

 午前6時まで飲んだ後、自宅に帰ってプレステ2にはまっていた。バリバリにチューンされたロードスターや、ガンダムの操縦がやめられなくなった。寝る時間を削って打ち込み、どうやらガンダムはあと一歩のところまでシャアを追いつめたのだが、そこでシナリオが途切れて残念。続編はないのか。

 昨日は、自宅から直接茅野市へ仕事で行った。仕事場のパジェロが運転しづらいし、GDIのくせに排気量が3500ccもあるせいで、燃費が悪いし、大排気量のくせにトルク感が薄いしで、すっかり疲れてしまった。AT特有のダイレクト感のなさもいやだ。

 街中で運転しているときは、巨体なわりにはなかなかの加速をする。しかし、ちょっと速めに走ると、燃料計が目に見えて動くのが分かる。だから、なるべくアクセルを踏み込みたくないのだが、希薄燃焼を優先しているらしく、ある程度踏まない限り、加速していかない。そのくせ、燃費の節約のためか、アクセルが重い。中央道を名古屋から松本に向かえば、上り坂だらけなわけで、上り坂にさしかかるたびに速度が落ち、それをカバーするためにその重たいアクセルを踏むと、半分以上踏み込まざるをえない。半分近く踏むと、キックダウンでギアが1段上がってしまう。結局、上り坂ではあまり省燃費運転ができない、何とも頼りない車であった。

 スロットルを電子的に制御すればいいのに(もうなっているのか?)、今まで運転した車とはアクセルを踏み込んだときのレスポンスが特殊だったので、とにかく疲れたのである。

 ある会合に顔を出して、終わったのが午後8時ぐらい。仕事場に戻って、メシを喰らって、家に帰り、なぜかNA8Csr1のROMをいじっていたら、意識がフェードアウトした。寒い部屋の中、コートにマフラー姿のまま、こたつでねちゃったのである。結局、その姿のまま、朝を迎えてしまった。どうやら、疲れがたまっていたらしい。たまっているのに、そんな寝方をするから、全然回復しない。

 寝ている間、こたつから飛び出した頭が恐ろしく寒かった。松本はすっかり真冬である。

12月9日

 我がロードスターは現在、不動車に成り下がっているので、名古屋へはジムニーで行くつもりだった。100キロ巡航ですら少し厳しい我がジムニー。時速90キロで走るとすると、松本から名古屋まで行くのに高速道路を使う意味があまりない。正確には、松本から中津川までの区間だが。国道19号で中津川まで行ったとすると、距離が10キロぐらい短い。しかもこの木曽谷を走る国道、信号で止まることが少ない。だから、90キロでしか走れないジムニーの場合、高速を使って浮く時間は1時間ぐらいになってしまう。

 燃費だって悪くなるし、高速代だって払っているのだし、絶対国道を走った方がいいのである。だから、お昼頃にのんびりと出発して、とろとろ走っていこうと考えていた。

 しかし、1本の電話でそんな予定が簡単に破壊されてしまった。ただ単に仕事が入っただけだけれど。重要な用事があるときに限って、強制的にやらざるを得ない仕事が入るもんだ。

 名古屋での飲み会は午後6時から。松本を出発したのが5時前。ジムニーだったら、1次会が終わってしまうので、仕事場の車を借りた。ホイールベースが短い方のパジェロ。この車があまり運転しやすくないのだ。シートが悪いし、操作系が微妙に疲れる配置になっている気がする。

 結局8時前に、会場のベトナム料理屋に着いた。当然、若いハイエナどもの集まりだから、喰らう物は残っているはずがない。そういえば、今日はアイスクリームしか食べていないな、と頭の片隅で思いながら、空きっ腹めがけて、ビールと日本酒をがぶ飲みする。2次会は、中華系居酒屋。3次会は、お洒落系居酒屋。4次会は、南方系居酒屋。5次会がカラオケ。結局、午前6時にお開きとなった。異常な飲み会だ。

 主に学生時代の仲間が集まったのだが、5年ぶりに会ったやつもいた。奥さんを連れていたけれど、本人は相変わらず変わっていなかった。当然、顔を出せなくなった仲間もいるのだけれど、とりあえず、集まった仲間は学生時代と同じ顔つきをしていて、安心した。

 しかし、下山してくると、暖かい。松本は日陰の水たまりが、昼すぎても凍っている。