月: 2001年8月

8月9日

 12日から15日まで4連休をもらった。松本に来て、正式に4連休をもらったのは初めてのような気がする。頼むから、何ごともないように。

 名古屋に帰省するつもり。ようやく暑さがゆるみ始めた松本から、夏真っ盛りの名古屋にわざわざ行くのもどうかと思うけれど、お盆なんだから里帰り、という固定観念にとらわれているので、実家に戻るのである。どこかに出掛けても人ばかりだし。

 ところで、ロードスター、片道200キロをちゃんと走れるんだろうか? オイルを食う量は変動があって、あまりきちんと計算できない。最近、白煙が目に付くようになったし、ひどくなっていることも考えられる。高速道路でエンジンが焼き付いたら洒落にならない。

 とりあえず、一定の負荷をかけ続ける高速道路ではあまりオイルは減らない気がするのでロードスターで帰省しよう。ジムニーじゃ疲れる。

8月8日

 高校野球が開幕した。長野からは松本にある塚原青雲高校という一般の人にとっては聞き慣れない学校が出場した。実に35年ぶり2回目の出場。

 この学校、いろいろな意味でドラマチック。

 まず、野球部。来年で廃部の可能性が高かったのだ。今だって17人しか部員がいない。2年前、県外から実力のある選手を引っ張ってくる受け皿となっていた体育科がなくなった。今、レギュラーでがんばっているのは大阪出身者がほとんど。甲子園出場は里帰りみたいなものだったりする。県外者を受け入れていた寮が廃止されることもあって、もう強い選手を引っ張ってくることはかなわない。しかも、2年生がいない。1年生が4人ぐらいだったか。この時点で来年の県大会は惨憺たる結果であることが目に見えている。だから「最後のチャレンジ」と部員の結束は固かった。

 学校そのものも存続の危機に直面している。現在の在校生は110人余り。正確な数字が分からないのは、在校しているのかしていないのか、分からない生徒が多いからか。最盛期には1500人ぐらい在校していたらしいから、あまりにも衰退してしまった。原因は2年前の募集停止騒ぎ。経営が成り立たない、と募集しない考えを運営する学校法人が表明したのだ。

 教職員組合の猛反発があって、募集停止は撤回。しかし、学校として積極的に生徒募集をしなかったし、やる気のある先生がいくら中学校を回ったところで、募集停止騒ぎがあった学校。なかなか生徒は集まらなかった。

 創立者の娘に当たる現校長は、どうやら学校をやめたいと考えているふしがある。来年の募集で、一定以上生徒が集まらなければ、再来年は再び募集停止となる可能性が高いという。

 そんな厳しい状況下での甲子園出場。決勝戦、松本球場で佐久長聖を下す瞬間を見て、鳥肌が立った。松本の街は寄付やら応援団の編成やらで盛り上がっている。来年、多くの生徒が集まるかも知れない。野球部を目指して。

 学校を続けることに積極的でないように見えた校長も、田中康夫知事が松本で3日夜、懇談会を開いたとき、わざわざ会場までやってきて、甲子園まで応援に行くよう依頼していた。2年前、募集停止する、やめろの騒ぎを目の前で見た者にとっては、感慨深い光景だった。もしかしたらこの学校、これを契機に復活していくかもな、と感じた。来年は、どれだけの生徒が入学するんだろう。

 第1試合は13日。鳥取代表の八頭との対戦。戦力は五分五分か。ぜひ、勝ってほしい。

 犬猿の仲である田中知事と有賀正・松本市長とのスタンドでのバトルも見物かも。

8月7日

 職場に新人が入ってきた。これまでも新人が入ってきたことがあるのだが、兄貴と同い年の上、0.11tもあるでかいやつなので、少々遠慮してしまって、言うべきことも言えなかった。やっぱり本人にとっても、少しは他人から注意されることがあった方が幸せなわけで、内心、忸怩たる思いがあった。

 今度は僕より2つ下。やっぱり歳をとっていくんだな、としみじみと感じるとともに、何も遠慮せずに思ったことを言ってあげられる、といううれしさもある。

 少人数の職場なので、誰かが気を遣ってあげなければならない。昔なら、「恨まれ役」というのがいて、徹底的にしごくのだろうけれど、今はそんな時代じゃないし、僕もそんなことされていない。やりすぎると「やめます」なんて言われるかも知れない。

 どんな風に接してあげればいいのかなあ、と思いが巡る今日この頃。

8月6日

 原爆の日に「原爆の図」の話をば。

 今、松本に原爆の図の1部がある。原爆の図と言えば、小中学生のとき、歴史の図説をぴらぴらめくっていると、最後の方に必ず載っていて、あまりにも衝撃的な描写で、子供心に恐怖を感じ、目を背けていた図である。 

 その実物、本物が松本のある寺にある。図説に載っていた小さな写真でさえ、その迫力が伝わってくるのに、実物は、高さ2メートル、幅8メートルもある屏風絵である。対面した、ほぼすべての人が、立ちつくし、言葉を失う。ある人は、その場に座り込み、ある人は、涙する。

 原爆の図は全部で15部。この寺の住職は、毎年、埼玉の美術館から借りてきて、1部ずつ、本堂に置いて見せている。脇にはランプに灯された「原爆の火」も。全部終わるには実に、15年かかる。考えていることのスケールが違う。

