2月6日

 信州大に「まぶた切り裂きジャック」が存在する。

 なぜか信州大の先生のところに遊びに行き、コピーを取っていた先生の背後から声をかけた。振り向いたその顔、いや目が、腫れぼったくて異様だった。思わず「うわ、先生眠そう。徹夜明けですか」と少々大きな声で叫んでしまった。

 「いや、違うんだよ。まぶたを手術したんだよ」と先生。なるほど、徹夜で腫れたというよりは、傷が治りかけの時の浮腫のような状態だった。二重まぶたが、ぶ厚くなった感じで少々、目つきが怖い。

 説明を聞くと、こういうことだった。まぶたを吊り上げている挙筋という筋肉は、中高年になると長年の疲れがたまって伸びてしまい、以前にくらべ目の開き具合が小さくなってしまうという。このため体が反射的にしっかり開けようと、額の筋肉を緊張させる。結果、ぎょろりとした目つきになるという。

 この筋肉の緊張状態が続くと、自律神経が狂ってしまう。これが、目の疲れや肩こり、不眠につながるのだという。徹夜を連続したり、眠いときに目をこすったりするといけないのだそう。

 年末の先生の状態がそうだった。僕と2、3日前に会ったばかりなのに、会ったことをすっかり忘れてしまっていたのだ。そのときは、「先生疲れすぎですよ。もっと休みましょう」といたわりの言葉をかけておいた。

 ここで現れたのが、例の「ジャック」こと、形成外科の先生である。教授会で「人と会ったことをすっかり忘れていてショックを受けた」という話をしたら、隣に座っていた「ジャック」がにやりと笑い、「先生、まぶたを切りましょう」。(一部脚色)

 「ジャック」が勧めたのが、ゆるんだ筋肉の一部を縫い縮め、もとに戻してしまう方法だ。二重の人は、線に沿ってメスを入れるらしい。目が開けやすくなって、いままで緊張していた筋肉がゆるみ、神経の不調が解消される。結果、眠りやすくなり、肩こりもなくなるという。

 先生は僕と会ったことを忘れていたことによほどショックを受けたらしい。「ジャック」曰く、「先生、それは危ない状態ですよ」。年末、勧められるまま、手術をしてもらった。

 すると、効果が表れた。冷たかった手足が温かくなり、不眠の症状が解消されていつでも寝られるようになった。ものを考えるときも「くよくよ」していたのが、「目の前にあることからやっていこう」と前向きになったそうである。フットワークが軽くなった。気分に余裕が出てきて、仕事をさぼり気味にもなったとか。ある日、ふと空を見上げたら、青い空が「きれいだな」と久しぶりに思った。

 デメリットもある。2、3日は物が二重に見えたし、因果関係は分からないけれど、手がしびれる症状が出た。そして何より、顔が変わってしまった。ある生徒曰く「先生、ゼニガメみたい」。

 プライドも傷つけられた。「ジャック」に脳の血流を測定されて、自律神経の不調からか「前頭葉に血が来ていない」と言われた。「お前はアホだ」と言われたようなものである。「目つきが悪い」と言われるし、生徒からは、は虫類に分類される始末。おまけに、テレビ放送の公開講座が近く控えていて、ゼニガメ顔のまま出演しなくてはならない。「これが直れば満足なんだがね」と先生。休みの間に直ると言われたのに、1カ月直っていない。

 「ジャック」はあらゆる人にまぶたを切るよう勧めているらしい。霊が障っているからすべての病気は発生する、と誰にでも除霊を勧める、怪しげな霊媒師のごとく。誘いを受けたのは、「教授」としては、ゼニガメ先生が第1号だったという。

 この先生の脳の血流を測定した20代の研修医は、「なぜこの検査を受けるのか」と聞いてきた。先生は、「ジャック」から聞いていた理論を話しはじめた。「先生もそうだったんですか」と研修医が、にやりと不敵に笑う。

 研修医のまぶたにも、手術跡があったそうである。