月: 2001年8月

8月20日

 仕事をさぼってデジカメを物色に行った。一番見ておきたかったのはカシオのQV4000。400万画素のCCDに、光学3倍ズーム、マニュアルでさまざまな設定ができ、単三電池で動く。いま、デジカメに求めている、だいたいの機能を備えている。

 某電気屋で手に取ってみた。第一印象は「でかすぎる」。電源が入らなかったので、動作の具合は分からなかったのだが、コンパクトカメラにしてはでかい筐体が気になって、購入には至らなかった。

 やはり、コンパクトさは重要なポイント。一眼レフとともに持ち歩くことがあるので、小さくて、普段から無意識に持ち歩ける大きさのデジカメが欲しい。そうなると、やはりキヤノンのIXY300が気になる。値段も5万円後半。手に入れたい衝動に駆られたものの、いまいち踏み出せなかった。

 こう考えると、Coolpix700は、単焦点のレンズが少々不安な以外はなかなか良いデジカメだと思う。ゴミさえ写らなければ、まだまだ使えるのに。

 腰下の分解までにはまともなデジカメが欲しいのだけど…。会社から支給されないかしら。 

8月19日

 夜勤をさぼってビアガーデンに行ったダメージで、午前中は寝て過ごす。昼前まで寝ていても大丈夫。やはり真夏は過ぎ去ろうとしている。

 寝ていてはもったいないので、久しぶりに「でたらめドライブ」に出掛けることにした。出発したのは午後1時半。

 ひところの暑さではないとはいえ、開幌状態にすると、刺すような日差しでたちまち汗だくとなる。でたらめドライブなので行き先はない。とりあえず進路を北に取る。長野県の東部や南部は良く走るのだが、北部は新潟へ行くときに通過したことぐらいしかなかった。まだまだ暑いことだし、長野県北部の高原を目指すことにした。高原で景色の良い静かなところが見つかれば、しばし止まって本でも読んでいたい。

 松本の北、筑北と呼ばれる地域の走り慣れた道をゆく。松本と長野の境とも言える聖高原を抜け、長野市へ入る。善光寺の横を抜け、七曲がりという急坂を上ると、飯綱高原へ出る。ごみごみしたリゾート地ばかりで、いいところはあまりない。野尻湖を見たくなったので、向かう。

 ちょっと脇道をすると、黒姫高原。黒姫山が迫って見えて、なかなか景色がよいが、あまり標高が高くないので涼しくない。野尻湖畔でのんびりしようかな、と思ったものの、湖上にスワンの遊覧船が大量に浮かんでいるのが目に入り、一瞥をくれただけで走り抜ける。こうなったら、目標は高原巡り、ということにして、斑尾高原に向かう。この時点で午後4時前。

 斑尾は、そこそこ標高が高く、飯山の街を見下ろす景色はなかなか良いのだが、やはりありきたりの観光地。リゾートホテルに乗用車がずらりと並び、テニスコートにうじゃうじゃ人がいるような場所。車を降りる気にすらならない。

 千曲川に向かって急坂を下る途中で地図を見る。志賀高原はまだ行ったことがない。野沢温泉村から奥志賀高原に入ることにする。地図を見ると、いかにも心細い道。走りたい放題だろう。

 野沢温泉村の温泉街を抜け、山を上り始めたのが午後5時すぎ。林道のような心細い道が50キロほど続いている。暗くなる前に走り抜けたい。なんせ、携帯電話も通じないし、崖から落ちたら、だれも救助に来てくれない。路肩には「自信のある人だけ入山してください」などと、空恐ろしい言葉の看板が立っている。

 標高1200〜1300メートルほど。くねくねした細い道が延々と続く。対向車もほとんどいない。走っているうちに、雷雲へ向かっていることに気付く。これぐらいの標高になると、雲が近い。いかにも電気を発生しそうな不気味な雲が真っ正面に見えて、しかもそこへ突っ込もうとしているのだから、不安になる。せめて幌でも閉めようかしら、とも思ったが、面倒なのでそのまま走る。

