月: 2001年11月

11月20日

 長野出張で、夜に友達を誘って飲んだ。2時間ぐらい空き時間があったので、長野の中心街を歩いた。街を知るためとにかく歩いた。早足で2時間だから10キロ弱。

 はっきり言って、長野を見くびっていた。松本人と長野人は気質の違いから仲が悪い。明治初期のころは違う県だったし、戦前は分県論も何度か高まったらしい。高速で走っても1時間ぐらいかかるほど距離が離れているので、地域の一体感は全くない。日銀の支店や陸上自衛隊駐屯地がなぜか松本にあるのも、長野との誘致合戦で引っ張ってきたからである。戦前、高校野球決勝戦の長野商業と松商学園の勝負では、スタンドで乱闘騒ぎが起きたほど、とにかく対立甚だしい。

 生まれは尾張でも、3年以上松本に住んでいると、そんな気質がうつってしまう。だから、長野を見くびっていた。長野で1番は松本だと。商店街も松本の方が元気がいい。長野は駅近くのそごうとダイエーがつぶれるし、宇宙人田中康夫に引っかき回されているし、とんといい話がない。善光寺だって、お城にはかなうまい。

 そんな思いを抱きつつ、駅前をぐるぐる歩いた。面積が広いだけで味に欠ける街並みである。つまらん。黙々とただ歩いた。1時間ぐらい歩いて、少し北の権堂へ。ここは県内一の歓楽街。アーケード下は煌々と電気が点いていて、呼び込みの兄さんやら姉さんやらでにぎやかである。実際に歩いてみて、少し考えが変わった。まだまだ元気があるな、と。

 アーケードを抜け、善光寺の正面の道に出たら、屋台があった。さっき歩いていたときに、花火を打ち上げた音がしたから、何かの祭りだろう、と思ったら、熊手を下げて歩いている人とすれ違った。商売繁盛を祈るえびす講である。そうか、そうであったと、屋台につられて善光寺の方向に向かう。

 古くからの街並み。文芸座。屋号。横に伸びる路地。古くからの雰囲気をちゃんと守っているのは大したものだ。ついでだから善光寺の境内まで行った。お参りして、先ほど気を引かれた路地へ向かう。飾られた表通りにはない、生活のにおいを感じる。街を味わうなら、路地を歩くのが、いい。

 薄暗い路地を抜けたら、再びずらりと並ぶ屋台。一層の人混み。えびす講を営む西宮神社に近づいたらしい。たこ焼き、クレープ、焼き鳥、大阪焼き、綿菓子。正しい祭り屋台が並ぶ。いっそう人が増えてきたところで、熊手を売っている屋台がずらり。「勉強するよ!」と威勢のいい掛け声と、雑踏。ビールを片手に焼きそばを作るお姉さん。売る気があるのか分からないおじいさん。ストーブに当たりながら、商売そっちのけで談笑。正しく本物のお祭りがあった。

 それに引き替え松本は。昭和40年代、先見性と行動力があるから、再開発で通りに立ち並んでいた蔵をすべて壊して道を広げた。古い街並みは中町という蔵が並んでいるところぐらいしかない。今年終わる中央西の再開発では、無機質な街並みができちゃった。確かに、松本商人の方が、時代を読んでうまく立ち回ったけれど、失ったものも大きい。古い物が嫌いな気質だから、あまり残っていない。城下町独特の風習も忘れ去られかけている。

 やっぱり、善光寺は強かった。大型店舗がつぶれて景気が悪い悪い、とは言うけれど、それは善光寺の回りに新しくふくらんでいった街での話。善光寺回りの街並みは、景気なんてどこ吹く風、てんで問題じゃなかった。長野もやるなあ、となんだか分からない、間抜けな言葉をつぶやいた。

 その後、権堂で飲みまくりうたいまくる。

11月19日

 なぜか仕事で長野市へ出張。ロードスターは睡眠中なので、ジムニーで出陣である。

 平成元年式の我がジムニー。基本的に「高速道路も」走れるようになったというぐらいで、スピードを出すのが苦手である。軽のわりには重く、加速が悪い。さらに、基本はクロカン性能を重視しているから、古いジムニーは高速すら乗ることができなかったのだ。だから、長距離を走るときはこれまで、ロードスターを使っていた。でも、今の状況ではジムニーで行くしかない。

 長野道に乗る。7000回転のレブリミット近くまで回して、猛加速。でも遅い。加速レーンでようやく4速80キロ近くまで出して、合流する。5速に入れて100キロだすと、6000回転。とてもうるさい。最高速は120キロ弱。5速で7000回転のレブリミッターまで回してようやく出る。レッドゾーンは6500からなので、かなりやばいエンジン音。ぎゃーんという悲鳴にも似た音ともに、ぶんぶんぶぶんと、エンジン全体が共振しているような、地鳴りのような音が鳴り出す。しかも、冬はかなり下の辺りを指し示す水温計も、真ん中当たりまで上がってきて、数分も続けられない。実用で使えるのは、90キロ@5500回転ぐらいである。

