2月27日

 朝からテレビは某宗教団体教祖さんの判決の話題でもちきりだ。ここ数日、洪水のように事件関連の特番がやっていたから、その間電波ジャックをしていたのと同じようなものだ。この期に及んでまだ迷惑をかけるところ、やっぱり常人ではない。

 裁判で判決が言い渡される場合、通常は「被告人を懲役 ○年○月に処する」と主文をまず読み上げて、それから理由を朗読する。が、死刑の場合は、慣例として理由から読み上げ、最後、主文を言う。最初に言ってしまったら、被告人がショックで理由を聞けないだろうから、というのがその理由なのだが、イレギュラーに理由から読み上げれば、死刑だと分かってしまうわけで、実効性があるのかないのか、いまいち分からない慣例ではある。ま、理由から読み上げたのに、無期懲役の判決だった例もあるみたいだけれど。

 今回の判決でも理由が先だ。だからマスコミなんかは「厳しい判決が言い渡される見込み」などと騒いだ。理由のなかでは、過去の事件で教祖が教徒たちに犯行を指示したのかどうか「認定」していくのだが、松本に住んでいた僕としては、もちろん松本サリン事件の認定が気になったのは言うまでもない。ニュース速報では「松本サリン事件も認定」と流れていた。

 松本市北深志の現場は本当に城下町らしい細い道が入り組み、建物が密集した住宅街だ。松本城の北隣には、長野地裁松本支部がある。そこからちょっと東に歩き、左に曲がってほんの少し北上すると河野さんの家がある。その南側がサリンをまいた現場だ。松本城から5分もかからない。取り壊された建物もあるけれど、当時とそれほど変わっていないようである。すぐ近くに裁判官が住む官舎があり、周辺住民も含めて狙ったらしい。組織の論理が人間のもっとも基本的な倫理を忘れさせてしまうところが、内向きの組織の怖いところだ。付近の住民はあまり当時のことを話したがらない。事件そのもののトラウマもあるだろうけれど、それに加えて、マスコミがたくさん押し寄せて「荒らした」のも原因の一つだろう。

 河野さんに会ったことがある。お話をして違和感を感じたものだ。奥さんが事件の被害に遭ってもう10年近く意識が回復しないのに、某宗教団体を非難するようなことは一言も言わない。むしろ、住民運動が起こって教団施設が立ち退かせようとすると、某宗教団体を擁護する発言をする。怒る、という感情はないのかしら、と心配してしまうほど、理詰めでものを考える人である。判決が出ても、露骨に怒ることはないのかもしれない。

 即時控訴で裁判はまだまだ続く。