 安保闘争で元気良く飛び回っていた30年ほど前、若き頃の住職は、この図の作者の丸木夫妻に出会った。どちらかと言えば破壊的な考えに縛られた活動に限界を感じ始めていたとき、絵筆で社会に強烈なメッセージを発するこの夫妻に魅力を感じた、という。普段は飄々と過ごしていながら、言うべきことを、もっとも効果的な表現で主張する姿に衝撃を受けた。

 以来、住職は自分の職業を生かした形で、メッセージを社会に発している。チェルノブイリ原発事故被災地を支援するNGOを設立したり、タイでエイズ撲滅の活動をしたり、市民団体の支援団体つくったり、永六輔を毎年呼んで勉強会を開いたり。最近では、自分の死後を設計して、生をエンジョイしよう、という面白いNPOを設立した。その多岐に渡る活動は、とても、ここには書ききれない。

 強烈な行動力の源泉は、ヒロシマを原点とする「反戦」の心。ヒロシマに確かに存在した15の光景は、毎年この時期、松本の地で無言の「反戦」を訴える。

8月5日

 松本の三城牧場というところで、コテージ泊。炭火で焼き肉を焼いたり、仲間の作ってくれるパスタを食べたりして騒いですごす。当然、アルコールが入る。ワインにビール。大量。

 今日は朝から二日酔い。それほどひどくはないが、少々気分が悪い。なぜか午前11時から、コテージの下流部に当たる河原で、送別会があった。再び炭火で肉を焼いたり、ビールやワインを飲む。だから、この土日はエンドレスで肉を焼いて飲んでいたことになる。

 結局、暗くなるまで飲んだ。明日も「歓迎会」という名目で飲まねばならない雰囲気が漂う。死ぬかも。

8月4日

 朝、息苦しさと人の気配で目が覚めたら、大家さんらしき人が庭に大量の除草剤を散布していた。クーラーも扇風機もないので、部屋のサッシは全開にしてあった。人が寝ている頭上2メートルのところで、除草剤をまいていたわけで、無神経さに閉口した。いくら大家さんとは言え、人の家の庭に勝手に入ってきて、しかもあまり体に良くなさそうなものを散布するわけだから、一言ぐらい、伝えてくれたっていいじゃないか。部屋の中には嫌なにおいが充満し、のどや目が少々痛い。うがいをした。

 気を取り直して、外に出る。今日はロードスター仲間と遊びに行くのである。すると、ロードスターが泥まみれ。真横でアパートの建設をしている(同じ大家による仕業かどうかは分からない)ので、その作業で出た粉塵が大量に付着した上、昨日か一昨日の夕立で、どろどろに汚れてしまったのだ。しかも、その泥の上を猫ちゃんが歩いていたらしく、足跡やら寝た跡やらが派手に付いていた。極めつけはフロントガラスの上を滑って下りた、二筋の長い足跡が。

 気を取り直して、洗車場に行く。小銭がないことに気づき、両替のため、缶コーヒーを購入する。すると、出るわ出るわ、10円玉ばかり23枚。欲しいのは100円玉なのに。1枚出れば事足りたので、何とか気を静める。ぽっけの中をじゃらじゃら言わせながら洗車。

 自販機荒らし、猫殺し、人殺し。案外、些細なことの積み重ねが原因なのかもしれない。

8月3日

 朝、オーストラリアからの電話で目が覚めた。現地でWeb経由で@Niftyを使っていたら、突然パソコンが不調になった。ログアウトしていないけれど、大丈夫か、という内容。確か昔はアイドル状態が数分続くと勝手に切断された気がしたので、「大丈夫じゃない」と答えたものの、相手が不安を訴えるので、IDとパスワードを聞いて僕のパソコンからログインしてみたら、問題なくできた。切断されていなかったら「二重ログインです」と怒られるはずなので、「大丈夫だよ」と答えて電話を切った。

 オーストラリアと日本でこんな会話をする時代って、なんだかすごい。

8月2日

 今年の暑さはただ事ではない。松本の夜で蒸し暑いなんて、丸3年住んでいるけれど、あまり感じたことがなかった。なのに、今年は蒸し暑い夜が続く。

 家にはエアコンどころか扇風機すらない。いや、うちわも。昼間はほとんどいることがなく、夜帰ってきても10時以降なので、あまり必要性を感じてこなかった。

 だが、今年は違う。夜だろうが暑い。日付が変わる頃でも汗が出るくらい。扇風機買っちゃおうかな。

 湿気がなくてさわやかな夏を楽しみに、冬の寒さを耐えているのに、これは詐欺のようなもの。しかも、松本は冬に雪が降ることはあまりなかったのに、近年は1メートル近く積もるような大雪が多くなった。

 いいところがなくなっちゃう。名古屋近郊の実家は狂ったような暑さなんだろうな。でもエアコンがあるだけいいや。

 それでも、外では鈴虫が鳴き始めた。そのうち、ましになる、か。

8月1日

 なぜか2日連続の送別会。さすがに体力と肝臓の限界なので、2軒目のショットバーでは「スペシャルカクテル」を注文した。

 ここのマスター心得ていて、茶色の飲み物、すなわち「ウーロン茶」を何気なく出してくれるのだ。