 遅いトラックの追い越しにはかなり注意が必要だ。90キロ以上の加速は極端に悪い。後ろをよく見て、速い車が追いついてこないかどうかを確認してからでないと、車線変更はできない。あらゆる車に抜かれまくる。

 ジムニーでは高速で、絶対捕まることがない。道路脇のカメラや白いクラウン、セドリックに注意しなくても良いから、楽ちんではあるな。

11月18日

 燃焼室が大惨事である。

 休みの昨日の朝、ふと「もうそろそろエンジン降ろさないと、間に合わないかも知れないな」と思い立ち、10時半ごろ、おもむろにロードスターを家の庭に移動して、ばらし始めた。冷却水を抜き、アッパーホース、ストラットタワーバー、吸気管をばらしていく。エキマニ、インマニ、ヘッドカバー。配線などなど、ばらしてヘッドとシリンダブロックを切り離したのが1時すぎであった。うち3分の1ぐらいはインマニのボルト外しに苦戦した時間。2回目の車上分解となると、早くなるもんだ。半分ぐらいの時間で終わっている。

 一番の関心は、どこからオイル漏れが発生していたのか。ピストンを見ると、分厚いカーボンがすべての気筒で堆積していた。ヘッドガスケットを見た限りでは、吹き抜けは発生していない。吸気ポートは少し曇っているけれど、鏡面のまま。バルブがなんとなく、オイル色に焼けている。やはり。

 燃焼室側を見て絶句した。排気バルブに1mmぐらいの厚さでつもったカーボン。磨いた燃焼室も厚くカーボンが積もり、無惨な姿である。圧縮比に影響がありそうなくらい、カーボンが付いていた。最近、気温が下がってきたためか、かなりパワーが出ている気がしたのだが、もしかするとカーボンのせいもあったりして。

 とにかく、どこから漏れていたのか、というレベルではなくて、すべての気筒にオイルが侵入していた。シリンダー側は傷があるわけでもないし、クロスハッチもかすかに認められる。こちらが原因とは考えにくい。

 やはり、吸気側のバルブシールの組み方で致命的な欠陥があったと考えるしかない。ちゃんと組んだつもりだったのに。もしかして、部品が違ったのかな? とにかく、原因をもっと詳しく調べなければ。

 ヘッドを降ろした後、暗くなるまでなぜか仕事をして、帰ってきてから再び作業を再開。ハイカムに載せ替えて、バルブとピストンが当たるかを調べるために、組み立て中の腰下と合体して、ウオーターポンプ、オイルポンプを仮組み、タイミングベルトまで張ったから、やはり上達したと考えても良いのかしら。

 でも、誰にも自慢できない上達だったりする(涙)。

11月16日

 なぜか仕事で大学病院に行った。ある人と会いたかったからである。別に深い意味があるわけではなくて、相手は40代のおっちゃんである。

 なかなか会えずに待ちに待ったのだが、待っている間、行き交う人々をとっても興味深く観察した。医大生が近くを通過すると、激しくうるさいのは当たり前として、出入りする製薬会社のセールスマンが興味深かった。

 研究室に入り込むセールスマン。それを迎える助教授や講師たち。平身低頭のセールスマン。時に傲慢無礼な「センセイ」たち。待合室でもスーツ姿に七三の出で立ちで、いすが空いているのに、飽くことなく立ち続け、名前が呼ばれるのを待っている。大学病院は、比較的重い患者の集まる場所である。とにかく目立つのである。ま、濁った目できょろきょろしながらぶらついている僕も相当目立っているんだろうけれど。

 結婚式に出た医者の卵の友人によると、治療に際しては病院ごとにある病気に対処する順序を決めたプロトコルというものがあるらしい。医者としては効果が同じならどの薬を使っても同じこと。しかし、一度、その病院で、ある病気に対するプロトコルが確立すると、しばらく変わることがなく使い続けるのだという。製薬会社からすれば、そのプロトコルに自分の会社の製品が使われれば、安定した売り上げが見込めるわけで、必死になって売り込むのだそうだ。実際、その友人も、セールスマンによるさまざまな攻勢を受けるらしい。

 待合室のセールスマン、面会の申し込みに対し「あと1時間ぐらいかかるよ」と言われても目を輝かせてうなずく。製品名をプリントしたティッシュペーパーを4箱下げて、しかも袋にその科の人数分、差し入れの飲み物を携えていたりして、もう、涙ぐましい努力。一方、患者をさばきながら対応している医師や看護婦は迷惑そう。見ているこちらが胸の痛くなる光景であった。

