月: 2001年9月

9月8日

 我がロードスターのメーターの走行距離が12万キロに達した。10万キロのときにNA8Cシリーズ1前期のトルセンデフを移植して、正確には2万キロに5%を足した21000キロを走行しているはずだから、実走行距離はすでに12万キロを超えているのだが、やはり数字で目の前に現れた距離の方が重みがある。

 97年7月に走行距離3万キロで買って4年ちょっと。9万キロも走った。1年前の今頃はちょうど10万キロに到達したところ。1年に2万キロといえば、中古車の査定で過走行車かどうかの瀬戸際である。それが、そこからもう一年さかのぼると、7万キロちょうどぐらいだったんですね。

 ああ、いろいろあったな。

9月7日

 エンジン加工部屋を片付けた。

 松本も夏は暑い。冷房器具のない我が家では、暑さのピークを迎える時期は午後9時ぐらいにならないと、家に入る気にならない。

 暑い暑いと思っていたら、あっという間に涼しくなった。ようやく昼間でも部屋にこもって作業ができるシーズンとなった。いよいよ腰下に着手できる。

 が、その前にやることがある。夏の間、「開かずの間」となっていた加工部屋を片付けなければならない。シリンダーヘッドやカムカバー、インマニを削った粉が床に堆積した状態。紙ヤスリのカスやら、ボロボロになった新聞紙、布といったものがごちゃごちゃになって落ちている。電気スタンドや工具にもアルミの粉がこびりついている。こんな状態では、腰下をばらすことすら、ままならぬ。

 さまざまなゴミを袋に詰めて(ちゃんと分別してます)、掃除機をかける。加工部屋がきれいになったところで、今度はヘッドを組み立てた部屋も片付ける。あまりにも汚い加工部屋に、取り外したヘッドを置くのも気が引けたので、畳の上にヘッドが転がっている状態だった。今度、親が来る、と予告してきていて、寝る部屋を確保しなくてはならないので、ちゃんと片付けるのだ。

 2時間ぐらいかけて、ゴミを追い出し、削り粉を掃除機で吸い、散らばっていた工具を棚に押し込んで、なんとか片付けが終わった。さすがに汗が出たので、最近我が家にやってきた冷房器具で体を冷やす。

 いくら片付けが終わったところで、腰下が部屋の真ん中に鎮座している光景はやはり異様。以前、親がやってきたときには「鶴が機を織っているから絶対に開けてはダメ」と言って、うまいこと?加工中のヘッドを発見されずに済んだが、今度は何と言い逃れよう。 

 「鬼婆が包丁研いでる」かな。

9月6日

 夜勤をさぼって、職場の人とロードスターでドライブに行ってしまった。開幌状態で走ると、少々肌寒い。弱くヒーターを入れると、足下がぽかぽかして気持ちがよろしい。途中、運転を代わってもらう。ロードスターの助手席も最高! ほどんど運転席に座っているので、なかなか助手席でのほほんと座っていることがない。気持ちいい風を受けながら、景色を見ていられるのは、何と気持ちのいいことか。

 帰り、沖縄料理屋に行き、ゴーヤー茶とゴーヤーチャンプルー、名前は忘れたがそばのような食い物を喰らう。なかなかおいしい。今度は、車を置いて歩きで行こう。古酒が飲みたい。

 ばれなきゃさぼりじゃないよね。

9月5日

当サイトを読んでいただいている人に誤解を招いているようなので一言。エンジンチューンのコーナーで、表題の隣に書いてある日付は、あくまで更新日時。実際に作業した日は、かなり前のこともあるのでご注意を。ある方からは「またヘッド開けたの?」と聞かれた。確かに、作業したのは6月中旬のたった5日間ぐらいなのに、その内容を書き終わったのは8月中旬だから、混乱を生じるのは当たり前。集中して一気に作業をしてしまったから、ホームページの更新が大幅に遅れちゃった。やはり、ロードスターに乗れない日は極力少なくしたいわけで、やり始めたらうわっと一気に終わらせないと気が済まなかった。逆にホームページの更新はなかなか面倒なわけで、2カ月もずれが生じちゃった。あと、1度、エンジンチューンのコーナーを書いたら、腰下の分解を始めるつもり。

だから、コーナーの表紙に以下の注を付けました。

かっこ内の日付は更新日時。実際に作業した日とはかなりのずれがあります。

9月4日

 昨日も激しく飲んでしまった。今朝、意識不明に陥った三次会会場のある寮でたたき起こされた。景色がぐるぐる回る。

 一応、休みということだったのだが、やらなければならない仕事があった。それを何とかこなし、遅めの昼食を食べて、家に戻ると、そのまま再び意識不明となった。起きたらすでに暗かった。もったいない休日となったが体力は少し回復。

 夜、ロードスターのオイル量を見たら、0.5Lちょっと消費していた。約250キロの走行でガソリンの消費が35Lほど。リッター7キロの走り方だと、やはりこれくらいオイルが消費するのか。サーキット走行では300km/Lぐらいか? 走行時間は計1時間20分。これぐらいの時間だったら、サーキット走行中にオイル切れすることはなさそう。

 油圧だけ、注意しよ。

9月3日

軒先に置かれたマイ・スイート・B6エンジン。ロータリーエンジンに積み替えたロードスターから外されたもので、完動品。走行距離は5万キロほどらしいが、オイルのフタを外して中を見たら、カム回りが茶色だった。オイル管理は良くも悪くもなかった感じ。Yahoo!のオークションで長野県内から出品されていたので、思わず落札しちゃった。