 しばらく走ってようやく奥志賀のスキー場やホテルが現れた。人気のないところをしばらく走ったので、人の気配を感じてホッとする。

 志賀高原へ。国道292号に入り、横手山のわきをすり抜けると群馬県。ここら辺は実に標高2200メートル。森林を抜け、切り立った岩がつくり出す絶景を横目に、走る。雲が多かったのが残念。改めて来てみたい。

 万座ハイウエイに入った頃には辺りが暗くなって来た。しかも、分厚い雲の中に突入。厚い霧で前がよく見えない。霧がフロントガラスにぶつかって水滴となる。まだ開幌状態。稲妻が光らないことを祈る。標高が下がってきて、小雨となっても、意地で開幌状態。料金所のおじさんが変な顔をしていた。

 国道144号に入り、小雨の中、一般車と走りながらも、まだ開幌。鳥居峠を越え、長野県の真田町に入った頃には雨もやんでいた。さすがに菅平高原に寄る気にはならず。上田市内で給油。燃費が悪い。

 国道143号で松本に向かう。青木峠に地蔵峠。国道とは思えない心細い道。街頭すらないので、突然現れるヘアピンカーブに驚きながら、走り抜ける。

 ようやく松本に戻る。そういえば、朝から飯を食べていないことに気付き、中華料理屋で回鍋肉定食を喰らう。店の前でようやく幌を閉めた。午後9時すぎ帰宅。

 さすがに、6つの高原を回り、曲がりくねった道ばかり350キロほど走ると疲れます。さあ、オイル、どのくらい減っているかな。

8月18日

 何となく、秋めいた1日。こんな日は仕事をさぼって、ロードスターの屋根を開け放ち、山道を軽やかに走り抜けてさわやかな空気を思いっきり吸いたいのだが、仕事場に張り付けの刑にされてしまったので、かなわず。

 せめて、夜勤をさぼってビアガーデンに行こう。

8月17日

 ビールは注ぐ人によって味が変わる。

 そんな話を偶然に喫茶店で会った庭師から聞いた。注ぐ人の人柄や態度、生き方のようなものが味に出るのだという。まじめに話すものだから聞き入ってしまった。

 居酒屋のママ。心を込めて客にビールを注ぐ店ははやるが、ぞんざいな注ぎ方をするような店は客足が途絶えてつぶれるのだ、という。そんなものかな、と思いつつ、味にどう現れるのかを聞いてみた。

 まじめな態度で注ぐの者は、やはりビールがキリッとうまいのだそう。逆に、軽い気持ちだったり、普段からいい加減な性格の人が注いだビールは軽い味がしてまずい、という。微妙な話ではある。

 この庭師、昨日、一緒に飲んだ学生に「惨敗」した。学生の就職が決まった祝いに、学生と学生の先生に当たる人とともに飲み、先生から、ビールの味が確かに変わる、という話を聞いた。半信半疑で自分の注いだビールを飲み、次に学生のビールを飲んで、驚いた。「確かに、学生の注いだビールがうまい」。人生にまじめに向かい合っている、そんな味だったという。

 逆に自分の注いだビールは「オレの軽い性格、そっくり」。人生の年輪はあまり関係がない。「そのとき、その時点での注いだ人の人間性が現れる」とも。

 確かに注ぐ人によってビールの味は変わる。今度飲むときから試してみよう。けれども、人の人生を推し量るような微妙なテイスティング。いわば、「人生のきき酒」。まだまだ青い僕には、当分、微妙な違いは分かりそうにもない。 

8月16日

休み中に、2つの盆踊りに繰り出した。夏、男は黙って、盆踊り。

祖父母は愛知の長野県境、「奥三河」と呼ばれる地域に住んでいる。奥三河と言えば、設楽あたりを指すらしいが、祖父母の住んでいるところはそれよりさらに奥の「奥奥三河」と言える地域である。この地域と、長野の天竜峡周辺とは国道151号でつながり、ほぼ同じ文化圏。この地域に伝わる盆踊りは、起源が鎌倉時代の「踊り念仏」にさかのぼるとされていて、屋台の上に三味線や太鼓が陣取り、盆唄をその場で歌う生演奏。情緒がある。

14日夜には、長野県阿南町の「新野の盆踊り」に初めて出掛けた。小さなころから、祖父母の家へ夏に行くたびに、にぎやかさを聞かされ「いつかは新野で踊りたい」という思いを抱いていた。長年温めていた思いを、ようやく果たすことができたのである。