 大きなお世話だが。

11月15日

 ジムニーが戻ってきた。オイル漏れの原因はやはり、クランクのオイルシールが外れかけたからだった。予想が的中である。だてに、エンジンばらしているわけじゃないぜ。車検で、タイミングベルトとともに交換したときに、打ち込みが甘かったらしい。車屋さん、平謝り。オイルシールとタイミングベルトが再び交換された。

 夕方、職場の人に乗せていってもらい、ジムニーを受け取る。こういう場合は、「困るね」と一言、語気強く申しむけ、将来こんな単純ミスを繰り返さないよう、嫌みの1つや2つ言って気合を入れてあげるべきなのかもしれないけれど、元来人との争いを好まないたちである。極めてにこやかに「直りましたか」と、頭を下げ、説明に聞きいる。「本当にすみませんでした」との言葉にも、「いえいえ」と何だか訳の分からぬ返事をして、足早にジムニーに駆け寄り、エンジンをかけて立ち去った。間抜けである。

 当然、メカニックのケアレスミス、お金が請求されるわけがないのだが、「支払いはするんですか」ぐらいの確認はすべきだったかもしれない。けれども、「今回はこちらの落ち度ですので」と恐縮されるのが目に見えているので、あえて口にしない。気が弱いのである。ま、プロにだって失敗はあるさ、と自分に言い聞かせて、腹の虫が暴れないように努めてしまう。

 とにかく、今製作中のエンジンで同じようなことが起こらないように、気を引き締められた出来事であった。

11月14日

 休み。残り少ない今シーズンを惜しんで、美ヶ原へ走りに行った。

 標高1800メートルあたりから、雪が解けずに残っている。路面はところどころ、雪解け水で湿っているだけで、凍ってはいない。まだ、夏タイヤで走れそうである。武石村方面に下る峠地点にさしかかり、息を飲んだ。背の高い木々の枝々には樹氷が付いて白く輝き、しかも霧がうっすらかかってきて、その霧のカーテンから太陽が円く姿をのぞかせて光の筋が伸びる。その光が木漏れ日となって暗い地面付近の白く化粧したクマザサを照らす。辺りは静寂。夏の風景とは一変している。

 路面にも一部、雪が残るようになってきた。ぎゅーんでは、雪道はまったくグリップしない。緊張しながらハンドルを握る。全面を覆うほどの雪はなかったので駐車場まで突き進む。生憎、雲がかかってきたので、北アルプスを望むことができない。晴れていれば真っ白になった穂高の嶺のダイナミックな連なりが見えるはずなのに、残念である。

 タイトルの写真を撮った駐車場で車を降りる。氷点下ではなさそう。その証拠に、樹木の枝から、積もった雪が解けて地面のクマザサに降りかかり、さらさらと音がしていた。ロードスターがアイドリングする音でさえ、やけに騒がしく聞こえる世界。この季節に来ると、周りの高原地帯を独占しているようで気分がいい。

 今日はあまりにも寒いので、安コートを買った。明日の朝はマイナス3度らしい。

11月13日

 廃油をつぎ足したロードスター。さすがに実家に戻った翌朝にオイル交換をした。名古屋のディスカウントストアで買った米国製のもの。何と1リットル弱で298円なのだ。ここには昔、バルボリンという向こうでは有名らしいメーカー(最近は日本でも売っている)のオイル(確か5W-50!)が黄色のプラスチック容器に入って同じ値段で売っていたので、それを目当てに行ったのだが、なかった。買ったのは10W-30の粘度で、鉱物油なのか合成油なのか、半合成なのかはパッケージからは判断できなかった。これを10本買った。オイルフィルターも交換。トヨタの4Aエンジン用のものを使う。

 工具を忘れてきたので、モンキレンチでゆるめようとしたらなかなかゆるまない。実家にもジムニーがあり、車載のタイヤレンチで外れるな、と思い、使ってみたらあっという間にゆるんだ。やはり、道具はきちんとしたものを使いたい。

 廃油が混じったオイルを廃油処理箱めがけて抜き、新しいオイルを入れる。これまで使ってきたちょっと高い化学合成油に比べると、粘度が低い気がする。名古屋弁で言うと「しゃびしゃびだがね」。

 エンジンをかけ、アイドリングさせる。油温を80度にしないと、オイルクーラーの中のオイルが残ったままになる。しばらくアイドリングさせた後に、入れたばかりのオイルを抜き、捨てる。オイルフィルターを新しいものに換え(ちゃんとOリングにオイルを塗る)、再び新しいオイルを注ぎ込む。ここまでやって3本余った。継ぎ足し用の在庫としてトランクに積みこむ。レベルゲージを見ると、ほとんど汚れがなく、ほぼ透明だった。