これが究極のサーキット対策。エンジンがブローしても、載せ替えちゃう、という覚悟で踏みまくるのだ。

それにしても、2基もエンジンが転がっている家、というのはどう考えてもまともじゃない。ビニールでもくるんで何かわからないようにしておこう。

この写真を撮ってから、ちょっと場所をずらそうと、サーモスタットハウジングを持ったら、ザクッと右手の親指が切れた。ちょっと深く切れた感覚。あっという間に血がにじみ出してきて、したたり始めた。付け根を握って止血を試みるも、なかなか止まらない。

エンジンと血痕がある軒先。いよいよ不気味だ。

などと、くだらないことを考えながらしばらく、放心状態。けれども血はしたたりつづける。血だまりができて、なにやら小動物でも絞めたような雰囲気になってきた。やばい。

とりあえず、消毒しておかなければ。家の中に入って、まず目に入ったのがWAKOSのパーツクリーナーとアロンアルファ。これを吹けばオイルまみれの手はきれいになるし、傷口も閉じることができるな…、と考えるも、注意書きの「第1石油類。危険度。火気厳禁という表示を見て、躊躇する。やはりやめておこう。

火気厳禁

やはり流水が一番、と蛇口をひねって水を出す。しばらく流すも、血は止まらない。根本をきつくしばろうと、輪ゴムを探すが、畳の上にシリンダーヘッドが転がっているような、生活感の希薄な家。見つからない。引き出しを開けたら、某氏からいただいた、鱒のすしに付いていた強力なゴムを発見! これで親指の根本をしばると、親指から一気に血の気が失せた。出血もほとんど止まった。止血成功。

薬袋を探っていたら、「液体絆創膏」という変わったものを発見。使ってみると、傷口をセメダインで固めている雰囲気。においも似ている。だが、使用感はなかなかのもので、切り傷にはかなり有効。

出勤前にこんなことをしている、僕の生活は一体…。

9月2日

 今日は、仕事だったにもかかわらず、ロードスターを開幌状態にして、美ヶ原高原へ駆け上がった。

 昨日、ディーラーに頼んであったドライビングの手袋を取りに行き、ついでに、ミッションとデフのオイルを交換してもらった。そのとき、リフトを少しの間かしてもらい、リアの車高を少し下げたのだ。手袋も車高下げもオイル交換も、今月下旬のサーキット対策である。

 ショックが抜けているにしろ、もう少しマシなセッティングにならないものか、と思い、若干尻上がり気味の車高を調整した。どうもリアの挙動が気に入らない。ちょっと強引な曲がり方をすると、巻き込むような感じになる。車高を下げたからと言って、これが直るとも思わないのだが、リフトもあることだし、試行錯誤してみることにしたのだ。

 車高を下げた足回りで、狭い林道を標高2000メートルの美ヶ原をめざし、駆け上る。手袋をした運転にも慣れようと、装着した。はたから見たら、攻める気満々の危険人物である。途中きついヘアピンが連続する区間は1速ホールドで6000〜8000回転キープ。後ろの白煙がものすごい。けれども、油温は100度弱。水温も95度ぐらい。サーキットでは油圧さえ気にしていれば、踏み続けられそう。

 美ヶ原ではごみを拾いながら1時間ちょっと歩き、王ヶ鼻という場所まで歩いていった。これだけ環境保護が叫ばれていても、まだまだ自分のゴミさえ持って帰ることができない連中がいる。ことし復活させたという登山道では、30年ぐらい前のファンタの空き缶や牛乳瓶、ビニール製のむしろが落ちていた。一昔前の人の環境意識が分かるというもの。

 王ヶ鼻は松本平が一望できる、絶景。雲が多くて北アルプスの稜線が見えないのが残念である。一緒に歩いていった一行と別れ、急ぎ足でロードスターまで歩く。一応、仕事中。のんびりはしていられない。

 美ヶ原林道を下ると、いつもの山道である。まだ足回りに腰砕け感があったので、フロントの減衰力を最強にしてやったら、気に入る動きになった。下りの山道でも、安心して走ることができた。

 オイル食いさえなければなあ。

9月1日

 「今日の夜、暇? 午前零時ぐらいまで空いてないかな」

午後7時すぎ、携帯電話の向こう側の友人Kにこう切り出した。「残念ながら…」との声に続き「暇なんですよ」とK。かわいいやつだ。「晩飯食いに行こう」と誘った。

 「あ、そうそう」と僕。付け加えることがある。「汚れてもいい服でね。軍手はこっちで用意するから」。「今度は何するんだよ。また変なことさせるのか?」とK。察しがいいじゃないか。Kはヘッドを積んだとき、手伝ってもらった1人である。

 あるものを買ったのだ。僕と、売ってくれた人の2人では、持ち上げることができない。もう1人、手が欲しい。ぶつぶつ言いながらも、電話1本で来てくれる友人がいる、というのは、感謝しなければならない。

 ジムニーで友人を迎えに行き、向かったのは岡谷市。ここにブツが置いてあるのである。約束の時間は午後11時だったので、ファミレスでメシを喰らいながら時間をつぶす。午後11時になった。岡谷工業高近くへ向かう。

 ブツは地面に置いてあった。売ってくれた人と、友人K、僕の3人でジムニーの荷台に積む。このとき、友人Kがあごを打った。ちょっと血がにじんだらしい。すまない。晩飯代だけじゃ、割に合わないね。苦労しつつも、何とか積んだ。

 何しろ、重量物なので、転がらないように固定しなければならない。ビールケースとパンタグラフジャッキで両側を支え、固定する。代金、27000円を払って、しばらく車談義をし、友人Kがいるので、早めに話を切り上げて、ジムニーに乗り込む。

 帰りの道中、荷台を気にしながら、慎重に運転した。今度は、どうやって降ろすのか考えなくちゃ。

 苦労しつつも、よく、やってきた。マイ・スイートB6エンジン。