ここの盆踊りは、三味線や太鼓は使わず、盆唄だけで踊る。国の重要無形民俗文化財にも指定されている。「商店街の端から端まで何重にも踊りの輪ができ、1回り1時間はかかる」と聞いていた。期待を胸に会場へ歩くが、高原中に響き渡っていると想像していた盆唄が聞こえて来ない。会場に着くと、やぐらを囲んでいるのは百人ほどだけだったので、いささか拍子抜けした。

それでも「高い山」「十六」「おさま甚句」など、愛知県側でも踊られている唄が聞こえると、勝手に体が動き出す。最近作られたものとは違い、数百年続いてきた素朴な踊り。参加者も唄を歌いながら、ゆったりと踊る。昔は1000人は踊ったという会場は寂しくはなったが、踊り手に多少の増減はあっても、今後も伝承されて行くであろう力強さを感じた。

15日夜は、愛知県津具村というところであった盆踊り。こちらは、三味線、笛、太鼓の生演奏付き。こちらの盆踊り、新野とは様子が全く違う。人がたくさんいることもさることながら、踊り子の年齢層が、10〜20代が中心なのだ。こんな山奥の村に、よくもまあ、こんなに若者がいて、集まったものだ、と感心する。運営も若者が握っていて、この分なら、ここ数年は盛り上がりそうな勢い。

こちらで踊って楽しいのは、「チョイナ節」というテンポのよい踊り。最初はのんびりとしたテンポで、数十分踊るうちにテンポが上がり、しまいには駆けないと追いつかないほどまで早くなる。ゆっくりとウオームアップしてだんだんと興奮して行き、最後、上り詰めてトランス状態で踊り狂うのが楽しいのだ。

けれども、以前来たときと踊りの様子が違う。若者がやっているだけあって、「踊り」というよりは「ダンス」になっているのだ。やたらめったら、叫び、腕を振り、飛び跳ねる。テンポアップしてきたときの狂いようといったら、一緒に踊っていても興ざめする。普段パラパラを踊っている連中が盆ダンスにやってきたんじゃないか、と思う。ノリは「盆パラ」。付いて行けない。

新野は寂しくなったけれど、正しい盆踊り。真に楽しむならこちらかな。

8月15日

 ああ、心が揺れる。

 オイル消費の原因はヘッドなのだろうか?という疑問がわいてきた。高回転キープ後にどかんとはき出される煙を見ると、どこかのバルブステムからオイルが伝っただけのオイル漏れのようにはなかなか思えない。少し大量すぎやしないかな、と思う。それに、点火プラグに付着する妙な堆積物も気になる。オイルの燃えかすかもしれない。

 オイルの燃えかすだとして、1気筒だけに付くなら分かるが、4気筒全部に付いている。いくら素人が組んだヘッドとはいえ、4気筒分のステムからオイルが漏れるようなことが、あるのかしら。

 それに、オイル消費の量も、だんだんと予想が付くようになってきた。普通に移動する分にはあまり減らない。高回転まで回す、スポーツ走行をするとてきめんに減る。昨日、がんがんエンジンを回して山道を100キロ走ったら、だいたい0.1L減っていた。

 予想が付き、オイルをつぎ足していればよい(オイル交換の必要がなかったりして)のだから、腰下を作ってから、エンジンごと載せ替えるときに原因を究明してもよいかもしれない。

 8000回転まで回していて、しかも7000回転以上でかなりの振動が出るエンジン。ピストンリングがやられていてもおかしくない気がする。

 とりあえず、点火プラグがくすぶるまでのオイル漏れではないから、このまま乗っていようかな。でも、9月にはサーキットに行けるかもしれない。白煙はきながらサーキットを走っていいのだろうか。

 ああ、心が揺れる。 

8月14日

 ロードスター、やはりかなりのオイルが燃えているらしい。6000回転ぐらいをキープして、フルアクセルをくれてやると、マフラーから白い煙がどかんと出た。触媒を外していないのに、もくもく出る、というのは、かなりの燃え方らしい。