 松本からの帰り、ずっと高速走行だったが、油圧もWAKOSの4CTとそれほど変わらない。7000回転以上の音はうるさい気がする。いつもの山道を走れば、オイルの違いが分かるかも知れないが、それほど差は感じられない。オイルクーラーがあるからこの季節だとどれだけ回しても油温が100度に達することもないと思われる。だから、油圧を心配しすぎることもない。安いオイルで十分な気がするのだが。

 だって、日本のオイルって高すぎるんだもん。

11月12日

午後10時前、仕事を終えて帰宅しようと駅前通りに路駐してあったジムニーに乗る。縁石をまたいで駐車していたので、バックさせると、たくさんの黒いシミが。オイルっぽい。

あわててエンジンを止め車を降り、シミを触ってみるとやはりオイル。においをかいだり、粘りをみたりすると、どうやらエンジンオイルみたい。レベルゲージを外してみると、まだ半分弱は入っている。ゲージに付いたオイルとシミを比べてみると、同じものである。どこから漏れたのだ?

2年ほど前に、エンジンオイルが漏れたことがある。このときは、ターボチャージャーへオイルを送っているゴム製のパイプ劣化が原因だった。走行中にオイル臭いなと思っていたら、車の下にシミを発見したのだが、今回のシミはこのときとは比べものにならない。派手である。

懐中電灯でエンジンルームを見るも、よく分からない。車にあった新聞紙を敷き、スーツ姿で寝っ転がる。下からのぞくと、フロントデフ回りが派手にオイルまみれになっている。デフから吹いたわけではないので、エンジンからしたたったのだろう。かなり広範囲にオイルが飛んでいた。

車屋まで3キロほど。自走できなくはなさそうだが、やはり怖い。こういうときにははやりJAFを使うのが正しい。せっかく会費を払っているんだから。JAFに勤める友人に電話してみると、「5キロまでは無料。以降1キロ600円よ」とのこと。どうやら無料で運んでもらえそうである。#8139に電話して、状況と車種、名前、会員番号などを伝えて来てもらうことにした。

来るまでの間、エンジンルームとにらめっこ。ターボチャージャーやオイルフィルター回りは漏れている様子がない。オイルが付いているのは、かなり下の方である。どうやら、クランクに付いているプーリーの回りが怪しい。オイルシールがやられたのか? クランク回りから漏れたオイルがプーリーで吹き飛ばされて広範囲に飛び散った感じである。少しぐらいなら走れそうか?

でも、せっかくだから運んでもらう。15分ぐらいでJAFがやって来たので、エンジンルームを見せると「漏れてますね」。手際よくフロントタイヤがジャッキアップされ、ドナドナされていった。後輩の車に乗せてもらい、付いていく。自分の車が運ばれていく姿は、妙に寂しい。

まだ、車検から帰ってきてから1カ月もたっていないのだが。しかも、タイミングベルトとオイルシールを交換してもらっている。

こりゃ、クレームだな。

11月11日

 昨夜、名古屋近郊の実家へ向かう前に、オイルの残量が気になったので調べてみると、オイルレベルゲージの「L」よりも下だった。いつもの山道などでぶっ飛ばしたのが悪かったのか、ちと少ない。実家までの200キロを、標準量より下のレベルで走るのは嫌だ。オイルを継ぎ足さねばならぬ。

 助手席の後ろに置いてある2缶のオイル缶は、前回の補給で空っぽであった。足すオイルがどこにもない。時はすでに午後11時。ディーラーやカーショップも完全に寝静まった時間である。

 手持ちのオイルはなにがあるのか、と考えを巡らせる。エンジンの腰下を組むときに使っているトヨタの純正オイルは、鉱物油なので、化学合成のWAKOS4CTと混ぜる気にはならない。他に何があるか、と考えても思い浮かばない。やばい。このまま名古屋まで走ると、オイルが切れてエンジンが焼き付く恐れがある。

 何かオイルを足さねばならぬ。考えていたら、2年前に抜いたカストロールシントロンの廃油が確かオイルえ缶に保存してあることを思い出した。シントロンは化学合成油である。いくら再利用であろうと、鉱物油を混ぜるよりは、よいだろうと、物置を物色した。

 オイル缶はやっぱりあった。フタを開けて、中のオイルを手に付けてみると、ちゃんと粘度もあるし、色もまだ大丈夫そう。ああよかった、とこの再利用油をエンジンに注ぎ込んだ。

 アイドリングでの油圧が高いのは、たくさん継ぎ足したからだろう。気にすることはない。どうせ、名古屋まではリッター12キロの走り。大人しく、回すだけである。

 油圧に注目しながら走る。無事、実家にたどり着きました。