ターミナルケアというと、何のことか分からない人が多いに違いない。
がんで余命幾ばくもない人たちに施す医療のことである。延命がかなわないのだから、いかに最期まで人間らしく生きられるかを考える。ホスピスという施設に入る人もいる。ホスピスなら聞いたことがある人が多いかもしれない。ホステス、と語源が一緒で「もてなし」を意味する。人生の最期をもてなす場。ホスピスを始めた医者の娘が「ホステスになる」といい出して、一瞬びっくりしたという笑い話もあった。この場合のホステスは、もちろんそこで働く看護婦さんである。
甲府市の女医で自ら病院を開業し、ターミナルケアに取り組んでいる人の講演会があった。講演会と言うよりはトークショーか。
末期がんだと死ぬほど痛いらしい。けれども自分では死ねない。もんどり打ってうなろうが叫ぼうが暴れようが、放置されるのが今の日本の医療の現状。最期まで苦しみ抜いて、涙を流しながら亡くなるのが普通なのである。適量のモルヒネで痛みをコントロールすると、亡くなる前日まで好きなことをして、穏やかな顔でいられるという。そんな患者たちがスライドで映し出された。
そんな講演会に信州大病院の第一外科の先生がいるのを発見した。
信州大学はなぜか、京都大学と並んで、国内での肝臓移植の最先端を走っているのである。ちょうど3年前、国内初の脳死移植があったとき、肝臓を担当したのがここ。脳死とは、脳みそだけ死んでいるのに、心臓が動いている状態を言う。脳みそが死ねば呼吸が止まって心臓もすぐ止まるはずなのだが、人工呼吸器の発明によって心臓が動いているのに脳みそが死んでいるので、その人が亡くなったとみなすへんてこな状況が生まれた。
そこにいた先生はこのとき、高知県まで行って肝臓の摘出に立ち会った人である。それで助かる人が大勢いるとはいえ、まだ温かいヒトにメスを入れるのだから、普通の日本人なら嫌だと思うに違いない。いくら医者と言っても最初は躊躇すると思う。それでも回数をこなすとマヒしてくるのが人間の常。
そこら辺のところを、信州大のお医者さんたちはどう感じているのかな、と思っていたら、その中の1人がこんな重い講演会にわざわざ足を運んで、熱心に聴いていた。手術マシーンのようにさえ感じたこともあったのだが、やはりいろいろと考え、思い悩んでいらっしゃるのである。
講演会では「大病院のお医者さんほど人が痛んでいるのが分からない人が多い」などと、たびたび大病院批判が繰り広げられた。この移植医も一緒に笑っているのを見て、中にはちゃんと心得ている人もいるんだよ、と1人、心の中でつぶやいたのである。