 今日は、愛知と、長野の県境にある、母親の実家に来た。どれぐらい、オイルが減るものか、道中は、思いっきり回してやってきた。くねくねした道を高回転キープ、かなりのハイペース。距離は、80キロぐらい。フル加速するたびにバックミラーを見るが、時折白い煙が出ている。油圧がちゃんと掛かっているか確認しながら、思う存分回して走った。

 明日、レベルゲージを見て、どのくらい減っているのかな。

8月12日

 昨夜、午後11時に仕事を終え、実家に向かう。高速代がもったいないので、木曽路をひた走り、名古屋へ向かう。道中は時速70キロぐらいのペース。5速、2000回転ちょっとの運転である。

 燃費はかなりいい。燃料計の減り具合から見ると、リッター12キロ以上は走っている。

 中津川から中央高速に乗る。多治見で下り、そこからまた下道。実家に向かう。200キロ弱、3時間ほどの道中だが、燃料計は5分の3ぐらいを指していた。

 問題は、オイルの消費量。距離で言えば、0.2Lぐらい減っていてもおかしくはないのだが、今朝、レベルゲージを見ると、ほとんど減っていなかった。低回転、低負荷ならほとんどオイルは減らないらしい。しかし、7000回転前後まで回す運転をすると、バックミラーに白い煙が映る。

 そう、乗用車的な走り方をしている限り、オイル消費は問題ないのかも知れない。5000回転以上回さなければ、走る続けることができるのだ。なんだ、そんなことだったのか。簡単じゃん。

 なんちゃって。思い切りエンジンを回すのがためらわれるスポーツカーに存在意義はない。ヘッド分解決定。

8月11日

 左の後ろのフェンダーに赤く豪快な傷が付いているのに気付いた。泥よけも割れていた。

 「すわ当て逃げか!」と、体中の血がにわかに沸き立ち、臨戦態勢に入ったものの、傷の様子がどうもおかしい。明らかに他の車に当てられたのではなく、どこか樹脂製のものに、こすってしまった感じ。走っていてぶつけたような物音がした覚えもないし、とっても不思議な傷。いつ、なににこすってできたんだろう。ボディは薄皮一枚程度の傷なのだが、泥よけはかなり激しく割れてしまっている。ちょっとした出っ張りに、けっこうなスピードでこすりつけちゃったんだろう。

 赤い傷は、ぶつけた相手のプラスチックがこびりついているだけで、コンパウンドで落ちた。若干、へこんでいるような気もするが、言われなければ分からない程度。一文字に塗装がはがれてしまったが、目立つ傷でなかったので、タッチアップペンでさび止めをしておいた。泥よけは割れてしまっているので、再生は不能か。

 実は、我がロードスターの泥よけはNA6CEのものと、NA8Cのもの2種類が付いている。泥よけは、NA6CEとNA8Cでは形が違うのだ。NA8Cのものは、NA6CEよりも、タイヤハウスに沿う形で長くなっている。車の後ろからよく見ると、左右の泥よけの形が違うのが分かって変なのだが、NA8Cを解体したとき、泥よけをわざわざ左右で見比べる人もいないだろうと、程度の良かった右側を移植したのだ。

 今度壊れたのはNA6CE型。確か実家にNA8Cのものが転がっているはずなので、交換してしまおう。少々、変形していた覚えがあるが、修正すれば問題ないはず。

 発見したときはかなり深刻な傷に見えてブルーになってしまったけれど、手当てしてみたら、それほど大したものではなかったので胸をなで下ろした。しかし、無意識のうちにどこかにぶつけた、ということになるのだから、気を付けなければ。

8月10日

 なぜか、花火大会の写真を撮ることになった。どこかで使われる写真なのだから、気合を入れて撮らねばならない。

 三脚で固定したF90にレリーズを付けて、バルブで撮影する。カメラにボタンの付いたコードを付けて、ボタンを押している間、シャッターが開いている、という寸法だ。

 これがとっても難しかった。想像ではたくさんの鮮やかな大輪が写っているはずなのだが、どのコマもいまいち。どうやら、花火の色を鮮やかに写すには、絞りをもう少し絞らなければならなかったらしい。どの写真も、白っぽい写真で、あまり美しくない。

 気合を入れてがんばったのに失敗する、って、やはり、ダメージがでかい。